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スターウォーズ スカイウォーカーの夜明け:…と、野暮なボヤき!


古い友人の1人が…。
「CG:コンピュータグラフィック」に頼った映画など、
見る気もしないと言っていたことがある。
それも、15年以上前のこと。
現在のCG技術は、実写同然の映像となったけど、
CG技術は、アニメーションと同じような演出。
リアルなCG映像で、非現実的な状況を作り上げ、
演技力のある俳優が演じていても、
物語の情景へと感情移入できなければ、シラけてしまう。
ここでカン違いされたくないのは、
アニメーション作品を、非リアルだと言いたいのでもなければ、
物語を盛り上げるCG演出や特撮技術に野暮を言うつもりはないということ。

さて、テレビの番組欄を見ていたところ。
来週(金)、スターウォーズの映画作品シリーズの物語的にも、
映画的にも9作品目となる「スカイウォーカーの夜明け」が放映される。

この物語でのCG演出について問われると悩ましくなる。
主人公のレイは、これまでになく強いフォースを持つ登場人物だから、
ヴィジュアル的な演出を、どう捉えるかは好みが分かれるかもしれない。
それに加えて、まだ未視聴な方もいるだろうから、
余計なことは言えないけど。
冒頭の展開には、ちょっと強引なところもあり。
今更ながら、“本物の悪者は、この方なのです!”…と言われても、
どこか釈然としない人物も登場するけど。
序盤を過ぎてくると、妙な期待感となってしまうのは、
シリーズ作品への、ひいき目もあるからかな?
過去のスターウォーズ作品でも、出演されたベテラン俳優が、
登場するシーンは、ウレしいもの。
とくに物語において、もっとも長く登場した人物の存在は、
物語(ストーリー)の設定上は、無理(矛盾)があっても、
映画的には最高の演出とも言える。

蛇足:
ユアン・マクレガーは好きな俳優だけど。
マーク・ハミルがルーク・スカイウォーカーを演じるのであれば、
オビ・ワン・ケノビーは、アレック・ギネスの方が、しっくりくる。
しかし、長いシリーズ作品では、登場できなくなってしまう出演者の方もいる。
おやっ!?
この人、海外ドラマ「HEROES」にも出演していた、
グレッグ・グランバーグじゃないかな?
…という方も、本編ノーカットなら出てきます。
関連する過去の記事⇒
「スターウォーズ 最後のジェダイ:放送間近のお茶の間事情」



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本当に怖い映画は考えさせられる:映画「ミスト」


「町〇智浩のアメリカの今を知るTV:Vol.130」によると…。
S・キングが面白いツイートをしているとのことだった。
「“言論の自由”とは言われていますけど、
映画館や劇場において(火事でもないのに…)、
突然、“火事だぁ!”と騒ぐのは、言論の自由には当たりませんよね」
言っていいことと、悪いことがあるのは、言論の自由とは反するもの。
…というものだった。
YouTube上の動画などでも視聴できるので、
こんな言葉の背景に何があるのかは記さないでおきますけど。
そもそも権利には、責任が伴うもの。
自身で責任も果たせないようなことは、
言論の自由(権利)の拡大解釈でしかない。

さて…。
TV東京には、お昼過ぎから、
映画放送される時間帯「午後のロードショー」があり。
S・キングの小説を原作とした映画作品を連続して、
放映する期間もあったことで、何作か印象に残っているものがある。
例えば、エド・ハリス主演「ニード・フル・シングス」も、不気味な物語。
どこか「悪魔の嵐」に出てくる謎の男の前後譚にも思えてしまう。
どれも、かなりの傑作だったものです。
そう言えば、S・キングの小説って読んでいない。
国内外に限らず、気になる小説作品はあるのに読めないまま。
小説だけでなく、ドラマや映画、コミックなどでも同じ。
それに勉強だって、ちゃんと出来ていない。
どれもこれも、中途半端なまま。
気持ちが、じりじりとする。



おやっ、来週の番組表には、映画「ミスト」がある。
これも、S・キングの小説を原作とした映画作品。

ホラー映画だけに、スプラティックな描写もあるけれど、
まるで救いのない物語は、深く考えさせられるものだった。
ヒーローが暴れまわって、“悪は滅んだ!”という単純なものもいいけど。
そんなものでは気持ちが満たされないときだってある。
ちょっと絶望的な世界を見てみるのも悪くない。
予約を入れておくかな。
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チョコレートは、空箱の思い出。

(画像の場所は、JR東日本亀戸駅とアトレ周辺)
数年前、現場の社員へと、本社の営業担当が、
“チョコレートの差し入れ”を持ってきたことがあった。
男性の営業担当者であったもの、ちょうど2月だったことからだった。
バタバタとしていたこともあり、
仕事の後でいただくことにして、休憩所に置かれることとなった。
さて、一区切りもついたから、一緒に対応した同僚たちと…、
「珍しく、本社から“差し入れ”もあることだから、一息入れてもいいかな」
「男からかよ。色気ねぇなぁ」などと言っていたもの。
箱の中は、空っぽ!!
「おいおい、どうしたんだよ!」
「差し入れなんて、調子のいいことを言って、ヌカ喜びじゃねえかよ!」
…となってしまった。
確認したところ。
業務に追われているうちに、
電話番をしていた同僚が食べてしまっていたのが分かった。
「いや~あ、みんな食べないなぁ♪と思ってね。あっはっはは♪」
などとゴマかしていたが、気分が悪くなる話だった。
この同僚は親会社からの出向ということで、
職場に配属されてだけど。
その後、別のことでもタチの悪いマネをしており。
関連する過去の記事⇒
色々とカタをつけられないままとなっている。



「食べ物の恨みは、怖いから、ね」とは言われるけど。
これは、仕事への姿勢や立ち位置の問題。
本社が、わざわざ経費で差し入れを行なったのは、
職場の士気(モチベーション)をあげる意図があってのもの。
それを親会社の身であることを鼻にかけて、
仕事もせず、好き勝手しているような人物が、
貪り(むさぼり)食ったのだから、モチベーションは、一気に急降下した。
しかも、親会社からの“お客様”ということで怖気づいた役職者たちは、
このことを注意することもなく、黙認していた。
これが、より気分を悪いものにしていた。

蛇足:
この物語は、多少の誇張と脚色が加えられており。
年明けだったけど、2月だったかは疑わしい。
それに、全部食われてしまったのだから、空箱など、即、ゴミ箱行き!!
それにして…、
ずいぶんとイヤなことを思い出したものだ。
イヤな思い出を、別(かわり)の思い出で消すこともできない。
こんな気分では、甘いものなど、口に入れる気にもなれない。
だから、辛めのキーマカレーでも食べに行くかな。
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今だから言えること、今となっては言えないこと。


数年前…、
「他人(ひと)の善意は、お金には換えられない」という言葉を、
当時の上司から、よく聞かされることがあり。
今でも思い出すことがある。
そして…。
「他人(ひと)の善意には、対価は不要なのだろうか?」
「善意は、タダなのか?」と…、
まるで呪いのように、暗い感情を残している。
(関連する過去の記事「かたり、たかり:逸~誤」)

その後、この「善意の強要」を強いた上司との諍いもあって、
社内で干されることにもなり。
かなり悩まされることになった。



学校教育などでは…、
「人の善意は、お金には換えられない」と教えられる。
また、社会通念上、善意を期待される状況下においては、
多少の不都合があっても、文句は言いづらい。
善意への対価は、善意であるべきだが…。
“なんと言っても、金額を明記できないのですから、ねぇ”
“金額に換算すれば、いくらだか分からない”
“つまり、善意への対価は決まってなく“
“決まっていないのなら、タダでもいいことになる”
…と、言葉に惑わされる訳でもないけど。
「対価をともなわない?」
「値段のつけられないものは、無料(ただ)?」
もちろん…。
こんなのは、他人の善意にたかるクズたちの身勝手な思い違い。




それが、“当たり前”となっていることは、
“何故、そうなのか”を説明するのは、難しく。
そして、“当たり前”のようになっていることが、
明らかに間違っているときも…、
“何が”、間違っているのかを説明するのが難しい。
いつもの生活と行動から、
「善意への対価は、何なのか?」を、少し考えてみた。
他人からの好意や善意をあれば、その負担に報いようとする。
だがら「ありがとう」と言う言葉も、自然に出てくる。
それは「善意への感謝」があるから…。
そうか!!
「善意」への対価は、「感謝」だったのだな。
他人からの善意を、当たり前のように考えるようになれば、
感謝など忘れて、ぞんざいな態度となる。

「君の上司は、とくに悪いことをしている訳でもない」
「だから、善人だ」
こんな言葉ではなかったけど…。
似たような意味のことは言われた。
ミソもクソも、まとめてしまった世界は、狂気か平和か?
正直、分からない。




追記:
煩雑な仕事に追われていると…。
「“面倒なこと”などは、
誰か、他(ほか)の人にやってもらえればいい」

そんな都合のいいことを考え、
押しつけてしまっていることが1つや2つある。
年末調整などの書類は、経理部の人間に任せたままで、
職場のスケジュール調整などは、
希望だけ出して、上司に任せきりでもある。
もちろん、大人の世界では、
一方的に、誰かのお世話になってばかりなどは許されない。
そんな気持ちが、“負い目”となっていたのだろうか?
今、考えれば、無能なブラック上司だったと分かるけど。
そう言い切れるほどのものが、当時はなかった。
それだけのことだったのだろう…。
<2022年3月加筆訂正>
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ラストオーダーが辛すぎる!?


気分も暗くなれば、面白くもないことを思い出す。
それは自分自身と向き合うことで、
明るい気分のときには、思い出すこともなかったこと。

つまり…。
どこの飲食店も、
19時を過ぎれば、緊急事態宣言において、
ラストオーダー近くとなってしまう。
一人暮らしの身では、この時点で考えなければ、
夕食難民となってしまう。



この“はんぐおーば”において、
“夕食難民”などと、耳慣れない言葉を用いれば、
またアホな造語にも思われそうだけど。

最近、飲食店の間で、実際に使われている言葉だから、
笑えもしない。
こんな夕食難民は、1人や2人だけのハズもなく。
一気にオーダーが集中することで、
地獄のような様相と化している厨房もあるらしい。

さて、今晩はどうしましょう?
ここで迷っていれば、またカップ麺だよ!(ぶうぶうぶう…!)
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