生活に必要なものがあり、近場のスーパーに寄ったところ。
「スプリングバレー豊潤<496>」があった。
ちょっと、お酒に詳しい人間なら、ご存知かも知れないが、
この「スプリングバレー」という名称は、
「キリンビール」の前身である「スプリングバレー・ブルワリー」からのもの。
テレビCMには、昨年の大河ドラマに主演されていた、
俳優、長谷川博己が起用されている(“麒麟:キリン”だからかな?)。
明治3年(1870)、横浜の山手、天沼で、
ウィリアム・コープランドにより、
日本初のビール醸造所「スプリングバレーブルワリー」が設立された。
このコープランドのビールは、評判が良かったけど。
共同経営者とのトラブルから、閉鎖となってしまう。
この工場の再建に、トーマス・B・グラバーらが乗り出すこととなる。
グラバーの呼びかけで、三菱財閥、岩崎弥之助ら、
9人の日本人が資本参加し、「ジャパンブルワリー」が、
明治18年(1885)に設立される
その後、ドイツの技術者らによって、
本格的なラガービールが造られることとなり。
明治21年(1888)5月に「キリンビール」が発売される。
販売は、明治屋が行うこととなった(大瓶1本、18銭)。
日清戦争以降、ビールの需要は、日本国内で急上昇していくが、
ビール業界への課税によって、
多くのビール会社が淘汰され、売却の話も出てくる。
キリンビールの成長を支えてきたという思いもあった明治屋は、
三菱に呼び掛け、明治40年(1907)2月「キリンビール株式会社」を発足。
これがキリンビール誕生の流れになる。

この横浜の山手にあった工場も、1923年の関東大震災によって全壊し、
「生麦」での生産となっている。
現在のキリンビールは、横浜周辺で印象的なビールメーカーと言うだけでなく。
日本最大級のビール会社。
原料や技術、経験に加えて、マーケティングを含めた営業戦略など。
あらゆる面で、隙のない洗練さがあり。
主力ブランドである「一番しぼり」や「キリンラガー」以外にも、
「ハートランド」などの商品もある。
(ハートランドに関する過去の記事)
近年のクラフトビール・ブームによって、
さまざまなタイプのビールが、日本でも飲めるようになってきたけど。
日本のビールのルーツは、やはり横浜(諸説あり)。
鎖国後の明治時代になってから、
外国人との文化交流地点ともなった地域ということもある。
深みのある色あいと、味わいは、悪くなく。
そこに、日本最大級のビールメーカーが、
「これぞ、クラフトビール。」などと商品を出してくれば、
他のビールメーカーは、戦々恐々としているかな。

蛇足:
東京都を含む都市に緊急事態宣言が出たけど。
この“はんぐおーば”では「路上飲み」を、断固反対!!
何故なら、疲れ切って帰宅したもの、
近所で騒がれているのは、ただ迷惑!
それに売り上げを落としながらも、
コロナ対策に苦慮している飲食店に対し、あまりにも配慮のない行為。