ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

快晴の四日間

2016-05-02 22:10:27 | Weblog



 5月2日

 まったく、九州では、この連休は素晴らしい天気の日々だった。(北アルプスでは悪天候で7人もの遭難者が出たとのことだが。)
 快晴の天気の日が、4日も続いたなんて、私の記憶の中でも思い出せないくらいだ。もっとも、今日は午後になって、ようやく薄雲が広がってきたが。
 そして、そんな連休前半の日々を、私は、周りを歩き回った以外は、家で過ごした。
 地震はほとんど収まってきたし、仕事はいくらでもあったが、それは今までの私のぐうたらぶりで、たまりにたまっていたものばかりだった。

 まずは大好きな洗濯を、4日続けてやることができたが、この天気で洗濯ものはあっという間に乾いてくれた。
 朝の気温は10度以下に冷え込んでも、日中は20度を超えて、きょうなどはついに25度を超える夏日になっていた、
 外での仕事は、遅ればせながらの庭の草取りと、これもまた遅すぎる畑起こしの仕事など。
 そして、これが一番大変だったのだが、テレビアンテナの調整だ。
 最近、テレビの映りが悪くなって、かろうじて見られていた民放放送局がすべて見えなくなってしまったのだ。
 家は、ただでさえ電波状況の悪い、地方山間部にあり、雨や雪の時にも見られなくなることがあったのだが、今回はとうとう普通の晴れた日にさえ映らなくなってしまったのだ。

 そこで最初は、屋根に上がってアンテナ位置を調整していたのだが、ついにはNHKも画像が乱れてきてしまって。
 まずアンテナを換え、さらにはブースターを換えて試してはみたが、状況は変わらない。
 とすれば、もう残るのは、周りの木々が高くなり茂ってきたことによる障害だけなのだが。
 10数年前にも、周りの立木の上の部分を切り落として改善したことがあり、今回もそうするほかはないのだが、問題は、今では余りにも高く伸びすぎた木をどうして切り倒すかだ。 

 特に邪魔だと思われる、ポプラの木は高さ20m近くもあり、周りにも他の木々があり、そんな中で切り倒すのは一苦労だ。
 その上、このポプラの木は、昔北海道などで見てはすっかり気に入ってしまい、苗木を買ってきて庭の片隅に植えたものだが、毎年少しずつ大きくなってきて、亡くなった母がベランダから見て、「新緑の葉が風に吹かれて、いっせいにひらひらと揺れるのはいいねえ」とよく言っていたもので、その木を切るというのも、何か後ろめたい気もするが。
 それでも、他に方法がない。後できるのは、高い鉄塔を立ち上げるくらいで。
 ポプラにはしごをかけて、安定しない足場で、ノコギリで木を伐り始めた。
 直径20cmほどもあり、片手は木の枝を握りしめてという体勢で、汗は吹き出し息も続かない。
 途中で中止して、家に戻って、サイダーを飲んで一休みするほどで、さらに何度かの小休止を入れての作業の後、ようやくその木は、周りの木々も巻き込んで倒れた。
 その後、さらに木の幹や枝を幾つかに切り分けて運び、結局すべて終わるまで2時間近くもかかってしまった。
 まさしく疲労困憊(ひろうこんぱい)、年寄りにはきつい仕事だし、まかり間違えばの危険な仕事だった。
 
 さらに今日も、松の木を一本切って、それでどうやらNHKだけは安定して映るようになったが、民放放送局はまだ今一歩といった感じで、さらに周りの木の上の方を切る必要があるだろう。
 前々回に、熊本地震の最初の被害が出た時に、ネットに被害者たちを小ばかにするような投書があったことを紹介したけれども(4月18日の項参照)、彼が言うように、私は今時、木造家屋に住むような年寄りであり、彼が住んでいる高層ビルのマンションではないから、テレビを見るには、壁についているアンテナ端子につなぐだけでよいというわけにはいかないのだ。
 それは、自分で選んだ、田舎の緑の木々に囲まれた家に住むからこその苦労の一つなのであり、当然の仕事なのだが、それでも民放テレビを見るために、そこにはAKBの番組を見るためにということもあるが、それでも地震に強い耐震設計された、都会の高層ビルに住みたいとは思わない。
 
 そして気づいたことがある。
 民放局の番組が見られなくなって、もう2週間にもなるのだが、確かにAKBなどの番組が見られなくなって残念ではあるが、他に毎週欠かさず見ていた番組があるかというと、たいしてないのだ。
 つまり、年寄りにとっては、NHKの2局とBSが映れば、さほど困ることはないということだ。
 そんな中で、ふと見たNHKと教育の番組から、いくつかのことを。

 まずは、新しく始まった歌番組”うたコン”(もう少しまともな番組名がなかったのかとも思うが)、を何気なく見ていたのだが、今までの番組の歌謡ショーふうなものから、J・POP(じぇいぽっぷ)の若い人たちの歌う歌まで、ごちゃまぜに歌っていて、面白味と違和感があったのだが、一つだけ思わず引き込まれて聞いてしまった歌があった。
 それは、サラ・オレインの歌う「蘇州夜曲(そしゅうやきょく)」である。
 出だしから、その美しく澄み切った歌声に魅了されてしまい、あっという間の一曲だった。

 「蘇州夜曲」は、西條八十作詞服部良一作曲による、戦前から戦後にかけての日本歌謡曲の名曲の一つである。
 戦争前の1940年(昭和15年)に映画の中で、李香蘭(りこうらん、山口淑子)が歌い、その後も渡辺はま子などによっても歌い継がれて、私も後年、映像などで彼女たちが歌う姿を見てはいい曲だと思ってはいたのだが、サラ・オレインの歌声で、また新たな今の時代の名曲として再認識したのだ。
 それは、李香蘭や渡辺はま子が歌っていた、古い中国”支那”の香り漂う、当時の”水の蘇州”の風景ではなく、70数年後の今の時代の”水の蘇州”の風景が、というよりは、歌う彼女サラ・オレインの美しい姿が、ともに目に浮かんでくるのだ。

 去年は、あのインドネシアの女学生ファティマの歌声に魅了されたのだが(’15.10.5の項参照)、今年はこの彼女の歌声に注目する年になりそうだ。
 私は最近、クラッシックCDの他には、洋楽ポップ系のCDなどほとんど買うことがないのだが(AKBのCDは105円の中古品として数枚買ったけれど)、それでもどうしても聞きたくなって買ったCDが2点ある。
 一枚は、あのトリノ五輪フィギュア金メダルの荒川静香が、その後のエキジビションの演技の時に流れた曲「You Raise Me Up」には、母が亡くなった後ということもあって、思わず涙してしまったが、その曲を含むアルバム曲全部が素晴らしい「ケルティック・ウーマン」であり(’14.11.24の項参照)、もう一枚はエンヤの歌うアルバム、そして今回さらに、このサラ・オレインのCDもそこに加わることになるのかもしれない。

 言うまでもなく、いずれもイギリスはアイルランド系、スコットランド系の彼女たちの歌声である。
 サラ・オレインのことは何も知らなかったので、後でネット調べてみると、スコットランド系の父親と日本人音楽家の母との間に生まれて、オーストラリアのシドニー大学を首席で卒業していて、ヴァイオリンをあのワンダ・ウィコミルスカに学ぶほどの才能があり、声楽はその後学び始めたのだそうだが、その声域の広さと安定した透明な歌声には定評があるとのこと。
 なお、ありがたいことに、この時の番組での彼女の歌う姿を、YouTubeで見ることができる。 

 そして、NHK・BSのドキュメンタリー番組”NEXT未来のために”から「28歳ちえみの”孫ターン”」、途中からたまたま見たのだが、今どきこんな娘さんもいるのかと、感心した次第だ。つまり何度も繰り返すが、あの熊本地震での年寄りの犠牲者に対して、心ない投書をした若者がいるように、こうして年寄りのことを考えてくれる若い娘さんもいるということなのだろう。
 彼女は、大阪生まれの看護師だそうだが、田舎暮らしにあこがれていて、徳島の田舎に一人で住む87歳の祖母のもとへ、一緒に住むべく移住してきたというのだ。
 年齢差が大きくて、時には相手のことを理解できない時もあるが、彼女はおばあちゃんからいろいろなことを教えてもらえるのを楽しみにしていて、周りの人々の協力を受けながら、その地域に溶け込もうとしているのだ。
 ただ夜勤などの連続で、家を空けることも多く、それを心配して集まった身内や親戚などの勧めもあって、結局、おばあちゃんは地元のグループ・ホームに入ることになるのだが、彼女は週に一度はそのホームに祖母を迎えに行って、一日を一緒に過ごすことにしているとのこと。

 その親戚や彼女の母(つまり、おばあちゃんの娘)などが集まって、家に一人でいて何かあった時にはもう手遅れになるしと心配しているときに、おばあちゃんがぼそりと言ったのだ。
 「わしゃ、家のどこで倒れてもかまわんけどな。」 
 おばあちゃんは、今は亡きおじいちゃんと一緒に過ごしたこの家にいたかったのだが、周りの子供たちの心配もわかるし、その皆を安心せるために、仕方なくホームに入ることにしたのだろう。
 そういえば、熊本地震の時、最初の地震の後、避難所に逃げたおばあちゃんが、もう地震は収まったしおじいちゃんと一緒に暮らした家だからと戻って行って、翌日の本震で家屋が倒壊してひとり亡くなったとのこと。

 なお、これは余計なことかもしれないが、先週の週刊誌の新聞広告見出しに、熊本地震が大きく取り扱われているところは、新聞社系の週刊誌を除き一誌もなく、中には一行もの見出しがない所もあった。
 タレント・スキャンダルのスクープには、まるで鬼の首を獲ったかのような、大見出しをつけるのに・・・。
 安全なビルが立ち並ぶ、東京にいれば、熊本地震など、あのライオンに食べられている仲間のヌーを遠巻きにして見ている、他のヌーの群れの仲間たちの思いと同じことなのだろう。
 それで思い出すのは、東京でほんのわずかの積雪があると、その日のテレビ・ニュースでは各社トップ・ニュースとして大々的に取り上げられることになるが、一日で1mもの雪が積もることもある北陸・東北・北海道の人たちは、それをどういう思いで見ているのか・・・。
 まあ、人間そういうものなのだよ。”犬が西向きゃ、尾は東向く”、あーヨイヨイ、ときたもんだ。
 
 そして今日、ちょうど昼食の時間に、教育テレビでいつもの”にっぽんの芸能”で『新名人列伝』として、いずれも歌舞伎の名役者である、先代、先々代などの中村勘三郎(かんざぶろう)、松本白鸚(はくおう)、尾上松緑(おのえしょうろく)などの芸風の違いを比較しながら紹介していたが、古いカラーや白黒の荒れたフィルムからさえも、それぞれの芸の確かさが伝わってきて、実に見ごたえがあった。
 東京にいたころ、それぞれ一度は彼らの舞台を見てはいるのだが、今になって映像で見るほうが鮮烈によみがえってくるのはなぜだろうか。
 さらに、尾上梅幸(ばいこう)や中村歌右衛門などとの組み合わせの舞台もあり、あの有名な『勧進帳(かんじんちょう)』での弁慶(べんけい)と富樫(とがし)のやりとりなど、今見ても思わず引きずり込まれてしまう見事さだった。もちろんそれを解説していた、歌舞伎評論家の第一人者渡辺保さんの話の巧みさもあったのだが。
 できることなら、あの荒れた白黒フィルムでもいいから、昔のだしものを一本丸ごと放送してはくれないだろうか。 

 というわけでその他いろいろ、じいさんにとって民放が見られなくても、NHKに教育そしてBSが見られれば、まだまだテレビを見て楽しく生きていけるというわけで、はい。

 さて、私は連休で外が混むから家にいるというだけの話で、上に書いた木の伐採作業や庭仕事のほかに、いい季節だからと家の周りをあちこち散歩して、華やかな春のいろどりを楽しんだ。
 ちょうど今は、フジの花の季節で、うす紫や時には白い花がつる性に伸び幹から、たくさんの花房を下げていて、その香りとともに、何ともうれしい見ものになっているのだ。
 冒頭にあげた写真は、コナラなどの木に巻きついたものだが、濃い緑のヒノキなどにまとわりついて咲いているフジの花も、また目立ってきれいである。

 そして、その帰りに寄った山道の林のそばに、さわやかな白い花を抱えたササバギンランが三株ほど咲いていた。(写真下)
 今ではその数が減り、こうして見つけることも少なくなったのだが、北海道の家の林の中に咲く、同じ仲間のクゲヌマランのことを思い出した。
 南と北に離れて咲く、同じ仲間の花たち・・・。