主体性のある学力
最近では、「地域とともにある学校」という表現が政策用語になるまでになったが、「学校が地域に根ざさなきゃいけないのは、なぜなんだっけ?」と、ときどきわからなくなるときがある。
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困ったときは原点に戻るに限る。ということで、「村を育てる学力」を読み直した。はっとしたのは、「主体性のある学力」という記述。戦後初期、それこそ学力低下が問題視されていた時期に、東井義雄はこう問題提起する。「意識の都市化」によって学力の昂揚を図ろうとすることが唯一の道だとされているが、果たしてそれで良いのか。そうしてついた「学力」は、主体性のあるものにならないのではないか、と。
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「主体性のある学力」とは、腹ペコ流に言い換えれば「自分から出発できる学力」だと思う。そう考えたとき、子ども自身の生活や、その場面である地域は何より大切だ。自分達の生活や地域と「主体的」に向き合っていくことが、どうしても必要だ。その筋道から、「地域とともにある学校」を捉えなおす必要がある気がしている。