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王様の仕立て屋 サルトリア・ナポレターナー 13巻より:今更だけど、ね


最近、スコットランド関連の資料を見直している。
その中には、読みかけのままだったものも多く。
なかなか悩ましいところ。
そんな1つでもある、お気に入りのコミック作品、
「王様の仕立て屋 サルトリア・ナポレターナー」の13巻では、
物語の行間において、
「タータンはスコットランドで発祥した伝統的な格子柄…」との説明が、
加えられていたけど…。
チェック柄を、“格子柄”と記すところは、なんとも粋なところ。
ポピュラーで便利な外来語に慣れて、
忘れがちになりそうな言葉を思い出させてくれる。
この巻では、スコットランドのタータンを発端にして、
チェック柄の装いに関わる物語が進行する。
服飾に関わる物語では、コミック作品ならでは表現が活かされ、
楽しませていただきました。
来月には、新刊も出るだけに楽しみなところ。
(過去の記事「「コミック購入:王様の仕立て屋・・・続編」」)

蛇足:
スコットランドの話が出たこともあって、
英国風に紅茶でも味わいたい気持ちになった。
さて…。
日本では、日常的に、お茶が飲まれていたこともあって、
嗜好品としては、紅茶より、テイストの違うコーヒーが楽しまれるけど。
日本人なら、まず紅茶を味わう前に思い出して欲しい国と人物がある。
それが“インド洋の真珠”とも呼ばれる国、スリランカ(かつてのセイロン)。

1951年のサンフランシスコ講和条約において、
連合国と日本との間の和平条約では、
第2次世界大戦の賠償請求に加え、領土分割案まで出ていた。
その会議において、
後にスリランカの大統領となるジャヤワルダナ大臣から、
「我々は、権利を行使するつもりはありません…」との言葉が、
出たことで、会議の流れは変わり、日本は領土を分割されることを免れた。
当時、首相であった吉田茂は…。
「日本人は、この大恩を、後世まで忘れてはならない」とまで言った。

しかしながら…。
こんな大事なことを、学生時代の教科書には、
どこにも書いてなかったような気がする。
教科書に書いてなくても、
知らないといけないことがあるということかな?
それにマンガも読まないと、ね?
(2019年1月訂正)
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愚酷醜齢(後編)

(前回の続き)
仕事に関わる約束事を、得意先や顧客との間で決めるには、
それなりの手間がかかることも少なくない。

例えば…。
“倉庫の一角に在庫商品を置かせてもらうこと”
“業務用の車両を乗りつけるのに駐車場を貸してもらう”…などがある。
他社(他者)の都合で、自社のスペースを取られるのだから、
面白くもないと感じてもおかしくもない。
スペースに余裕もない会社なら、なおのこと。
それを、職場の先輩社員が都合をつけてもらったもの。
身勝手なマネをする者が出てくれば…。
「お前ら、出ていけ!」…となり。
まあオジャンとなってしまう。

昨日までは、門外漢のアマチュアだった中途入社の新人が、
年長者だからといって、先輩社員に対して暴言を吐き、
自分勝手な行動に出れば、”しめし”がつかなくなり。
“場が荒れる”ことになる。
さらに余計なものに意識を割いていれば、ミスも多くなる。
そもそも、年長者であると言うことは権利(特権)ではない。
年令を重ね、その言動や行動が責任を伴うものだから、敬意が払われる。
この敬意に対して、実務能力もないのにカン違いし、
やる気もなければ、こちらも考えを変えなければならなくなってくる。

虚栄は、もっとも警戒すべき感情。
根拠もないプライドばっかり高くても、気持ちは中途半端。
悪い先輩社員ばかりを、見習って…、
「アイツ(先輩社員)がやっているから…」と、
ロクに仕事も覚えもせずにラクをしようする。
“顧客先との取り決めに尽力した人物(先輩社員)と扱いが違うのは、
当然だろう!”…と注意すれば、
「”先輩”ですら守ってもいないのに、何でやんなきゃいけないですか?」と、
逃げの一手。
仕事では、マゴマゴしていながら、
他人を不快にさせるのだから、軋轢が生まれないハズもない。
ここまで注意してもダメとなると。
当然、上司に対応を任せるしかなくなってしまう。
上司も、本社の人事部が採用した人員のことで、軋轢を生みたくないのが本音。
ましてや、この上司の本心には…。
“しばらく、耳をふさいでいれば…”という態度があった。
誰だって「イヤな奴とは関わりたくもない」というところ。
これを職場の先輩社員として見過ごせるハズもなく、
対立することになったもの。
当時、(NAには)別の問題もあり。
事業所を追われることとなる。
(関連する過去の記事「かたり、たかり:逸~誤」)
この人物は、半年後、会社を辞めてしまうもの。
その後も、トラブルとクレームばかりだったとも聞く。



職場の人間関係は、モチベーションに影響する。
現在のサラリーマン社会には、
悪い方向に、クオリティコントロールされている会社も少なくない。
自分の財布が痛まなければ、タダで済むと考え、
他人の物が、自分の物になると思うような人間を採用しながら、
中途半端な社員教育しか行っていなく。
何の問題も無いと思い違いしているところもある。
根拠もない気位ばかりが高くて、気持ちも中途半端。
どんなに頑張っても、他人にはなれないし、自分以上にもなれない。
他人”ひと”の話を受け入れられない人間に言葉を尽くしても、
無意味となってしまうのは努力不足だからではなく。
そういう種類の人間が、相手なのだと、やっと実感することなった。
(2021年3月加筆訂正)

(似たような過去の記事「酷薄」⇒
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愚酷醜齢(中編)

「2017年3月に加筆し「中編」へと分割しました」
(前編からの続き)

前職では、職務経験も長く、ルーチンワーク以外のことは、
何もできなくても、それなりの給料をもらってきた。
しかし、定年を迎え、別の会社に中途採用され、新入社員となった。
はた目には、簡単な仕事にも見え、甘く考えていたもの。
慣れない仕事を、実務能力もない人間がこなせる訳もなく。
大勢いる同僚たちに紛れ、電話の鳴らないデスクで、
やり過ごそうとしているのがミエミエとなる。
このように、職場で求められるレベルを満たしていないのは、
年寄りで、物覚えが悪いからなのではなく。
ハッキリと言えば、バカなのに、やる気もないからであって、
これでは、仕事が出来るハズもない。
大体、年金受給するまでの“つなぎ”としか思っていなかった(らしく?)。
面倒なことは覚えようともせず、業務を説明しても生返事ばかり。
自尊心はあるけども…。
それを刺激しても、向上心が出るタイプでもなく。
自分よりも、年下の人間から注意されたのが面白くなかったのか?
露骨に態度が悪くなった。
書類の記述や電話応対などで失敗し、他人から注意、指摘されても…。
「いや!こう教わった。俺は間違っていない」としか言わない。
単なる負け惜しみなのか?
「なんか、声が大きいなぁ(うるせぇなぁ!)」
「顔色が悪いんじゃない」と、
わざわざ軋轢を生むようなことを、口にするようになり。
そんな人間を注意し、指導する同僚は減り。
やがて、誰も相手しないまま放置されていった。
この人物は、職場のモラルやマナーと言うもの蝕んでいた。
しかも、反省の態度もない。
ガマンできることにも限度があった。



追記:
年齢を経て、より豊かで深みのある人生を送りたいと思っていた。
それは幻想でしかないのかも知れない。
齢(よわい)を経ても、愚かで、あさましく、
そして、醜い。
“眉目秀麗”ならぬ“愚酷醜齢”という表題は、すぐに思いついたけど。

ちょっと抵抗があった。
それから、数年が過ぎ…。
より良くなるどころか、悪くなるだけの状況を前にして、
より深く、暗いものが根を張っていくような気分に陥った。
その気分からの回復には、かなりの時間を取られている。
(2021年3月加筆訂正:続く⇒)
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愚酷醜齢(前編)

(2017年3月に記事名を“脅威拡大、権威失墜”より変更)

「職場の腐敗」と言えば、大げさにも聞こえる。
たしかに背任や横領といったほどの違法行為ではないが、
起業理念から外れている…と言えば、珍しくもない話かも知れない。


数年前、事業所に新人が配属されることになった。
入社したばかりの新人と言っても、学生上がりの”新卒”ではなく。
還暦を迎え、前の会社では、定年まで営業職にいた60才過ぎの男性だった。
終身雇用が崩壊して、転職や中途採用も珍しくない世の中とは言え。
顧客先で、ポケットに手を突っ込んだまま、無神経にプラプラと歩き回り。
先輩社員に”呼び捨て” や”タメ口”で話すような社会常識が、
欠落しているような人物だった。
このような服務態度の悪い人間と言うのは、
履歴書や職務経歴書、面接を行なっても分からない場合も多く。
このような人物がいれば、職場の印象は悪くなる。
一時期、よく使われていた言葉に“自己責任”というものがあったけど。
本当のところ、サラリーマン社会には“自己責任”などというものはなく。
“連帯責任”となる。
新人でも、後輩だろうとも、ちゃんとやってもらわないと、
職場の人間全員に、余計な負担が増えていく。
だから、同僚の不始末は、他人事ではない。
しかし、年長者に厳しい態度をとるのは、かなりの精神的な負担。
ハッキリ言ってしまえば…、
“年寄りをイジメている”ようで、イヤな気分にもなる。

それに極端な成果主義を唱える気もないので、
職場で「出来ないヤツ」を擁護することも、ある程度は仕方がない。
さて、どうするか?
年令も高く、職務経験も長ければ、関係者から期待されるものも大きく。
この仕事はできないなら…。
こっちの仕事をやって、ね。
イヤイヤ、こっちの仕事もできないよ…。
仕事ができないのなら、給料は払わないのか?
他の人に2倍、働いてもらうのか?
同じように仕事ができない人間が、もう1人きたら、どうするのか?
世の中には、誰かが言わなければいけないこともあり。
仕事にかかわることともなれば、無関心ではいられなかった。



追記:
新卒で入社した20年以上前のこと。
職場でポケットに手を突っ込んでいたら…
「ずいぶん、崩れた態度でいるじゃあないか」と、先輩社員から、怒られた。
ポケットに手を突っ込んでいる姿は、崩れた印象をもたせる。
つまり、だらしなく、調子はよくても内容のないものに見られかねない。
当時は、そこまで理解することは出来なかったが、
何度も注意されていくうち意識するようにはなった。
“仕事”と言うのは、生活の中で大きなウェイトを占める。
それだけにツマらないことのようでも無視はできない。

(2021年3月加筆訂正:続く⇒)
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雨、アキバ。3月


ちょっとした画像が欲しいところがあり、
寝る前にデジタルカメラを準備して置くことにした。
そのまま、気持ちよく寝ることにした。
次の日、部屋のカーテンを引くと、なかなかの土砂降り。



こちらの気持ちが、どうであろうとも、雨が止むこともなく。
あまり、楽しい気分にもなれないとき。



読みかけのまま、部屋のスミへ放置していた本を、
数冊、バッグに詰め込んでいく。
近くのファミレスにでも行って、気分を変えて、
読んでしまうことにした。


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