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ランボー 最後の戦場:ハリウッド的な東南アジアの描写?

4/27(水)、お昼の映画の時間帯にて、
映画「ランボー 最後の戦場」が放送される。
シリーズの4作目にあたり、3作目から、かなり間隔が空いている。
映画公開されたときの世界情勢を考えれば、
ランボーの戦場となる場所は、再び、アフガンか?
それとも、イラクか?と思われたが、今回は東南アジア。
軍事政権下にあるミャンマーの支配に抵抗するカレン族の村になる。
物語の設定には、多くのフィクションが含まれているが、
カレン族とミャンマーの状況は、現実の話。
日常的に虐殺行為が行われていたのは、映画的な設定だと思われるけど、ね。
※「当時は、軍事政権下にあって、
外国のメディアへの配信がないのだから、実情がわからない?」
質素な生活を送るカレンの村人に対し、
無慈悲で極悪なミャンマー軍という構図は、
いかにもハリウッド的な東南アジアの描写。
そして行方不明となったNGO団体(入国が許可されてもいない!)を
救出するため、特殊部隊の経験者がいる傭兵部隊まで
送り込むという物語の展開は、なんとも身勝手で強引。
兵士の哀愁を感じさせた1作目のシリーズとは思えないほど。
・・・正直、収まりどころがなかったとしても、ね。
どこか納得のいかないエンディング。



追記:
ミャンマーは、タイの隣、かつてのビルマ。
ランボーたちアメリカ軍が戦場(ベトナム戦争)としていたベトナムは、
ラオスとタイを挟んだ位置になる。
二十年ほど前、240万人もの死傷者を出したサイクロンが
ミャンマーを襲ったことがあった。
いくつか報道があったが、とくに意識していなかったのだろう。
その数ヵ月後のTV番組で、
「今年、日本国内に住むミャンマー人に悲しい出来事があった」
・・・とアナウンスが流れても、何のことか思い出せなかった。
巨大な自然災害が、大きな被害をもたらしたのに、
軍事政権下にある国家は、国外からの支援を受け入れようとしない。
その実態を、TVで特集を組まれて、ようやっと認識できた。
そして、カレン族は、映画の設定ではなく、実在の民族。

この映画「ランボー4」が劇場公開されていた時期、
カレン軍に所属していた日本人傭兵の講演(トークショー)が、
あるイベントで行なわれた。
彼のレポートは、ミリタリー雑誌に定期的に掲載されてもおり。
戦場の実体験を読みやすく記した内容は、刺激的で興味深かった。
このミリタリー誌の購読をやめてしまったので、
現在も続いているのかは不明だが、安易な刺激を求めて、
傭兵になったのではないのは、著書やレポートで分かっていた。
間近で見ると、がっしりとした体格こそしていたが、
特別に殺伐とした気配を発しているわけでもなかった。
映画「ランボー」にでも出てくるようなステレオ的な描写をされた兵士の姿を、
想像していたわけではいが、レポートで感じていた人物像とも、
また違う印象を受けた。
「外国の傭兵部隊に所属するなど、映画やドラマのように簡単ではない」
「ランボー」などの映画作品で描かれる兵士のイメージは、
安易でステレオ的。
その苦悩に対する表現までも・・・。
戦場や兵士も、単純に語れないのかも知れません。



2021年8月追記:
半年前、ミャンマーでは、国軍によるクーデターが発生し、
そのまま軍事政権による弾圧が行われている。
テレビ番組のインタビューで、ミャンマー軍を離反した将校が…、
「軍隊にいると、外とのつながりは少なく」
「政治や国民について触れている記事は読めない」
「軍隊の中で許されている情報は、軍が統制しているテレビしかないのです」
「“民主化を求める市民は、悪” という考え方を、
ミャンマー軍の兵士は刷り込まれていく」と、語っていた。

ハリウッド的に誇張された描写かと思われていたことが、
現実でもあったと知り、より暗い気分にもなっています。
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サイバーヒステリー?それともノスタルジック?


Windows7のPCが不調になってから、
新しいOS(Windows10)の環境で動かしているが、
どうにも、しっくりとしない。
(関連する過去の記事)
「ブリキマシーン」
「ブリキシステム」

昨日、この“はんぐおーば”にアップしようとしていた文章を、
作成していたところ。
唐突に画面がフリーズし、アプリケーションが終了してしまった。
仕方なく、また操作する。
互換モードになって、文章が開く。
文章をチェックしてみる。
“おっ、ここがおかしいぞ!”と気付いて、
ちょっと操作していると、また同じことが起こった。
しかも、今度は、互換モードでなく。
文章は、そっくり消えてしまった。
“しまったな”
文章を保存しておくべきだった。

これはPCやシステム自体の問題なのか?
感覚的なものなのか?
それとも、単なる操作ミスか?
よく分からないまま。


蛇足:
Windows7では「すべてのプログラム」と表示されていた項目が、
Windows8以降は「すべてのアプリ」と表示されるようになっていた。
「アプリ」とは「アプリケーションソフトウェア」の略称のようなので、
意味としては問題ない。
それでも、スマートフォンの普及によって使われる言葉への違和感とも
抵抗感とでも言えばいいのかな?
馴染むまでは、まだ時間がかかりそうです。
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ピタゴラスな気分


仕事もなく。
とくに予定もないまま。
2~3日、休みになった。
部屋を片付けていると、工作用にキープしていたアクリル板が見つかった。
もう使い道もなくなったものは捨てていくしかないが、
ちょっと加工してみることにした。
他の材料と違って、ガラスやアクリルのように透明度の高い材質は、
裏面が透けるので、ズレや傷などがハッキリと分かる。

加工の粗さも、必然的に目立つことになる。
アクリル板は、専用のカッターを使えば、ガラス板など比べて、
簡単に加工できるけど、曲線的な加工は難しい。
三角形のパネル状にカットしていくことにした。
根気よく丁寧にカッターをあて、カットしていく。
久しぶりにカッターを使ってみるとカットした面は粗く。
1mmほど、ズレてしまっている。
複数枚のパネルを組み合わせていくような作業を行うとき、
1mmずつのズレでも、かみ合わなくなることもある。
工作としては、推奨できないけど。
カット後に組んで、ドリルでネジ穴を開けていくことにした。
こうやって、1つずつアクリル板を三角形のパネル状にカットして、
ピラミッド型に組んでみるまで4時間近くかかっていた。
“工作の感覚が衰えている”ということだろう。

三角形を使った造形物は、鋭角的になる。
スポーツカーなどに見られる鋭角的なデザインは、
空気や水などの抵抗を減らせることから機能美もあるけど。
こうやって、三角形でピラミッド型に組むと、
容量(容積)を得られないことに気付かされる。
ピラミッド型の建造物や造形物が少ない理由が1つ分かったと言うところかな。



蛇足:
次の日、秋葉原に寄ってみる。
いつの間にか消耗していたネジを補充するため、
工具やパーツなどを見ながら、ブラブラしてみる。
ネジと言うものは、精度の高い工作技術が必要とされるのに、単価は安い。
1袋に50~100個ほど入ったもので、¥500ほどになる。
材質も、真鍮に鉄、ステンレスなどとあり。
プラスティックのものもある。
ブログをブックマーク登録している友人は、
自分でカットして、ネジを作ったこともあるようだけど。
そんな経験は、残念ながら、NAにはなく。
4袋、違うネジを、¥2000ほど購入する。

20~30年前、この街には、
びっしりと電子パーツや工具の店が並んでいた
それが、パチンコ店や飲食店に替わり。
メイドカフェなどが増えていくことで、数を減らしている。
またネジが欲しくなったときには、どうなっているのだろうか?
<2020年7月誤字脱字訂正>
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「キャッスル」ミステリー作家のNY事件簿シーズン3:お昼の海外ドラマ


何もかもがピタリとくるような面白さでもなく。
必ずしも、好きなスタイルのドラマではないけど。
テレビを見ていて、不思議と受け入れられるような痛快さがある。
そんな海外ドラマが、たまにある。
その1つが「キャッスル」。
(もっとも…。これは個人的な感想だけど、ね。)

前シーズンまでのあらすじは…。
ニューヨークのセレブでもある主人公“キャッスル”は、人気小説家。
ある事件を、キッカケに美人の女性刑事と出会ったことから、
新しい小説作品を書くことを思いつく。
彼は、強引に同行取材の許可を得ると、
犯罪捜査に関わっていくことになる。
主人公のキャッスルは、軽はずみで、お調子者にしか見えないけど。
不思議な魅力と洞察力があり。
事件解決へと導いていく。
キャッスルの相棒で、小説のモデルでもあるベケットは、
美人だけど真面目でカタブツな女性刑事。
この2人を中心に、物語は展開していく

以前にも記したけど。
海外ドラマのシリーズ作品へ抵抗感をもつ人には、
それまでに展開されていたストーリーや設定が分からないことがある。
この「キャッスル」も、シリーズ作品だけど、一話完結スタイルなので、
前シーズンを見ていなくても楽しめる内容のハズです。
「キャッスル」ミステリー作家のNY事件簿 シーズン3は、
4/15より、テレビ〇京のお昼の時間帯にて放送予定。
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わだかまり


古いミュージックプレイヤーに入っていた楽曲を、
すべて消して、新しく入れることにした。
…と言っても、新しい楽曲の入ったCDもないので、
古いCDの楽曲を入れることになったけど、ね。
長和町のステージイベントでのCDも、ちゃんと入れておく。




心の中にわだかまりがあると、
どこにも行けなくなる。
ただ時間が過ぎていく。
それでも、生きている人間には、
食事を含む活動が必要でふてくされてもいられない。

ミュージックプレイヤーを起動して、簡易スピーカーにつないでみる。
楽曲が再生されるのを確認しながら、
スマートフォンの楽曲もチェックした。
明日の通勤中にでも聞いてみるかな。
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