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気分は地獄模様!?:アカウントが多すぎる!


インターネット上で、サイトなどを利用することで、
色々と増えていくアカウントやパスワードの管理は、わずらわしく。
興味本位で登録したもの、そのまま利用しなくなったものは多い。
その中には、アカウントやパスワードを忘れてしまったものまである。
そのような経験から、LINEやTwitterのアカウントなどは、
登録することもなかったけど。
つまらない事情から、クレジットカード用アプリを、
スマートフォンにインストールしたこともあり。
ついでに、LINEとTwitterのアカウントを登録することにした。
(※正確には、まだユーザIDやユーザ名は、未登録)
色々と、手間のかかることを、スマートフォンのような電子端末で、
まとめて管理できるのは便利にも思えるけど。
スマートフォンのアプリは、ネット上でのサービスを利用するための、
扉のようなところがあり。
どこかで不安要素を感じている。



インターネットが誕生したのは、1969年9月2日。
アメリカ国防総省とUCLAがドッキングしたのが、最初になる。
現在のように、ビジネスや一般的などで、
インターネットが活用されるようになったのは、
1990年代になってからになり。
それまでは、軍事関係や大学、研究機関のネットワークとして活用されていた。
バックボーンとなる技術が、50年以上前からあったとしても、
正直、この発展は、異常レベルの早さに思える。
インターネットに付随するようなスマートフォンのような電子システムが、
従来型の携帯電話や既存のシステム、メディアを押しのけていく状況にも、
強い不安感があり。
このままインターネットを通じて、
あらゆる電子インフラが整備されるのは考えさせられてしまう。

蛇足:
さて、以前にも記したけど。
このようなアプリやサイトの使い勝手が悪いことも多く。
ハードウェア(PCやスマホ)よりもオペレーター(人間)の方が、
ショート寸前である。
「何がぁ、ゴートゥ、イートだぁ!!」
「お前ら、まとめてゴートゥーヘルだぁ!!」
と…、

今晩も、お酒の量が増え、困ったところである(?)。
今後、LINEやTwitterでの使用状況を、
レポートできる機会があるかは、まだ約束できないところ。
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死刑宣告(アップデート)は、つらすぎる。


インターネットとリンクしているPCやスマートフォンを起動すれば、
アプリやユーティリティが更新(アップデート)を促してくるときがある。
膨大なデーターを処理するシステムでは、
プログラム上の問題点が、運用後に見つかることが、どうしても多く。
そうやってアップデートしても、使い勝手が良くなっているわけでもない。
数年前、スマートフォンのシステムがアップデートで増大したことから、
“メモリーの容量が足りません”と、しつこく表示されることになり。
かなり悩まされることがあった。
結局、そのスマートフォンは使えなくなったが、壊れた訳ではなく。
現在でも、電源を入れれば、正常に起動する。
しかし、アプリをインストールし、サイト上のサービスを利用するのは、
不可能であり、諦めるしかなかった。



松本零士のコミック作品「銀河鉄道999(スリーナイン)」では、
主人公たちは、機械の身体を、無料(ただ)でくれる星を目指して、
旅を続けるというものだった。
この物語では、機械の身体を得れば、
永遠に生き続けられると言っていた気がする。
たしかに…。
生身の肉体は、やがて衰え、そして脆い。
対して、機械でできた身体であれば、
エネルギーが供給されていれば、いつまでも動き続けられる印象もある。
しかし、機械にも寿命があり。
社会やシステムに合わなければ、開発段階で誕生することすらない。
アップデートを促すメッセージは、
愛着のある機材や電子端末を手放さなければいけない寿命宣告とも、
アップデートに対応しきれない機種や機体への死刑宣告にも思えてくる。
「如何なるものも“死”からは逃れられない!」
「永遠に生きられるものなどいない!」とも聞こえてしまう。

蛇足:
今回の内容からは離れるが、漫画家の矢口高雄さんが亡くなられた。
著名人たちが、このコロナ過において亡くなっていくのは、
正直、淋しいものがある。
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街中、坂道。寄り道、小路


雨上がりの夕方。
昼間の余熱が、夜の街にも残り。
湿度を含んだ空気の中に色々なものが溶けている。
街の飲食店からの温度と香りが刺激するのか?
なんとなく寄り道させてしまう。



干支の最初の動物として知られるねずみは多産のため、
子孫繁栄の象徴とされている縁起のいい動物ともされている。
日本最古の歴史書「古事記」には、
因幡の白ウサギの伝説で知られる大国主命(おおくにぬしのみこと)を、
災難から救ったという逸話もある。
干支のねずみが米俵に乗っているイラストなどが多いのは、
七福神の1人(1神?)で五穀豊穣の神様、大黒天の使いであり。
「大国」と「大黒」は「だいこく」と同じ音で読めるため、
日本古来の神様である大国主命とインドの神様である大黒天が、
同一視されていったことからと言われる。
…というのは、昨年末に聞いた話。
気が付いたら、11月も終わりになっている。



この時期には、ドイツビールの祭典“オクトーバーフェスト”ならぬ、
ノーベンバーフェストなどと言って、飲んだくれていたのだけど。
今年は、イベント自粛のあおりもあってか?
どうにも酒のめぐりが悪く。
気の利いたレポートも記せないまま。



おっ!
今年のボジョレーヌーボーがある。
いただくかな。

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ひび割れ気分と、干す、ぴたる。


この半年、テレビのニュース番組をつければ、
コロナウイルスの感染状況を伝えるものばかり。
うろ覚えだけど、コロナウィルスの感染が判明したときには、
病院での隔離処置になるのだったかな?
テレビ番組が伝えるニュースでは、
患者が、病院へとギュウギュウと詰め込まれていくようにも思えてくる。
病院が、まるで風船のようにパンパンに膨れ上がり、
患者を、モリモリと食べるオカルト映画はなかったと思うけど。
パニック映画やゾンビ映画のワンシーンのような伝える報道には、
どうにも気分が悪くなる。

モリカケ騒動において、テレビ局など報道機関は、
アベ首相が政治家としての説明責任を果たしていないと伝えていたけど。
このコロナショックにおいて、報道機関が伝える中途半端なニュースは、
説明責任(報道責任)を果たしているとは思えない。
コロナに感染した方々は、どうなっているのだろうか?
回復している方々もいるハズなのに、
感染者の人数だけを伝えるのは、それこそ偏向報道にも思える。



同じ文字を用いて、表現されていても、好印象と“悪”印象、
善人と“悪”人。
善悪の基準と、好悪の感情とが混同されれば、
物事の判断において、オカしくなる。
言葉を置き換えれば、“悪”という言葉の印象ですら、
正しく捉えられなくできると言え、
悪意的な意図で用いられているのでは思ってしまうときがあるのは、
ヒネた大人だからだろうか?
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ガラクタバイブルと、ブリキの脳ミソ


数年前から、部屋の中には…、
読みかけの雑誌や未整理のノートなどの資料が山積みになっている。
簡単には整理できないものばかりで悩みどころだった。
さらに言えば、余裕のない気持ちが、“後回し”にもさせていた。
「チリが積もればゴミとなる…」と言えば、
悪フザケとなってしまうけど。
資料にホコリが積もっては、払い落してきた。



「悩む」という漢字は「脳」という漢字にも形が似ているからか?
英語のNO(ノー)を、連想させられるときがある。
…まあ、だから学生時代の成績が「Oh No!」な結果だったのかな?
そんな学生時代…。
「日本では、上り坂と下り坂、どちらが多いと思う?」
「えっ?それは・・・、下り坂じゃないかな」
「やはり、お前はバカだったんだな。
人生が、下り坂にあるお前じゃあるまいし、そんなハズあるかよ」
…と、こんなバカげた会話をしていたものです。



先月、やっと一番上の資料を片付けることができた。
この2年ほど、どうやって整理するかを悩んでいたものでもあり。
少しラクな気持ちになったというところ。
もちろん、資料は、まだ山積みだけど、ね。
ちょっと気分転換でもするかな。
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