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「お前が決めるな!」と声がする…。


この記事をアップする前日(5/14)のニュースによると…。
海の向こうにいるドナルドというオジさんによって、
エルサレムにある米国領事館が、
イスラエルの大使館へと格上げされることになった。

通常、大使館というのは、その国の首都にあり。
例えば、日本の場合は、首都である東京に各国の大使館があるのだけど。
エルサレムを、イスラエルの首都であると認めるには、
色々と複雑な問題が絡むこともあって、
これまでは、多くの国々が「ノータッチ!」としてきた。
それには、歴史的な経緯がある。



1~2世紀、ローマ帝国からの独立戦争(ユダヤ戦争)に敗れたユダヤ教徒は、
世界各地に離散していき、その後、国を持たなかった。
そして、19世紀末…。
“自分たち(ユダヤ教徒)の国家建設”を求めるシオニズム運動が始まり。
彼らは、破壊されたユダヤの神殿の跡、“嘆きの壁”を目指し、
“パレスチナに民族の故郷を作ろう”となる。

当時、UK(大英帝国)は、第一次世界大戦の戦費確保のため、
ユダヤの財閥に資金援助を求めていた。
ここで、大英帝国は「ユダヤ人による国家建設」を支援することになる。
大英帝国は、16世紀以降、各植民地から流れてくる富に加えて、
産業革命後の勢いもあり、多量の銀を保有(国有)していた。
こうして、後ろ盾を得たこともあり、
パレスチナへのユダヤ人への入植が進むけど。
すでにパレスチナには、アラブ人たちが住んでいた。
当然、色々な摩擦が生じることになる。
さらに…。
第二次世界大戦後、ナチスによるユダヤ人排斥から、
ユダヤ人への同情が、世界的に高まっていたこともあり。
1939年、ユダヤ人のパレスチナへの入植は大規模なものになる。



1947年、国連は、パレスチナをユダヤ人と
アラブ人との国家に分割する案を決定。
しかし、これにアラブ人は、反発!
1948年5月14日
アラブ人側の同意も得ないまま、
ユダヤ人側が、自らの国家“イスラエル”の建国を宣言する。
1948~1949年、パレスチナのアラブ人を支持する周辺のアラブ諸国を、
巻き込んでの戦争となる(パレスチナ戦争:第一次中東戦争)。
この戦いにイスラエルは勝利し、
パレスチナの地域を80%も支配することとなる。
その地域に住んでいたアラブ人は難民となるか、
自由を制限される生活を強いられることとなった。
…これで決着することもないまま。
なんと70年も、経ってしまっている。
先進国と呼ばれる国々の都合が招いた愚行だと言って、
済ませられるものでもなく。
そこに政治的な既成事実が積み上げられていくような状況になれば、
面白くないと感じるものが少なくないのは言うまでもなく。

今後の動向は、イヤでも気になってくる。

追記:
以前、「世界の中心はどこなのか?」という表現を用いたことがあったけど。
(関連する記事「極東:酔者の本能」)
昨年に続いて、今年も、ウイスキーツーリズムの旅行に向かったこともあり。
UK(大英帝国)は、色々と思い入れのある国ではあるけど。
世界の共通語として、英語が話されるのは、
1600年に設立された東インド会社によるもの。
その東インド会社は、大英帝国がインド洋やアジアでの貿易のため、
後に、色々な国の軍事権や徴税権まで得て、植民地にしたのだから、
国家規模の文化や歴史と言うものは、
簡単に受け入れられない種類のものもある。
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まだ知らぬ世界の事情と鯉のこと


明日、5月5日は、端午の節句。
それらしい画像が、手元にあったのでアップしてみました。
この画像は、先月末に羽田空港で撮ったもの。



端午の節句は…。
司馬遷の「史記」にも記されている呉の国の宰相、伍子胥とも
由来があると言われているけど…?
実は、よく分かっていない。
いずれ調べてみたいところです。
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