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1年前と一年後、今も分からないこと:呼び水

(前回からの続き⇒)
資本主義が急速に発展していった産業革命以降、
欧米諸国は、資源の調達や投資市場を求め、
アジアやアフリカへと進出(植民地に)してくることになった。
いわゆる帝国主義の時代、
日本にとって(だけでなく極東において)、
これらの列強の存在は脅威でしかなく。
とくに、朝鮮半島へと勢力を伸ばしていたロシアは無視できなかった。
ロシアは、歴史的な背景から、海を望み、
大陸の外れまで、たどり着いてきた国家だったと言えば、
大袈裟(オーバー)にも思えるが、ウソでもなく。
極東周辺にまで、領土をもった巨大な国家であり。
日本政府は、朝鮮半島を独立させて、先に主導権をとり、
ロシアなどに対抗していくこととなる。
1902年、日本と同じく、ロシアの南下政策に危機意識を感じていた、
大英帝国と同盟を結び(日英同盟)、ロシアに宣戦する。
1904年、日露戦争。
いつの時代も、戦場は、人間を極限の状況下にするとは言え、
この戦争は、機関銃や砲弾、艦船などが用いられる凄まじいものとなり。
日本とロシアは、お互いに疲弊していったことから、
ポーツマス条約(1905年)を結び。
日本は、朝鮮半島での優越権を持つことが了承される。

このように100年前、日本は、
極東における勢力をかけて、ロシアと争った歴史があり。
その後、第二次世界大戦では敗北し、軍隊をもたない国家となった。
これらの事情に、朝鮮半島の人々は、
ただ巻き込まれていっただけにも見えてしまうが、
実際には、もっと複雑な状況があり。
単純に被害者だったとも言えない。
(もちろん)現代と国際社会の認識も違うものだったからとも言える。
(関連する過去の記事⇒)
そして、日本では、戦争の犠牲に比べ、
賠償金も得ることもなかったので、暴動が起きてしまう。
(なんと戒厳令が発動されるほど!)
この日露戦争後、日本は大陸へと勢力を伸ばしていくことになり。
その後、世界中を巻き込んでいく戦争の“呼び水”にも思えてしまう。



蛇足:

今、シベリア鉄道によって、
ウクライナから、大量の戦車や兵士が、
極東、ウラジオストクまで送られてきたとき、
どのような行動をとるべきなのだろうか?
さすがにあり得ないことだけど、笑い話も硝煙臭いものとなる。
<続く⇒>
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1年前と一年後、今も分からないこと:正と征

(前回からの続き⇒)
胃腸薬の正露丸は、かつて“征露丸”と記されていた。
日露戦争以前から製造されていた時代背景もあるからだけど、
ロシア(露西亜:“露”)を征伐するという、意味が含まれていた。
現代人には、ちょっと物騒な話にも思えることもあってなのか?
文字は改められ、「正露丸」となっている。


その昔(明治時代)、幕末に結ばれていた、諸外国との不平等条約により。
日本では、外国人が犯罪をしても、
日本の法律では裁くことのできない、治外法権にあり。
関税自主権もなかった。
「関税自主権」とは、国が自国の関税を定める権利。
これが無いことから、外国から安価な綿製品が多量に入り、
国内の綿織物業などが、深刻なダメージ(打撃)を受け、
国内産業が衰退されかねなかった(経済的損失)。
このような不平等条約をアメリカ、イギリス、オーストリア、オランダ、
フランス・・・、ロシアなど、12か国もの国々から結ばされており。
この不平等条約を改正すべく、
明治のエラい人たちは、色々と頑張ったのだけど。
どれも成功することはなかった。
それを改正したのは、外務大臣、陸奥宗光。
それと、外交官、小村寿太郎(1855~1911年:のちに外務大臣)になる。



「不平等条約」
領事裁判権を認める。
関税自主権がない。


外務大臣、陸奥宗光がとった方法は…、
“まず、影響力のある大きな国を説得することで、
他の国も交渉できるのではないか?“というものであり。

そこで、世界各地に勢力を拡げていた大英帝国(イギリス)から、
説得していくことになる。
当時、大英帝国にとって悩ましい存在だったのが、ロシアであり。
このロシアに対抗するため、協力を求めていた大英帝国に対し、
「治外法権撤廃」を申し込む。
1894年、大英帝国を説得し、治外法権を撤廃させる。
ここから、15か国から、治外法権を撤廃させることに成功していく。
<“小村寿太郎”については、また別の機会に記します:続く⇒>
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1年前と一年後、今も分からないこと:怖い相手(ひと)

(前回からの続き⇒)
暴力による最大の驚異はなんだと思います?
「正しいこと、真実の隠蔽(弾圧)です」
自由とは、どういうことだと思いますか?
「恐怖を感じず好きなことが言えること」

過去、こんな言葉を用いたこともあるけど。
教育番組によれば…。
日本の憲法が保障している人権の1つに「言論の自由」がある。
世界には、政府に対して、批判的な発言や報道をすれば、
逮捕される国もあり。
そのような国では、政府が間違った方針をしても、
民意によって、正すことができなくなってしまう。
…とあった。
数年前から、プーチン政権下のロシア連邦共和国では、
不都合なニュースは制限され、
それを公表しようとする独立系新聞社などの活動は、
何者かによって妨害され、死亡した記者までいる…とは聞いていた。
かつて、プーチンは対外諜報活動の部署に就いており。
アメリカのCIA、イギリスのSIS、フランスのDGSE、
ドイツのBNDのようなもの、いわゆるスパイ組織になる。

誰も言葉にしていないけど。
本物の暴力を前にしたとき、
社会や人は、無力(無意味)なんだな…。
「暴力は、あらゆるものを肯定する」と言えば、
異論を唱える方もいるかも知れないけど。
乱暴者(暴力を振るう存在)を押さえつけることが、
誰にも出来なければ、あらゆる理不尽は、まかり通ってしまうことになり。
社会正義や、普遍的な倫理や道徳も、陳腐な幻想に思えてしまう。



他人(ひと)のものが、自分のものになる…と考えつくような人間は、
善良であるハズもないけど。

それなりに価値のあるものが、誰の所有物かも分からないとき。
良からぬ考えが思い浮かんでしまうことは珍しくもない。
しかし…。
出来心や生活苦から仕方なく…という種類のものとも異なれば、
事情や状況も変わり、許されないものとなる。
もちろん、出来ることなら、
こんな状況は、関わりたくもないことの“ひとつ”。



2~3週間前、彼の姿を、テレビのニュース映像で見ることがあった。
その表情と、目線を見たとき…。
今、この人は、世界を相手に戦っており、
その決意に揺らがないものをもっているとも思えた。
そういう意味では、尊敬に値するスゴい人物でもある。
だからこそ、その全ての言動や行動を、
まったく受け容れる気にはなれない。


蛇足:
「世に悪が栄えた例はない。」
これは、ある意味、事実だ。

正しいことが行われずに間違ったことが、
推し進められていけば、どんな物事も、行き詰まり。
何もかも、手詰まりとなって、“おじゃん”となる。

正論を言っても、正しいことができない人間には意味がなく。
甘い希望的観測を考えることはあっても期待することはない。
正義(善)があって、悪があるのではなく
間違いや失敗を通じて、
人は、何が正しいことなのかを理解していく。
物語で語られる「正義は勝つ!」などのセリフは、
事実を入れ替えただけの、“こじつけ”に過ぎない。
正義が勝ったのでなく。
悪が、愚行の果てに滅ぶだけのこと。
しかし、巻き添えにされるものにとっては、
タマったものでもない。
(続く⇒)
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1年前と一年後、今も分からないこと:敵、味方と、傍観?

(前回からの続き⇒)
2000年代に世界経済の牽引役として期待されていた5か国。
BRICS
ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ…の頭文字。

順調とも言えるのは、インドだけと聞く。
このインドは、今回のロシア軍の暴挙に対し、
西側諸国によるロシアへの経済制裁には加わっていないと聞く。



問題のある相手であっても、
自分にとって、都合のいい存在であれば、
わざわざ敵対することはなく。
さらに言えば、自分が苦しく、辛い状況や立場にあり、
周囲に頼りになる人間もなければ、
どんな相手であっても、味方になってもらうしかないときがある。
子供相手なら、ともかく、大人の社会では、
そのような状況で、恩恵を受けながら、
見返り(恩返し)もしないことは、許されないことであり。
この状況で、別の事情が加われば、より厄介となってくる。
インドにとって、ロシアという国は、そのような存在であり。
インドが、大英帝国からの独立を果たした後、
様々な助力を受けてきたとも聞く。



一方、ドイツを代表する複合企業シーメンスは、
ウクライナに軍事侵攻したロシアの市場から、
撤退することを明らかにした。
シーメンスと言えば、医療診断機器メーカーとしても知られている。
学生時代、三井康亘のロボット工作の本を読んでいたとき、
シーメンスのスイッチは、コントロールレバーとして用いられており。
その複雑なパーツ構成には、憧れにも近い感情をもったものでした。
そんなメーカーが、ロシアの市場から消えていくという事実が、
より深刻な状況を伝えてくる。
(続く⇒)
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1年前と1年後、今は分からないこと:不意打ち


亡くなった祖父は、太平洋戦争後のソヴィエト連邦において、
キャンプ生活(戦争捕虜として)を強いられたと聞いたことがあった。
今、思えば、漠然としたことしか聞いてなく。
何故、武装解除された日本兵が、終戦後、シベリアなどへと、
抑留されることになったのかを知らないことに気付かされる。
そのような気持ちもあり。
昨年は、ソヴィエト連邦の解体から、ちょうど30年目を迎えたこともあり、
ロシアやソヴィエト連邦のことを、色々と調べたり、
少しは勉強もしていたのだけど…。
関連する過去の記事⇒「戦争までの経緯(いきさつ):絶海と大国」

それでも、今年、プーチン政権下のロシアが、ウクライナ侵攻するなど、
想像の範疇を超えるものだった。



「今回のウクライナ危機により、コロナの収束は、かなり遅れそうですね」
…と伝えたところ、
それを理解できない人間は、意外に多く。
ちょっと驚いている。

戦争体験などはないが、戦場(戦地)で、
衛生的な環境を得るのは、きわめて困難なことだと想像できる。
およそ100年前の、第一次世界大戦は、機関銃や砲弾だけでなく。
戦車や戦闘機まで用いられることになり。
これらの攻撃に対して用いられたのが、
地表へと、溝を掘り、身体を、低く隠しながら、
戦線を進めていく塹壕戦となる。
元々、戦場という空間が、衛生的とは言い難い環境だとは記したけど。
地表より、低い位置にある塹壕は、
雨などが降れば、ぬかるむことにもなる。
シラミなどの害虫被害から伝染病も広がっていくこととなり。
同時期に、世界的な規模で広まっていた伝染病(スペイン風邪)もあって、
多大な犠牲者を出したと聞く。
2年前から続く、コロナショックは、
このスペイン風邪以来の伝染病被害であったことから、
歴史の教科書で語られる第一次世界大戦とも印象が重なり。
もし、これ以上(コロナショック以上)の災厄が起こり得るなら、
世界大戦か、ゴジ〇か、宇宙人の襲来しかないだろう…などと、
半分、笑えないジョークを言っていたものでした。
ただし、それも、今年(2022年2月)ウクライナへと、
ロシア軍が侵略するまでのこと。

蛇足:

この第一次世界大戦の影響もあって、
ロシアは、革命家、レーニンらによって、
共産主義の国家、ソヴィエト連邦へとなっていく。
この“ソヴィエト”は、労働者や兵士を代表して革命を指導する組織。
「評議会」という意味になる。
<2022年6月加筆訂正:続く⇒>
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