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酔景2016年 帰り道

長和町からの帰り道。
上田周辺を回ってみました。



(2016年9月3日に追記及び追加画像)

大河ドラマ「真田丸」の人気もあって、
街中に六文銭の旗(真田の旗)が立ち並んでいました。
戦国時代の戦支度を思わせるような光景は、かなり壮観でした。



上田駅にも、こんなものが用意されているほど。



小説「真田太平記」でも知られる池波正太郎の記念館。



真田幸村に付き従った「真田十勇士」は、創作ですけど、
こんなキャラクターも、街中に準備されていました。

また、いつか寄らせていただくつもりです。



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結末はカッコ悪く、気分最悪。誤


流行りの言葉、流行語というほどのものでもなかったけど。
一時期、よく使われていた言葉に“自己責任”というものがあった。
実のところ。
サラリーマン社会において、自己責任などという言葉は存在しない。
連帯責任となる。
だから、同僚の不始末は、他人事ではない。

(前回の続き)
業務そのものが大変なのではなく。
求められるレベルに対して、人員が伴(ともな)っていない。
業務に関わる問題が解決していないから、支障や弊害があり。
こちらの意思や都合にも関わらずに起こるトラブルも生まれる。
優先順位が高いものから、対応していかないといけないとは言え、
優先度の低いものを放置しておけば、別のトラブルの火種となる。
各事案への対応も要求されているのに
他の事業所と比較しても場当たり的な対処してきた
その弊害で、実務にあたっている社員たちの仕事が煩雑になっていた。
毎日のように就業時間をオーバーしている仕事は、
ほとんどサービス残業状態だった。
こうなると…。
「カネにもならないのに、やっていられるかよ」と、
面倒なことは、他人任せにして、電話1つとろうともせず、
それぞれの業務やシフト内でサボりや手抜きが出てくる。
これで、また負担を受ける人員が出てくる。
“職場”と“人員”。
“負担”と“不満”。
これが危ういバランスともなれば、逃げ出したくもなる。

さて、どうするか?
この仕事はできないなら…。
こっちの仕事をやって、ね。
イヤイヤ、こっちの仕事もできないよ…。
そこで、どうするのか?
他の人に2倍、働いてもらうのか?
仕事ができないのなら、給料は払わないのか?
同じように仕事ができない人間が、もう1人きたら、どうするのか?
もちろん、極端な成果主義を唱える気もないので、
職場で「出来ないヤツ」を擁護することも、ある程度は仕方がない。
しかし、やる気のない人間は、別になる。
とくに、年長者に厳しい態度をとるのは、かなりの精神的な負担。
ハッキリ言ってしまえば…、
“年寄りをイジメている”ようで、イヤな気分にもなる。

(関連する過去の記事「愚酷醜齢(中編)」)
それでも…。
新人でも、後輩だろうとも、自分の仕事は、
ちゃんとやってもらわないと、余計な負担が増えることになる。
ヘンに同情したり、干渉したりすれば、大変な目になる。
こうなると、話の落とし所として、
こちらが悪モノにならざるえないことも出てくる。

そして、3年後。
また部署移動となった。
いつも耳の痛いことばかりを言われて、
煙たがられていたと言うところだったのか?
世の中の不条理や理不尽を、
すべて正していけるだけの労力と時間など、持ち合わせてもなく。
それが個人で可能なのかも分からない。
そんなのは分かっている。
むしろ…、こんな気持ちが、まだ残っていたなんて、ね。
それが驚くことかも知れない。
(これで、一旦、おしまい)
(この記事の最初「結末はカッコ悪く、気分最悪。壱」)


追記:
社会人として仕事で得たノウハウを多くの人と共有したいという思いもある。
…と言いたいけれど。
匿名性のあるネット上は、
1人で抱えてもいられない気持ちの落としどころに都合がよかっただけかな。
<2020年7月誤字脱字訂正>
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結末はカッコ悪く、気分最悪。仕

(前回の続き)
時代劇「水戸黄門」には、“ニセの黄門様御一行”が出てくる逸話が、
毎シリーズごとにある。
ヒーローのニセモノが出てくるというエピソードは、
時代劇だけでなく、色々なドラマのシリーズ作品においても多く。
どれも楽しませてもらった記憶がある。
自分に、そっくりなヤツが悪事を働いているなどと聞けば、
荒唐無稽にも思えるけど。
これと同じようなことは、現実にも存在する。
もちろん、自分と同じ顔したニセモノが、
自分に成りすまして生活をするような非現実的なことではない。
例えば…。
販売や飲食業などのサービス業では、同じ制服を着ていることが多い。
チェーン展開している店舗なら、店の看板だって、同じデザイン。
「隣町の系列店でハンバーグを食べたお客様が病院に担ぎ込まれました!?」
「食中毒かも知れません」…となれば、当店は関係ありませんでは済まない。
職場(お店)も、格好(服装)も同じ。
名刺に刷り込まれた会社名までも同じ、
そんな職場の同僚が、身勝手で横暴なマネをしていれば、
自分もタダでは済まない。
素行の悪いマネをしている同僚(素行不良社員)は、
まさに自分のニセモノと同じ。

(関連する過去の記事↓)
「労働賛美:喚」
「労働賛美:愚」
(迷惑な新入社員の過去の記事「愚酷醜齢(前編)」)

世の中には、どうしても仲良くできない相手というのがいる。
そんな相手が、職場の”同僚”ともなると難しくなる。
それでも、自分自身の問題であれば、解決は難しくても、
対処できないわけでもない。
職場における人間関係なら、
単に好き嫌いなどの個人的な感情を抑えるくらいはできる。
問題は、相手側が自身の問題を認識せず、解決もできない場合。
自身で収拾もできないほど、顧客とのトラブルを起こしながら、
責任を感じていないようなとき。
1人でも、職場に、いい加減な仕事をするものがいると、
全員でフォローしなければ、悪い印象は拭えない。
営業やサービス業の場合は、特にそうかも知れない。
いい加減な仕事への評価は厳しく、
そして、対応も冷たいものになる。
自身の評価にもつながることだけに、
職場における人間関係は、
単に好き嫌いだけでは済まないものも少なくない。

ニセモノの存在は、何故、脅威なのか?
それは、本物(自分)の存在を貶めていくから…。
他人には、本物とニセモノの違いなど、どうでもいいこと。
本物もニセモノも、まとめて見限ってしまうだけのこと。
所詮、他人事だから、ね。

<続く:2020年7月改編>
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結末はカッコ悪く、気分最悪。参


社会的な信頼や信用と言うのは、お金では買えない。
つまり、買い戻すこともできない。


仕事場を、プライベートエリアのようにして、
他人の手が入らないようにしていた同僚が任されていた仕事を、
ほとんど処理できてもいないことが発覚し、
手遅れ寸前になったことがある。
その同僚は、ものスゴい騒ぎになっても、まだ言い訳していたけど。
それどころではなかった。
(前回の続き)
一般的な社会人であれば、「自分の仕事」が、
会社や組織を支えているという想いは、自負であり、やりがいとなる。
だから、仕事に関わる人間とウマがあうのは望ましい。
しかし…。
ある程度、生きていると、
ウマがあわない人と言うのがわかってくる。
こちらに、何も含むところがなくても、
相手が、自分とはウマがあわないと感じているのが分かってくる。
「よし、お互いにハラをわって話し合おう」などと言っても、
お互いに、すでにため込んでいるものがあり。
ハラをわったら、ドス黒いものが、吹き出しかねないときもある。



それに…。
他人を嫌うのには、十分な理由などないのかも知れない。
普段、自分が使っている座席に座っていた。
自分と同じ銘柄の煙草を吸っていた。
自分より、高級なスーツを着ていた。
…などのツマらない理由で充分なのかも知れない。
むしろ、他人との交友を築くのにこそ、理由が必要なのかも知れない。
だから、大人の世界では、色々と割り切らないといけないときもある。
目の前にいる相手に罵詈雑言、悪口雑言をブチまけるなどの行動や言動をすれば、
相手によっては、とんでもない騒ぎや状況となる。
騒ぎが飛び火すれば、誰かが火消しにまわる事態になる。
<続く:2017年4月改編>
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結末はカッコ悪く、気分最悪。弐

(前回の続き)
他人からの不信感は、最大の敵となり得る。
不安や不信感をもっていても、問題が起きないかぎり、
何が、どのように悪いのかを教えてくれることなどなく。
それに…。
「誰だって、イヤなヤツとは関わりたくもない」と言うこと。


会社への帰属意識…と言えば大ゲサな表現かもしれないけど。
営利企業で就業(所属)している以上、
会社の利益を考えて行動できるのかは、かなり大事なところ。

会社の中にいながら、社員(個人)の一員だと言う意識がないと、どうなるか?
個人、対、個人のルールはわかっても組織のルールとなると、
何故、そんなものを守らなきゃいけないのか?…となってしまう。
それが頭で分かっていても、身勝手な行動をする者は少なくない。
さらには、そういうことも考えずに会社にやって来て、
好き放題するアホウもいる。
同僚のため、自分たちで対処しようとは思わない。
ルールもない。
そんな同僚ばかりとの仕事ともなれば、かなりの負担となる。
カンのいい社内のベテランの社員は、
そんな部署への移動や配属への話など、やんわりとかわしてしまう。
そこで、素行に問題のある中途入社の社員や
親会社から出向してきている社員を、主に配属していくことになる。
大半の人員は、顧客(カストマー)からの要望を満たせるだけの対応力もなく。
ハリボテだらけのスケジュールを組んで、
実務対応できる人員を、なんとか整えるのが精一杯となり。
自浄能力も欠如した職場になる。
「信じる者」と書いて、「儲け」と読む。
商売人でなくても、どこかうれしい言葉だ。

日常的なことだけに意識できていない人間も少なくないけど。
会社などの職場での人間関係は、学生時代と違って、利害が絡む。
多くの人は、生活のため、お金が必要なのが分かっている。
お金の動く契約や仕事は、多くの雇用を生み。
多くの生活を支えていく。
それだけに、お金を生み出すシステムには多くの意思が絡む。
顧客と営業。
電機や清掃などの管理会社。
納品や引き取りに来る搬入出業者。
いずれもが、売り手と買い手であり。
その日の生活だけでなく。
社会的な信用や信頼にも関わってくる。
矛盾するようだが、営利を目的した組織が、
利益だけを追求したシステムになれば、いずれは顧客や契約を失う。
人間同士のつながりは、”信頼”と”情”で成り立ち。
プロセスやモラルよりも、システム的に結果(利益)だけを求めれば
”情”が置き去りになり”信頼”は、揺らぐ。
それだけに仕事で関わる人間ほど、油断してはいけないのだけど、ね。
<続く:2020年7月誤字脱字訂正>
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