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ハロウィーン前、控えめ気分の、ノーベンバーフェスト!?


今週末で、10月も終わる。
コロナに振り回されてきた2年目も、あと2ヶ月ほどで終わってしまう。
そして、10月の終わりはハロウィーンになる。

欧米では、クリスマスを前にしたイベントであり、
家の前には、オレンジのカボチャをくり抜いた魔除けのランタン、
(ジャッコランタン)を飾り、仮装して、家々を回る。
クリスマスに劣らず、盛大なものとなる。

このハロウィンの起源は、
北ヨーロッパで2000年以上の文明を築いてきた、
ケルト文化の暦“サウィン(Samhain)”に遡る。

サウィンとは、10月31日~11月1日にかけて、
ケルトの人々が行ってきた祭礼。
ケルトの暦で、新年を迎えるとき…。
あの世から死者が帰ってくると考えられていた。
これらケルトの文化は、ヨーロッパの大陸で、
キリスト教が広まっていくことにより、
西のブリテン島やアイルランドへと追いやられていくことになる。
そのように追いやられていったケルトの文化、ハロウィンやウイスキーが、
新大陸アメリカに移住していったスコッチアイリッシュらに継承されていき、
こんな極東の島国にまで知られるようにまでなった。
本当にスゴい話である。
しかし、日本人なら、ハロウィンの日、
遠い地で亡くなった方がいることも思い出して欲しいときでもある。
関連する過去の記事「「2020年のハロウィーン:悪い気分、だから抗う」



ハロウィーンの前である、
この時期(毎年9月下旬から10月中旬まで)は、
ビールの本場、ミュンヘンにおいて、
世界的にも知られる世界最大のビアフェスティバル、
「ミュンヘン・オクトーバーフェスト」が開催される。

昨年は、コロナ過とあり、中止されたと聞いているが、
今年は、どうだったのだろうかと調べてみたもの。
検索方法が悪かったのか?
よく分からない。
このオクトーバーフェストは、ビールイベントの王道のようなところがあり。
(かなり)大きな酒販店や本格的なレストランでも味わえることもない、
本場ドイツのビールを、生ビールで楽しめ、
ステージイベントの楽曲には、会場中が盛り上がる贅沢さがあった。
日本国内でも、広く認知(誘致)されてもいるビアフェスティバルであり。
各地で開催されてきたが、ほとんど中止となっている。


<ホフブロイ>
アルプスの丘陵地帯地下150mのピュアウォーターを使用し、
厳選吟味した上質な麦芽とホップで醸造する、
伝統的かつハイレベルな技術で個性豊かな味わいを造り出している。


お酒の種類や楽しみ方は、色々とあり。
コロナショック以前なら、オクトーバーフェストに限らず、
お酒のイベントも珍しくもなくなりつつあった。
町おこしや、村おこしとなっていたものも少なくなかったが…。
残念ながら、そんなイベント開催は難しい状況にあり。
お世話になった方々が作り上げていったものが、
今後、無くならないようにできることがないかは、
やはり考えさせられる。



<パウラーナー(1634年創業)>。
オクトーバーフェスト公式醸造所で、
名門サッカーチーム「バイエルンミュンヘン」のスポンサー企業。


2~3年前なら、10月前半のオクトーバーフェストで、
飲みそこねたビールを求めて、街を歩く。
そんな気分は、オクトーバーフェスト(10月祭)ならぬ
ノーベンバーフェスト(11月祭)というところ・・・などと、
バカなことを思っていたけど。
今は、そんな気持ちの“落としどころ”を見つけられないでいる。
関連する過去の記事「気分はノーベンバーフェスト:2017年、白山通りにて」
・・・と、言っても、いい考えが出てくるハズもないかな。
お世話になっている店なら、“お金”でも落としてくるかな。
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息切れ気味…。されど一杯


先日、馴染みにしている神保町の飲食店から、
(SMIRNOFF”スミノフ”の)バーライトをいただけることになった。
(関連する記事「ひび割れ気分な、カストク、ズ」⇒)
内側に、テープ状になったLEDが設けられたもので、
かなり明るく、電力消費量も少ないものだった。
これに焦電型赤外線センサー(人感センサー)を組み合わせて、
玄関先に吊しておくことにした。
これで、家に帰れば、自動的に照らしてくれることにより…、
「ひとり身の生活からの寂しさを紛らわせる」という、
感傷的な気分からの工作というだけでもなく。

仕事帰りの夜、大きなバッグを持ち、片手で扉を開けるとなれば、
暗がりの中で、両手がふさがっている状態にもなり。
そこで、蹴つまづいたり、物を落としたりすれば、面倒臭いことになる。
さらに雨天のときともなれば、濡れたカサが手元にあることにもなり。
ひとり身の寂しさで、感傷的にもなっていられない。
こんな電気仕掛けの工作を思いつき、
ゴチャゴチャしていたところ、あることに気が付いた。
そう言えば、“もう1つバーライト”があったな。
ある友人から譲ってもらったものではあるもの。
今後は、使わなくなってしまう。



今回、SMIRNOFFだけでなく、
GUINNESS”ギネス”のバーライトもいただいており。
部屋に置ききれない状況にあった。
それに“いただいた”と記したけど、様々な事情もあり。
これらのバーライトは“預かっているだけ”という意識もある。
「いつでも返せる状態としておきたい」のだ。
今度、友人と、直接、話してみるかな。
そう言えば、色々と話したり、相談したりしなければいけないことが、
そのままになっている気がする。

もう一文:
このコロナ過において、飲食デリバリーが、
社会的に認知されていったのに対して、
閉店を余儀なくされていく飲食店は多い。
このような記し方をすると、飲食デリバリーが“悪者”にも見えるけど。
飲食デリバリーによって、
テイクアウトの売り上げを得られるようになった店舗もあり。
単純な構図で“お前が悪い!”、“アイツが悪い”など言えるものでもない。


(画像は、以前のもの)

コロナ過よりも、コロナ後における社会不安にも、
まだ予測できないところがある。
コロナ収束後、世界が一変して、
快方に向かっていくなどと考えるのは、かなり、おめでたく。
まだまだ安心など出来そうにもない。

それでも、一杯、いただいてくるかな。
これからも水道橋の店は、営業しているし、ね。
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ひび割れ気分な、カストク、ズ


“馴染みにしていた店”というほどでもないけど、
秋葉原の電気街を歩いていては、
ときどき寄ることもあった小売店が、閉店することになった。
コロナショック以降、売り上げも落ちていたことが原因であり。
政府だけでなく、あらゆるニュースやワイドショーにおいて、
コロナ危機ばかりが話題になれば、このような事態にもなる。

自分たちの店へと、足を向けてきた客にも向けられていた、
「街に出るな!」
「リモートワークやネットビジネスを推奨しよう!!」

・・・という言葉を、店を、職場としてきた人たちは、
どのような思いで聞いてきたのだろう?
幸いにも、もう1つある別店舗は、継続されていくので、
今後、また寄らせていただくつもりである。



追記:
秋葉原の大通りにある、
すべてのフロアがゲームセンターとなっていた商業ビル。
夕方になっても、どのフロアからも明かりはなく。
入口は閉鎖されている。
このゲームセンターを利用したこともないが、
こんなビルが、丸ごと空きテナントとなっているのは、
気持ちが悪くなる。



イヤなことを考えたくないのは、誰だって一緒。
だから、コロナのことしか話題にならないのだろうか?
・・・と言って、気の利いた知恵もない。
なんか、ね。
叫び出したくもなる。


もう1つ、追記すること!:
馴染みにしている水道橋の店“SWING”が、
神保町側にある店舗を閉じざる得ない状況になったと聞いた。
(関連する過去の記事「SWING:水道橋での馴染みの店」)
大人の事情をかかえているのは、みんな同じ。
そんなのは分かっている。
それでも、「SWING」というフレーズは、
JAZZ音楽にかけた友人の存在もある身には無視できないもので、
何かできないことはないかと考えたくもなる。
自分にできることを…、
現実的な範囲で、いま一度、考えてみたいと思っている。
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寝ぼけていたから…かな?:暴力を正当化する言葉

(⇒前回の続き)
以前にも記したけど。
「現実はドラマとは違う」、
同じように「ドラマも現実とは異なる」からこそ、
リアルなドラマが見たくなる。

深夜帯のアニメ番組は、20年以上前から増えている。
近年は、深夜帯でも、アニメ番組を放送しているチャンネルも多く。
その中には、童顔の美少女がバカ騒ぎしているようなものもあって、
テレビを蹴飛ばしそうになったときもあるけど…。
視聴者の年齢層を高くしたストーリー性があり、
完成度の高いものも多くなってきた。
人気作品からは、コミックやコンピューターゲームなど、
他メディアへの関連作品も生み出されており。
海外の放送局やネット配信、DVDタイトルでも市場は広がり。
日本のアニメ作品(ジャパニメーション)は、
もはや世界的なブランドとなっている。



それだけにアニメ番組の影響は、国内だけでなく、
海外でも無視できないものがあり、
これらの作品で、不用意な”描写”があれば面倒臭いことになる。
「あの歴史描写(や事実)は間違っている!」
「あのような政治機関(組織)が存在したことはない。」
「〇〇への蔑視的な表現だ!」

現実社会を舞台とした物語には、制約も多くなる。
そこで制作者たちには…、
「物語の世界への、野暮はなしですよ」
(俺たちの物語にケチつけんじゃねェ!!)

・・・と言える“足場(あしば)”が必要になってきたのかも知れない。




社会における約束事でもある法律において、
「表現の自由」が謳われていても、
コンプライアンスという名前の制約(圧力)が存在する。

それは仕方のないことなのか?
それとも不条理なのか?
“知性は、倫理と強く関連する”という哲学者カントの考えが、
仲間内で話題になったことがある。
短絡的に言ってしまえば…、
「倫理観をともなわないヤツは、バカだ!」となるけど。

社会における善悪の概念は、倫理や道徳によって、
ちゃんと形成されている訳でもなく。
“バカ”という言葉の定義が変わってしまうかな?
それに教養を証明するハズの学位がありながら、非常識な人間も多く。
多くの人間が自身の都合や立場によって、物事の善し悪しとしており。
とくにコンプライアンスを声高にあげる人たちには、
正義を後ろ盾にしていると思い違いした乱暴者も多く。
社会の理不尽さに、どうしようもない気分になることもある。
まあ、本当のところは分からない。
(この記事の実際の投稿時間(深夜1時12分)であり)、眠くなってきたしね。
寝るかな…。




追記:2021年10月7日
ファミリーコンピューター向けゲーム、
「ドラゴンクエスト」での作曲活動などでも知られる、
“すぎやまこういち”が亡くなった。

子供の頃、夏休みの時期になると、
特撮テレビ番組「帰ってきたウルトラマン」の再放送があり。
それが楽しみでもあった。
その主題歌を作曲していたのが、“すぎやまこういち”であったことを、
最近まで気付いていなかった。
「ドラゴンクエスト」は、1作目以降はプレイすることもなく。
正直、よく分からない。
「帰ってきたウルトラマン」で主演を務めた“団時朗”も…、
近年、「病室で念仏を唱えないでください」「相棒」などのドラマでは、
ダンディで魅力的な年配男性の姿を見せており。
すぎやまこういちの楽曲は、時代を象徴するものだとも思っていた。
しかし、音源の限られたゲームミュージックにおいても、
自ら作曲を望んでいった姿勢などを知ることになり。
その姿勢に圧倒されるものがあった。
その楽曲が、多くの“もの”を内包していることもあり。
いずれ、どこかで聞いたとき、
友人に伝えられるものがあればいいと思っています。


さらに追記:(2023年4月加筆分)
2023年(令和5年)、3月22日
帰ってきたウルトラマンで、主人公、郷秀樹を演じた、
「団時朗」さんが亡くなられた。
数年前、帰ってきたウルトラマンの主題歌を作曲した、
「すぎやまこういち」も亡くなられており。
時代を象徴する存在が、ひとつずつ消えていくような寂しさを感じている。
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寝ぼけていたから…かな?:異世界モノ


色々な雑事が片付かないまま、時間だけが過ぎ…。
気が付いたら、深夜となり。
「息抜きにでも…」と思って、テレビをつけると…。
近年、やたらと見かける“異世界を舞台としたテレビアニメ”が放送されていた。
「現実社会で事故に遭い、死んだはずの人間が、
魔法や妖精が存在するファンタージRPGのような世界で生きていく」
これらのテレビアニメは、若年層をターゲットとした小説、
“ライトノベル”などが、ベース(原作)になっているものが多いと聞く。



深夜帯でも、このようなアニメ番組が多いのは、需要(視聴者数)もあり。
コンピュータゲームなどとのメディアミックスがなされているからだろう。
この「はんぐおーば」では、レビューを記してなくても、
いくつか視聴しているテレビ番組や映画があるけど。
どこか受け入れきれないジャンルの1つとなる。
それほど文学に詳しいほうではないけど、
「ありふれた日常社会とは、異なる世界に迷い込んでしまった」
…という物語は、古くからあったようにも思える。
しかし、そんな物語の多くは、ファンタジーというより、
オカルト(怪談)であり。

かつては物語上のものだったバーチャルの世界が、
日常生活に存在する時代でも、
現実社会を離れた異世界が連想させるものは好ましいハズもなく。
「ある日、私たちが住む現実社会から離れ、
妖精や魔法が存在する異世界での生活を充実させていく」
…という物語ばかりが、テレビアニメの主流になっているとも知れば、
これからの社会がどうなっていくのかも不安にもなってくる(?)。
しかし、それだけではないのかも知れない。
(続く⇒)

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