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下手の横好き、きまぐれ工作。


数年前、アクリル板を、まとめて入手できたこともあり。
“何かに使えるだろう”と思って、
部屋の隅に置いたままにしていた。
“勿体無い”も過ぎれば、ゴミの山。
ちょっとした気まぐれから、適当にカットしてみることにした。
それほど考えているものもなく。
まず、ある程度の大きさの箱状(ボックス)に組んでいくことにした。
アクリル専用のカッターを用いてカットしていくうちに、
どのようなものが製作できそうなのかも分かっていく。
このアクリル板には厚みもなく、
強度的に、あまり大きなものは難しそうだった。
そこまで作業してから、自分の迂闊さに気付いた。
透明なアクリル板は、数ミリ単位であっても、
カットしたアクリル板同士のズレが、目立つものであり。
しかも、アクリル板に限らず、1mm単位での小さなズレというものは、
案外、調整が難しい。
不用意に切り出したことから、形状や大きさが限られることになった。
まず切り出すのではなく、方眼紙などに採寸してから、
何を作れるのか考えるべきだった。



今回、製作したアクリル板のケースは、利用目的に明確なものもなく。
今後、目的に応じて、形状や大きさが調整できるように、
ネジ穴をドリルで設け、ビスとナットで留めてある。




単なる工具として扱っていると忘れそうになるけど、
丸い穴をキレいにあけるドリルは、
回転軸の内側へと刃が付いた刃物の一種になり。

刃が消耗してくれば、穴を開ける性能も劣っていくことになる。
複雑で独特な形状をしていることから、
刃を研ぎ直すのは、かなり難しそうだけど。
見ル野英司「シブすぎ技術に男泣き」でも、
ドリルの刃を、研ぎ直す描写があり。
専用の工具も存在する。
(関連する過去の記事「職人ワザ?:「シブすぎ技術に男泣き!」」)
このような形状をした硬い金属の工具が生み出されるまで、
どのような労力と技術が用いられてきたのかを考え、
ちょっとスゴいものを感じたときでもありました。

似たような過去の記事⇒「ピタゴラスな気分」
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敵を知らず、己も分からず、ただ敗北を知る。


著名人や有名人の言葉だったのかな?
「平和とは、戦争と戦争の間の準備期間である」と聞いたことがある。
歴史は、戦乱の記録と記憶から、無縁でいられないところもあるけど。
誰が言ったのだろうか?
Googleで調べてみたところ。
アンブローズ・ビアスの「悪魔の辞典」からの言葉らしい。
創作小説などに出てくる架空の人物の言葉とも思っていたので、
しばらく、何も思いつかないまま、PCの画面を見つめていた。
平和が、戦争の“おこぼれ”のようにも聞こえ、やはり好きになれない。
戦争について、強く意識させられる時期でもあり。
ちょっと思い出したことを記しておくことにした。



太平洋戦争の開戦前、旧日本軍(海軍)の兵器開発部において、
電波を用いて、物体を探知できる装置、レーダーが提案されたとき。
「闇夜に提灯を点けるようなものだ!」
(敵に居所を伝えるようなものだ!)」と、一蹴されてしまったと聞く。

ざっくりとした説明になるけど、
レーダーは、電波を照射(送信)して、
その電波の反射状況から、遠方の状態を探知する装置であり。
現在では、気象庁などでもレーダーが用いられ、
雨雲をモニターすることで、正確性のある天気予報を可能としている。
戦場でなら、夜間など視界のきかない状態においても、
敵の艦船や航空機を、遠方から発見できるものになる。
反面、相手側にもレーダーがあれば、
こちらの電波がモニターされることにもなり。
旧日本軍のエラい人たちの認識は、それほど間違ってなかったとも言えるが…。
“敵を探知する装置が、兵器になる”という発想に至らなかったのが、
本当のところだった。
一方、同じ頃の欧米諸国では、
レーダーに用いる指向性のあるアンテナの開発で、頭を悩ませており。
そんなとき、日本人の発明した「八木アンテナ」を知り。
それが用いられてしまったという話を聞いたことがある。
これらの話は、多少、誇張されているもの。
日本(母国)で評価されることもなかった技術を世界が認め、
それが(敵側に)多大な戦果を生み出したのだから、皮肉としか思えない。

当時の人たちは、戦争について、
それなりに真剣に考えていたのであろうとは思う。
ただ発想が脆弱だった。
戦争の主力兵器は、艦船から、航空戦力へと移行していたが、
それに、旧日本軍のエラい人たちは追いつけなかったのだとは、
よく言われている。
しかし、他にも、多くの問題があったのが感じられる話でもある。




補足:
テレビ用のアンテナなどでも用いられている「八木アンテナ」は、
細長い金属の棒を軸にして、垂直に、大小の金属棒が並んだものとなる。
電波の送受信において必要となるアンテナは、
周波数や出力などによって、形状や大きさも変わってくるけど。
テレビ番組の視聴を目的としたアンテナの場合、
形状や大きさも、ある程度、同じようなものとなる。
八木アンテナの形状は、どこか魚の骨を思わせることもあり。
子どもの頃、家屋や建物の屋上にあるテレビのアンテナを、
不思議な感覚で眺めていたように覚えています。



追記:
アニメ「機動戦士ガンダム」では、レーダーを阻害するミノフスキー粒子が、
発見されたという世界観から物語が構成されている。
宇宙空間でのロボット兵器による白兵戦など、
レーダーの発達した時代においては、あまり効果的な戦術でもなく。
どんなに強力な兵装を施された部隊であっても、
強力な火器やミサイルで迎撃できてしまう。
そこで、アニメの制作現場が、
ひねり出した設定がミノフスキー粒子だったとのこと。
太平洋戦争以降の日本は被爆国でもあり、
その後の世界的な核軍備強化ばかりに意識を奪われがちだけど。
レーダーの兵器転用は、戦争を、それまでのものから大きく変えている。
もちろんレーダーは、軍事以外においても重要なものであり。
航空機などが安全な離発着できるのも、レーダー技術の存在が大きい。
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眠れない夜の夢と、おまじない


夢の狭間(はざま)などと記せば、
幻想的で美しくも聞こえるけど。

精神分析学者、ジークムント・フロイト(1856~1939)は、
「夢には、すべて意味がある」と考え、
“夢”を科学的な視点で研究したことでも知られている。

1950年代、睡眠中、およそ90分毎に起きるレム睡眠が発見され、
「夢は私たちの無意識の表れであり、
夢を解釈すれば、患者を理解できる」と考えたフロイトの学説は、
現在では科学的理論として、多くの批判にさらされている。
しかし、睡眠と夢、脳の活動状況などの関連性には、
解明されていないところもあり。
夢や睡眠を学問の対象としたことは大きな功績だとも聞いている。


(これは以前の記事からの画像)

蛇足:
羊が1匹、羊が2匹…というのは、
子供が眠れないときの“おまじない”。
これは、羊(シープ)と眠り(スリープ)との語感が、
似ていることからだと聞く。
古くから、“眠り”が暗示させるものには、「死」や「沈黙」もあり。
“羊”という言葉への“含み”となっているときもある。
この“おまじない”で眠れないのも、仕方がないところかな?


(これは夢かな?)
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撮影手段は試行錯誤、いまだ迷走中!?


1週間ほど前、ブックマーク登録しているブログ上において、
運転中の車内から見えた光景に刺激され、
停車して、道路上からカメラ撮影したもの、
どうにも印象が違うというものがあった。
これと、似たような経験もあったことから、色々なコメントを考えたもの。
どうにも、まとまりませんでした。
カメラの画像では…、
ほとんど同じ条件、状況で、撮影された画像でも、
その印象が異なることも多く。
運転手の視点でとらえる車内からの光景と、
道路上からの歩行者の視点が、同じ雰囲気にならないのは、
仕方のないときもある。
そこで、運転席の隣である助手席に三脚を固定して、
撮影すれば、かなりの画像が撮れそうだけど。



自動車の教習所などでは、運転中には進行方向に目線を向けることを、
徹底して指導される。
これは、多くの場合、運転者は目線へと車体を誘導するからであり。

運転中、カメラを隣に置き、煩雑な操作をするのは、かなり危険な行為。
さらに三脚が倒れて、足元にでも転がれば、
どんな悲惨な事態になるかは、想像もしたくないところ。
こんなときに便利なのが、スマートフォンやタブレット用の吸盤式マウント。
これを助手席側で、視界の外側(邪魔にならない)の位置に固定して、
リモコンでシャッター操作する。
ただしスマートフォンの場合、消費電力を抑えるため、
画面が、一定時間で落ちてしまう。
まだまだ工夫が必要になる。
そう言えば、吸盤式のマウントには、カメラ用のネジになっているものもあり。
リモコン操作できるデジカメを用いれば、具合が良さそうにも思える。
ちなみに、2019年9月に、長和町へと向かう車内で撮った画像は、
スマートフォンを用いて、上記のやり方で撮影したのですが…。
カーナビに加えて、スマートフォンの画面が、目線に入ることで、
集中力が削がれることから、静止画撮影を断念。
(死にたくありませんので…。)
動画撮影したまま、静止画として切り取ったものになります。
…と、あまり、お勧めできないのが、実情です。


<これが、記事内容の(以前に用いた)画像>

便利な機能を搭載したドライビングレコーダーなどもあると聞きますけど。
勝手が分からないため、なかなか良い手段が思いつかないまま。
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レトロメディアとノスタルジックな気分


ちょっと前の雑誌に読んでいたところ。
興味深い記事があった。
1877年に発明王と呼ばれたエジソンは、
円筒式のフォノグラム(蓄音機)で、
世界初の音声記録と再生装置を実用化させている。
その後、1887年には、ドイツのエミール・ベルリナーが
円盤式のグラモフォンを発明する。
単純に考えても、円盤式は円筒式と比べて、
収納しやすいなどの利点もあり。
その後の市場争いでは円盤式に軍配が上がることとなる。
これが初期のレコード盤になるとのことだった。
天才的な発明者として知られるエジソンだが…。
同時代の発明者との諍いも絶えなかった人物であったことは、
あまり知られていない。
「天才とは、99%の努力と1%の才能(もしくは、“ひらめき”)」は、
エジソンの名言とも知られている。
しかし、この言葉は(美談として)誤解されているところもある。

何故なら、“努力では100%にはなれない”という意味も含んでおり。
そのため、エジソンとの確執があったニコラ・テスラは、
この言葉を皮肉ったとも言われている。



さて、30分ほどの収録ができるLP盤が開発されるまで、
レコード盤の収録時間は3~5分程度であり、
ポピュラー音楽は、3分以内という制約もあったと聞く。
CD初期の最大収録時間(12cm、74分42秒)は、
ベートーヴェンの交響曲第九番の収録を考えてのものとも聞く。
現在のスマートフォンやミュージックプレイヤーなら、
CD(コンパクトディスク)に換算して、
数10枚分になる楽曲数(音源)を持ち歩ける。
それほど音源にこだわりもない身には、
円盤式のレコードはレトロメディアにすぎないけど。
やはりノスタルジックで、どこか味わい深い。


2021年8月画像追加:
画像は、東京駅前の郵便局「KITTE」にあった、
インターメディアテクの展示物(写真撮影可能エリアのもの)。


追記:
こんな記事をアップしておきながら…。
古いCDプレイヤーとVHSビデオテープを処分することにしました。
日々の生活での思い出や思い入れがあっても、
待ってくれないのも日常生活というもの。
残念ではあっても、仕方のないところです。
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