7月30日
寒い。
北海道の家に戻って来た時の、思わず口をついて出た言葉だ。
午後3時半、閉め切っていた室内の温度、20℃。外気温、帯広で28℃。
数日前、北海道に戻って来た。
この記録的な暑さの続く、本州の夏のさなかに、九州の家にずっといたのは、幾つかのすませておかなければならない用事があったからであり、さらには、これももう一つの大きな目的である本州の高い山に遠征登山をするためでもあったからだ。
ところが、連日の暑さにあえいでぐうたらしているうちに体調を崩してしまい、二日も寝込む羽目になって、それも完全回復するにはおぼつかなくて、さらに梅雨明け後の東北の天気が安定せずに、以上の諸案をかんがみて、今年も夏の遠征登山を断念することにしたのだ。これで、3年連続にもなる。
まあ、良い方に考えれば、天の声がして、”おまえみたいな病み上がりの年寄りが、まして今年のように記録的な暑さの続く中、夏の山に登ろうとすること自体が、どだい無理な話や、家でおとなしゅうしてた方がいいのんと違うんか。”
”ははーっ、これはありがたき神様のお言葉、そのお心に感謝して、今年は取り止めにいたします、これからもありがたきご忠告をよろしく、あんじょうたのんまっせ、頼りにしてまんのや天の声、ほんま。”
そこで、バックグラウンド・ミュージック流れる。
”天国いいとこ一度はおいで、酒はうまいし、ねえちゃんはきれいだ”ホンワカ、ホンワカ・・・。
どっかで聞いたセリフだと思っていたら、昔なつかしい日本のフォークソングの一節だった。
その後に、神様のお叱りの言葉が続く。
”天国ちゅうとこは、そんなあまいとこやおへんのや、もっとまじめにやれー”
(ザ・フォーク・クルセイダーズ「帰って来た酔っ払い」より)
ということで、3週間近くも暑い九州の家にいて、数日前、この北海道の家に戻って来たのだが、冒頭にあげたように、全く空気感の違うこの北国の夏こそが、まさに私の選んだ夏なのだ。
もっともそれは、九州から北海道へと縦断する空の旅でも感じたことだったのだが。
九州から、瀬戸内海、近畿、中部と雲の多い中を飛んできたので、前回の九州に向かう時に見下ろした、生々しい西日本豪雨被害の爪痕(崖崩れや濁った河口など)は見られなかったけれども、あの暑さの中、今も被災者たちの必死の手作業による清掃作業が続いているのだろうと思うと、一方ではそこに私のように、涼しい北海道へと向かっているぜいたくな人間もいるのだ・・・。
今回の豪雨被害に遭われた被害者の方が、インタヴューに応じて話していたけれども、「去年の北部九州豪雨災害のニュースを見て、大変なことだと思ってはいたが、それでもやはり他人事だったのに、今回自分が直接被害を受けて、初めてその手の付けられないほどの被害の大きさを実感した。」
何度もここにあげていることだが、私たちは、アフリカのサバンナで、仲間のヌーの一頭がライオンに食べられているのを遠巻きに見ているだけの、群れの中の一頭にすぎないのかもしれない。
ともかく、飛行機から見る景色は、中層雲や下層雲が多くて、あまり下界を眺めることはできず、富士山も雲になかば隠されていて、わずかにその山体の存在が分かるだけだった。
ただそんな中でも、あの南アルプスの塩見岳から悪沢(わるさわ)岳、荒川岳、赤石岳、聖(ひじり)岳の3000m峰の連なりが、その部分だけが雲の中に浮き上がって見えていた。
そして、乗り換え地点の羽田でしばらく待った後、十勝帯広行きの便に乗り込む。
なんとか窓側の席に座ることができて、飛行機がまだ上昇体制のうちから斜め後ろの方が気になって見ていたが、よかった富士山が見えている。
九州からの便で見た時には、山体のほとんどが雲の中だったのに、今度は逆の東側から見ることになって、その富士山の東面はすっきりと晴れていたのだ。
もちろん、富士山は雪のある時が一番きれいなのだが、こうして夏場の雪のない時でも、周りの雲とともにシルエット状になって見えていて、その巨大さと均衡のとれた美しさは変わらないし、やはり山の中の山、日本一の山だと実感するのだ。(写真上)
やがて、その富士山も後方に見えなくなっていき、次は押し寄せる関東平野の雲に洗われながら、男体山をはじめとする日光連山に日光白根山も見えてきたが、さらにその先は次第に雲が少なくなってきて、真夏の午後だというのに東北地方には快晴の空が広がっていた。
それは、こんないい天気になるのなら、無理してでも今回東北の山に登るべきだったと、地団駄踏んで後悔するべきか、それとも盛夏の快晴の日に、飛行機から残雪の山々を眺められて幸運だと喜ぶべきか。
ただ、今回の飛行コースは、多分積乱雲などをよけるためだったのだろうが、少し北側にずれていて、いつもの那須連山から磐梯吾妻などの山々は、直下になって見ることができず、それがかえって良かったのだろうが、東北の名だたる山々をいつもより近くに見ることができて、ずっとカメラから手を離すことができなかったほどである。
まずは、もう7月下旬だというのに何と多くの残雪を残していることだろうか、あの長大な飯豊(いいで)山塊の姿が窓の下いっぱいに広がってきた。
左側に大日岳(2128m)右に飯豊山本山(2105m)その真ん中あたりがJP(ジャンクション・ピーク)の御西岳(おにしだけ、2013m)で、そこから主稜線が北に向かって伸びていて、最後にあの杁差岳(えぶりさしだけ、1636m)も見えているし、その中程に白く続く沢筋は、玉川から飯豊本山へと突き上げる直登沢なのだろうが、あの有名な石転び沢雪渓は残念ながら左側からの尾根に隠れて見えない。
ただ今回、この飯豊山の眺めで私がまじまじと見続けたのは、御西岳から飯豊山本山へと続く尾根沿いの大雪渓斜面である。
確かあの8年前の縦走の山旅(2010.7.24~8.4の項参照)の時にも、その傍を通った時に、この時期にこれほどの雪渓がとうれしくなったのを憶えているし、それがこうして飛行機から見ると、間違いなく広大な雪渓として存在していて、その地形的な理由も理解できるように思えたのだ。
つまり、この三つに分かれた雪形地形は、南・北・中央アルプスや日高山脈で見られるあの氷河地形の名残であるカール(氷蝕圏谷)を思わせるものであり、それらの地形が、冬の雪を運ぶ北西の季節風の風下側の南東斜面に残されているからでもある。
もちろん、この飯豊山の尾根の両側の地形があまり切り立ってはいないし、カール地形が形成されるには少し高度が低すぎるし、もし高度があと数百メートル高ければ、そして稜線が少し切り立っていたならば、この飯豊山にも東北唯一のカール地形が見られたのかもしれないのだ。
次に、同じく長大に続く朝日連峰が見えてくる。
飯豊山と比べれば、高度が低いぶん残雪地形が少ないけれども、逆に言えばわずか1800m程の山で、今の時期に残雪があること自体珍しいのだが、それはこうして東北の豪雪地帯に位置しているためでもあるのだろうか。
上の写真では、中央左下に大朝日岳(1871m)があり(よく見ると山頂直下の小屋も見える)そこから続く主稜線が、遠く以東岳(いとうだけ、1772m)にまで続いているのがわかる。
次に月山(がっさん、1980m)が見えてくるが、顕著にそびえ立つ山ではなく、昔の地学の時間で習ったような典型的なアスピーテ(盾状火山)の形で、点々と残雪模様を残したなだらかな山容が北側に伸びている。
そして、何といっても見事なのは鳥海山(ちょうかいさん、2236m)だ、その下半身まわりの広大な山体は、上で爆裂崩壊が起きていなければ、ゆうに3000mを越えていたのかもしれないが、その高さを減じた分、おおらかにゆるやかにすそ野が広がっていて、それは山形県側から見ても秋田県側から見ても、甲乙つけがたく美しい。
下の写真では、望遠でもっと大きく撮った写真もあるのだが、この時のさわやかな上層雲の巻雲の形が、まるで”雲のオーロラ”とでも呼びたいほどに素晴らしかったので、広角にして成層圏付近から見下ろす鳥海山の姿として撮ってみた。
さらに”南部の片富士”と呼ばれる、岩手山(2041m)が見えてきて、遠くには津軽の岩木山(1625m)とその右手には八甲田山群(はっこうだ、1585m)も見えていた。
その後、飛行機は陸地を離れて、しばらく太平洋上を飛んだ後、ようやく襟裳(えりも)岬から始まる北海道の山影が見えてきた。
”カモメの~鳴く音に~ふと目を~覚まし~
あれが~蝦夷地(えぞち)の~山かいな~”
「江差追分」は、やはりいいなあ。日本の民謡の中から一曲をあげてと言われれば、通俗的だと言われるかもしれないが、やはりこの歌になるのだろうが。次に推したいのは、「道南口説(どうなんくどき)」なのだが。
そして、パッチワーク状の十勝平野が広がり、雲の中から、南日高の山々が見えてきた。楽古岳、十勝岳、オムシャヌプリ、野塚岳、トヨニ岳・・・。
飛行機は田園地帯のただ中にある、十勝帯広空港に舞い降りた。
私は、夏の十勝に戻って来たのだ。