7月10日
数日前に、九州に戻ってきた。
豪雨災害もさることながら、幾つかの用事もあって、毎年この時期には一度家に戻る必要があるからだ。
北海道十勝地方は、梅雨前線による豪雨が続く北部九州地方とは違って、南からの高気圧に覆われて、連日35度を超える猛暑日が続いていた。
確かに外は暑いのだが、窓を閉めて家の中に閉じこもっていれば、丸太小屋の断熱効果で22度くらいまでしか上がらないし、逆に夜になれば窓を開けて、15度くらいにまで下がる外気を取り入れて、涼しい夜を過ごせるというわけだ。
生来の北海道の人にとっては、それは当たり前のことなのだろうが、内地の蒸し暑さを知っている私たち移住者たちにとっては、この涼しさこそが北海道にいる大きな理由の一つでもあのだ。
国内における移住者たちの動向についていえば、相変わらず、沖縄奄美などの南の島が圧倒的人気であり、次いで東京から近い山間部の里山や海辺の地域ということになるらしく、昔は断トツの人気だった、この北海道への移住は相対的に減少しているのだろうが。
まあ、明るい暑い夏に穏やかな冬の南の島が好きなのか、それとも、涼しい夏に明るく厳しい冬の北海道がいいのか、どうも南のほうがが8:2くらいの割合で、どうしても北海道のほうが分が悪いようだが、それでも私は広い北海道が好き!八丈島のきょん!(昔のマンガ「こまわりくん」の意味のない感嘆詞。)
そんな私が、まだ梅雨明け前のあのねっとりとした暑さの九州に戻らなければならないのだ。わが家の周りの豪雨被害も気になるし。
その日も猛暑日の予報が出ていた十勝地方を後にして、飛行機に乗った。
快晴の天気だが、このところの猛暑続きの空は、もやにおおわれ、日高山脈の山々はかすんでやっと見えるだけだった。
他にも、わずかにちらりと、大雪方面の鮮やかな残雪模様の山々が見えたのだが、私の座っていた方向からは逆になり、その逆の窓から飛行機が離陸後旋回する時に、きれいに大雪の山々が見えていたとのことだった。
(何としても死ぬまでに一度、冬の晴れた日を選んで、旭川ー東京便かそれとも道内便の札幌ー女満別、札幌ー釧路便に乗って、心おきなく山々を眺めてみたいのだが。
航空写真家ならばともかく、今までにこうして、飛行機の窓にかじりついて山々の眺めに夢中になっている人を、他に見たことはないし、私だけのひそやかな愉(たの)しみなのかもしれないが。
しかし、そうしてまでもより美しい山の姿を見たいと思い、ねちねちと憧れ続けることこそ、まさに年寄りらしい、虚(むな)しくも哀れな偏執狂(へんしつきょう)マニアの姿なのだろう。)
そして飛行機は太平洋を飛び越えて、まだまだ大津波の爪痕が残っている東北沿岸部から内陸部に入って行く。
夏の熱気のかすんだ空気はずっと続いていたが、それでも残雪をまだらに置いた山々が見えてきた。
奥羽山脈上の、焼石岳(1548m)、栗駒山(1627m)、蔵王(1741m)、吾妻連峰(2035m)などであるが、それらの山々と離れて少しかすんではいるが、日本海側に面する、鳥海山(2236m)、月山(がっさん、1984m)、朝日連峰(1871m)も見えていて、明らかにわかることは、雪の量の違いであり、遠目には、まだ雪山ではないのか思うほどの残雪があった。
冬の東北の日本海側は大雪になり、反対側の太平洋側は雪は少なく晴れた日が多い、という地域特性を如実に示しているかのような景観ではあった。
東北には、私がまだ登っていない山が数多くあり、特に気になっている、朝日連峰が西側にたっぷりの残雪を残して、大朝日岳(1871m)から以東岳(1771m)に至る主稜線の山並みを見せていた。(写真上)
もちろんこの朝日連峰でも、かなりの雪解けが進んでいて、青黒い稜線が続いていたが、そこではもうヒメサユリとヒナウスユキソウの花が咲き始めていることだろう。
さらに会津磐梯山(ばんだいさん、1819m)と猪苗代湖までは見えていたが、飯豊から上信・北関東の山々は、沸き立つ夏雲の中に隠れていた。
羽田で乗り換えて福岡行きの便に乗る。
期待していた富士山は、同じように周りの沸き立つ雲に隠れようとしていた。
夏の午後という時間を考えれば、無理からぬところだが、それでも富士山の斜面に沿って上昇気流が雲となって駆け上がり、こうして周りを取り囲んでいる様子がよくわかる。
そして最高点頂上(3776m)には雲がかかり始めていたが、その他のお鉢(はち)周りは見えているから、まだ周りを囲む雲海の眺めを楽しむことができるだろう。
ただそれにしても、富士山は雪が少ない。先ほど見たばかりの東北の山々は、高さが富士山の半分ほどしかないというのに、あの雪山のような雪の量はどうだろう。
つまり、日本海側の山で高度が4000m近い山があれば、おそらくヨーロッパ・アルプスにあるような氷河が存在しているはずであり、数年前に立山カルデラ砂防研究所などが発表したところによれば、今でも立山・剣岳の万年雪の谷には、少しずつ動いている氷結した雪の塊があり、日本にも氷河があることが確認されたという。
その中でも、立山(3015m)御前沢の雪渓は、普通立ち入ることもなく、近くで見たこともないからわからないが、剣岳(2998m)東面の二つの雪渓、三ノ窓と小窓の雪渓は、仙人池方面への途中から見上げることができて、それは素人目に見ても、ヨーロッパ・アルプスの小規模な氷河を思わせる景観だから、今回それが氷河だったと認められても、やはりそうかと思った人も少なくはなかっただろう。
ただ、あまりにも小規模すぎる。少なくとも、あの魚のうろこのような形で、密になって流れ下る姿としての氷河を日本で見るためには、この剣岳に、もう1000mの高さがあったならばとも思うのだが、それはまた、わが北海道の日高山脈があと1000m高ければ、という思いとおなじことなのだろうが。
そして、山々が見えたのはそこまでだった。眼下に名古屋の市街地が下に広がっていた後は、梅雨前線が一部、南北に立ち上がる形なっていて、見事な雪のプラトー(高原)ならぬ、広大な雲のプラトーが広がっていた。(写真下)
この穏やかに見える乱積雲(あま雲)の下では、おそらくは弱いながらも雨が降っていることだろう。
そして、この前線から少し離れた瀬戸内海上空にまで来ると、積雲(わた雲)がぽつんぽつんと浮かんでいて天気も小康状態だったが、やがて、前線が下りてきていて大雨警報が出ている九州北部地域に差しかかると、積乱雲(にゅうどう雲)が幾つも立ち並んでいた。
飛行機は、玄界灘の海側から南下するために、その積乱雲に近づくことはなかったが、飛行機が下降中であることを考えても、そのうちの一つは、おそらくは1万mを超える巨大なもので、頭頂部分が巻雲(すじ雲)のある高さにまで達していて、そこで乱れ分かれ始めていた。(写真下)
空港は、それらの積乱雲から、少し離れたところにあり、少しの揺れだけで滑走路に舞い降りた。
こうして、東京ー福岡間は、山や島や海岸線などほとんど見ることはできなかったが、前線による大雨警報が出ている中での、わかりやすい上空の雲の状態を見ることができて、実に興味深いひと時だった。もちろん、今はそれどころではない、豪雨被害を受けている皆様方には、他人事のような物見遊山の空の旅で申し訳ないとは思うけれども。
実は、これから戻る九州の実家は、今回の福岡・大分豪雨被害地域とさほど離れてはいない所にあり、心配したのだが、その集落の周りで雨は降ったけれども、被害は出ていないとのことで、一安心はしていたのだが、ともかく家を見るまではと気がかりだったことは言うまでもない。
そして、バスの車窓から見る、生々しい災害跡、緑の山肌が引っ掛かれたようにはがされ、土色がむき出しになり、その流れ下った先は黄濁色にまみれ、幾つもの生木が乱雑に積み重なり、道も田んぼもそして車でさえもその泥の中に埋まっていた。
そんな状況の中で、何とか道を確保すべく数台の重機が一か所に集中して動いていた。
さらに、あちこちの支流をたどって奥に入って行けば、また幾つもの惨憺(さんたん)被害状況を見ることになるのだろうが、走るバスから見た、ほんの一部でしかない幾つかの光景だけでも、胸ふさがれる思いだった。
小学生の子供を残し妻は行方不明のまま亡くなった43歳の消防団員、幼い子供を連れてさらにおなかにもう一人を宿しながら、出産のため戻っていた実家で母とともに災害に遭い亡くなった26歳若い母親・・・他にも、親や子や、友人知人、住む家までもなくし、あるいは、もう立ち上がれないほどの大きな被害を受けた人々がいて。
一つ小さな山を越えた別の支流では、何ら変わることない、緑の山里の風景が広がっているというのに・・・。
そうして、被災地でのつらい時を過ごしてきた人々と、同じ時を何事もなく普通の毎日を送ってきた私たち・・・。
しょせんは、仲間の一頭がライオンに食べられている所を、他の仲間たちと遠巻きにして見るほかはない、あのヌーの群れと何ら変わることはないのか、私たちは・・・。
考えてみれば、田舎に住んでいても、都会に住んでいても、それぞれにいつも、様々な別の危険があり、それは地球上のどこに住もうとも、私たちが人間という生き物である限り、すべての生き物に課せられたものなのかもしれない・・・。
善悪の彼岸を越えて、私たちが立ち向かう他はない、生と死の彼岸・・・。