ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ノック、ノック、ノック・・・

2015-10-05 21:12:03 | Weblog



 10月5日

 朝の最低気温が一けたになり、日中の最高気温も20度を超えることはなくなってきた。
 家の林の木々も、あちこちで色づき始めている。
 はっきりと、秋になったのだ。

 今年は、いろいろと実り豊かな秋になった。
 まだ林の中には、ラクヨウタケが出ているほどで、1か月以上にわたって、今までに最高の収穫量だった。
 さらに畑のミニトマトに、庭木に植えていたリンゴの木にも、小さな実がびっしりとなっているし、生け垣のハマナスの花はさすがに終わったが、赤い実が点々と見えている。
 そして今日、これも庭木として植えているキタコブシの木に、今まで見たこともないほどいっぱいに実がなっていて、それが赤く色づき始めていた。(写真上)
 この房になった実のさわやかな赤い色は、本当の実ではなく、やがてこの外側は土色に枯れて、中からミカン色の種が出てくるようになるのだが。
 ともかくこれまでに、このキタコブシの木に二房、三房の実がなっているのは見たことがあったのだが、今年のこの爆発的な実のなり具合、房数の多さは、どうだろう。

 そういえば、今年の春先に、湿った重たい雪が降っていて、いつもより遅く5月になって九州から戻ってきた私は、あちこちの倒木や枝折れの被害にぼう然としたのだが、まあ家にまで倒れかからなかっただけでも幸いだったのだが・・・。(5月18日の項参照)
 その時に、このキタコブシの木も、大きな枝が何本も折れていて、その部分を取り除くために、それらをノコギリで切り落としたのだが、その後夏にかけては、残った枝から葉がいっぱい出てきて、前と同じように茂ってくれたから、安心していたのだ。
 つまり、植物たちは大まかに言えば、自分たちが弱ったり枯れたりする前に、その危険を察知して、自分の子孫を残すために、いっぱいの種を含んだ実をつけたり、根元から新たな芽を出したりするものだから、今になって、たくさんの実をつけたこのキタコブシに、何かが起きているのではないかと心配になったのだ。
 もしそれが、私のたんなる杞憂(きゆう)であって、このキタコブシが、今自分の精力の盛りにあるということであるのならばよいのだが。

 さらにもう一つ。数日前に、あの台風並みに発達した低気圧が北上して、北海道中に暴風が吹き荒れて、日本海側では40m/sを超えたところもあったということで、この十勝地方でも25m/sくらいにまでなるほどの強い風だった。
 その二日に渡る大風の後に家の外に出てみると、飛んできた枝葉が散乱していて、それを片づけるのも一仕事だったが、それ以上に、林の中のカラマツの木が3本も倒れていたのだ。
 それも、風が直接吹きつけてきた西側の端の木ではなく、林の中にある木が根元から折れていたのだ。(写真下)



 なぜだろうと思ったが、すぐに納得がいった。
 つまり、林のへりにある木は、いつも何かと風にさらされることが多くて、そのために根張りも強くなっているだろうけれども、林の中にある木は、日ごろから周りの木とともに、風当たりがいくらかは弱められるから、さらに逆に言えば、周りに競争しなければならない木があるから、その分、この40年ほどにもなる木としてはあまり太くなってはいないし(他には大きいもので直径40cmくらいあるのに、この木は20cmほどで)、根の張り方も弱いのだろうし、さらに折れた根元を見て分かったのだけれども、それまでは気がつかなかった根元の部分が、少し傷んだりしていたのだ。
 まあ、自分のいいように解釈すれば、このカラマツ林の間伐(かんばつ)を兼ねて、毎年ストーヴの薪(まき)づくりのために、いつも危険な思いをしてチェーンソーで切り倒しているのだが、今年はその手間が省けたということになるのだろう。

 そして木にまつわる話と言えば、これも毎年のことなのだが、今年も秋になると、わが家に来て、ノックする者がいる。
 トン、トン、トン・・・というだけでは終わらなくて、さらに続けて、トン、トン、トン、トン、トン、トンとその音は止まらない。
 キツツキのアカゲラが、今年もやって来たのだ。
 丸太づくりのわが家の壁面ではなく、屋根の裏側軒先(のきさき)の板張りの所か、あるいは丸太小屋を建てた時に、ついでに余った丸太で建てた隣のマキ小屋の壁か、どちらかなのだが・・・。
 マキ小屋の丸太は、この家を建てる時に、長い間空き地に野ざらしに置いていて、多少”ふけって” (痛んで)いたものが多かったから、そこに虫が巣くって、それを狙って、アカゲラが穴を開けたのだろうが、まあその穴くらいで小屋がどうこうなるわけでもないからと放っておいて、あちこち穴だらけのままなのだが、家の方の屋根の軒先はそういうわけにもいかない。
 見上げると、直径10cmほどもあって、十分にアカゲラが出入りできる大きさだ。(写真下)

 

 どうしてこんな所に、アカゲラは穴を空けたのか。
 卵を産んで、ヒナを育てる、営巣(えいそう)の時期はとっくに過ぎているのに、なぜ今頃、毎年同じように秋やってきて、軒先に穴を空けて回るのか。
 これは私の推測でしかないのだが、中にいる虫を捕るためだろうと思っている。
 元をたどれば、建築経験もなかった私が、何冊かの本を頼りに、分からないところは人に教えてもらって、何とか建てたこの家だから、今にして思えば、予算が十分ではなくて、安上がりに仕上げようとして、不十分になった所がいろいろとあるのだ。
 その中の一つで、屋根の軒先の裏側の板張りで、本来ならば、ちゃんとした床板と同じような、”合いじゃくり”の板(板の両端を一部欠き取って、すき間なく組み合わせられるように加工したもの)を使うところなのに、ただ普通の”ぬき板”を並べて打ちつけただけだから、当然、時間がたてば板の収縮で隙間ができるようになり、その隙間から虫が入り込み、よい隠れ場になっているのだろう。
 さらにここは、周りに牛を飼っている農家があることもあって、日ごろからハエが多いのだが、そのハエたちがいつも今の時期にになると、寒さから逃れては(北海道のハエも越冬する)、家の中に侵入してくるのだが、まずは家の軒裏の板の隙間から入ってきて、そのうちに家の中に入り、じっとして冬を越すつもりなのだろう。

 ただ、そうした虫たちがいることを知っているアカゲラも大したものだ、と感心してばかりいるわけにはいかない。ともかく穴をふさがないと。
 そこで、ハシゴをかけて、軒裏のその部分の板を切り取り、防腐剤を塗った新しい板に取り換え打ちつけて、さらに他にも、小さな隙間を空けている所があって、そこはコーキング剤を充填(じゅうてん)してふさいでしまった。
 その後、今のところ、例のノックする音は聞こえない。

 先日の満月の夜、月が最も大きく見えるという、”フルムーン”を見るために、外に出た。
 ライトがいらないほどの明るさだった。 

 「月夜であります。
  月夜であります。
  月夜である。
  ”神父さん。” トントン。
  ”神父さん。” トントン。
  ・・・。
  ”しっ。”
  ”しっ。”
  ・・・。
  そうした声がするようで、
  じつはしませぬ。牛舎です。
  暗さは暗し、静かです。
  ・・・。」 

(『日本の詩歌9・北原白秋』 「トラピストの牛」より 中央公論社)

 実は、今、毎日のように、私の頭の中を流れ来る歌がある。
 それは、一週間ほど前に、テレビで聞いた歌であり、私はその時に、年甲斐もなくまぶたをうるませてしまったのだ。
 その歌番組は、日本テレビで毎年放送されている『のどじまんTHEワールド』であり、今までにも何度か見たことがあって、そのたびごとに世界各国から集まった日本の歌が好きな、外国人のしろうと歌手たちに、感動させられ感心させらることがあったのだが、今回はその中でも、さらに記憶に残る印象的な回になった。

 時には、審査員の評価が、私たち視聴者との評価とは合わぬことも多くて、不満に思うことも多かったのだが、今回は決勝に至るまで極めて妥当な評価であり、そうした満足感も付加価値ではあるが、歌への好印象を強くしたと思う。
 ともかく、さすがに世界各国で選ばれて日本に来ただけあって、日本の本家の「NHKのど自慢・チャンピオン大会」にさえも勝るとも劣らぬ、聴きごたえのある歌ばかりだった。
 これは、出場していた歌手たちのすべてに言えることだが、日本での”のど自慢”的な番組で歌われる歌が、元歌の歌手の歌まねであることが多いのにくらべて、この『のどじまんTHEワールド』に出ている外国の歌い手たちのすべてが、全く元歌とは違う歌になっていること、つまりそれは、その曲自体を理解したうえで、自分の歌として歌っているからであり、そのことに感心するばかりではなく、大げさに言えば、日本と外国の文化芸術意識の差すら感じてしまうのだ。
(間違いを恐れずに言えば、模倣(もほう)文化としての成り立ちと、独自個性主張の文化の差とでもいうか。)
 
 そんな歌い方の中でも、白眉(はくび)と言えるのは、毎回の常連であるアメリカのニコラスの歌だった。何とサザン桑田佳祐の「涙のキッス」を、ハイ・テノールのきれいな高音を持つニコラスが、あのバリトンのクセのある節回しで歌う桑田佳祐の歌を選んだのだ。
 それは全く、あのサザンの歌ではなかった。ニコラスの、歌だったのだ。
 歌としてみれば、決勝の二人には遠く及ばない歌であり、あれほどの実力があるのに選曲ミスだと言われるのかもしれないけれど、楽譜に書かれた音符の歌い方や解釈の仕方に、これほどのふり幅があるのかと驚かされたのだ。
(もっとも、クラシック音楽の演奏では、指揮者による、オーケストラによる、ソリストによる演奏の違いが様々に表れて、それがクラシック音楽を聞く楽しみにもなるのだが。) 

 さて決勝で、高得点で争った、二人の女性の歌は・・・もう、それぞれが意味合いの違う感動的な歌であり、まさに甲乙つけがたい感じだった。
 優勝したインドネシアの女子大学生、ファティマが歌ったのは、アニメ『NARUTO ナルト 疾風伝』の冒頭に流れる曲だとのことだが、世界では評判の日本の漫画文化にきわめてうとい私は、初めて聞く曲だった。
 それなのに・・・もう、まぶたを熱くしてしまった。

「飛翔(はばた)いたら、戻らないといって。
 目指したのは、蒼(あお)い、蒼いあの空・・・。」

(作詞作曲 水野良樹。この歌は、女の子のボーカルと楽器の男性二人によるユニット”いきものがかり”のもので、作詞作曲の水野はそのリーダーでもあるのだが、彼らの歌が、NHK朝ドラ『ありがとう』で使われたように、年寄りの私にも納得できる内容のある歌詞と曲であり、安心して聞くことができた。)

 それにしても、ファティマの歌声は、なんというきれいな聞きやすい日本語だろう。
 それもイスラム教徒のヒジャブ(スカーフ)で髪を隠した、インドネシアの娘が歌っているのだ。
 見事なリズム感に乗って・・・。
 中間部の、「堕(お)ちていくと・・・」というところから、「・・・追い続けていくよ」へと移っていくところの、歌詞を十分に理解していなければできない、歌い方、感情の変化の見事さ。
 さらに、無理なく低音から高音への音が伸びる、やわらかなビロード・タッチの声質。その昔、「Automatic」でデビューしたばかりの、あの宇多田ヒカルの声、さらに言えば、これはほめすぎになるだろうが、デビュー時のころのソプラノ歌手キャスリーン・バトル(YouTubeの「オン・ブ・ラ・マイフ」)の声さえも思い起こさせるほどだった。
 あと望むらくは、彼女が、あのイスラム教徒のヒジャブをつけたままでも、インドネシアという国を超えて、日本の歌の数々を歌ってくれるようになることを祈るばかりなのだが・・・。
 (この『のどじまんTHEワールド』から、日本で歌手デビューを果たしたアメリカ人、クリス・ハートの例もあることだし。)
 
 さて、この決勝で彼女と高得点の争いを繰り広げたのが、可愛い赤ちゃんのいる母でもある、フランスから来たのフロラである。
 フロラが歌ったのは、あの鬼塚ちひろ作詞作曲 による、彼女の畢竟(ひっきょう)の名曲『月光』。
 しかし、本当のことを言えば、これがいい歌であることだと分かっていても、私にはどこか引っ掛かりを感じる歌だったのだ。
 それは、少し厳しく言えば、「この腐敗した世界に堕(お)とされた」という冒頭の歌詞からも感じ取れるように、今の世代の一部の若者にありがちな、自分が悪いのではなく周りのせい社会のせいだという、責任転嫁(てんか)論の臭いが感じられて、古い人間である私などは、いささか違和感を覚えてしまうのだ。
 (小さなことを言うようだが、堕ちるとは、自分から落ちていく場合に使うのであって、他人から落とされる場合には使わないのでは。)

 ともかく、ここで歌われたフランス人の彼女の歌は、元歌である鬼塚ちひろの、ほとんど”うらみ節”に聞こえる歌とは、大きくへだったっていて、私にはむしろ、”原罪に悩む天使の声”に聞こえてきて、それが多分にも彼女のクラッシック声楽の素養からくるものだろうが、無理なく声量豊かに伸びる声と相まって、思わず涙がこみ上げてきたほどだ。
 そして、フランス語が母国語の彼女にとっては、難しいはずなのに、何というきれいな日本語で歌うことだろう。
 最近の、と言ってももうずいぶん前からだが、変に英語なまりの日本語風に巻き舌で歌う日本人の歌手たちが多い中で、この外国人二人の女性の歌によって、日本語のきれいな響きの歌を、改めて知らされたような気がしたのだ。
 
 結果的に、インドネシアのファティマが優勝して、フランスのフロラは次点だったのだが、それは私も妥当な結果だと思うけれども、ともかく今度の大会では、彼女たち二人の歌声が傑出(けっしゅつ)していたことだけは確かである。
 私はテレビを見ていて、途中からこれは録画しておかなければと思って、ちょうど決勝のところを録画できて、後で二人の歌の部分だけに編集して、今はほとんど毎日のように聞いては、やはり胸がいっぱいになってくるのだ。(YouTubeでも見ることができる。)
 
 何かしら良いことに出会えること・・・それが生きていることの、大切な意味の一つなのかもしれない。
 
 この秋、東北の山の紅葉を見に行こうと思っていたが、平年よりも一週間も早いとのことで、その期を逃してしまった。
 それなら、北か南のアルプスへと考えないわけでもなかったが、決断するほどの勇気が、もうこのじじいになってしまった私にはないのだ。
 そして、今、せめて雪が来たばかりの、北海道の山の一つくらいはと思っているのだが、果たして、このぐうたらに過ごすことに慣れた中では、それも・・・。