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波風立男氏の生活と意見

老人暮らしのトキドキ絵日記

一言多いですが【「職業欄に」編】

2012年10月17日 | 日記・エッセイ・コラム

Photo業欄に「おじいさん」と書ける境遇に早くなりたい。就学前から「そして、おじいさんとおばあさんは仲良く暮らしましたとさ」にあこがれていた。人生の楽園が、明るい終末のイメージがある。最近、風呂や寝床で「そして…」を無意識に唱えている。将来の夢は「おじいさん」、目指すは「偏屈だが、意外に優しい『うどん屋のおじいさん』」だ。あえて書き添えて置くが、ママヨさんと不仲だから将来は…ということではない。本当だってば。
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マヨさんに「おばあさん」役を頼まなければならない。これが元で不仲になったりして…。家で練習し違和感なくなれば外で使う。「おじいさん」「おばあさん」と呼びあい、そんなことも可笑しくて笑っている。そんなのが楽しい。ママヨさんはあれで皮肉屋だから「仮面老夫婦になりたいんですか?」なんて言うかもしれない。天から与えられた寿命だから、仮面だろうがカモンだろうが笑って過ごせるなら本望だ。「仲良く」は天に約束できないが「暮らしました」は何とか、なると思う。この頃、ゴミ出しも茶碗洗いも習慣化できてきた。敬老の日から始めた「テレビ体操」も早1ヶ月。余計な買い物と高カロリー取り過ぎを除けば、老人生活開始の半年間はまあまあの自己評価。ママヨさんの献身が今後も続けば「おじいさん」になる夢は近づく。  …次回の【格付け編】に続く

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イラストはいただいて10年を越える銅製の水差し。これで入れるコーヒーが旨い。細くて長い注ぎ口が、ドリップの細かくて大量の泡を作るせいかな専門書読んでいる。理論で過酷な現場思う。ブログ「一言多いですが」で、気持ちの整理を少し…今日は遠回しの序論、こんな調子で何回か。

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【その81】  プロペラな私

2012年10月11日 | 【保管】一寸凡師コラム

81   珍しい場面に出くわした。
   先日、紅茶を飲もうとして、ティーバッグをプロペラのようにクルクル回していたら、思いがけず指を離れ、ビヨーンと飛んでいった。ゆっくりと放物線を描き飛んでいくティーバッグがとても印象的だった。

    最近の凡師。幸せなことに商売繁盛。職場と家だけを往復する生活は、凡Photo 師の財布から小銭が減るのを防いでくれている。商売繁盛になると、様々な思考がぐるぐると頭の中を回る。頭の中にある思考というプロペラの羽。凡師は先端につかまっている。思考が深まれば深まるほど回転力は増し、凡師の体は外へ外へと投げ出され、やがてポーンと外に飛んでいく。この飛んでいった瞬間、思考から実行へと切り替わる。遠心力に耐えられなくなって飛ばされるときもあれば、自ら手を離す時もある。知識や経験はプロペラの羽の大きさ、回転するスピードは意志の強さにも関係する。どの方向に飛んでいくか、どこまで飛べるかは手を離さなければわからない。悩みはつきず、思考もつきず、プロペラはぐるぐるまわる。はっきりしているのは、思考というプロペラは、しがみつく道具ではなく、飛び出す為の力を蓄える道具だということ。飛んでいった先で解決することもあれば、次のプロペラが回ることもある。やはり、手を離すことが大事なのだろう。

    最初のディーバッグの話には続きがある。
ゆっくりと飛んでいったティーバッグは床の上に見事に着地、堂々と立った。オリンピックの新体操でも、あれほど見事な着地は見たことがない。以前コラムで紹介した「投げられた ところで起きる (こぼうし)かな(隙間コラム第31回)」というお坊さんの言葉を思い出した。

    ティーバッグに人生を見た秋の昼下がりだった。

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小さな秋

2012年10月09日 | 日記・エッセイ・コラム

   入れ歯新調して2万円。どこかで聞いた「歯が為に金は要る」Photo_4 (誰が為に鐘は鳴る)思い出した。
 芋ずる式に、自作の「ポーズ憎けりゃ今朝まで憎い」(坊主憎けりゃ袈裟まで憎い)浮かぶ。自信無いのを、偉そげなポーズで埋める小さな人間性。立男心ならずも、立場や、年令や、緊張感なんかで、そんなふうに振る舞ってしまったかも。ママヨさんに「ちょっと偉そうだヨ」と時々釘を刺されたりして。

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  そんな時、次の日の朝までには「俺はなんて馬鹿なんだろう」ときちんと反省したい…という謙虚な心模様ではなく(笑)、大言壮語と偉そうな態度の人に腹が立ち、気分が悪くて次の日の朝まで寝られなかった、という現実で作った駄洒落。面と向かって文句言いたい泡立つ心を、笑って押し込んでいた若い頃…そんなことを思い出すこの頃…駄洒落の解説までするようになってしまい、人生の小さな秋が来たみたいな?

魚って何が楽しみなんだろう?じっと目玉見て描いた動画「電車で化粧をやめなはれ」を「波風食堂、準備中です」にUP昨日夜、山中伸弥教授(50)がノーベル賞(医学生理学)の報。一人の「わかった」が全人類の幸せに。

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草に すわる

2012年10月07日 | 読書

Photo_3    自分のまちがいをまだ認めたくはない私、考えるには少し早い私の死。気づかないふりをしていたのに正面から言い当てられたような。詩集「草にすわる」市川紀子選:理論社)。

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 「わたしの まちがいだった」、「あさがおを 見」の1字分の空白が、人生って、そんなもんなんだよと迫る。一瞬の間の立ち止まり。

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 この詩のせいだ。「詩との対面」(安岡章太郎:光文社文庫)、「少しだけ無理をして生きる」(城山三郎:新潮文庫)を本屋で手に。前から文体の好きな作家も92歳と85歳。

一昨日、舞台「二十二夜」、「父帰る」観る。昨日、「南中ソーラン」観る。心温かくなる。

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【その80】 ススキ探しの旅

2012年10月04日 | 【保管】一寸凡師コラム

80  過日のお月見。凡師家では荒馬講師のもと家族で団子作り&ススキ探し。今までススキはそPhoto2 の辺に生えているものと思っていたが、探せど探せどススキは見つからず・・・。思いがけず「ススキ探しの旅」となった。家の周辺を家族4人でお散歩がてら。てくてく歩いて探す旅。息子はついでに笹の葉も。ススキを探すために、荒馬さんと一緒に藪の中に入っていく長男。少したくましくなったような?  お目当てのススキを見つけた後も、のんびりとした心地よさに家族ぶらり旅は続いた。

   夜はようやく見つけたススキを飾り、みんなで作った団子を笹の葉の上に。心配されていた曇り空も、途中切れ間から満月が。いいお月見となった。

   ぶらり旅の途中でススキが斜面に生えているゾーンを見つけたが、帰り通った時には全部無くなっていた。ススキ探しの旅人は凡師家だけではなかったらしい。

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