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雨に嘆くような…。


「天気予報では、どのように言っていたかな?」
そう思って、空を見上げてしまうときがある。
ちょっとした用事もあり、一駅ほど離れたところまで出てきたもの。
曇り空に気付いたときなどは、そんな状況かも知れない。
こんなときに限って、雨具の類は1つもなく。
いつも身に着けていたゴアテックスのパーカーは、
連日の暑さから、部屋の隅でハンガーにぶら下がっている。
まだ用事も片付けていないから、様子でも見るかな?
そう思って自転車での移動を続けていたもの。
ぽつぽつ…と、雨が降り出したかと思っていたら、
あっという間に、激しいものとなった。
大慌てで向きを変え、近場の商業施設へと逃げ込み、
空を見上げていたが、5分、10分以上しても、降りやむ気配はなかった。
“ずぶ濡れになるのを覚悟して、路上に出るかな”と考えたところで…、
空に亀裂ができたかと思うほどの、稲光が走り、雷鳴が轟く始末だった。
この日、用事を片付けることは、あきらめるしかなかった。
仕方もなく、商業施設で時間をツブすことにした。



自分の生活圏から、近くもなければ、遠くもない。
そのような場所と言うのは、あまり寄ることもなく。
この商業施設を利用したことはなかった。
ひと回りしてみたが、とくに利用したい店もなく。
緊急事態宣言が4度も出された影響もあるのだろうか?
いくつかの飲食店店舗は、シャッターが下りていた。
新型コロナウイルス(COVID―19)への恐怖によって、
社会的にも科学的にも根拠が乏しいと思われる“バカげた禁酒法”が、
いつの間にか、施行されているような状況となり。
それを支持している人たちも、かなり多いと聞く。
あまり面白い気分でもなく、もて余すだけの時間が過ぎていった。



この日、都営線を利用していれば、別の街で、用事を片付けることもできた。
それなら、このような事態とはならなかったが、
電車での移動は、遠慮したかった。
何故なら、“密”状態を避けるように叫ばれていながら、
都営線の車内は、通勤、通学時には、満員状態。
都営線だけでなく、都心の公共交通機関は、
現在も満員電車となるものも多いのだが、
車輛本数は増やすどころか、減らされてしまっており。
(現在は戻されているけど、ね。)
社会が、まともな機能を失っているのではないか?と不安すら感じてしまう。


スターバックスcoffeeは、
1971年、アメリカのワシントン州シアトルで誕生。
ちょうど50年目となる。


1階にあるスターバックスコーヒーの客席が、しばらくして空いてきていた。
いつもなら、あまり利用することもないけど、
先日、記事にしていることもある。
(関連する過去の記事「50年ほど前のこと:コーヒーが苦くなるかな。」)
たまには、コーヒーもいいかもしれない。
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1年分ズレているから…。:己の不始末と社会への不安


マルチメディアによる「間接体験」が進歩していくことで、
五感で得られる「直接体験」を得られる機会は少なくなってきた。
それは、どうにも味気ない・・・というのは、
1994年11月の毎〇新聞の記事のもの。
もう27年前のこと。


テレビ放送では、オリンピックの開会式が行われていたとき。
自室のインターネット回線が、不意に使えなくなった。
Wi-Fiへと自動接続するように設定していた、
スマートフォンの反応も、ちょっとニブく。
モデムやルーターをチェックできる場所に移動してから、
電源を、入/切(オン/オフ)することで、リセット状態にしたもの。
次の夜には、完全に使えなくなっていた。
しばらくして、友人からの着信記録が、
スマートフォンにあることに気付いたもの。
すでに数時間が経過している有り様だった。
すぐに電話連絡を入れ、謝罪することとなった。

「オリンピックの開催によって、
ネットなど通信環境への負荷でもあったのだろうか?」
…とも思ったけど。
(後日)業者に問い合わせたところ、ただモデムが故障していただけだった。




依存しているつもりはなくても、
インターネットの存在は、生活に浸透しているのだと強く意識させられる。
近年、5G(ファイブジー)を含めたネットインフラも整備されつつあり、
ネットメディアが、社会の主流となりつつもある。
PCやスマートフォンを用いれば、自分で調べたり、考えるよりも早く。
ネット上から、かなり正確性のある情報が得られる…、そう思ってもいた。
しかし、検索サイトを利用している人たちは、
検索サイトのターゲットマーケット機能によって、
自身に関心のある情報が集まってくることになる。
その結果、ネット上から偏った情報を受け取っていくだけともなり、
客観性をともなった情報が得られなくなることが、危険視されている。
それにITシステムが、ネット社会を主軸に発展していくのには、
どこか不安感があり、面白くない。
・・・とは言え、
今回の不始末は、どう考えても自分の責任だけど、ね(とほほ)。


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さして、まぎらわせられず:2021年7月、ブウ垂れる!


ギラギラとした夏の日差しもあってか?
太陽を暗示させるコロナというウイルスの存在が、
とにかく忌々しく感じてしまう。
現在、東京ではオリンピックが開催されており。
この街を訪れた外国の選手たちは、どう感じているのだろうか?
世界的に見れば、東京より高い気温となる都市はあるもの、
それに湿度が加わる不快指数は、かなりキツいものとなる。
世界的な規模で蔓延した新型コロナウイルスの脅威も消えたわけではなく。
どこかで気分転換でもするかな?と思っても、
東京は、緊急事態宣言が出されたままであり。
夜、20時以降に営業している店もなく、気分も滅入ってくる。
正直、4度目の緊急事態宣言には憤りに近いものがあったが、
新宿や上野などでの人通りを見れば、悩ましくもなる。

空っぽになった冷蔵庫に留守番でもお願いして、
ビールでも買いに行くことにした。
ブウたれた気分を紛らわせるには、2~3本、欲しいところかな。



蛇足:
先日、居住地域のスケジュールが前倒しとなり、
新型コロナウイルス(COVID―19)のワクチンを接種してきました。
会場において、“ワクチン接種は筋肉注射になります(ファイザー製)”と、
かなり仰々しい文言で伝えられたことから、身構えてしまったもの。
1回目は、あっさり終了。

今のところ、問題なさそうです。
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戦争までの経緯(いきさつ):暗君と暴君

(前回から⇒)
日本史の教科書では、
日露戦争の前哨戦のような扱いにもなっている日清戦争。
(1894年8月~)
・・・などと、以前に記したこともあるけど。


日清戦争に敗れた清(中国)は、下関条約(1895年)により、
朝鮮の独立を認め、清と朝鮮王朝との冊封関係は消滅してしまう。
ここから、日本は、朝鮮への影響を強めていく。
こんな状況が面白くもなかった朝鮮の王妃、閔妃(ミンビ)は、
南下政策をとっていたロシアへと接近していくけど。
日本側の思惑によって、暗殺されてしまう。
※ちなみに、王妃、閔妃は、夫にかわって政治を執り行っていたが、
その体制は、恐怖政治だったとある。
国王、高宗(コジョン)は、ロシアの公使館に避難して、政治を行い。
1897年、国号を大韓帝国と改める。
高宗は、自身は皇帝であり、
清や日本とは対等だと示せたつもりだったのだろう。



19世紀後半の日本には、
極東へと進出してきた欧州の列強への強い危機感があった。
朝鮮半島の背後には、シベリア鉄道の終点となるウラジオストクもあり。
東アジアへの進出を狙っていたロシアを、とくに警戒していた。
朝鮮半島がロシアの影響を受けることは、対岸の火事などではなく。
1902年、日本は大英帝国と同盟を結び(日英同盟)、ロシアに宣戦する。
※当時、大英帝国は、ボーア戦争によって余裕がなかったもの、
ロシアの南下政策に、危機意識を感じていた。
1904年、日露戦争。
この戦争によって、日本とロシアは、お互いに疲弊していったことから、
ポーツマス条約(1905年)を結び。
日本は、朝鮮半島に対し、優越権を持つことが了承される。
朝鮮半島は、日本の保護国となり、外交権を奪われてしまう。
こんな状況を、大韓帝国の皇帝、高宗は納得するハズもなく。
万国平和会議に日本の侵略を訴えるが、受け入れられることもなかった。

・・・と、これだけ聞けば、
朝鮮半島は、日本とロシアとの政治的な意図に振り回されただけで、
日本の行動は侵略としか思えない。
しかし、高宗は、王妃に恐怖政治を行なわせたままにするなど、
自身の政治的な責任を果たしてなく。
極東に勢力を拡大しているロシアを招き入れれば、
周辺諸国の動揺を煽ることにも考えついていなかった。
自国の領土内とは言え、他国の公使館に逃げ込みながら、
「自分は、この国の主権者である皇帝だぞ!」と言っても、
説得力などある訳もなく。

高宗は退位、軍は解散させられてしまう。
もう一言、加えるのなら…。
朝鮮半島では、自国の問題を、他国に丸投げしておきながら、
不都合なことが起きれば「自分たちは、哀れな被害者だ」となるのは、
100年以上前からの伝統政策なのだろうか?
なんか、最近でも似たようなことばかり…と、話が逸れたけど。
こうして日露戦争は終わったもの。
その後、ロシアは、第一次世界大戦もあって、
経済が破綻したことから、共産主義の国家になっていく。
日本は、戦争の犠牲に比べ、賠償金も得ることもなかったので、
暴動が起きてしまう(なんと戒厳令が発動されるほど!)。
この日露戦争後、日本は大陸へと勢力を伸ばしていくことになり。
その後の戦争への呼び水になっているようにも見えてくる。

歴史の教科書にも記されているエラい人たちの愚行が、
現在にまで及んでいることには、ウンザリしてくる。

学生時代、ビリから数えた方が早いほど成績は悪く、
ロクに勉強もしていなかった。
自身が体験したことすら、正しく伝えきれているかも分からないのだから、
正しい歴史観を持っていると約束できない身ではあるけど。
ひとつ言えるのは「やっぱり教養って、大事なの、ね」と言うこと…。



蛇足:
この文中では、ロシアの脅威を象徴するようにシベリア鉄道を記したけど。
日本も、敦賀から、ウラジオストク、そして、シベリア鉄道を用いて、
ヨーロッパとの貿易を行っている。

ネット上での情報(他人の受け売り)となるけど。
現在でも、シベリア鉄道は交通機関として運営されているらしく。
世界最長の鉄道路線などと聞けば、ロマンをかき立てられる。
しかし、オリエント急行のような豪華な旅程は組まれてないとのこと。
(あしからず!)
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戦争までの経緯(いきさつ):支配と侵略

(前回から⇒)
産業革命以降、欧米諸国では、資本主義が急速に発展していく。
その資源の調達や投資市場を求めて、
アジアやアフリカなどに進出(植民地に)していった。
いわゆる帝国主義の時代、
そのような列強の存在が、驚異と感じていた日本にとって、
朝鮮半島へと勢力を伸ばしていたロシアは、とくに無視できなかった。
日本政府は、先に主導権をとり、朝鮮半島を独立させて、
ロシアなど列強に対抗しようと考えた。
これに対し、朝鮮半島を属領としていた中国(清)は、
政治や外交の権限(宗主権)を主張する。
朝鮮半島内でも、清との関係を維持しながら近代化していくものと、
日本の明治維新に見習って近代化していくものとの意見で分かれており。
日本の軍事顧問団を受け入れながらも、それに反発する勢力が暴動を起こし、
日本公使館を襲撃するなどとの事態となっていく(1882年:壬午事変)。

朝鮮半島の政府は、日本との関係に距離をとっていたもの。
1884年、日本の協力を得ていたグループによって、
クーデターが起こる(甲申事変)。
これに対し、清は、朝鮮半島に軍隊を送ることで鎮圧する。
このような日清関係の状況を改善するため、
交渉が行なわれ、天津条約(1885年)が結ばれる。
1894年、朝鮮半島の南部で、
大規模な農民の反乱が起きてしまう(甲午農民戦争)。
この事態を収めるため、清が出兵したことから、
日本も出兵させることになる。
これが火種となって、日清両国は、交戦状態となっていく…のだけど。



現代人の感覚で言えば、
どう考えても内政干渉や主権侵害もいいところ。
そもそも朝鮮半島の政府が、まともに機能していれば、
起こり得ないことだったとも言えるけど。
これは、21世紀以前の19世紀末の話。
日本にとって(だけでなく極東において)、
ロシアの脅威が、それだけ大きく。
現代とは、国際社会の認識も、まるで違うものだったとも言える。

1894年8月、日本は、清に宣戦を布告。
この日清戦争で、日本は圧倒的な勝利となる。
これによって、中国を頂点としてきた伝統的な東アジアの国際秩序は、
崩壊することとなる。



蛇足:
この国の教科書問題にまで、内政干渉してくる“お隣さん”たちが、
自国の歴史を、どのように認識しているかは知らないけれど。

これらの経緯を面白くもないと思っているらしく。
報道番組や歴史番組では、妙に“歯切れの悪い言葉遣い”をするときがある。
その意図が判然としないところは、薄気味悪く。
無視できないところが、イヤなところ。
(続く⇒)
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