ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

一敗地にまみれる

2016-05-09 20:13:43 | Weblog




 5月9日

 連休の間、雨が降ったのは1日だけで、春らしいさわやかな天気の毎日だった。
 おかげで、今までぐうたらに過ごしてきて、いろいろとたまっていた庭仕事などを一気に片づけることができた。

 二日にわたる草取り。確かに初めは、ちゃんと雑草の一つ一つの根の先まで掘り返して、抜き取っていたのだが、余りの数の多さに、途中からは面倒になってきて、上に出ている葉っぱの部分だけをむしり取っていくことになる。
 なるほど、それで”庭の草取り”と言ったり、”庭の草むしり”と言ったりするのかと、今頃になってひとり納得するじじいではありました。
 さらには、それこそ”ネコの額(ひたい)”ほどの小さな畑を耕し、石灰をまいて数日間土になじませ、たい肥になる肥料を入れて、野菜苗を植えていく。
 最後に、防護ネットを張って、ようやく終了というわけだ。
 シカの被害については、前にも書いたように、家の近くにあった直径30cmもあるネムノキが、その幹回りの表皮を食べられて、哀れにも枯れてしまった。(’12.12.17の項参照)
 毎年、梅雨明けのころには、あの虹色の花をいっぱいに咲かせてくれる、私の大好きな木だったのに。 
 もちろん被害は、様々な立木だけにとどまらず、この地区の家の畑は軒並みに被害を受けて、すべての家で防護ネットなどの対策をとっているほどだ。

 今では、日本中の田舎で、特にシカ、イノシシ、サル、クマなどによる、こうした食害の被害が増えていて、問題は一向に解決されそうにもない。
 自然界と耕作地範囲のバランス、自然界における動物たちの食物バランス、今まで適当な動物間引きの役割をはたしてきた狩猟人口減少のみならず、過疎地化が急激に進む山間部人口そのものの減少、手入れされない植林地の放置などなど、細かい事由を書いてゆけばきりがないほどだ。
 
 そうした中で、まだわが家の周りのシカの食害などは大したことはないのかもしれないが、一番衝撃だったのは、去年の秋の、北アルプスでのニホンザルの写真だ。
 ライチョウのひなをくわえていて、その後食べてしまったとのことだ。
 山に登るものとして、何と悲しいことだろうか。
 夏の盛りに、北や南の日本アルプスの、開けたハイマツの稜線を歩いていると、よく一羽の母親ライチョウとその後に続く何羽かの小さなヒナたちに出会うことがあって、その心なごむひと時に、さらなる山の楽しみを満喫していたのだが。 (写真下、’12.8.5の項参照)


 
 昔、こうした高山帯の稜線で出会うのは、ライチョウかその下の尾根斜面にいるカモシカぐらいのもので、しかし当時は山里の近縁にいたシカやサルたちが、近年になって山の上にまで上ってくるようになり、特にこの十年余りは、高山帯でも必ずと言っていいほどに、サルに出会うことが多くなり、それもお花畑で高山植物を食べている姿を見ていて、その食害も気になったし、さらにもしかして人間慣れしていて、警戒心の薄くなったライチョウにまで被害が及ぶのではないかと、心配はしていたのだが・・・そのライチョウのヒナを口にくわえたニホンザルの写真は衝撃だった。

 日本の天然記念物であり、個体数が減少していて、下界での増殖計画もままならず、このまま絶滅への道を歩んでいき、やがてはトキのように、日本の山から姿を消してしまうことになるのだろうか。

 こうした自然界での、動植物たちの生存競争に、その自然の神々の法則にまで踏み入って、私たちが軽々しく異論をさしはさめるわけもないのだが、一つには人間社会のせいでもあり、そうしたことも併せて、人間だけが特に大きく強い感情として持っている、いわゆるロマンティックな同情心からすれば、余りにも痛々しい自然界の情景の一つということになるだろう。
 と言いつつ私は、庭の見てくれが悪くなるという理由の一つだけで、ようやく芽吹いたばかりの、あるいは小さな花を咲かせたばかりの草々を、情け容赦(ようしゃ)もなく引き抜いているのだ。
 そして、昨日、家の軒下で、大きな羽音をさせて巣作りを始めようとしていた、二匹のスズメバチを見つけて、ハエ取りスプレーを噴射して殺してしまった。
 体長3cm以上もあるそのスズメバチは、最後の力を振り絞って、下腹部から毒針を出し入れしながら、息絶えていった。
 私は、今までに何度かスズメバチに刺されたことがあり、一度は病院で手当てをしてもらったことがあるし、さらに数年前には同じ軒先に、スズメバチが大きな巣を作り、それを取り除くのに一苦労したことがあるからだ。
 スズメバチは己の繁殖本能に従って、ただ巣づくりをしようと飛び回っていただけなのに、いわれなき人の手によってその命を奪われてしまったのだ、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)。

 いつも言うように、世の中のすべては、ライオンと捕まって食べられている一頭のヌー、そしてそれを遠巻きにしてみるヌーの群れ達が作る、一つの自然界の情景になるのだろう。

 さらに前回からの、映りが悪くなったテレビのために、アンテナ方向の木の枝切り作業だが、それでも今のままNHKとBSさえ見えていれば何も困らないと、広言していたのだが、やはり民放がないと何か物足りないし、寂しい感じなのだ。
 そこで思い切って、さらに今度ははっきりと中継局方面が見えるようにと、ヒノキとモミジの木4本の上部の数か所の枝ををそれぞれに切り落とした。
 いずれの仕事も、年寄りがやるにしては高い梯子の上での危険な仕事なのだが、何とか事故なく無事にやり終えることができた。

 そして、家に戻り早速テレビの映りを確認した。
 全部の放送局が、前のように見られるようになっているだろうと思っていたのに、結果は全く変わらず、NHKしか映らない。
 さらに、アンテナの位置をあちこち代えてみたが、同じことだ。
 母が喜んでいた、あの新緑の景観を犠牲にしてまでも、テレビのためにと多くの枝を切り落としたのに、まったく変化がない。
 くたくたになるほどの体力の消耗と、何よりあの新緑の木々が、今では醜く上部の枝を切り落とされた姿になっていて、いったいこの一週間ほどの仕事は何になったのだろうかと思う。
 さらには、この一連の枝切り作業で切り落とした量は、軽トラ2台分ほどもあり、20cmほどもある太い部分から枝先の数センチの部分までを、さらに電気チェーンソーを使って、今は使わないけれどもいつか使うかもしれない、ストーヴの薪(まき)用にと切り分け、自宅軒下へと運んだ。
 それでも、テレビも映らないのにと、木を切ったことへの後悔しきりだった。

 ”一敗地にまみれる”、ふとそんな言葉が思い浮かんだ。
 昔は、大相撲やプロ野球結果のニュースの見出しとして、よくスポーツ面の頭を飾っていたものだが、最近はほとんど使われなくなってしまった。
 それは、大敗するとかひどくやられるという意味で使われていたものだが、今回の庭の木々の枝切り騒動で、私が得た結果は、結局テレビは映らず、大切な木々の景観も失ったということであり、特に樹木に関していえば。10年やそこいらで簡単に元に戻るはずもない、取り返しのつかないことであり、私の決断が間違っていただけの、情けないほどの”一敗地にまみれる”ような愚行(ぐこう)だったということだ。

 ”しゅん”として、一時はふさぎ込んだものの、元来が脳天気な私、それでもいいこともあったはずだと考えてみる。
 まず、なまっていた体の、良い鍛錬(たんれん)になったこと、細かく切り分けた薪(まき)は、いずれ何かが起きて暖もとれなくなった時には、数日分の燃料になるだろうし、このたびに学んだいろいろなことは、残り少ない人生の中でもきっと生かせることになるだろうと。 
 まあ気晴らしに、影響を受けなかったBS放送での”AKB48SHOW”でも見るかと、録画再生ボタンを押せば、まあ今回は、HKTにSKE,そしてNMBと、姉妹グループのそれぞれが元気に歌い飛び跳ねていて、それだけでも楽しい気分になった。

 さらに、前の週に録画していたNHKの”ぶらタモリ”で、今回からあの桑子アナウンサーに変わって近江アナウンサーになり、久保田アナウンサーから続くNHKアナウンサーらしい、純な娘さんたちふうなキャラクターがいかにも良いし、彼も”いじり”甲斐があるというものだ。 
 そのあたりのことを、深夜番組風にまでは落とさず、少し遠回しにくるんだ表現で・・・「オレの体の上を、何人のNHK女子アナウンサーが通り過ぎて行ったことか」、とニヤつきながら言う彼に、思わず吹き出し笑いしながらも感心してしまった。
 もちろん普通には、何人もの男性遍歴をしてきた年増のおねえさんが、タバコをふかしながら”アンニュイ(ものうげ)”な気分で言うセリフであり、それをまだ若いNHKアナウンサーの前で言う、彼のきわどい才覚には、いつものことながら感心させられるし、70歳になるというタモリさんだが、ゴールデンタイムの民放バラエティー番組などには出なくてもいいから、こうした半ばマニアックな彼の才能を生かせる番組には、出続けてほしいものだ。

 そして昨日のことだ。
 テレビからHDMI接続のBRレコーダーのほうに切り替えて、録画していた番組を見た後、ふとこのレコーダー直接での映りはどうなのか、そこで減衰される前の映像の映りはどうだろうかと思って、レコーダー側のチャンネルを選んで押していたところ、何と民放の番組が映っているのだ。”ガチョーン”(あまりにも古くて若い人にはわからない谷啓のギャグ)。
 まさかと思い、テレビのほうに切り替えてみると、やはり元のままで全然映っていない。
 ということは、テレビのアンテナからの入力は、もともとこのレコーダーを経由してテレビのほうにつないでいるのだから、このレコーダー経由の線がちゃんとテレビに送られていないということになる。
 そして、テレビの裏面ごちゃごちゃした配線をたどっていくと、何とテレビに接続しているところで、ほとんどはずれかかっていたのだ。”八丈島のきょん!”(昔の漫画「こまわりくん」での意味のない感嘆符)。
 
 その配線をちゃんと接続した後、テレビ画面でそれぞれの放送局のチャンネルに合わせてみると、くっきりと映るわ、映るわ、それの入力レベルも十分で、前以上に(木の枝を切った効果もあるのだろうか)雨風に影響されることなくちゃんと映っているのだ。
 あのイタリア映画の名作『ニュー・シネマ・パラダイス』(1988年)で、子供のころから映画好きだった少年が、やがて大人になって映画関係の人として成功するが、その子供時代に多くのことを学んだ昔の映写技師のおじさんから、形見としての映画フィルムを贈られる。
 それをスクリーンに映し出してみると、昔検閲でカットされていたラブ・シーンをつなぎ合わせた、フィルムによる名作集になっていた。
 それらのキス・シーンが流れていく、美しき感動のひと時のように、私は、しばらくぶりで画面に流れる民放それぞれの映像に、ぼうぜんとして見入ってしまった。

 他人から見れば、お笑い草に過ぎないだろうが、故障の時の基本的な第一の確認ポイントである、すべての配線がつながっているかどうか確かめるということをしていなかったための、ごく初歩的なミスだったのだ。情けない。
 ”灯台下(もと)くらし”(ろうそくをつけた手で運ぶ灯台の下だけは暗いというたとえ)。
 それは、テレビ本体の接続ではなく、今までも度々あったことのある、アンテナ方向不良や木々の繁みだけが頭にあって、肝心なところの接続という基本のことは、当然つながれているものとして、まったく注意を払っていなかったというだけのことだ。
 そして、こうしてテレビはちゃんと映るようになったのだが、当然木々の伐採による景観は失われてしまったままだし、その大きな損失と、今回のテレビ画面回復による、”アハ体験”に似た喜びの瞬間と、まあ喜び哀しみも相半ばする、私らしい出来事だったのかもしれない、”もって肝(きも)に銘(めい)ずべし”。

 さて、庭の片隅には、エビネランの花が咲いている。(冒頭の写真)
 母がずいぶん前から植えていたもので、いつもこの花の時期を楽しみにしていた。ところが私は、この時期には、北海道のほうへ行っていることが多く、こうしてゆっくりと花が咲いているのを見たのは、はじめてに近いことなのだ。
 花の時期以外は、大きなしわだらけの茶色に傷んだところもある汚い葉を広げているだけで、この花のどこがいいのだろうと思っていたが、今年初めてじっくりと見て、さすがにランの花だと思えるほどの、美しく繊細な花びらが幾つもに並んでいる形が見事であり、ようやくこの花の価値を納得した次第である。
 つまり物事は、その最上最適の時期を見逃していれば、いかに長くそれを見ていたとしても、決して正しい判断は下せないし、また最上の時だけを見ただけでは、そこに行き着くまでの長い雌伏の時間があってのことだと、理解はできないだろう。
 
 私たちはいつも、全方位全時間的に物事を見ることができないから、それだけに、いつも自分は自分だけでしかない、仮構空間の中で生きていることを自覚すべきなのかもしれない。