7月16日
実は、一週間前に九州の家に戻ってきていた。
つまり、前回の北海道の記事は、この九州の家で書いていたのだ。
そして次の日から、この九州の家での用事と仕事が待っていた。
幾つかの業務作業を片付けていくのは当然のことだが、庭の手入れ修理などもやらなければならないし、まず何より先にやるべきことは、毎年の年中行事になっている庭のブンゴウメの実の収穫と、そのジャムづくりである。
しかし、今年は帰ってくるのが遅かったから、すでに足の踏み場もないほどに、あちこちにウメの実が散らばっていて、その大半が傷み始めていて、コバエも寄ってきていて、何ともひどい惨状を呈していた。
それはもう何日も前から落ちていたものらしく、ウメの実は熟れた後傷がつくと(落ちる時や、虫や鳥たちについばまれて)、そこからすぐに腐ってきてしまうので、一日も早い収穫が必要なのに。
ともかく、それでも半分ぐらい傷んでいるものも含めて、使えるものがバケツ一杯分はあったのだが、その一方で、何とも残念なのは、捨てるしかない傷んだウメの実だけでもバケツ2杯分以上もあったということだ。
さらにその後も、毎日数十個ものウメの実が新たに落ちて来ていて、半分は痛んだものだから使えないにしても、ジャムにするには十分すぎる量になる。
今年は、春先きの花の咲き具合を見て、さらには一年前が不作だったから、今年は豊作の年になるだろうとは思っていたのだが。
写真(下)にある通り、丸ごときれいなウメと何とか使えるウメの実とを一緒にして、まず水洗いをした後、一個ずつ種を除いて果肉だけを切り取って行く。
前までは、使えるウメの実だけをそのまま鍋に入れて煮て、その後でまだ熱いいナベの中から種だけを取って、果肉を新たに煮ては皮もすりつぶし、砂糖を加えてことこと煮詰めていたのだが、今回からは最初からその余分なウメの種はもうとってあるから、いくらか皮も残した果肉だけををミキサーにかけて細かくして、あとはそこに水も加えず砂糖を加えて煮詰めていくことにした。
ジャムとしては、砂糖を多めに入れたほうが腐らずにいいのだが、私は甘すぎるジャムは苦手で、少なめにしているのだが、それでも煮沸(しゃふつ)消毒したビンに詰めて、冷蔵庫に入れておけば、5年どころか10年ぐらいでも平気なのだが。
もっともそれは、地面に落ちたものでもそのゴミを払っただけで口に入れていた、私の子どものころの体験から来ているのであって、多少傷んだものを食べても腹をこわすことはないと、自分で思っているだけのことだが。
ありていに言えば、賞味期限切れ一二か月は当たり前で、缶詰の5年前賞味期限切れのものも食べたことがあるくらいだ。
それは、何より母が強い胃を持った子供に産んでくれて、さらには、子ども時代にあの汚い非衛生的な環境に放置しておいくれたからだと感謝しているのだが。人間、何が幸いするかわからない。
そうして汗だくになって作ったジャムは、大ビン2本に小ビンから中びん4個、さらにはこの後も大びん2個は作れると思っているのだが、それにしてもバケツで捨てた傷んだウメの実は、作ったジャムの二倍以上もあり、バケツ4杯余り、ああ痛ましや。
それで、ジャムづくりに一区切りつけて、足慣らしに九重の山に行ってきた。
前回の帯広近郊の金竜山のハイキングを別にすれば、何と3か月ぶりも間が空いた山になるのだ。
さて、家を出るのが遅くなり、牧ノ戸峠の駐車場(1330m)に着いたのは6時半過ぎだった。
夏の登山は、昼間の暑い時間帯を避けるために、夜明け前に登山口や山小屋を出発しもいいくらいなのだが。
駐車場に停まっているクルマは十数台くらいで、その後登山道で会う人たちもぽつりぽつりといった感じで、ミヤマキリシマが終わった後の九重の山は、夏にかけて静かな山歩きを楽しむことができるのだ。
ところで、歩き出した駐車場から沓掛山の前峰までの舗装された遊歩道の周りには、今や鮮やかな紫色のアザミの花があちこちに咲いていて、そこに多くのチョウたち、ウラギンヒョウモンやアサギマダラが、いつもの年よりは多くわんさかと群れて花々にとまっていた。
今年はウメの実が豊作だったように、チョウたちにとっても当たり年だったのだろうか。
これらのチョウたちは、結局このあたりだけでなく、尾根から頂上に至るまで見ることができた。
もし本気でこのアサギマダラのいい写真を撮りたければ、この辺りで待ってみればいいのだろうが、しかし、歩くことが目的である私には、そうのんびりともしていられなかった。
それでも、通りすがりに撮った写真だけでも何枚もあり、上の写真はちょうど一つの花に二匹がとまっていた時のものである。
このアサギマダラは他のチョウたちと比べれば、そう人間たちを恐れるふうもなく、ただふわふわと飛んでいくさまが優雅でもあって、私の好きなチョウの一つであるが、とてもあの海を越えて渡りをするチョウとは思えないくらいだ。
久しぶりの登山で縦走路を扇ヶ鼻分岐まで行って、そこからあの星生山(ほっしょうざん)南尾根の急坂に取り付いて、展望の開けた尾根道をたどり、ようやく星生山山頂(1762m)に着いた。
コースタイム2時間ほどの所を何と4時間近くもかかっていた。(写真下、星生山から久住山、手前の急斜面の茶色のうねりは、枯れたミヤマキリシマの花の跡)
さもありなん、水分補給のために30分ごとに休んだだけでなく、途中の花々、白いノリウツギやヤマブキショウマにシライトソウやオカトラノオ、さらに紫のヤマアジサイにマツムシソウと写真を撮って行ったからでもあるが。
さらに他には、稜線のコケモモは実が小さすぎるものの、もう半分くらいは赤く色づいていた。
ただ、あの豪華絢爛(けんらん)に九重の山を彩るミヤマキリシマの時期はとっくに終わっていて、一輪の花さえなかった。
途中ガスがかかる時もあったが、それもかえって涼しくってちょうどよいと思ったくらいだが、やがてそのガスも取れてきて、申し分のない夏の青空が広がっていた。
ここも他に一人がいるだけの静かな山だった。山はいいなあ。
久しぶりの登山にしては長くなるが、その先の岩稜帯を星生崎まで行って、急坂を久住分れの小屋にまで下りて行き、再び星生崎下のいつものもの見晴台の所まで登り返して、あとは平坦な西千里の道をたどって戻って行った。
すると南側の山の間から、一機のヘリコプターが飛んできて、先の縦走路の上で長い間ホバリングをしていた。
そして、ヘリコプターが搬送するために飛んで行った後、そのあとに、仲間の人たちや救急隊員たちがいたので聞いてみると、救助されたその人は、この上り坂で転んで頭を打ってしまいその後にはイビキまでかき始めたので、仲間が緊急救助の要請したとのことだった。
本人はもちろんのこと、仲間にとっても予測できない事態だったのだろうが、思えば決して他人事ではない、明日はわが身の遭難事件だったのだ。
暑い日差しが照りつけるその縦走路をたどり、12時過ぎに駐車場まで戻ってきた。
コースタイムで言えば2倍近くかかっているが、疲労困憊(こんぱい)しての登山ではなく、休み休みの夏の山歩きには適度な時間だったのだろう。
家に戻って、すぐにお風呂にぬるま湯を張ってゆっくりと浸かった、あー極楽極楽。
しかしその後、クーラーにあたりながら横になってうとうとして目を覚ましたところ、下半身が硬直して痛くて動けない。
脚がつってしまったのだ。動かすたびに七転八倒の苦しみで、このままではだめだと無理して立ち上がり、痛みをこらえて歩き回っていたら、何とか回復したのだが。
そしてさらに厄介なことが起きてしまった。
この2年は、天気が良くなかったり、さらにはひざを痛めていたりして、内地遠征の山旅を中止する羽目になっていたのだが、今年こそはと準備してきたのに、何と冷房つけっぱなしで寝たのが悪かったのか、すっかり体調を崩して、体がだるく熱も出て、昨日は一日中寝ていたのだが、今日はこのブログを書くために午後から無理して起きて、何とかここまで書いてきたのだ。
そして、これからも天気が良くて山日和の天気が続くというのに、この病み上がりの体では、とても山に行く気力も起きないし、ましてや、あの縦走の山小屋泊まりの山旅などできるはずもないのだ。
これは、年だからもう山には行くなというお告げなのか。
この度の西日本豪雨被害の人たちが、汗を流して自宅復旧に精を出しているというのに、おまえはぜいたく言って山に登っていていいのか。
ジョー、おまえの明日はどっちだ。