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戦争の火種と野心:それと感謝。


日本史の教科書にもある“満州事変(1931年9月18日)”は、
日本が、日中戦争から、太平洋戦争に至ったキッカケだと言える。
この軍事行為は、関東軍の独断によるもので、
当時、日本政府は、大陸への不拡大方針を訴えていた。
これを関東軍は無視し、戦線を拡大していく。
しかも、当時の日本は、歴史的な不況下にあり。
これを世論(マスコミ)が支持してしまう。
ちなみに、当時の首相は、第28代内閣総理大臣、
若槻礼次郎(1866~1949)になる。
その後、第29代内閣総理大臣、犬養毅(1855~1932)も、
若槻と同じく、中国政府との交渉で事態の解決を図ろうとする。
こんな状況を、国際社会が黙っているハズもなく。
英国人のリットン(1876~1947)らによる調査まで、
行われていくことにもなる。
このような政府と軍部との対立という状況下において、
犬養首相は、青年将校らによって暗殺されてしまう。
(五・一五事件:一部の軍部勢力によるテロ行為)
※昨年の大河ドラマ「いだてん」では、俳優、塩見三省が、
犬養首相を演じられていました。

これ以降、日本政府は、軍部寄りとなり、国際社会からも孤立していく。
正規の軍人とは言え、首相が、テロリストに殺される事態となれば、
まあ当然の状況とも言える。

近代において国家の正規軍が、政府を無視するなど、
あり得ないことにも思えるけど。
当時の人間にとっては、日清戦争や日露戦争が、
カビ臭い歴史の話でもなく。
関東軍が、自国の政府を無視して、戦線を拡大していったのは、
政治的か人間的な野心もあったのだろう。
自国の領土を拡大させた英雄になれるどころか、
自分の国を得るという野心まであったように思えるのは、
気のせいではないだろう。



追記:
天才的なコピーライターの感性が、時代を捉えたのだろうけど。
戦時中の「贅沢は敵だ!」というキャッチコピーは、
かなり強烈なインパクトがある。
世論を煽り、戦線を拡げていった贖罪の意識が、
日本の報道機関にはあると聞いたこともあるけど。
今、戦争の火種をまき散らしているのは、日本ではなく。
ここ数カ月のテレビ報道には異常とも言えるものを感じるときがある。
半島国家において、慰〇婦像の前に、ア〇首相に酷似した人物が、
謝罪している像を設置されたことには、ほとんど報道せず、
コロナ危機ばかりを報道されている。
正直、これは宣戦布告レベルの政治的な挑発行為であって、
それを伝えようともしないことには、恐怖に近いものを感じてしまう。



※先日、歴代一位の任期期間ともなった首相が辞任を表明された。
必ずしも、すべてを肯定できた訳でもないけど、
このような時世において、7年8カ月ありがとうございました。
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迷言と妄言:小人たちの黄昏


悪党(泥棒)の世界にも、心得(こころえ)とも格言とでも、
言うべきものがあり…。
「泥棒だぁ!」と言われたら、
「お前こそ、泥棒だろう!」と言い返せ、と言うものがある。

ロクでもない話だけど、
こんなデタラメな言動によって、動揺や混乱させられることもあり。
うやむやにされてしまったこともある。
案外、警察が頼りにならないことを知ることにもなり、
ちょっと世の中を呪うような気分にもなった。
分かりやすく言うのなら・・・。
「チックショー!!グレてやるぅ!!」と言うところ。
(いい大人が言うようなセリフじゃないんだけど、ね:とほほ…。)

悪いことを知っているということは、
悪いことを行っているということでもなく。
忘れることはないけど、あまり思い出すこともない。
楽しい記憶(思い出)には、程遠いから、
あまり思い出したくもないということもあるけど。
このような考え方や言動は、日常生活においては、弊害でしかなく。
“不当な言いがかり”や“防犯”などへの対策として、
考えなければいけないときはあっても、
世間の良識から外れたような人間たちの知恵など、
非生産的で、きわめて有害であるという結論しかない。
もっとも、本来、“知恵”とは、良識をともなったもの。
だから、これは知恵ではなく、ただの詭弁。



追記:
「常識? それって、何です?」
「自分の言葉でも態度でも、証明できてもいないことを
分かったように言わないでください。」

ちょっと厄介な顧客対応があり。
直属の上司から「常識の範囲で考えれば分かるだろう」という言葉で、
責任を押しつけられたことがある。
そんな身勝手な言い分が、世間の常識であるハズもなく。
かなり激しいやり取りになったもの。
顧客側とのやり取りに追われているうちに逃げられてしまった。
教養を身につけていけば、一緒に身についていくのが「良識」。
何故なら、自分本位な善悪の価値基準など、
他人からすれば、身勝手な道理に過ぎないからだ。
だから教養がなければ、良識と言うものを理解できない。
しかし、正しいことを知っているということは、
正しいことが出来ていると言うことでもなく。
教養の高さを証明するハズの学位はあっても、非良識的な人物はいる。
以前にも記したけど、“忘れる”とは、“心”を“亡くす”と書く。
おそらく自分で考えることを忘れているのだろう。



色々な物事に対して、
何が悪いことなのかを考えることも多くなってきた。
しかし、“答え”など出てこないことばかり。
因果関係を明らかにして、
誰が見ても、当たり前だと思うほどの「常識」を構築するのは、
簡単ではなく。
安直に“常識”などと言う言葉が使われるときには、
踏みツブしたくもなるような気分にもなる。
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8月の終わりと、至福のとき


現在、ファミレス(ファミリーレストラン)などで
見かけるドリンクバーのスタイルは、
1992年代、大手のファミレス・チェーン店によって、誕生した。
当時から、多くのファミレス・チェーン店では、
コーヒーなどのお替わりは無料となっていたけど。
常連客が、飲み物(コーヒー)のお替わりを待ちきれなかったことから、
自分からカップに注ぐようになったことが、キッカケとなる。
マニュアル化されたチェーン店のノウハウとサービスには
バカにできないものがあり、安心感はあるけど。
イレギュラーが許されないという現実もあり。
面白みにかける・・・とは思っていた。
しかし・・・。
ときには、新しいスタイルが生まれるのも面白いところ。



さて…。
日本では、日常的に、お茶が飲まれていたこともあって、
嗜好品としては、紅茶より、テイストの違うコーヒーが楽しまれるけど。
こんな日は、紅茶もいいかも知れない。
お茶は、お酒と同じく、長い歴史がある。
お茶の茶葉はツバキ科の常緑樹「カメリア・シネンシス」で、
中国南部の雲南省からチベットにかけての山岳地帯が原産地になる。
紀元前には、中国の四川省で茶葉が植えられていたとも言われ、
茶の習慣は、14世紀ごろ、明の時代に庶民に広まったらしい。
現在では、まず嗜好品としての印象が強いけど。
生活の中へと広まったのは、
飲料を安全に味わえる殺菌効果があったからだろう。
製法の違いによって、緑茶、ウーロン茶、紅茶に分けられ、
紅茶は、生葉を充分に酸化発酵させたもの。
紅茶と言えば、大英帝国風のアフタヌーンティーがイメージされるけど。
大英帝国の紅茶文化が本格的となるのは、
アヘン戦争(1840~1842年)後であり。
イギリス人のアフタヌーンティーは、公爵夫人のアンア・マリアが、
1840年代に始めたとされる。
これが貴族社会に普及していく。
紅茶の主な生産国は、インド、スリランカ、ケニア、
中国、インドネシアの5カ国。
大英帝国の植民地だったインドとスリランカがあるのは、
もちろん偶然ではない。
なにより日本人なら、紅茶を味わう前に思い出して欲しい国と人物がある。
それが“インド洋の真珠”とも呼ばれる国、スリランカ(かつてのセイロン)。
1951年のサンフランシスコ講和条約において、
連合国と日本との間の和平条約では、
第2次世界大戦の賠償請求に加え、領土分割案まで出ていた。
その会議において、
後にスリランカの大統領となるジャヤワルダナ大臣から、
「我々は、権利を行使するつもりはありません…」との言葉が、
出たことで、会議の流れは変わり、日本は領土を分割されることを免れた。
当時、首相であった吉田茂は…。
「日本人は、この大恩を、後世まで忘れてはならない」とまで言った。
あれっ? 途中から、以前の記事の“使い回し”になっていないかって?
(関連する過去の記事 ⇒)
この話だけは、何度、使い回しても構わないと
思っているからなんだけど、ね。




ついでだから、吉田茂元首相が生涯愛した酒としても知られる、
シーバスリーガル(Chivas Regal)の画像も
アップしておくかな。
シーバスリーガルは、ストラスアイラを中核に、
グレングラントなどのモルトでブレンドされ、
世界でもっとも早く、その名声を確立したスコッチとしても知られる。
また今度、どこかで一杯やるかな。
(“善意の寄付(?)”にも限界があるのだけど、ね:トホホ…。)
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サントリーのジョッキ生:備忘録代わり


古いビデオテープを処分する前に、モニターチェックしたところ。
所ジョージによる印象的なテレビCMがあった。
ビールではない、発泡酒や第3のビールと呼ばれるジャンルにも、
色々な商品が生まれ、いつの間にか見なくなったものもある。
そのまま、非常食などを収納したストッカーをチェックしたら、
その商品が出てきた。
消費期限は、数年前に過ぎており、
残念ながら、処分するしかなさそうだった。


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戦いの後始末と、8月の終わり


戦時下においては、戦争に大義があるかどうかなどは関係ない。
だから、不正がまかり通ってしまうこともあるのは、
歴史が証明している。


これまでの人生において、
ウマが合わないと思う人物と出会うこともあった。
その中には、単にイヤな人物だと思えるだけでなく、
明らかに悪意的な人間もおり。
それが組織社会で関わり合うこととなる人物(同僚や上司など)だと、
かなり悩まされることにもなった。
実際、自分本位な行動をとっていただけでなく、
不正行為までしたものまでいたのだから、
収まりどころのつかない感情を抱えることとなった。
しかし、こんな話は、戦時下とは異なる平時の日本での生活においてのこと。
もし戦時下であれば、このような案件は、別の面を見せることになる。
簡単に言えば、「処刑」されるか「リンチ」にされるかである。
それを理解できるものであれば、隠蔽を図ろうとするだろう。
社会全体が不穏な状態となる戦時下においては、
“巻き添え”や“とばっちり”で謀殺されてしまう人間が、
平時とは比べものにならないようにも思える。


理想的なまで社会正義が浸透している世界でも、
不正の排除は困難で、不正は、社会にとって、大きな脅威。


数年前、ある不正行為の実情を把握しきれないことから、
本社のエラい人たちは、不正行為を行なった同僚や上司とも、
その事業所の人員を、まとめて処罰することにした。
それは(親会社への)対外的なアピールだけでしかなく。
もちろん納得できるハズもなく、本社の役職者とぶつかることになった。
ここで本社にとって、解決すべき問題は、
「不正行為」から「本社の判断には、不都合な人物」へと、
変わることになった。

それを、迂闊(うかつ)にも気付いていなかった。
ハッキリ言えば、本社のエラい人たちには、実務経験もない人間がおり。
無理解な(バカでやる気もない)人物たちへの説明と説得には、
かなりの時間と根気が必要になった。
本社が、現場サイドの仕事を理解できないのは、
単純に、本社の怠慢でしかなく。
今、そのような時間と向き合っていたときには、
感じ取れなかった後悔が、心に静かに染みていく。



いつの頃からか?
8月15日の終戦記念日より、
8月が終わっていく、
今の時期になってから戦争について考えるようになった。
今も、政情不安定な地域や内戦状態の国だってある。
戦争体験者である祖父母が亡くなって、ずいぶんと経っており、
正直、75年前の戦争のことなど、どうでもいい。
戦争や紛争のようなものとは、これからも無縁でいたい。
暴力とは、無縁でいたい。
“いじめ”や“ハラスメント”のような社会的な暴力も含めて、
暴力とは関わりたくもない。
そう考える人は少なくもないだろう。
「“他人”など、どうでもよいから、“自分”は関わりたくない」というのは、
ある意味、自然な感情。
だけど…。
そんな問題とは、無縁でいたいと思っている人間には、
かなり下劣な行動(マネ)ができるものもいる。
それは、守るべき平和なのだろうか?

戦争が終わって、生活は一変する・・・そう思っていた。
(2020年8月28日加筆訂正)
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