ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

秋の山歩き

2015-10-19 21:46:13 | Weblog



 10月19日

 天気の良い日が続いている。
 最低気温がマイナスに近づき、毎朝霜が降りていて、一気に秋が深まっていく。
 家の林の紅葉も、見るまに赤みを増してきた。

 そうして、晴れの日が続く最初の日の朝、全道的に晴れ渡り、目の前には稜線に雪が来たばかりの日高山脈が立ち並び、遠く大雪、十勝岳連峰の連なりも白くなっていた。
 それはまさに、絶好の山登り日和(びより)だったのに、それも、前日から天気予報で知っていたのに、私は重い腰を上げることができなかった。
 朝早く、と言ってもまだ暗いうちから起きて出かけることも、あるいは前回の登山のように(9月21日の項参照)、前日に家を出てふもとの民宿に泊まることも、そんなにまでして山に登りたいとは思わなくなってきたのだ。
 理由はいくつかある。
 まずあげるべきは、生来の”ぐうたらさ”に輪をかけて、年寄りの”ものぐさ”さが加わったものだから、もうこれは、てこでも動かぬ”石の地蔵"になってしまったということだ。
 さらに若い時には、多少無茶な行程でも、何としても登りたい、景色を見たいという思いで、元気に出かける気になっていたのだが、今ではそれらの山には、すでに四季折々に何度も登っていて、そうした経験や思い出がいくつもあるから、年寄りになった今、それ以上のものに出会えるかどうかもわからないのに、どうしても行きたいとは思わなくなってきたのだ。
 つまり、盆栽いじりや庭いじりに、楽しみを見出す他のじいさんたちと同じように、家にいて穏やかに過ごすことのほうが、心穏やかに楽しく過ごせるのだと思えるようになってきたからだ。
 今までここでも何度もあげてきた、あのドイツの文豪ヘルマン・ヘッセのエッセイ集、『庭仕事の愉(たの)しみ』(草思社)に書いてあることが、一つ一つうなずけるようになってきたというべきか。

 中学生のころから、絶えることなく数十年近くも続けてきた、私の山登りは、長い最盛期のころには、ただ山へのひたすらな情熱に駆られていたのだが、今やそれは、秋の枯葉のように一枚一枚と色あせて、失われつつあるようにも思えるのだが。
 いや、そうではない。数は少なくなったといえども、一か月に一度は山に行かなければという習慣的な思いがあり、それは、なぜか自分に課した義務感のようなものであって、さらに言えば、山の中にいたいという思いは、もう自分の生来の性質の一つのようにもなっているのだ。
 だから、終日快晴だったこの日も、とても家にじっとしてはいられなかった。
 よし、山を見にいこう、とカメラを持って家を出た。
 十勝平野の全域、どこからでも日高山脈を見ることはできるが、北海道らしい広大な畑を前景にして、バランスよく日高山脈を眺めるには、中札内村や更別村辺りから眺めるのがよく、そこからは遠景として、日高山脈が連なる全景を見ることができる。
 しかし、それぞれの山をもっと近づいて眺めるには、前衛の低い山で隠されないように近づいて、見えてくるポイントを探さなければならない。
 
 まず一番に見たい山は、カムイエクウチカウシ山(1979m)である。
 この山は、日高山脈第2位の山であり、アイヌ語で”クマが転げ落ちる山”という意味からも(諸説あるが)分かるように、鋭いピークが印象的であり、北海道でも私の一番好きな山でもある。
 しかし、この山を平地から近づいて見られるポイントは、どこからでもというわけにはいかない。中札内や更別の山側に近づいた辺りか(写真上、左側のとがった頂きがカムイエク、さらに左に見えるのがピラミッド峰で、カムイエクの右には1903m峰,1917m峰と春別岳が並ぶ)、あるいはさらに近づいた帯広の岩内仙境の先辺りから見るのがよい。

 まずは更別方面に行って山々を眺め、さらに山側に近づいて岩内近くでいつもの構図の写真を撮り、そして久しぶりに紅葉名所として有名な岩内仙境の園地に行ってみることにした。
 ”紅葉祭り”が終わった後で、広い駐車場には他にクルマが二、三台あるだけ。吊り橋を渡り、紅葉が残る静かな園内をしばらく歩いて行くと、右手に道が分かれて”金竜山登山口”の標識がある。

 この金竜山(466m)には、今までに何度か登っていて、それほど登山価値のある山とは言えないが、この岩内仙境の東側の入り口にある岩内神社の背後にある山であり、日高山脈が十勝平野に接する、そのヘリのところに目立っように盛り上っている。
 その山頂からは十勝平野側の展望は良いのだが、肝心の日高山脈側は、木々の間にわずかに見えるだけである。
 むしろ日高山脈の山々を見るのなら、中札内村の林道終点から歩いてわずか10分ほどの、立派な展望台のある一本山(355m)のほうがいいだろう。
 他にも、芽室町の新嵐山スキー場の丘(旧名雨山)からも、十勝幌尻岳(1846m)や札内岳(1895m)を間近に見ることができる。
 少し遠くなって、日高山脈全体を見ることになるが、幕別町忠類地区の丸山(271m)や白銀台スキー場(335m)から見ても悪くはない。

 ともかく、途中でもうカムイエクの写真は撮ったし、後は紅葉の山歩きを楽しみたかったので、スニーカーでも歩いていける、この岩内の金竜山に登ることにしたのだ。
 広い林道跡の山道は、とは言っても結構な傾斜があり、この日は暖かいこともあってすっかり汗をかいてしまった。
 しかし、何といっても誰もいない山道を一人歩いていくことの心地よさと、道の両側に続いているモミジ、カエデの紅葉や黄葉が素晴らしかった。(写真下)


  

 ただし、シラカバやミズナラなどの葉は、もう落ちたりこげ茶色に変色したりしていて、最後の鮮やかな赤い色の紅葉の木々だけが残っているという感じだった。
 そして何よりも、背景に、すべての景色を引き立たせてくれる青空があるということ。

 気楽に何度も立ち止まっては、写真を撮っては登って行き、下の駐車場からは40分足らずで頂上に着いた。ひと汗かくくらいの、ちょうどよいハイキング・コースだった。
 東側に十勝平野が広がり、西側の木々の間にカムイエクや十勝幌尻岳が見えていた。
 帰りには、少し日の当たる位置が変わっていて、さらにきれいに見える紅葉を眺めながら、いい気分になって、AKBの歌でも口ずさみながら下りて行った。
 山道では誰にも会わなかったが、園地の散策路には数人の人たちがそぞろ歩きを楽しんでいた。
 往復1時間余り、登山というのには気が引けるけれども、天気のいい日に初雪の山に行けなかった代わりに、その行き場のないぐうたらな自分を慰めるためにも、前回にも書いた、いつも用意してある代わりになる引き出しを開けて、山の写真を撮りに行き、さらに少しばかりの山歩きをすることによって、いくらかは補うことができたのだと思う。
 こうして、年寄りは、年寄りらしくあれこれ考えることで、自分をわきまえた年寄りになっていくのだろう。
 クルマに乗って表通りの道に出ると、まだ雲一つない青空を背景に、今登ってきたばかり金竜山が秋の日に輝いていた。(写真下)


 さて、”青空のうち続く、秋の日は、暮れずともよし”と言いたくなるほどに、穏やかな毎日だが、それは何もせずに家にいて、だらだらとした一日を送ってもいいし、あるいはやるべき仕事の幾つかに取りかかるにもいい日よりなのだ。
 今まで書いてきた、一か月もの間涸れていた家の井戸は、今ではちゃんと水が出ていてくれて、大量に使わない限りは何とか使っていけそうであり、とりあえずの心配がなくなったのだが。
 次の問題は、この前の台風で倒れたカラマツの木が3本もあり(10月5日の項参照)、さらにいつものストーヴ用の薪(まき)作りのためにと、たまっている丸太が小山になるくらいあって、まだまだひと仕事もふた仕事も残っているのだ。
 そこで、1年以上使っていなかったチェーンソーを出してきたのだが。というのも、今までは、ほとんどは家のそばで使う電気チェーンソーだけで間に合っていたからなのだが、林内の仕事ではそういうわけにはいかない。

 しかし、エンジンがかからない。そこで、何度もスターターのひもを引いたから(それだけで汗だくになるし)、どうもエンジンが”かぶって”しまったようで、カバーを外してみると、やはりスパーク・プラグが濡れている。
 それも10年以上も前に買ったチェーンソーで、プラグは一回も変えていなかったのだ。
 とりあえずプラグの交換しなければと、街のいつものディーラー取扱店に行ってみると、なんと店ごとなくなっていて、それならば他の店にと思うが、知っているところはないし、ホームセンターなどには外国メーカーに適合するものは置いていないし、先にネットで帯広十勝管内の取扱店を調べていればよかったのだが、知らなければ探しようがない。
 そこで公衆電話の電話帳で調べてみようと思ったけれど、今ではもうその公衆電話さえ見あたらないのだ。

 やっと何軒目かの大型スーパーの中に、その緑の電話があってホッとする。しかし、その電話機の下に置いてある電話帳で探してみたけれど、まずチェーンソーの検索用語がわからないし、狭い地域の薄いハローページだから、もちろんチェーンソーなんて項目はないし、電動工具でもないし、発電機でもないし、農機具でもないし、結局探しあぐねてあきらめ、ついでに必要な他の買い物をしただけで、プラグを手に入れられずに戻ってきた。
 そして、家に帰ってネットで調べてみると、ちゃんとそのディーラー店の移転先が乗っていたし、ハローページで調べるときには、林業器具という項目にあるのだということも分かった。
 ただ、こうした年寄りのアナログ的な苦労も、いつでもスマートフォンを持っているのが常識の、ほとんどの人たちから見れば、すぐに調べることができるのに、ばかばかしいことだと一笑(いっしょう)に付されるだけだろうし、ただただ古い時代の認識のまま、調べるには電話帳だと思い込んでいる私が悪いのだ。
 古いものにしがみついていても、自分が苦労するだけなのだが・・・”こんなことを申し上げる私も、やっぱり古い人間でござんしょうかね”(藤田まさと作詞「傷だらけの人生」より)。 

 ということで、再び街まで出かけて行って、無事に新しいプラグを手に入れることはできたのだが、始動の瞬間だけ爆発回転音は聞こえるのだが、すぐに停まってしまう。
 さらに、前にも掃除したエア・クリーナーを再びきれいにして、さらにマフラー部分のこびりついたカーボンなどもきれいにしたのだが、やはり始動はしても停まってしまう。
 回転数を上げるための調整は、その加減が難しいし、となれば、基本的なことだが、ガソリンが古くなっているからではないか、というところまで来たのだが。ここまでに、なんと1週間もかかってしまったのだ。

 最初にネットで店を調べて、修理に出していたら、今頃はもう気持ちよく動いて使えていただろうに。
 もっとも、その分しこたま修理代がかかってはいただろうが。
 しかし、ケチでなるべく金をかけたくはない”ごうつくばり”じじいの言い訳も、ここで聞いておこう。

 こんな田舎の一軒家で、何か起きた時に、手間暇かかっても自分で何とかするという習慣をつけておかないと、なんでもすぐ人に頼っていては、どうしても安楽な方向へ、金で何とかなるという方向へと進んでしまうことになる。
 この家を一人で建てた時から、一人で物事をやっていくのがいかに大変なことかは、肌身にしみてわかっているはずなのだが。
 抱え上げることもできない大きな丸太を、いかにして一人で上に持ち上げるか、考えて工夫すること。丸太を積んだ上の高い所にいて、そこで鉛筆や工具を落とした時に、それを拾ってくれる人はいないから、そのたびごとに一人で下に降りて行かなければならない。
 つまり一人っきりでやる時には、余分な時間が、二人の時の、2倍どころか3倍も4倍もかかるということだ。
 それを承知で、一人でやり通すことに果たして、どんな意味があるのか・・・。

 答えは簡単だ、そこに深い意味も、人生での教訓となるような意義もないのだ。
 簡単に言ってしまえば、それは人の性分だからということなのだろうが、ただひとつだけ言えるのは、困難に対して、がまん強くなるということはあるかもしれないが。
 もちろん、そのことで、自分を責めたり悪くは思わないし、ましてや他人にも迷惑をかけてはいないのだから。
 こうして自分で納得できる結論を作れば、後にひかないし大きなストレスも残さない。そして最後にAKBの歌でも聞いて寝れば、朝までぐっすり眠れるだろうし。
 もっとも年寄りだから、寝ぼけまなこで夜中にトイレには起きるけれど。

 ところで話は変わるけれども、81歳になるあの評論家の田原総一郎さん、彼はなんとAKBのファンであり、今度のあの秋葉原のAKB劇場での公演で、若手主体(ベテランもまじえて)の出演メンバーとセット・リストの曲目も自ら選んで、つまりそれまで各チームごとに行われていた公演を、自分で選んだ特別公演として立案し、プロデュースしたのだ。
 彼がAKBのファンになったのは、以前から親しくしていた、AKBの生みの親でありプロデューサーであり作詞家でもある秋元康に連れられて、劇場公演を見て、すっかりAKBにはまってしまったとのことだが、その第一の理由に、若い娘たちが一生懸命に歌い踊っているさまと観客たちの興奮に、あの甲子園の高校野球と同じ熱気を感じたからだと言っていたが、それは、テレビで見るだけの私でも、なるほどと思わされる言葉だった。

 さて、この特別公演は、それまでにも、同じAKBファンである元サッカー選手の岩本輝雄や落語家の春風亭小朝のプロデュースによるものが公開されていて、さらにはあのニューヨーク・ヤンキースの田中将大投手プロデュースも予定されているとのことだ。
 劇場公演やコンサート、握手会などにも一切行ったことのない私には、その楽しいだろう舞台のありさまを、ただネットのAKB情報サイトで知るだけであるが、それでも、普段とは違うメンバーたちの意気込みと、なるべくいろいろな方向へと変わろうとしている運営側の強い思いが伝わってくるようだ。

 NMBの”さや姉”(山本彩)が中心になって歌っている、NHK朝ドラ『あさが来た』の主題歌は、朝にふさわしくさわやかな歌声だし、ドラマもいまだに時代劇を作り続けているNHKらしくしっかりしたものだし、これまでの若者だけのドラマと比べて、何と私たち年寄りが素直に見られることだろうか。
 その”さや姉”が率いるNMBの新曲「Must Be Now」 は、今までのAKBグループには見られなかった(唯一「UZA」を除いて)、ダンスの切れ味とリズム感あふれる曲と詩であり、これまた秋元康と運営サイドの、自分たちに言い聞かせる熱意が伝わってくるようだ。
 色合いは違えども、姉妹グループの乃木坂46の新曲「今、話したい誰かがいる」も、いつものことながらにいい曲であり、来週のNHK・BSの”AKB48SHOW”ならぬ”乃木坂46SHOW”での、フル・バージョンの歌を聞けることを楽しみにしている。
 
 こんな”じじい”にとって、AKB熱は冷めるどころか、今は大切な私の引き出しの一つになっているのでありまして・・・。