ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

7月にストーヴ

2018-07-09 22:33:12 | Weblog



 7月9日

 寒い!。
 この数日、朝夕の短い間だけれども、ポータブル・灯油ストーヴに火をつけて暖をとっている。 
 7月ももう半ばになろうかというのに。
 この数日の気温は、朝は7℃から9℃で日中にも10℃から14℃くらいにまでしか上がらない。
 半袖どころか、毎日フリースを着ているほどだ。

 天気も、相変わらずの梅雨空のままで、全くあのさわやかな”十勝晴れ”の空はどこに行ったのだろうかと思う。
  あの雲の上には、いつもの青空が広がっているはずなのに・・・。
 ただ、数日前に朝2時間ほど南の方に青空が見えて、霧雲の雲海の上に遠く南日高の山々が並んでいるのが見えていた。(写真上)
 

 その梅雨空から、しとしとと雨は降っていたのだが、いかんせん全体的に雨の量が少なくて、相変わらず井戸水が使えるほどには水位は上がっていない。
 一方で、記録的な豪雨被害を受けたところもあり、私だけが、水に困っているなどとはとても言えない状態だが。
 今回の西日本の豪雨被害は、まさに激甚災害と呼ぶにふさわしい大災害で、その惨憺(さんたん)たるありさまがテレビ映像からも伝わってくる、特に瀬戸内海の小さな島で、若い母親と小学校3年生と1年生の娘たち二人が土砂崩れの犠牲になったというニュースほど心痛むものはない。
 せっかく、大きな町を離れて静かな島で暮らしていた親子3人が、なぜ犠牲にならなければならなかったのか・・・。

 今を去ること、もう何十年も前の話だが、東京を離れて北海道に住む決意をした私は、長距離列車に乗って北を目指していた。
 その時に相席になったのが、上にあげたような若い母親と小学生くらいの二人の娘たちだった。
 青森まで向かうその長時間の電車の旅の中で、私たちはすっかり親しくなって、子供たちと遊びじゃれあいながら楽しい時間を過ごしていた。
 そして、下の子が遊び疲れて母親の胸で眠り始めていたころ、上の娘はせっせとノートに筆を走らせて、出来上がったものを私に差し出してくれた、それはその時にチェックの半そでシャツを着ていて、まだ若かった私の上半身の似顔絵だった。
 子供の描く絵はどこか誇張されていて、とても本人とは似ても似つかぬ姿に書かれることが多いのだが、その私の似顔絵は、誰が見ても私とわかるほどに写実的に描かれていて、感心したことを憶えているし、それは今でも大切に持っているほどだ。

 そうした、親子三人が、土砂崩れの泥の中に一瞬にして飲み込まれてしまったのだ、まだまだ、それぞれの人生がこれからも長く続いていくはずだったのに・・・。
 その代わりに、私のようなどうでもいいようなグウタラじじいが、のうのうと生きながらえて、ぜいたくに時間を使っているのだ、誰かのためにではなく自分のためだけに・・・。

「すべての人間は生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である。」(『世界人権宣言』第一条より)


 さらに、あのジャンジャック・ルソー(1712~1778)は、その有名な『人間不平等起源論』の中で言っているのだが、つまり元来人間は自然状態においては、不平等は存在しなかったが、人間集団としての上下関係が決められた国家が成立し、さらにそれらの中で文明が発達していくと、持つ者と持たざる者の差が顕在化していくようになり、その不平等さはやがて固定化されていくようになると。
 しかし、彼はその成り行きを当然のこととして受け止めていて、むしろ国家との契約の中で権力者たちによって作られた、もともとあるべき自然法を超えるような法律こそが問題であるとしたのだ。
 こうした理論は、結局マルクスの思想に行きつくことになり、ここでの話とはそぐわないので、これ以上の探求はやめたいが、私が今問題にしたいのは、そうした社会的な不平等さではなく、運命的な不平等さが起きる現実について、やり場のないつらい思いにかられて、何らかの解決の糸口はないかと考えてみただけなのだが。

 昨日、庭の草取りをしていた。
 ほとんどは、あのギシギシの仲間であり、スカンポとも呼ばれているヒメスイバなのだが、私が庭を作り土をならし芝生の種をまく前から、荒れ地の優占種としてすでに生えていたものだが、それからもう何十年にもなるというのに、取っても取っても、彼らは種をつけて風で飛ばし、地下茎で庭中にその根を張り巡らしているのだ。
 そんな彼らを根絶させるためには、土の表面を剥ぎ取り、土を入れ替え、新たに芝生を張って行くしかないとのことであるが、田舎のじじいにそんな大規模な工事をする余裕はなく、ただただ“もぐら叩き”のごとくに、毎年そのヒメスイバの草取りを続けているのだ。

 ただ幸いなことには、いまだにストーヴを使うほどだから、いつもならわんさか寄って来る、蚊、サシバエ、アブの類の虫が極端に少ないのだ。
 そんな草取り作業のさ中、薄日の中から、今頃まだいたのかと思うほどに(盛りは6月初め)、一匹のエゾハルゼミの鳴き声が聞こえてきた。
 少し間延びした元気のない声だ。
 一節鳴いて、少し間をおいてもう一度、さらに一度鳴くが・・・辺りに他の仲間のセミの声はない。
 それっきりかと思っていたら、少し離れたところで、また鳴き声を繰り返していた。
 しばらくたつと、また少し離れたところに移動して。
 その鳴き声も止んで、林はシーンと静まり返っていた。
 時季外れに、地下から出てきて羽化し成虫になったものの、周りには誰もいないのだ・・・時期を逃した者の孤愁の声・・・。

 このところずっと考えているのだが、自分なりの”存在と時間”とは、それは”時節を待つ”ことにあることは分かるのだが、しかしその潮目を見つけられずに逃してしまうこともあるわけだから、それならば逆に、自分に与えられた今の時間だけを、意識して楽しむことにあるのではないのかと思うようになったのだ。
 すべての出来事に良し悪しがあるというのではなく、すべての出来事には、良きこと悪しきことが等分に含まれているものだと考えれば、物事が起きるたびに極端な一喜一憂をせずに済むということだ。

 草取りの時の続きの話だが、そうして繰り返して続くヒメスイバの抜き取り作業中に、ふとかぐわしい匂いが漂っているのに気づいた。
 それは家の林の方から流れてきていて、大体察しはついていたのだが、林のあちこちにウバユリの花が立ち並んでいた。
 昔は、ほんの二三本あるだけだったのだが、ある時から急にその数が増えてきて、今では数十本以上もある一大群落地になってしまったのだ。(写真下)




 ユリ科の仲間であるから、当然に香りはいいのだが、ずん胴な花房が一気に並んで咲いて、色も白というよりは青白く、どうも姥(うば)ゆり”という名前のせいもあってか(英語名はheartleaf liliyという名前なのに)、一般的に広く親しまれている花ではないようだ。(家の林の中のものは高さ2mにもなる。)
 ただ今までにも、九州の家の近くの石垣の間に一本だけ目立つように咲いていたのを思い出すし、何より忘れられないのは、もう9年前の話になるが、加賀の白山(2702m)に初めて登った時のことだ。(’09.7月の項参照)
 その時には、白山の幾つもの山上池と残雪とお花畑の景観に出会えて、それだけでも十分満足できた登山ではあったのだが、三日目に別山へと縦走するつもりでいたところ、雨になってやむなくあきらめて、行きの観光新道とは違う砂防新道を下ってきたのだが、味気ない泥だらけの雨の道が続いていて、そこに突然、ウバユリの群落が現れたのだ。
 その時、沈み気味だった私の心がどれほど慰められ、また予想外の喜びに満たされたことか。
 この雨の日の思い出は、一日目二日目の晴れた空の下の白山の姿とともに、同じようにはっきりと残っている、というよりは、つらい雨の中の下山を、逆にウバユリの思い出だけで喜びに満たそうとする、私の強い思い入れがあったからかもしれないが。
 昔のフィルムのコマーシャルのセリフではないけれど、”美しいものはより美しく、そうでないものもそれなりに美しく”。

 さて毎週一度、こうしてその日に気のおもむくままに書き始めて、それなりに一つの話にはなるのだが、そのために、気になっていた他のことを取り上げないまま、それが一週間すべての話のようになってしまうが、例えばサッカーのワールドカップについて書いていけば、誰でもがそうであるように、日本人一億サッカー解説者の一人になってしまうから、あえて書くまいと思ったのだが、その中であのサッカーをよく知るセルジオ越後さんの辛口コメントを一つ。
 ”日本ではベスト16に入ってベルギー相手に大健闘したと大喜びしているけれども、勝ったのは1試合だけ、それも十人相手のチームにだけだ。後は2敗Ⅰ分けでそんなチームが強いと言えるのか”

 さらに、全く話は飛ぶが先週のテレビ番組、いつものNHKの「日本人のおなまえっ!」から、埼玉に住む”出牛(でうし)さんからの依頼でその名前の由来を探っていくのだが、埼玉県の皆野町にはその名前と同じ出牛(じゅうし)という地名が残っていて、郷土史家によれば、そこは川が大きく蛇行曲流していてたびたびそのあたりで洪水が起きていて、その水の勢いが、”牛がどっと出ていくような勢い”があって名付けられたのではないのかというのだが、さらにもう一つの説があって、それを聞いた時は鳥肌の立つような思いがしたのだが。

 それは、出牛地区から北に数十キロ離れた、埼玉と県境で接する藤岡市の地区での出牛さんの話なのだが、そのあたりでは江戸時代の昔から”隠れキリシタン”(長崎の潜伏キリシタンという名前にはどうもなじめないが)の信者たちの墓が残されていて、一見して周りの他の墓石とはどこか違っていて、中が小部屋空間になっていて、上には格子戸(こうしど)のように彫り込まれているのだが、その子孫だという人が、その格子部分の半分を手で隠すと、なんとそこは十字架が現れたのだ。
 さらに付け加えて、彼が先祖から聞いた話として・・・出牛(でうし)は隠れキリシタンたちがあがめていたデウス(ゼウス=神)からきているとか・・・。

 こうして、昔の入り組んだ話が収れんしていって、おおもとの所にたどり着くという結論が見事である、その話がどこまで正しいかはわからないにしてもだ。

 生きている愉(たの)しみとは、思いもしなかった”目からうろこ”的な話を聞くことの喜びでもある。