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あるとき、ある週末、ある車内でのこと。


週末の朝が、いつも遅い目覚めとなってしまうのは、
ぐーたらな性格だからなのか?

その日も、目覚まし時計が鳴り響き、目を開けたもの。
数十秒、もしかしたら、数分、天井を見つめたまま、
いつの間にか、また目を閉じてしまっていた。
しばらくして、目を覚ますと、今度は、跳ね起きた。
コーヒーメーカーのスイッチを入れてから、部屋中に散らかった雑誌や書籍、
ガラクタを、取り敢えず、一箇所へと積み上げていく。
コーヒーをカップへと注ぎ、冷蔵庫に残っていたパンをかじりながら、
夜更かしの原因となったゲーム機のコントローラーをつかんでいた。
ステックレバーの辺りにホコリがついていた。
それをタオルで拭くと、
そのタオルと、一週間ぶんの洗濯物を片付けてしまうことにした。
パンを食べ終わったところで、
洗濯機のスイッチを入れ、部屋に掃除機をかけていく。
ひと通り、片付いたところで、着替えて外出することにした。
この日は、ちょっとした用事もあり、移動のため、電車を利用したところ。
車内は、かなり混み合っていた。
昨年末から、ツマらないことが続き、色々と考えなければならないとき、
休日の満員電車は、面白くもない気分にさせる。
ターミナル駅での乗り換えまで、とくに考えつくこともなく。
電車は、いくつかの停車駅を過ぎていく。
ある停車駅で、不意に、多くの乗客が降りたかと思うと、
手前の座席が空いた。
そちらへと足を向けていくと、足もとに、紙袋があった。
まだ新しい紙袋は、馴染みのないロゴがプリントされており、
きちんとしたテーピングもされていた。
どこかのイベント会場か、新しい商業施設のものだろうか?
袋の中には、なにかが入っている雰囲気もあった。
(まあ、不審物(爆弾!?)ではないようだな…)
その紙袋から、右側となる座席には、20代くらいの男性が座っている。
「これ(この紙袋)は、君のものか?」と聞いてみた。
彼は、何を言われたのか分からないといった反応があり。
それから紙袋の存在に気がついたようだった。
どうやら、今、降りていった乗客のうち、
“誰か”が忘れて、置いていったものらしい。
駅のホームからは、電車の発車を告げるアナウンスとベルの音が響いてきた。
さてはて、どうしたものやら…と思っていたところ、
彼は立ち上がり、紙袋をつかむと、停車駅のホームへと向かっていった。
その動きに驚いたかのように、彼の席から、
正面となる席にいた若い女性も立ち上がり、
彼を追って、ホームへと出ていく。
そのあと、彼が、紙袋をどうしたのかは分からない。
もし運が良ければ、ホーム上で、紙袋の持ち主を見つけ、
手渡したのかも知れないけど、
おそらく、駅員にあずけるくらいしかなかったかと思われる。



それが良心によるものでも、若い男性が、女性といるときなら、
行動や判断に悩んでしまうものがある。
若い男性と、女性との関係は分からないもの、“なんとなく”察するものもあり。
(しかも、世間的には、休日となるときに…)
誰もが、彼のような行動ができるものではなく、
その行動は、非常に立派なものだった。


おそらく、駅の日報には、ただ落とし物があったと記録されるだけとなり、
ありふれた日常となってしまうのだろうけど。
“どうしたものかな”と迷ったまま、
ボケっとしていた身としては、ちょっと考えさせられる日であり。
うれしくなるものとなった。
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奪われゆく街景色:アキバのネジ屋さん


秋葉原の電気街にあるネジの専門店、西川電子部品(株)が、
今月で閉じてしまう。

どのような事情があったのかは確認していないもの。
ここ数年のコロナ禍に加えて、
インボイス制度などの増税負担によって、
多くの個人商店などが、店を閉じており。
学生時代から知る、街の景色が消えるものとなった。

このネジの店と関連する過去の記事へ⇨

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心にも伝染する病(やまい)があるなら…。:15年前、アキバ


これは、先月、アップしそこなった記事になる…。
(色々と、忙しいのです。ハイ)


JR東日本と日比谷線(東京メトロ)の秋葉原駅は、千代田区の外神田にあり。
駅名の由来である台東区の秋葉原は、少し離れた位置となる。
かつて、この秋葉原駅近くには「電気街」と言われるほど、
家電量販店や電子パーツ店の集まった場所であったもの。
現在では、かつて勢いのあった量販店だけでなく、
電子パーツや工具などを扱う店舗も減り。
かわりにメイドカフェ(コンセプトカフェ)のような店舗が増えている。
その背景には、1990年代の終わりから増えていった、
郊外型の大型量販店の存在があり。
それらの大型店が、都市部にまで進出していったことにもあった。
かつての電気街を知るものとしては、変わりゆく街への不満があったもの。
それも仕方のないものだとも思っていたけど…。



2008年6月8日、
この街を歩く人々を、2トントラックを用いて、
無差別にはねてから、降車し、
そのまま、所持していた刃物によって、
次々と、人々を刺すという凶悪な事件があった

負傷者は、10名、死亡者は、7名にもなる。
この秋葉原無差別殺傷事件の犯人、加藤智大は、
2015年2月に死刑が確定する。
しかし…。
その死刑が執行されることになったのは、2022年7月26日。

安倍晋三、元首相が殺害され、世論が動揺しているときだった。
ドサクサに紛れての、“ざつ(雑)”な対応にも思え。
収まりどころのない感情がある。
それが、今まで興味や関心もなかった社会へと意識を向けさせている。
ほとんど同じような報道ばかりとなるのは、
状況が進展していないから…であり。
一部のテレビ局では、そんな報道さえもせず、許せないものがある。



蛇足:
先月(2023年6月21日)、

モーニング娘の楽曲への“振り付け”を担当していたことで知られる、
夏まゆみさんが亡くなったこともあり、
モーニング娘のヒット曲“LOVEマシーン”のPV映像が、
テレビで流れていた。
この曲が、ヒットしたのも、20年以上前になる。
「…ニッポンの未来は、イェイ、イェイ♪」
「世界が羨(うらや)む♪」…という歌詞だったかな。

楽曲のヒットだけでなく、バラエティー番組やドラマなどにも、
数多く登場していたモーニング娘のメンバーたちも、その後、紆余曲折があり。
結婚したり、離婚したり…などとあったけど。
20年前、モーニング娘のメンバーや、その楽曲をプロデュースした人物にも、
今の社会情勢を想像できたとは思えず、
今、「ニッポンの未来は…」という歌詞を聞いていると、
皮肉なものに聞こえてしまう。


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13年と8ヶ月…、


2022年7月26日、
「秋葉原での連続刺傷事件」の実行犯、
加藤智大(かとう ともひろ)に対し、死刑が執行された。

この、2008年6月に起きた事件のことを忘れたことはなく。
毎年6月が近くなれば、イヤでも思い出していた。
多分、今後も忘れることはないだろう。
しかし、安倍晋三、元、首相が殺害された事件によって、
世間が、大きく動揺し、政権与党とカルト宗教団体、
(世界平和統一家庭連合:旧、統一教会)との“つながり”が露見した、今、
死刑執行が行われたのは、何故だろうか?
どのような意図や思惑があったのだろうか?などと、
様々な思惑が見え隠れしているようにも思えてくる。
個人ブロガーには、独自の取材や調査も難しく。
己の未熟さと無力さを、思い知らされてしまう。
この事件の“幕引き”としては、気持ちの悪いタイミングでもあり、
イヤな気分にさせられる。


(直近の画像がなく、これらの画像は、半年前のもの)

2008年6月に起きた「秋葉原での連続刺傷事件」は…。
この「はんぐおーば」を開設するキッカケの1つでもある。

当初、第三者を誹謗することになりかねない記事のアップは、
一切、やらないようにしてきたが…。
いつの間にか、そんな戒め(いましめ)を破っており、
自分自身がイヤになることも少なくもない。
もちろん、このブログへのアプローチが変化していったのは、
ただ己の愚かさを自覚できるようになったからだけでもなく。
その現実にも考えさせられてしまう。

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悪者によって!?:…有耶無耶?

(前回の続き⇒)
今から、5年後、あなた方の住まう町には、20階建ての高層ビルが建てられます。
これは、私たちの会社内では決定事項となっています。

周辺環境も考えて、公開空地(こうかいくうち)も準備しており。
日照量やビル風なども発生するかと思われますが、
これらはシミュレーションによって、問題のないレベルと出ています。
「…そのような一方的な話は納得できかねます。」
“これらの状況に“問題がある”とは、証明できない“、
だから、「問題ではない」という言葉のロジック”によって、
カモフラージュ(擬装)しているだけでしかない。
そもそも、何だって、今まで、5階くらいの建物しかないところへと、
高層ビル、これは、高層マンションのようだけど…を
建てる必要があるのですか?
10~12階建てでも大きすぎるもののハズです!
“ご意見はわかりましたが、
ただ今、この場には、それに応じられるものはおりません “。

そのような人物とは話し合える機会はあるのですか?
「いえ、法律上の告知の義務は、今回で果たしたことになりますので、
今後、その機会はございません。失礼します。」…ということだった。



自分たちの間では決定事項となっており。
そのため建築計画も準備し、周辺環境に与える影響の資料も作り。
その説明もしました。
だから、文句や意見を言われても応じるつもりはありません。
…ということであり。

このような一方的な言い分には、
周辺にある女子校の学園関係者からも、声が出ることとなった。
これだけの建物から、見下ろされることとなれば、
生徒たち女子児童や中高生のプライバシーを維持するのは困難となり。
学校側にとっては、営利面や信用でもダメージを受けてしまう。
“のぞき趣味”の持ち主が、自身の快楽を満たすため、
高層マンションの一室を購入するなど。
ワイドショーや写真週刊誌の記事のようでもあり。
どこか笑い話にも思えてしまう。
しかし、いかがわしい目線で、女子児童や女子学生を観賞するため、
数万、どころか、数千万もの金額をつぎ込むような(散財する)人間など、
色々なところで聞く話でもある。
購入者に“のぞき趣味”の性癖がなくても、住居として利用するとは限らず、
有料制のライブ配信でも始めれば、かなりの収入にもなり。
学校側の言い分にも、大ゲサとも言えないものがあった。




これが、自分の住む町とは関わりのない話だったら、
どう思ったのだろうか?
東京のような街では、20階以上のビルなど珍しくないと思いがちだけど。
それはオフィス街や一部の繁華街でのこと。
意外にも、四谷や御茶ノ水のような中央線沿線の地域でも、
20階建てのビルなど見当たらず、建ち並ぶビルは10階ほどである。
一般的な生活圏において、20階以上の建造物などは、
かなり高く、しかも威圧的なものとなる。
空に吸い込まれていくように建つ建物の存在は圧巻であり、
立派だとは思う。
但し、それも事情によっては、不快となる。



これほどの方々から、拒否(NO!)と、突き付けられていることを、
オーナーとなる人物は、把握しているのだろうか?

何を、どうしたらよいのか?
類似の案件から、どのようなことを、懸念すべきなのだろうか?
正直、分からないまま。
こうして、何もできないまま、1か月以上、経ってしまった。
その間、世間では、より大きな事件やテロ、戦争があり。
世界的な規模での疫病も収束していない。
「これら世間の動揺にツケ込んでくるような人間が、
身近にも現れたことには落ち着かない気分にさせられる!」
今後、どうなってしまうのか?
まるで分からない。
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