波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

一言多いですが【「格付け」編】

2012年10月22日 | 日記・エッセイ・コラム

2 …前回から続く…
生たちの厳しい立場、出口の見えない閉塞状況に心痛む。おいそれと「…仲良く暮らしましたとさ」と冗談言えない空気感じる。定年退職で学校現場から一歩離れて見える何とも言えない重苦しさ。すでに、社会全体が息絶え絶えだ。生き続けることに誰もが必死だ。
                ■ □ ■
凶に根深い「格付け」がある。たぐりよせると、以前の正規と終身が普通の雇用形態が、非正規と短期雇用に変質し、一生続くサバイバルのイス取り競争の始まりがある。自己責任論が正論の顔で闊歩している。一昔前の復活戦ありの勝者:敗者から、負けると終わりの救いようのない強者:弱者の時代が来ている。「3.11」が追い打ちをかけ、復興の遅れは弱者に光は不要というひどい政治そのものだ。何と冷たく悲しい話だろう。原発も含め、こんなのを次の世代に残していいわけがない。
                           ■ □ ■
生続く「格付け」に、学校も逃れられない。生徒だけでなく先生も追い詰めら、耐え抜く訓練が段階的に強制される。じっくり、ゆっくり、わかるまでは既に夢のような話だ。数値目標の管理が改革の名で強制される。「子どもが学校の主人公」という当然の言葉さえ、口にするには覚悟が必要な時代が来ている。真綿で首をしめられるような嫌な感じ。
 いじめ報道で、あってはならない「いじめ」をあっても無いと言う記者会見の校長先生たちの姿に怒りが湧く。同時に、哀れさも禁じ得ない。「立派な活動=立派な学校=立派な校長」に精進してきたのに、何でここで「問題発生=問題学校=問題校長」の烙印を押されられなければならないのかという顔がある。この2つの評価は一見対極だ。しかし、「立派」が「問題」に瞬時に入れ替わることは学校関係者なら誰でも感じている。   …次回【教師至難編】に続く。

………………………………………………………………………………………………………………………………………………

イラストは島の時代、家の前の林で拾った胡桃「老人はバーにいる」-教え子が夏に開いた隠れ家みたいな店。ひっそりと佇むバー。知らせたくないような、知らせたいようなお気に入り秋の学校行事を大学の授業「特別活動論」の一環で学生諸君と見る。「子どもが主人公」をめざす学校の覚悟を学ぶ。

コメント    この記事についてブログを書く
« 【その82】 ちびりちびり | トップ | ぶどう »

日記・エッセイ・コラム」カテゴリの最新記事