6月30日
数日前に、山に行ってきた。
前回の登山からは、何と一カ月以上も間が空いてしまった。
北海道の初夏は、山登りには一番いい季節であり、今の時期にこそ、もっと山に何度も行くべきなのに。
しかし、そうして山に登ったのに、そこでは、毎日を平易にぐうたらに過ごしてきたことの、相応の代償を支払うことになり、思い知らされることになったのだが。
それまで、ぐずついた天気の日が続いていたが、ようやく天気予報で、3日続いてのお日様マークが並んでいた。
ずいぶん前に登っていて、もう一度は行きたいと思っている山が二つ三つはあるのだが、遠すぎて日にちがかかるし、あるいは歩く距離が長すぎて、ひざのけががようやく治ったばかりの私には、とてもそんな山に行く決心がつかなかった。
どこに行くか、そういうと時にこそ、私を優しく迎え入れてくれる山がある。
北海道の中央部に、一際目立つ高みとなってそびえる山々、大雪山・・・その広大な山域には、主な登山口だけでも8か所はあり、それぞれの季節ごとに、初心者から上級者まで、変化に富んだコースを歩いては、様々な山の姿を楽しむ事ができるし、まさに北海道の登山愛好家たちのなくてはならぬホーム・グラウンドである。
私は、もともと日高山脈の山々にあこがれて、その山々が見える十勝平野へと移住してきたのだが、確かにまだ若くて元気なころには、その日高山脈の冬山に挑み、残雪期のテント装備縦走に、夏の沢登りにと、単独行による自由なワンダーリング(逍遥 しょうよう)の山旅を味わっていたのだが、こうして次第に年を取ってきて、もう無理な事ができなくなってくると、少しずつ日高山脈の山々からは足が遠のくようになってきていた。
その分、アプローチも便利で、短時間で登ることができて、なおかつ日高山脈以上に明るい高山環境を併せ持った、大雪山の方へと足が向くようになるのは、年寄りとしては、まあ当然のなりゆきだったとも言えるだろう。
さらに最近では、年寄りのものぐさ病から、山に行く回数さえもが大幅に減ってきていて、なんとか月一度の山行を続けなければと思うほどになってきているのだ。
ただし、この時期に登った時の写真を見たり、ブログ・レポート(有名なのは『イトナンリルゥ』)などで、今の山の姿を見たりすると、そこはもともと山好きなおやじのこと、林の穴ぐらからのこのこ出てきては、山を目指すことになるのだ。
この大雪山へは、厳冬期を除いて、それぞれの登山口から合わせて数十回は入っているだろうが、その度ごとにいつも同じ景色を見ることになり、またかとも思うのだが、それでも実際に行けば、やはり大雪山の山のよさを味わい知ることになり、満足して山から帰ってくることになるのだ。
大雪のどこに行くかと考えて、まずけがしたばかりのヒザの心配があり、久しぶりの山行での体力の心配、さらには夏の内地遠征の山旅に備えての訓練も兼ねてということで、山小屋どまりの山行にすることにした。
大雪の稜線上には、四つの山小屋があり、そのうちの二つは夏季には管理人のいる 素泊まり小屋であり、あとの二つは避難小屋である。
このうち最もよく泊まっているのが、白雲岳避難小屋である。
管理人のいる夏や秋に、そしてまだ管理人のいない残雪期や初冬のころにと、今まで十数回はお世話になっている。
そして、トムラウシなどを目指して大雪山を縦走する人たちは、まずは表側の旭岳温泉口を出発点にする場合が最も多く、次に裏側の層雲峡側から上がる黒岳経由のコースもあり、いずれにしてもこの小屋までは軽い一日行程になるし、さらには交通の便は悪くなるが(自分のクルマで行くことができれば問題ないが)、銀泉台や高原温泉口から入れば、もっと近くて4時間ほどで着くことができる。
もちろん、周りの緑岳、赤岳、北海岳、白雲岳などを登った後小屋に寄っても、日帰り往復できる距離にあるのだが、まずはのんびりと山を楽しみたい時には、そして周りの高山植物の花たちや秋の紅葉を眺めながら散策したい時には、まさにうってつけの拠点になる小屋だといえるだろう。
つまり幾つかの心配を抱えて、かつ次の山行の準備もしたい私には、まず最初に思いつく山小屋でもあるのだ。
朝早く家を出たのだけれど、途中でコンビニやスタンドなどに寄ったうえに、最初目指した銀泉台への道はまだ冬期間閉鎖のままで、仕方なく戻って高原温泉に向かうことになり、登山口の駐車場に着いたのはもう7時にもなっていた。
まだ夏山シーズンには早いために、クルマは十数台ほどがあるだけだった。
そして、高原温泉の噴気孔を横目に見ながら、登りはじめたのだが、すぐの急坂で、なまった体がもう悲鳴をあげ始めた。
脚が重い、息が苦しい。そのうえ、一泊装備のザック(15㎏)が重たすぎる。
あえぎながらのろのろと登っていると、後ろから来た同年輩のおじさんが、あいさつしてはすたすたと私を抜き去って行った。
ザックは日帰り装備で、私よりははるかに小柄だから体も軽いだろうし、あの足取りは、おそらくは日ごろからよく山に登っているからだろうと思った。
それに引きかえ、この私は最近だけでも3㎏近くも体重が増え、身長引く100の数式体重の値をはるかに超えてしまったメタボぶり。
日ごろから食っちゃ寝の自堕落(じだらく)な生活で、足腰を鍛えることもなく、前を行く彼とは同じ年代でも、その差は歴然としていた。
さらに、言い訳その二として、私は山を急いで登るために来たのではなく、周りの景色を眺め楽しむためにきたのであり、だから疲れないようにのんびりと歩いているのだと。
そしてやっとのことで、展望が開けた見晴台に着いた。
私は、重たいザックをおろし、汗をふきながら、小さなベンチに座った。
あたりにはルリビタキのさえずりが聞こえ、目の前には、いつもの眺めが広がっている・・・新緑の高原温泉の盆地の上に、鮮やかな残雪をつけて、忠別岳(1963m)から高根ヶ原方面の山なみが見えていた。(写真上)
今まで、何度も見てきた光景だが、実際にこうして目の前に対峙(たいじ)して見ると、その度ごとに何物にも代えがたい新鮮な感興が湧き上がってくる。
青空いっぱいの光、遠近感そのままの眺め、さわやかに吹きつける風 、木々の匂い、鳥たちの声・・・今、そこにあるものの確かさ。
そこに、自分がいるということだけで、満ち足りた思いになるということ。
私は、あのジャン・ジャック・ルソー(1712~1778)の言葉の一節を思い出す。
「・・・魂が安立の地盤を見出して、そこに完全にいこい、そこにその全存在を集中することができて、過去を想起する必要もなく、未来に蚕食(さんしょく)する必要もない状態、現在が永久に持続しつつ、魂にとって時間が無に等しい状態・・・ただあるのは、我々の存在しているという感覚だけ、そして、この感覚が全存在を満たしうるような状態がつづくかぎり、そこに見いだされるものこそ、幸福と呼ばれうるのである。
・・・。
この状態がつづくかぎり、人は自分だけで満ち足りうる。ちょうど、神と同じように。その他の一切の煩悩(ぼんのう)をなくした存在感覚は、それ自身、満足と平和の貴重な感覚で・・・。
・・・。
それにしても、人間社会から削除された一人の不幸な男なら、もはやこの世では他人に対しても自分に対しても、有益なことも、善いこともなすことのできなくなった男なら、人間のあらゆる幸福に対する償いくらいは、せめてこの状態の中に見いだしてもよかろう。」
(『孤独な散歩者の夢想』ジャン・ジャック・ルソー 青柳瑞穂訳 新潮文庫)
山登りの幸福感は、ひたすらな苦役(くえき)行動の後の、一気の解放感の中にあり、そうしてただ周りの光景に身を任せるそのひと時こそが、山登りの醍醐味(だいごみ)の一つなのかもしれない。
しかし、その平和な状態は長くは続かないのだ。
私は、再びザックを背にして、まだまだ先に続く山道を登り始めることになる。
もう先ほどのような急坂ではなく、丸太で区切られた雪の残る道を上がって行くと、辺りが開けて広い雪田(せつでん)に出た。
その雪田の果てには、いつもの緑岳(2020m)から小泉岳(2158m)に連なる山なみがあり(写真)、振り返り見ると、沢筋に残雪を刻んでニペソツ山から石狩連峰へと山々が続いている。
この辺りの雪田が消えて、エゾコザクラやアオノツガザクラのお花畑が見られるようになるのは、まだ二カ月近くも先のことだろう。
それにしても、この雪田や雪渓歩きほど楽しいものはない。
勾配が急な所なら、アイゼンが必要になるのだが、この大雪山ではそうした危険な所は余りないし、残雪の涼しい冷気の上を、サクサクと靴音を立てて歩いて行くのは実に気持ちがいい。
天気の良い日の、青空と残雪と緑色の山なみ・・・その絵葉書写真的な鮮やかな光景こそ、私の最も好きな自然の風景の一つなのだ。
第一花園から第三花園まで続く雪田歩きの最後の所、緑岳が正面に大きく見える辺りでザックを下ろして休む。
行きかう人もなく、はるか下の沢筋の方から、カッコーの声とウグイスの声が聞こえてくる。
雪田を吹き抜ける風が涼しく、このままぼんやりと山を眺めていたかったが、気になるのは緑岳の上にまとまり始めた雲の塊である。
崖になったガレ場を上がり、背丈を超すくらいのハイマツやナナカマドの中の道を回り込んで行くと、高原温泉方面が開けて見え、足元には、濃い黄色のミヤマキンバイとレモン色のメアカンキンバイが隣り合って咲いていた。コマクサの花はまだ見えなかったが。
さらに後ろから来た、私よりは若い人だが、小屋泊まり装備のザックの人にも抜かれてしまった。
私はそこから少し上がった所、開けた急斜面の岩塊帯が始まる辺りで、岩の上に腰を下ろして休むことにした。先ほどの休みからまだ30分ほどしかたっていないのに。
彼方には、いつものはるかに続く山々の眺め・・・高根ヶ原からトムラウシ山(2141m)へと続く溶岩台地の尾根が続き、その東側では急崖となって、まだ残雪に覆われた高原沼群が点在している。
振り返り見上げる緑岳山頂の上には、相変わらず雲が広がっていた。
私は立ち上がり、再びゆっくりと登り始めた。
脚が張って疲れていたし、息つぎも苦しいし、背中のザックも重たく感じられて、一カ月以上ものブランクと日ごろの不摂生(ふせっせい)がたたっていることは明らかだった。
上から小屋泊まりらしい大きなザックの人たちが、二人また二人と下りてきていた。
私は何度も立ち止り、息を整えてはのろのろと登って行った。
ただ足元には、所々に、白いイワウメとさわやかな薄黄色のメアカンキンバイの花々(写真下)が咲いていて、つらい登りを一瞬だけでも忘れさせてくれた。
そして、さしもの大岩塊斜面がいつのまにかゆるやかになり、砂礫(されき)の道が出てくると、ジグザグに上がって緑岳の頂上に着く。誰もいなかった。
何と、3時間のコースタイムの所を4時間もかかっている。その昔には、2時間たらずで登っていたこともあったというのに。
しかし嘆くことはない、年を取り体力が落ちたことで、余計に時間がかかることで、あらたに見えてくるものもあるわけだから。
砂礫地の線状土に沿って、イワウメやミヤマキンバイ が点々と咲いていて、その背景には残雪模様の旭岳(2290m)と白雲岳(2230m)が並んでいた。
ニペソツ山から石狩岳、武利(むりい)岳、屏風岳などの周りの山々も幾らかかすんできていて、上空にはすっかり雲が広がっていて、花の色も褪(あ)せて見えていた。
ゆっくりと休んだ後、頂上から下って行き、日帰りで戻ってくる人とすれ違い、分岐から左手に小屋を目指して下りて行くと、辺りはキバナシャクナゲ、エゾノハクサンイチゲ、エゾコザクラなどのお花畑になっていて、写真を撮っていたら、何とポツリポツリと水滴が落ちてきた。
それはいつの間にか、本降りの雨になってしまった。
カメラをザックに入れ、雨具を出して上だけ着込み、小屋との間を埋め尽くす雪渓を歩いて行ったが、目印のロープがずっと引かれているから、ガスの時でも迷うことはないだろう。
それにしても、天気予報からしても、雨になるとは思いもしなかったし、大体が晴れた日にしか山に行かない私にとって、おそらく何年ぶりかで着込んだ雨具だったのだ。
雨の中、緑岳からはさらに1時間近くかかって、小屋に着いた。
それからも雨は降り続き、雷が鳴り、登山客が次々に入ってきて、今の時期には珍しく十数人もの人たちでにぎわうことになった。
その中にはオランダから来たという、若いカップルがいて、娘の方はきれいな英語を話していて聞くと、日本が大好きでこれで4回目になるという。
3週間のバカンスの休みを取って日本に来ていて、2週間をトレッキングにあて、まずはトムラウシ山まで縦走するつもりだとのことだった。
あまり長くは話せなかったから、詳しいことは分からないが、それにしても、世界の若者たちにとってはよく知られた日本のアニメやコスプレではなく、北海道の山歩きに来たという若い二人のその思いがうれしかった。
政府に観光立国の方針があるのなら、こうした本当に日本の風土や人々を好きになってくれる旅行者たちにこそ、何らかの力添えをしてやるべきなのだろうが。
付け加えて、あのスイス・アルプスの山小屋と比べて、現在のこの大雪山の山小屋のトイレ事情は、全く最貧国トイレと変わらないひどさであり、私たちはもうそんな山のトイレには慣れてはいるものの、彼女には申し訳ない気がした。
(そのあとも二日間天気は良かったから、二人は、美しい大雪のトレッキング・コースを満喫したことだろう。そして、彼女はオランダに戻って周りの人に言うことだろう。
「日本の北にある山は、すべてがお花畑で、ロックガーデンのようで素晴らしかったわ。ただし、トイレだけは、Terrible ! 」・・・だと。)
雨が止んで、再び晴れ間が広がってきて、明日は晴れるだろうと思いながら、私は往復1時間かけて、いつもの高根ヶ原の東側にできている巨大雪堤(せきてい)を見に行ってきた。
いつもは10数メートルもの高さになる雪庇(せっぴ)ができるのだが、今年は全体的に雪が少なく、ほとんどは雪田(せつでん)状に広がっているだけだった。
戻ってきて、夕食を作って食べ、周りの人たちといろいろな話をしたが、みんなそれぞれに生きてきて、そこではそれぞれの状況がありながら、今の時期の大雪山を歩くために、同じようにこの山小屋にやって来たのだということ。
そして明日になれば、互いに別れを告げて、それぞれにまた自分の向かう道へと歩いて行くだけのことだ。
みんなは早めに寝袋に入り、話し声もしだいにおさまっていき、ただドイツ語の発音に似たオランダ語の話し声だけが聞こえていた。
彼女の、声を抑えてクスクス笑う声が可愛いく聞こえていた。
その二人の声も聞こえなくなり、次には何頭もの怪獣たちの呼び交わす声に代わってきた。
いつも静かな林の中の一軒家で、ひとりで寝ている私にとっては、とても眠れる状態ではなかった。
それは覚悟の上だった。眠れなくても目を閉じているだけでも、いくらかの睡眠の代わりにはなるだろうから。
地鳴りのような声で吠える怪獣が一匹、怪獣が二匹、怪獣が三匹・・・。
次回へと続く。