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もうじき2年目となります。さらに言えば…。

「私が嘘(ウソ)を言うわけないでしょう」という、
究極の嘘までついて失笑を買った、憲政史上最低の総理大臣、
そして、国会で、“ウソ”をついても、
(虚偽の発言をしても…)、
政治が、マスコミを黙らせて、
平気でいられるようになったのは、
第二次安倍政権以降…という投稿が、
ツイッター(現、えっくす)上にあったけど。
ウソどころか、官房機密費という公金を組織ぐるみで、
自民党が横領していたのであり。
しかも、これを官房長官は「機密費の使途、差し控える」としている。
ダブルスタンダードも珍しくない政治の世界では、
政治家のセンセイ方は、ドロを舐める思いもしていく…と聞くけど。
国民主権において、政府は、国民から、行政と予算を委任されているもの。
この官房機密費の使途も公開されないことから、
与党(自民党)が、選挙に勝つための資金として、
権力の維持のため、政府のお金、公金である官房機密費を用いれば、
公金の横領であり、これが事実なら、公職選挙法違反にもなる。
その職業倫理が疑わしいどころか、
政権を、犯罪者に握られていることになる。
安倍晋三、元首相が殺される要因にもなった、
自由民主党と世界平和統一家庭連合(統一教会)との“つながり”や、
官房機密費の流用は、明らかに、一線を踏み外したもの。
故人となった人物の社会的な責任と評価を問うことは、
死者を鞭打つことにも思え、
本来、遠慮したいところではあるけど。
事件後、次々に発覚していく不祥事は…、
職業倫理や道徳性を欠いた、重大な背任行為(裏切り)でしかなく。
死して語らなかったものがあるのなら、
死者にムチ打つ、覚悟をもって、向き合わざる得なくなる。
そして、マスコミの、何がマズいのかというと、
政権を取れば、“何をやっても良い”のような、
ときの政権に対する批判姿勢が、ほぼ皆無であること。



さらに言えば…(以前にも記したものだけど)。
「自衛隊戦闘機、731、元首相」と検索サイト(Googleなど)で確認すると、
こちらの画像(写真)や関連する記事が出てくる。
こちらの人物の写真(画像)が、このような形で世間に出たとき。
色々なエラい人たちが、その責任と適性を問われることになったと聞く。
この方の祖父は、岸信介、元首相であり。
戦時中、岸信介の指揮下にあったといわれる731部隊は、
防疫部隊とされていたもの、
その実体は、非人道的な行為(実験)をしていたとも言われており。
現役の首相(当時)が、それを想起させる機体番号に乗っていることへの、
政治的な影響に思い至らないことが、問題視されたとも聞く。
そして亡くなった安倍晋三、元首相は、日本の戦争犯罪を否認する、
歴史修正主義者としても、悪名高い人物でもあったと聞いたとき
ちょっと納得するものがあった。

数年前から、戦後史観についての話題になったとき、
“日本人の多くは、戦後教育の弊害で自虐史観をもつようになった”、
…という言い回しを聞くことがあった。
民族として“負の歴史”の存在は、イヤなこと。
どこか耳障りよくも感じていたけど。
近年、“歴史と向き合う”のではなく、
“あったことを、なかったこと“として、
“負の歴史”と向き合おうともしない、
歴史修正主義者たちの増殖を知ってから、危機感を覚えている。
歴史的な事実を、ねじ曲げて伝えていくことに、
道義的な抵抗感がないのだろうか?
歴史から、なにも学ぼうとしない姿勢は、また悲劇を生み。
愚かしいだけでなく、強い悪質性をもつ。



太平洋戦争後、
安倍晋三、元首相の祖父、岸信介は、巣鴨プリズンへと収監されており。
同じように、統一教会の創始者、文鮮明(ムン・ソンミョン)は…、
朝鮮戦争時、北側の勢力によって、拘束されている。
その、お互いの体験が共感させたのか?
祖父、岸信介から、安倍晋三、元首相の「安倍家」は、
3代にわたって、「清和会」をひきいながら、
戦後、「統一教会」と「共存共栄の関係」を築いてきた。
しかし、文鮮明は、極端な反日的な教義を掲げてもおり。
韓国は「アダム国家」、日本は「サタン」であり、「エバ国家」。
日帝36年の朝鮮半島支配に対して、献金して償うのは、当然。
…と、生前に、何度も語っていることが記録されており。
約半世紀にわたり、日本の社会を蝕み続けている。



蛇足:
社会的な要職などに就き、学位を保有し、
権威者としても認められている存在に対して、
それほど考えることもなく、“人格者“であると思っているときがある。
もちろん、そんなのは錯覚でしかない。
…でも、何故、そう感じてしまうのだろうか?
社会的な立場をもつ人物が、人格者であることは、もちろん望ましく。
そのような人たちが、良からぬことを企めば、
危険な状況にもなりえることへの危機感が、幻想を生み。
その幻想が惑(まど)わせるのだろうか?

かつて、安倍晋三、元首相は、自身を「立法府の長」と発言し、
ちょっと話題にもなった。
当時、三権分立がなされていないとの指摘もあったけど、
あまり深く考えることもなかった気がする。
安倍晋三、元首相は、4年ほど首相を続けているとき、
最高裁判官の過半数を任命しており。
いつの間にか、司法の力が及ばないものとしていた。
裁判官を、首相(内閣総理大臣)が任命するから、
三権分立できていない図となっていた。
その仕組みにも考えさせられてしまう。

撃った人間は、加害者、そして、撃たれた人間は、被害者。
これは、変わらないけど。
加害者が、“悪”であり、被害者は“善”と思えていた、
単純な構図は覆(くつがえ)るものとなった。
撃たれた人間には、撃たれるだけの理由があった。
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