ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

夏が来れば思い出す

2017-07-03 22:03:58 | Weblog



 7月3日

 数日前に、山に行ってきた。 
 前回の、日高山脈・剣山への登山から、まるまる一か月もの間が空いたことになる。
 それは、年ごとにぐうたらになっていく年寄りの性(さが)というべきか、いや年寄りでも元気な人はいくらでもいるのだから、あくまでも私の怠惰(たいだ)な性格からきているものではあるのだろうが。 
 ともかく、林の中にあるわが家にいて、毎日小さな仕事をしながら、四季の移ろいを感じつつ生きていければ、それで十分であり、私の人生の中で、他に何が必要だろうかとさえ思ってしまうのだ。 

 とは言っても、そこは”蛇(じゃ)の道は蛇(へび)”の例え通りに、人は誰でも日ごろから様々な葛藤(かっとう)に心乱れ、そう単純に物事を片づけられないものであり、そこが人間という生き物の複雑さであり、私の心の中にも幾つかのものがうごめいているのだ。
 その中の一つというよりは、私にとってはその強い欲求こそが、自分が生きていることの最大の証(あかし)だともいえるものがあり、それが、数十年にわたって途絶えることなく続けてきた、”山登り”なのである。
 
 子供のころの夏休みには、母の実家のある田舎で過ごすことを、何よりの楽しみにしていた私が、さらに広大な未知なる景観に出会うことのできる、山登りというものを知り、夢中になっていったのも、そうした自然に触れる環境にいたという、下地があってからこそのことなのだと思う。

 思うのだが、幼いころから、街中だけで暮らしてきた子供たちにとっては、ほとんど何も知らない自然に対峙するということは、本能的な恐怖にとらわれる危険な場所に入って行くということであり、そこでは小さな生き物たちや虫たちさえも、嫌悪すべき対象になってしまうのだろう。
 だから、そんな彼らは大人になっても、自然のもっとも典型的な姿である山へと、汗水を流しつらい思いをしてもまでも登って行くという、山登りの行為そのものが、理解できないことだろう。

 逆に言えば、山登りを好きになるのには、具体的な見返りがあるわけではなくとも、そんな苦行を乗り越えてまでも、ただ一途に未知なるものを目指すという、素朴な冒険心があるからだということにもなる。
 克己心(こっきしん)は、スポーツ全般にも言えることだが、目的を達成するまで、つらいきつい運動に耐えることが必要であり、もっともそれはいつしか、いわゆる“クライマーズ・ハイやランナーズ・ハイ”のような、”忘我の境”にまでなっていって、さらに危ういことには、それがまた自虐(じぎゃく)趣味的な”マゾヒズム”の悦びにさえ、隣接しているのではないかということにもなる。 

 けわしい坂道を息を切らし登っている時のつらさは、ムチを持った黒タイツ姿のあの”にしおかすみこ”様に、ムチで叩かれている時のようなものであり、その痛みに気を失いかける寸前に、ようやく頂上に着いて、その悦びは頂点に達するのだ・・・”キャイーン、キャンキャンキャン”と犬が鳴きわめくように、歓喜の渦は心の中を駆け回っていく・・・そのようにして多くの人は山好きになっていくのだろうか。
(いつものようにお断りしておきますが、私はいわゆるそうした”マゾ”体質なんぞではないし、ただ例え話として、黒タイツの女王様の下であえぎ喜ぶ姿が、あまりにも山登りの苦行に似ているものだから、ついつい対比してしまうのであります。)

 さて、数日前の山の記録を書き留めておこうと思ったのに、またしても独断偏見的な山登り論を口走り、長々と書き綴ってきてしまったのだが、ここで、もとに戻ろう。
 朝、家を出たのは、もう日が昇ってしばらくたった後であり、日ごろは買い物ぐらいにしか使わないクルマに乗って、長時間ドライブの後に、大雪山・緑岳への登山口である高原温泉に着いたのは、もう9時に近かった。
 それは一つには、若いころには、山に登るためにまだ暗いうちに家を出ていたものだが、年ごとにぐうたらになってきて、目覚ましなんぞで起きたくはないしと、自然に目が覚めた時に起きて、そしてライブカメラ情報で現地の空模様を確認し、さらに気象庁発表の天気分布情報を見てから出かけることにしていて、今回の予報は、”昼前には曇り空から晴れてきて夕方まで晴れるだろう”ということだったから、余計に早く出かける必要はなかったのであるが。

 登山道には、同年配の男の人と、さらに後には二人組の女の人がいたが、それぞれに私を抜いて先に行ってしまった。
 後は人の声も聞こえない、静かな山だった。
 去年、ここで痛めたヒザのこともあって、ゆっくりと登り始めたが、もっとも久しぶりの登山での、いきなりの急坂に息も切れて、40分もかかって、ようやく見晴らしのきく展望台に着いた。
 眼下には、高原温泉を囲む沼めぐりの新緑の森が広がり、その上には、まだらな残雪模様も鮮やかな、忠別岳付近の溶岩台地の稜線が見えていた。(写真上)
 そしていつものように、ルリビタキのさえずりの声が聞こえていた。 
 この眺めとルリビタキの声は、いつもセットになって、夏が来れば、私に大雪山の夏を思い出させるのだ。

 そこからは、昔はひどい泥濘(でいねい)の道だったのだが、今ではすっかり整備されて歩きやすい道になっていて、ただ今年は残雪が多くて、道のあちこちに雪が残り、水も流れていた。
 そしてひと登りで、広大な雪原が広がる、第一花畑入り口の台地上に着いた。
 行く手には、いつもの緑岳(2020m)から小泉岳(2158m)、東ノ岳(2067m)へと連なる穏やかな山体が見えている。
 上空には青空が広がっていたが、まだ山の上から東側にかけて雲が残っていて、ただ後は天気予報通りに午後にかけて、これらの雲が取れてくれることを望むばかりだった。 
 
 それはともかく、いよいよここから、私の大好きな残雪歩きが始まるのだ。
 この緑岳の雪原は、一般に言われている、雪の谷を埋める雪渓(せっけい)ではなくて、冬の北西の季節風に吹かれて、台地上の雪が飛ばされて東側の斜面に積もったものであり、むしろ雪田(せつでん)と呼ぶべきものかもしれないが、しかし、それは沼地や湿原の場所にある残雪のことを言う場合に使うのだろうから、この緑岳のゆるやかな山腹にある広大な残雪は、どうしても雪原と呼びたくなってしまうのだ。

 とまれ、そんな呼び方はどうでもいいことだ。
 今はただ、この三つに分かれた、涼しくさわやかな雪原歩きを楽しんでいこう。 
 周りの山々の上には、雲が残ってはいたが、屏風岳(1792m)から武利岳(1876m)、さらに音更山(1932m)・石狩岳(1967m)連峰から二ペソツ山(2013m)などの山々も見えていた。

 二度ほど腰を下ろしては、そうした雪原の周りの景色を楽しむために休み、そんな45分余りの心地よい雪原歩きが終わると、緑岳山腹をたどるハイマツの道となるが、毎年ここは、その雪原と岩場との境目に大きな割れ目、シュルンドができていて(のぞき込むとまだ2m近い雪の厚さがあって)、少し緊張する所ではあった。

 先日テレビ番組の予報で、有名な山好きの女優さんが、何と冬の屋久島は永田岳に登るということで、楽しみにしていたのだが、実際見てみると、途中の行程はともかく、最後の永田岳の登りで、1mほどに深くえぐれた登山道に残雪があって、彼女を案内していた若いガイドが、踏み抜いて落ちると危険だからと、そこまでで登るのをやめて引き返すことにして、それから先は、ヒマラヤ経験のあるカメラマン二人が、たいした危険もない道をたどって、頂上に着き、周囲の景色を撮って、その影像が映し出されていたのだが・・・まあそれだけのことだけど。
 私も、何度も残雪の雪を踏み抜いたことはあるし、それが登山道の残雪ならば気にはならないのだが、大きな雪渓の場合は、注意が必要だ。
 ある時、いつものように一人で日高の残雪の沢をたどっていて、2mほどのシュルンドに落ち込んでしまい、一瞬何が起きたのか分からなくなって、まあ何とか無事に這い上がることはできたのだが。

 ハイマツの中の山腹を巻いて行く道をたどると、ところどころにキバナシャクナゲの花が咲いていて、さらにたどると、黄色い花のミヤマダイコンソウとメアカンキンバイの株がいくつかある、見晴らしのきく所に出て、そこからいよいよ山頂に向かっての登りになるが、白いイソツツジの花はまだつぼみのままだった。 
 最初の大岩がある所で、いつものように休むことにするが、風が冷たく、ここからは登山着の長袖一枚の上にフリースを着込んだ。 
 いつものことながら、吹きさらしで雪がない高根が原の溶岩台地の東斜面には、秋まで溶けない雪が残り、彼方にトムラウシ山(2141m)があり、何度見てもやはり大雪らしい北の山の風景だと思う。

 そこから、岩礫(がんれき)岩塊(がんかい)帯の長いジグザグの登りが続いて、ろくに運動もしていない年寄りの身にはこたえる。それなのに、もう戻ってくる人たちに、一人二人と出会った。
 足はふらふら息も絶え絶えになったころ、先ほどの休みの所から1時間以上もかかって、ようやく山頂にたどり着いた。 
 ここで西側と北側が大きく開けて、雲が少しかかりながらも、旭岳(2290m)と白雲岳(2230m)がその姿を見せ、南に、これまた雲にまとわりつかれながらも、トムラウシ山も見えていた。 

 山頂展望派の私にとって、何よりもありがたいことだ。 
 大雪山系の山々の中では、おそらく一番多く、今までに20回ほどは登っているだろうが、この緑岳のどこがそんなにいいのか。 
 第一には、先ほどのあの広い雪原歩きがあること、二つ目にはこの眺望、三つ目には、ここから小泉岳までの所で多くの高山植物の花たちに出会えること、さらには、大雪山の山々をめぐる大切な拠点小屋である、白雲岳避難小屋(素泊まりのみ)にあと1時間ほどで着くことができること、などなどである。

 実は今回も、いつものように、白雲小屋に泊まって、花を見に高根が原へ、さらには旭岳の残雪縞模様を見に白雲岳へ(’14.6.30~7.8の項参照)と行くつもりだったのだが、いかんせん二日続けての晴れの天気予報が出なくて、仕方なく、私としては十分に晴れた天気ではなかったが、この日に日帰り登山にするしかなかったのだ。

 さて頂上には着いたものの、目的はまだ先にある。 
 一休みした後、この緑岳から北に、小泉岳へと続く風衝地(ふうしょうち)になった溶岩台地をたどって行く。
 白雲岳まで行ってきたのだろうか、戻ってくる人たちに一人二人と出会った。
 なだらかなこの砂礫地は、周氷河地形の一つである縞状線条地になっていて、そこに株になって、高山植物の小さな花たちが咲いているのだ。 
 やはり何度見ても、旭岳を背景にした、黄色いミヤマキンバイの群落の姿は様になるし(まだ十分に開いてはいなかったが)、これまた大雪山を代表する光景の一つではある。(写真下)



 ただ残念なことに、晴れてはいるが、まだまだ雲が動いていた。 
 そして、稜線には、手袋が必要なほどに冷たい風が吹いていた。
 今年は、下での雪がまだ多かったことからもわかるように、気温が十分には上がっていなくて、花々の開花が遅れているようだった。
 ホソバウルップソウ(写真下)やイワウメ、エゾオヤマノエンドウ、エゾコザクラ、ミネズオウなどがやっと咲き始めたばかりで、チョウノスケソウやエゾツツジ、コマクサ、イワブクロ、クモマユキノシタ、キスミレ、キバナシオガマなどが咲いて、この稜線の道がにぎやかになるのは、まだ先のことのようだった。



 去年と同じように、小泉岳まで行くつもりはなかった。
 途中で引き返して、緑岳に登り返したが、そこで、まだたっぷりと雪のある高原温泉沼巡りの斜面越しに遠く、雲の取れたトムラウシ山の姿が見えていた。(写真下)

 あとは下りだけになる。
 緑岳山腹の岩塊帯を慎重に下りてゆき、行きにも休んだ大岩の上でさらに休んで、ハイマツ帯を抜けて、雪原との境目が大きな割れ目のシュルンドになっている所には、行きにはなかった見事な階段状のステップが刻んであった。
 北アルプスなどでは、営業小屋のスタッフなどが登山道の補修などをやっているのだが、この大雪山系ではビジターセンターやヒグマ情報センターのレンジャーか営林署関連などの人の仕事になるのだろうが、ありがたいことだ。
 さらに、この広い雪原にも、道迷い防止のために、テープをつけたササが50mおきぐらいに刺し込んであるのだ。

 雪原の途中で、なごり惜しくて、一度二度と腰を下ろして、周りの雪の景観を楽しんだ。
 行きと比べれば、緑岳から小泉岳と続く山の上の雲は少なくなっていて、いつもの残雪期の夏山の姿になっていた。(写真下)



 後は、高原温泉の登山口に戻るだけだった。
 去年は、ヒザを痛めていて、一歩一歩に苦痛で声をあげたくらいだったのだが、今年は注意して登り下りともにゆっくりと無理をしないよう歩いてきたためか、いやそれ以上に、この3か月近く飲み続けてきたコラーゲンのサプリが効いてきたというべきか、ヒザが痛くなることはなかった。

 ようやく、4時前に登山口に戻り着いた。
 休み時間を入れて、何と7時間もかかっている(コースタイム5時間)、今の私には行動限界の時間だった。若いころには、楽にその先の白雲岳まで往復したというのに。

 帰りに、友達の所に寄ってしばらく話をしたが、あまりゆっくりもできなかった。
 年を取ってくると、暗くなってからは周りが見えずらくなり、クルマの運転が心配で、夜のドライブはしたくないからである。
 それでも汗まみれの体と、お湯の中での足のマッサージはしておかなければならない。
 途中で、町の施設の風呂に入り汗を流して、再びクルマを運転して、家に戻ったころには、もう日もとっぷりと暮れていた。
 日ごろぐうたらに過ごしている男が、この日は長時間の実働で、もう後は万年床にバタンキュー(古い言葉だなー)。 

 次の日から三日間、ひどい筋肉痛になってしまったのだが、それは日ごろから怠け者の生活を送り、山登りはもとよりたいした運動もしていない、私の自己責任の問題なのだが。
 しかし、こうして山に行ったことは良かったのだ。確かに、小屋泊まりができなかったことや、天気が私としてはイマイチだったことと、花の時期が早かったことなどを差し引いても、まずは十分に楽しめた山行だったのだ。
 こうして、この年になれば、一つ一つがありがたく思えるものなのだ。 
 ”生きてるだけで、もうけもの。”

 昨日一昨日と、どんよりとした晴れの空で、この北海道でも32度まで上がった所もあり、わが家でも、気温が30度近くにまでなって、家の屋根裏部屋では、その熱波の影響を受けて、27度くらいまで上がっていた。もっとも下の部屋は、丸太小屋の断熱効果で、22度くらいのちょうど良い涼しさだったが。
 きょうは一転、霧模様の曇り空で、日中の気温は15度くらいまでしか上がらず、前日との気温差は15度近くもある。
 昨日はTシャツ一枚だったのに、今日はその上にフリースを着込んでいる。
 この北海道の、気温の差が好き。
 ”八丈島のきょん”。(漫画『こまわりくん』の意味のない感嘆詞!)