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聖者に肖る(あやかる)消費社会、だから、ブウたれる!?


以前にも記したけど…。
婚姻が認められない出兵前の兵士と、恋人のため、
秘密裏に婚姻の儀式を行った聖バレンタインという、
司祭(キリスト教の聖人)に由来する、
2月14日の、バレンタインデーが近付くと…。
この国では、チョコレートの売り上げが伸びてくる。

これは、お菓子メーカーが外来文化に便乗した企業戦略だったもの。
そんな慣習(とも行事)だったものが、
アニメ(ジャパニメーション)やコミック(MANGA)の影響によって、
近年では、世界中でチョコレートの売り上げを伸ばしているらしく。
今や、バレンタイン司祭がチョコレートの守護聖人となっていることを、
主、イエスキリストが知れば、激怒するかも知れない(?)。


(こちらの画像は、10年ほど前のもの。)

かつて、主、イエスキリストが、一度だけ激怒したことがある!!
それは、欲にまみれた商人を蹴散らせたときであり。
これは、ちゃんと聖書にも記されている。


もう10年ほど前になってしまうけど。
東京のローカルテレビ局、TOKYO 〇Xでは、
映画評論家の〇山智浩がチョイスした、
日本未公開のドキュメンタリー映画をオンエアしていたときがあった。
その1つである映画「買物やめろ教会」において、
ビル・タレン(ビリー牧師)が言っていたのが、前述の言葉になる。
考えてみれば…。
欧州(ヨーロッパ)から、新大陸アメリカへと移民してきた人たちは・・・。
「腐敗したバチカンでなく、聖書に従え」という、
宗教改革の影響も受けた人たちが多く。
現在でも、プロテスタントから派生した福音派らが大多数を占めながら、
社会に還元されることもない消費活動を、エラい人たちが諫めることもなく。
格差が拡がるような状況が黙認されている。
日本では、クリスマスだけでなく、2月のバレンタインデーまで、
商業主義にまみれており。
こんな状況が、主、イエスキリストや、
ビル・タレン(ビリー牧師)に知られたら、
(本当に)激怒するどころか、バチでもありそうなところかな(?)。




蛇足:
チョコレート菓子のキットカットや
インスタントコーヒー(フリーズドライコーヒー)のネスカフェなどで、
知られるネスレは、1866年、スイスで誕生しており。
誰もが知る世界最大手企業で、食品・飲料売上高、世界一になる。
近年は、カフェインレスコーヒーなどのマーケットも開拓している。
日本法人であるネスレ日本も、100年以上の歴史がある老舗になる。
スイスの人々は、世界の中でチョコレートを、たくさん食べており。
2018年、スイスでの1人当たりのチョコレートの年間消費量は、
9.7kgとあり、世界第一位とある。
「Have a break, have a KITKAT」という、
世界共通のCMスローガンでも印象的なチョコレート“キットカット”。
日本では「きっと、勝っとお!」という九州弁の語呂合わせから、
受験シーズンである1、2月頃、九州地方での売り上げが伸び。
その話が知られていったことから、
現在では、全国的に受験シーズンを象徴するものとなっていると聞く。

この時期には、イヤな思い出があり。
関連する過去の記事「チョコレートは空箱の思い出」
複雑な気分になるところだけど、
頑張っている方々には報われて欲しいところです。
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中二病もどきの二千年


古代ヘブライ語で記された”少女”という言葉が、
“処女”と誤訳されたことから、
聖母は、処女のまま妊娠したと伝えられていくこととなった・・・というのは、
映画「スナッチ」での冒頭シーンだけど。
現実的には、処女のまま、受胎することなどなく。
昨今、謂われる中二病、
「自分の物語に浸ったまま、その主人公を演じている病気(?)」じみており。
チープなファンタージと同レベルの妄言にしか思えない。

・・・と言えば、キリスト教の福音派(原理主義者)らによって、
家に火をつけられそうかな?



以前に記したけど。
ツリーのイルミネーションは、
宗教改革で知られるマルティン・ルターが発想したと聞く(諸説あり)。

学校の教科書でも知られる宗教改革によって、
キリスト教は、カトリックとプロテスタントとに分かれることとなり。
(正確には、その前に、カトリックと正教会とに分かれている。⇒)
キリスト教のプロテスタントから派生したものには、
福音派と呼ばれるものを、いくつか生み出していく。
福音派とは、キリスト教の原理主義とも言われていたこともあり、
聖書への原点回帰を主張する、宗教右派になる。
キリスト教と世界史とのことを、ちゃんと勉強してこなかったこともあり。
「キリスト教、原理主義者(福音派)は、
宗教改革を行なったルターのことを、どのように捉えているのだろうか?」
・・・と、考えたことがあり。
ずっと、気になっていたところ。
あるテレビ番組を見ることがあった(その受け売りとなってしまうけど・・・)。
キリスト教、福音派と呼ばれるものは、
ルター派からは、あまり生まれることはなく。
カルヴァン派から、多くのものが生まれていったとのこと。
・・・以上(?)。

小中学校の授業で習うような、数百年も前のことが、
現在も、影響しているのだから、困ったところです。

<キリスト教福音派に関連する過去の記事⇒>
「ジーザスキャンプ(前編)までの感想」




追記:
キリスト教が支配する中世という時代は、哲学は神学に準ずるものだった。
彼らの感覚は、現代人と異なるのかも知れない。

“神のもとでは、すべての人間は等しい存在である”と、
キリスト教の聖書にはある。
そんなキリスト教文化が根付いている欧米の社会から、
奴隷制度が廃止されるには、数百年も必要とされた。
奴隷は、所有物でなく、人間だと抗議することは、
奴隷の劣等さが、主張されることで反撃されたとも聞く。

「“彼らは人間ではない“だから、教義に反していない」という詭弁が、
まかり通っていたということであり。
人の痛みが分からない相手には、道徳や倫理などが、
どれほどの意味をもつのだろうか?
そう考えてしまうことは、今でもある。
そして、差別は、現在においても存在するのだから、
人間って、ほ・ん・と・うに、業の深い生き物なの、ね。
(困ったものです。)
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聖書と、教科書、辞書に記されていること


遠い昔から、現在にまで伝えられてきた宗教や文化は、
最初から、教義や伝承のスタイルが完成されてもなく。
多くの“もの”が取り込まれてきている。

例えば…、
キリスト教文化の影響を無視できないクリスマスだけど…。
イエス・キリストの生誕の日でもなく。
本当は、人々の記憶から忘れ去られていった宗教などから、
その教義や伝承を取り込んできたものの1つだとも言われている。

キリスト教と言えば、カトリックとプロテスタントの2派だけにも、
思えてしまうときもあるけど。
ギリシャ正教やロシア正教(この2つの正教は、同じ派に属する)もあり。
学生時代、これらのゴチャゴチャとした経緯(いきさつ)は、
ちゃんと理解できていなかった。
まあ・・・、
世界的な宗教ともなれば、
その歴史は、か~な~り~、面倒臭い(本当)。

まず、4世紀末、ローマ帝国は、東西に分かれ、
その後、西ローマ帝国は滅亡し、
東ローマ帝国は、港町の名前から、ビザンツ帝国と呼ばれることとなる。
このビザンツ帝国の皇帝が・・・。
8世紀、「キリストは神であり、」
「神の姿を人間のように表現するのは許されない」と、
“聖像”を崇めることを禁止する(聖像崇拝禁止令)。

この聖像崇拝禁止令に対して、
西ヨーロッパで勢力を広げていたローマ教会は、反発する。
ビザンツ帝国の皇帝の話は、もっともに思えるけど、
西側には文字の読めない人が多く。
現実に即していなかった。
これが発端(引き金)となり。
11世紀には、西のローマカトリック教会と、
東のギリシャ正教会とで分裂してしまう。



頭の悪い子供だったこともあり・・・。
西ローマ帝国が滅んで、東ローマ(ビザンツ帝国)が、
西のローマ教会と対立したなど聞かされれば、
ちょっと混乱したようにも記憶している。

しかも、今度は、ビザンツ帝国(東のギリシャ正教会)が、
オスマン帝国によって滅ぼされてしまったのだけど。
15世紀末、ビザンツ帝国最後の皇帝の姪と結婚したことから、
ビザンツ帝国の後継を自称する君主、モスクワ大公国のイヴァン3世が現れる。

イヴァン3世は、自ら、皇帝を意味するツァーリを名乗り。
代々の君主も、この称号を名乗るようになる。
このモスクワ大公国は、17世紀から18世紀にかけて領土を拡げ、
国の名を、ロシア帝国と改める。




ローマの国教だったキリスト教が、正教とカトリックへと分裂し、
国がなくなれば、今度は、皇帝(ツァーリ)を名乗るものによって、
別の国に引き継がれ、極東周辺にまで、領土をもった巨大な国家になっていく。
そんな国が、近代では、ロシア革命によって、
社会主義の国家になったのだから、世界中も動揺したかと思われる。
世界が、アメリカ合衆国とソヴィエト連邦という2つの超大国によって、
西側諸国と、東側諸国に分かれていた東西冷戦の時代を知る身ではあるもの。
キリスト教の歴史と権威が、
ロシアの建国と、深く関わっていることを理解してなく。
歴史的な背景が、国家間や人々に影響してきたものについて、
考えさせられてしまう。

追記:

今から、50年前の、1971年9月に、カップヌードルが発売となり。
その30年後の、2001年10月、AppleのiPodが発売されている。
・・・では、今から、30年前の1991年12月26日は?
答えは、ソヴィエト連邦の解体。
そして、今年は、ロシアの文豪ドストエフスキーの生誕から、
200年目となる。


歴史や社会の本を読んでいるとき、
実体こそないもの、神の存在を感じるときがある。
「“神”の存在を感じる!!」などと言えば、
神秘的(カルトやスピリチュアル的)な印象を受けるかも知れないけど。

ここで言いたいのは、人間の存在を超えたものを感じるという意味であり。
その“人間以上の存在”と意思疎通ができるかは、別のこと。
それに、そのような“存在”に意思や自我があるかも分からない。
そう考えてしまえば、人々の苦しみや痛みから救って(助けて)くれ!・・・と、
神様に、お願いするのは、見当違いなのだろうか?
ちなみに、“祈る”ことと、“願う”ことは、別のこと。
これは、聖書でなく、辞書に記されていることだけど、ね・・・。
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転移行動と中二病、されど我は問う?


動物学の話だったかな?
「転移行動」というものを聞いたことがある。

鳥が、自分のナワバリを、別の鳥に力ずくで奪われたりすると、
地面などへの攻撃を行なうことがあるらしい。
ハッキリ言えば、単なる八つ当たり。
傷ついた自分の痛みを、別のものに与える(ぶつける)ことで、
精神的に安定しようとする。
もちろん、これは、鳥に限ったことではなく。
他の動物にも言えること。
例えば、人間は、受験勉強や資格試験で覚えないといけない場合がある。
そこで学習し、優秀な講師からも説明を受けてみる。
しかし、どうにも理解できない
自分自身に理解する能力がないとは、
自尊心(プライド)が傷つくので、思いたくはない。
そこで、人間が選択する心理には、
「こんな事とは、別に、スゴイ事ができる」、
「こんな勉強は役に立たない!」など、逃げ道を探す。
だけど、生活上、必要な技能であり、逃げ道もない状況だと。
現実的な対象が必要になる。
「私が理解できないのは、バカだからじゃない!教え方が悪いからだ!」
…と、他人のせいにする。





自分には理解できない事象や現象を前にしたとき、
「自分には理解力がない(自分はバカだ!)」と思いたくない人間は、
「事実を無視したい」「自分たちにとって事実を歪曲したい」という、
感情的な転移行動を行う。
もちろん、こんなのは身勝手な思い違い。

その上、オカルトじみた発想にでも取りつかれてしまえば、
「あなた方は、私の言葉を理解できない愚か者どもとは違うのです!」と、
オカしな宗教団体へとハマっていく…と言えば、偏見が過ぎるかな?

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自由研究は見えるところから?:夏休みの宿題忘れは、怪談より怖し?


多くの人には見えているものでも、自分には見えないもの。
自分には見えているのに、他人には見えないもの。
自分が見ている世界(もの)と現実とでは、ズレがあるのかも知れない。
こんな話を、子供たちの夏休みが終わる時期にすれば、
怪談話かオカルトにも思えるけど。
個人の主観が、客観的な事実とは異なることがあるということ。
さて・・・。
人間に限らず、視覚というものは、
目に入ってくる光から、空間や物体を認識する感覚。
“光を感じとる”感覚ということ。

それは、物質、そのものが“光”を発しているのでもなく。
物質に照射されている“光”の反射から、物質を認識している。
光に対する学説は、色々あるけど。
光は、宇宙線、ガンマ線、マイクロ波、電波など、
電磁波の仲間であると(も)言われている。
人間が視覚的に認識できる波長は、380nm~780nmになり。
太陽光は、屈折率の異なる7つの色の光から構成されている。
これは万有引力の発見で知られるアイザック・ニュートンが、
天体望遠鏡のプリズムの光が分かれたことで発見する(1666年)。
(ニュートンと万有引力に関する過去の記事「空の下、地の上」 ⇒)
それから、およそ150年後、ウィリアム・ハーシェルによって、
赤外線が解明される。
さらに、ヨハン・リッターが紫外線の存在を証明していく。


※夕空が赤く見えるのは、赤色の光の波長の長さによるもの。

子供の頃、科学の授業で習った話では…。
水のような液体が入ったコップに、光(光線)が入るとき、
水面との角度に対して、ズレが生じる「屈折」と呼ばれる現象が起きる。
この光の方向変更、屈折する角度(屈折率)は、色ごとに異なる。
ちなみに雨上がりの空にできる虹も、自然界における光の屈折現象の1つ。
もう少し説明をするなら…。
太陽光は波長域の異なる複数の光で構成されているから、
異なる波長ごとに屈折する角度(屈折率)が分解されるような状態となる。
長波長 ⇒赤 波が長いから、長波長。
中波長 ⇒緑~黄
短波長 ⇒紫~青
だから、虹の外側の色は、波長の長い“赤”が、長いカーブを描き、
内側は、波長域の短い色(青)へと形成されていく。

この波長の短い紫の光の外に、存在するのが「紫外線」。
(殺菌、熱を冷ます効果もある。)
「赤外線」は、反対に、波長の長い赤の光の外に、存在するものになる。
※通常、「赤外線」も「紫外線」ともに、人間には視認できない。

蛇足:
“色目で見る”とも言われるせいか?
日本人と欧米人とでは「目の色が違う」ために、
色の見え方が異なると言う“俗説”があるけど。
日本人と欧米人との目の色が異なるのは、
眼球内の遮光膜、「虹彩」の色が異なるため。
虹彩は、色が異なっても、光を通さないので、この俗説は間違っている。
所詮、“俗説”でしかないということ(?)。



ブックマーク登録しているブログによると・・・。
空気(酸素や窒素)が、目に見えないのは、
可視光線が吸収されないためだからとのこと。
空気が見えるときは、余分なものが含まれている。
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