数年前、アクリル板を、まとめて入手できたこともあり。
“何かに使えるだろう”と思って、
部屋の隅に置いたままにしていた。
“勿体無い”も過ぎれば、ゴミの山。
ちょっとした気まぐれから、適当にカットしてみることにした。
それほど考えているものもなく。
まず、ある程度の大きさの箱状(ボックス)に組んでいくことにした。
アクリル専用のカッターを用いてカットしていくうちに、
どのようなものが製作できそうなのかも分かっていく。
このアクリル板には厚みもなく、
強度的に、あまり大きなものは難しそうだった。
そこまで作業してから、自分の迂闊さに気付いた。
透明なアクリル板は、数ミリ単位であっても、
カットしたアクリル板同士のズレが、目立つものであり。
しかも、アクリル板に限らず、1mm単位での小さなズレというものは、
案外、調整が難しい。
不用意に切り出したことから、形状や大きさが限られることになった。
まず切り出すのではなく、方眼紙などに採寸してから、
何を作れるのか考えるべきだった。

今回、製作したアクリル板のケースは、利用目的に明確なものもなく。
今後、目的に応じて、形状や大きさが調整できるように、
ネジ穴をドリルで設け、ビスとナットで留めてある。

単なる工具として扱っていると忘れそうになるけど、
丸い穴をキレいにあけるドリルは、
回転軸の内側へと刃が付いた刃物の一種になり。
刃が消耗してくれば、穴を開ける性能も劣っていくことになる。
複雑で独特な形状をしていることから、
刃を研ぎ直すのは、かなり難しそうだけど。
見ル野英司「シブすぎ技術に男泣き」でも、
ドリルの刃を、研ぎ直す描写があり。
専用の工具も存在する。
(関連する過去の記事「職人ワザ?:「シブすぎ技術に男泣き!」」)
このような形状をした硬い金属の工具が生み出されるまで、
どのような労力と技術が用いられてきたのかを考え、
ちょっとスゴいものを感じたときでもありました。
似たような過去の記事⇒「ピタゴラスな気分」