ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

あきらめの夏

2017-07-31 21:20:48 | Weblog



 7月31日

 7月初旬、まだ雨が降り続いていた九州に戻ってきた時には、ニイニイゼミの鳴き声だけが聞こえていたが。
 その後、今度は朝夕にヒグラシのカナカナカナという物哀しい声が聞こえてきて、さらに今では真夏のセミの声である、シーワシワシワシと鳴くクマゼミと、ジーと鳴くアブラゼミの声も聞こえるようになってきた。
 庭の柿の木には、もう青い実がしっかりとついている。(写真上)
 この次は、秋の季節が来るのだよと教えるかのように。
 
 こんなに長く、夏の九州にいたのは、久しぶりのことのような気がする。
 そこで、時間には余裕のあるはずの私も、もうこれ以上、山に行くのを先に延ばすのは無理だと、あきらめたのだ。
(昔、サザンの桑田佳祐が作って、研ナオコも歌っていた「夏をあきらめて」という歌があったが。)
 最初は東北の山にと思っていたのに、豪雨被害でダメになり、次に北アルプスに行き先を変えて、じっと待っていたのに天気は良くならない、もうこれ以上、夏山の計画を先送りにすることはできない。

 7月初旬に九州に戻ってきて、幾つかの用事をすませて、後は梅雨明け一番で飛び出そうと思っていたのに、なんという今年の夏の天気だ。
 確かに、近畿以西の西日本・九州・四国は、梅雨明け通りに晴れて暑い日が続いている。
 それでも、どこか違う、あのカラッと晴れた空に入道雲がくっきりという空ではなく、亜熱帯の鈍色(にびいろ)の空のような、晴れているのか曇っているのかわからないような、その上にただただ蒸し暑いだけの空で、夕方にはいつもにわか雨が降る不安定な空模様である。 
 昨日、あの北九州豪雨被害があったばかりの日田市では、今年全国で最高の38度を超えの気温を記録したそうだ。 

 山間部にあるわが集落では、それほどまでには気温は上がらないのだが、それでも当然のことながら、ずっと30度超えの真夏日の日が続いているのだ。
 しかも、その暑さたるや、家の中でもねっとりとまとわりつくあの蒸し暑さで、ただここにはクーラーのきいた部屋があるからいいようなものの、夏の季節が苦手な私には、ただでさえ”お天気屋”の頭の中が、もうパッパラパー状態になっていて、今は何も考えられまっしぇーん。 
 ぐうたらに朝起きて、ぐうたらに午前中を過ごし、ぐうたらに午後が過ぎて、ぐうたらに夜を迎えては、寝るだけで。
 これではいかんと、外に出て庭仕事や散歩をしてくると、もうTシャツはびしょびしょの汗だらけになってしまう。
 ただありがたいことに、あの水に不自由する北海道の家と比べて、ここでは水は豊富に使えるから、毎日風呂に入り、その残り湯で朝にも入り、さらにその二度も入った”じじい汁”が混じったねとねとの(きったねー)、生ぬるいお湯を使って洗濯をするのだ。

 だから、ここでは毎日洗濯できるから、毎日新しいパンツとTシャツに着替えることができるのだ。
 しかし、北海道の家では水が十分ではないから洗濯はできないので、どうしても三日くらいは着換えないことになるし、それらを2週間分くらいまとめては、遠く離れた町のコインランドリーまで持って行って洗濯することになる。
 もっとも、下着類をずっとはき続けることには、長い縦走山行の経験があるから、それにくらべればまだましだと思っているのだ。
 つまり、1週間にも及ぶ山行では、なるべく荷物を軽くしたいから、パンツTシャツの着替えは1、2枚で、その着替えは、山行を終えて街に降りて電車などに乗る時に、悪臭を漂わせて周りの人に迷惑をかけないように、あらかじめ着替えておくためのもので、つまり山行中は着たきりスズメの一枚だけの下着で、それを器用に前後裏表とはき換えて使っていたのだ。
 そして、今まではいていたそれらの下着靴下などはビニール袋に入れていて、やっと家に帰り着き、荷物を整理してその袋を開けた時の臭いは・・・あの浦島太郎もかくやありけんと思うほどの、ここはどこ私は誰状態になり、その下着類のおじさん汁のすえた悪臭の広がりに、慌てて袋の口をしばり、後日コインランドリーに持って行くのだが、そのすべてを水に流してくれる洗濯のありがたさよ。

 気がつけば、しょーもない話をグダグダと書いてきてしまったが、要するに、暑い九州で、山に登るべく中部東北地方の天気予報を待っていたのに、相変わらずの曇りや雨マークが続く日が多く、晴れの日がほとんどなくて、その上台風は来ているし、ついには時間切れになってしまって、つまりこれ以上日程が先に延びれば、もうお盆休みの始まりにかかり、飛行機の切符が取れなくなってしまうから、何より山の花の時期も過ぎてしまうことにもなるし、今年の夏山遠征はあきらめるしかなくなったということである。
 ただその代りに、この夏に九州にいて何かいいことはなかったかと考え、そうだ、毎日の風呂と洗濯があったのだと自分に言い聞かせたのだ。
 前回書いたように、”良いこと悪いこと半々”といつも自分に言い聞かせているから、自分で納得できるものをここに書き出しておきたかったのだ。
 前回にも、山に行けなかったぶん、家にいて何本かのいいテレビ番組を見たと書いたのだけれども、今週も昨日、二本の興味深い番組があった。

 一つは前回からの続きだが、NHK総合の「列島誕生 ジオ・ジャパン」の第2集で”奇跡の島は山国となった”である。
 この日本列島の成り立ちについて、重要な要件となったものは、前回に取り上げられたように、まず”大陸の一部が引きちぎられて海に出て行った”ことであり、次に、その西日本からなる平原状の島に、南から”火山島が次々に衝突”したことであり、今回は、さらに残りの二つの重要な出来事についてが説明されていた。
 つまり、その一つには、”地球史上最大規模の火山の噴火”があったことであり、それも、紀伊半島南端部をおおい尽くすほどの巨大カルデラの噴火であり、そのために地球上の気温が10度も下がったとされ、さらにその時の2000mにも及ぶ分厚い火山灰などによって、紀伊山地の山々が形作られたのだという。
 最後の一つは、その後、東日本が”突然の列島大隆起”によって形作られていき、北は日高山脈からさらには東日本の脊梁山地になっている奥羽山脈、越後山脈、北アルプスなどが形成されていったのだという。
 そのわけは、三つのプレートの境目にある日本列島の中央部の所で、フィリピン・プレートが大陸プレートに潜り込み、さらには太平洋プレートも潜り込み、フィリピン・プレートはその潜り込みの方向を変えられて、東北地方がしわになって盛り上がり、奥羽山脈になっていったのだという。

 それらのプレート・テクニクス理論は、各地の地層地質を実地調査して、さらには様々な要件をコンピューターで解析し構成されて、コンピューター・グラフィックス画面として見事に表現されていた。
 確かに、それらのことは、テレビ映像で見て初めて、壮大な地球史の一部として納得はできるのだが、私が高校生の地学の授業で習った時の、日本の成り立ちや山岳形成からは、もちろんのこと大きく様変わりをしていて、さらには十数年ほど前に、自ら改めて学ぶべく地学史に関する本(『日本列島の誕生』平朝彦著 岩波新書、『日本の自然2 日本の山』貝塚爽平・鎮西清高著 岩波書店)などを読んでは、多くの新しいことを知ることができたのだが、今回の番組では、さらにそこから推し進められた、最新の日本列島形成の理論を知ることができて、実に興味深い番組になっていた。

 もちろんこの番組は、2回分併せて2時間足らずという番組時間の制約もあり、まずは日本列島の形成の始まりについて触れただけのものであり、その後の氷河期におけるカールなどの氷蝕地形についてや、中央構造線(フォッサ・マグナ)の活動や、日本各地で起こった断層や火山の大噴火などによる山岳部の形成などについては、語られていなかった。 
 望むのは、その地方ごとの山岳形成について、さらなる新しい理論を含めての番組として放送してもらえるとありがたいのだが、今NHK・BSでは次世代の『にっぽん百名山』などの番組が進行中だが、『花の百名山』シリーズはもとより、さらに『地学百名山』なんてものは・・・まあ無理だろうな、地理地学ファンなんて、世にいう“オタク”属の一握りのファンたちがいるだけだから。
(書籍としては、”『山の自然学入門』小泉武栄・清水長正編 古今書院”、という地学的説明を加えての名山案内という、わかりやすい良書があったのだが、装丁・編集があまりも教科書的で見劣りするのが残念ではあった。むしろ同じ小泉氏の著書ならば、新書版で本文写真も黒白ではあるが、”『山の自然学』小泉武栄著 岩波新書”のほうが、まとまりは良いかもしれない。) 
 
 さて、山の話ですっかり長くなったが、もう一本の番組は、同じ30日にNHK・BSで放送された「MASA(マサ)と奇跡の合唱団」である。
 15年前、アメリカはユタ州のソルトレイクシティーで冬季オリンピックが開かれた時に、当時留学していた日本人学生の作った曲が、セレモニー・ソングの一つとして採用され、その歌を歌うために1600人もの地元の子供たちが集まり、その合唱団の指揮を日本人の彼が自ら行い、大歓声を浴びたのだった。
 以後彼は、ソルトレイクシティーの子供たちを集めて、”One Voice Chirdren's Choir(ワン・ボイス・チルドレンズ・クワイヤ)”という合唱団を作り、年間40回もの公演をこなしているとのことである。 
 4歳から18歳までの子供の団員は150人ほどだが(公演の時には数十人ほどで歌っている)、欠員が出るたびに多くの入団希望者が出るほどの人気があり、あのオバマ前大統領夫妻の前で歌ったことがあるほどである。
 
 彼は、子供たちのそれぞれの個性を出すために、発声法の個別練習などはあえておこなわずに、ただ歌の気持ちを込めて歌うようにと、8パートにも分かれたそれぞれの声部で自由に歌わせて、それが分厚いハーモニーとなって感動的な歌の響きになるのだ。
 みんなの声が一つになり、世界が一つになるように歌の素晴らしさを伝えていければいい、と彼は言うのだ。
 MASAと呼ばれる合唱指揮者の福田真史(41歳)、何より彼は、英語を上手に話していて、それが、それぞれの問題を抱える子供たちと向き合う時の、最重要なコミニュケーションの手段となるからだ。
 子供たちの話を聞いてそれぞれの歌声を聴いて、ジグゾーパズルのそれぞれのコマのように、そこにしかない場所に子供たちをはめ込み、あとは自由に楽しく歌わせるだけだ。
 そして、そのハーモニーは、子供たち自身だけではなく、聞いているすべての人たちの心を打つのだ。

 そんな孫のような子供たちが歌っているのを見て、このじじいは、ひとり胸が熱くなるのでありました。
 日本の山々の成り立ちの映像といい、子供たちの歌声といい、何とありがたい見ものであり聞きものであったことか、長生きはするものだ。

 夏山遠征に、二年続けて行けなくなってしまったが、天気が余り良くないのに、無理して行きたいとは思わない。
 何も見えない中、ただ歩いてただ登ったというだけでは、それが、なんぼのもんじゃいと言いたくなるのだ。
 山は、周りの景色が見えてこそ、本当の山の価値がわかるというもんや。
 わしには、幸いなことに、いい時の山の思い出がなあ、ぎょうさんあるんやさかい、今年行けなかったくらいで。
 ほうーれ、この写真見てみい。

 4年前の、北アルプス裏銀座縦走('13.8.16~26の項参照)の時、あのカールの残雪を抱えた黒部五郎岳(2840m)の素晴らしさ・・・満開のコバイケイソウの大群落のかなたに鷲羽岳(わしばだけ、2924m)があり(写真下)、右手に遠く遠く槍・穂高の山も見えていた。
 あの時の思い出のためにも・・・もう二度と行きたくはない黒部五郎、至上のひと時だったのだ・・・ありがとう。