ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

春の終わりのカッコーの声を聞いて

2014-06-09 17:50:57 | Weblog



 6月9日

 終日小雨模様で、寒い。数日前までは、気温30度を超えていたのに。
 朝の気温は10度にもならないくらいで、日中でもそれから数度上がるだけで、とうとうたまらずにストーヴの薪(まき)に火をつけてしまった。
 まあ、今頃の北海道では、こうした気温の上下はよくあることだが。

 それにしても、数日前までは、北海道各地で最高気温が更新 されるほどの暑さが続いていた。
 もともと季節ごとの寒暖の差が大きい、この十勝地方で、最高気温37.8度を記録したのだ。まだ真夏でもないというのに。

 ただし我が家では、木々に囲まれているせいもあって、それほどの高い気温にはならなかった。 
 もちろん、照りつける日差しは真夏並みで、30度を超えていたから、外での仕事はせずに涼しい家の中にいた。
 丸太づくりの家の中は20度くらいで、外から戻ってくると、冷房の効いた部屋に入るようで、体にはあまりよろしくはないのだが。

 そしてこの暑さで、あのエゾハルゼミたちが、幼虫から成虫にかえったヌケガラをあちこちに残して、それぞれに羽をふるわせていっせいに鳴き始めたのだ。
 その数・・・無数。

 ふつうセミの鳴く声は、一匹一匹の連続的な断続音なのだが、これだけ林中のセミがいっせいに鳴くと、もうただギャーと絶えることなく続く音の流れでしかない。
 他の物音は何も聞こえないほどの、大音量の音なのだが、慣れてくるとあの街中での騒音ほどにはうるさくはないが、やはり、耳を聾(ろう)するばかりのやかましい音ではある。

 一月前に”ライラック祭り”が開かれていたその札幌の街は、この週末にかけて恒例の”よさこいソーラン祭り”でにぎわい、独特の鮮やかなはんてん衣装で身を固めた若者たちが、新緑の街路樹の下、隊列を組んで華やかに踊っていた。
 そのライラックの花が、家の庭では今ごろになって満開になっている。青空に映えるライラック(ムラサキハシドイ)の花。(写真上)

 地面に咲く草花に比べて、いつも見上げた上にある花たちであり、それだから空を背景にしてひときわ鮮やかだ。
 春先の、白梅紅梅のウメの花に始まり、白いコブシにモクレン、赤いハナモモ、日本の心の色であるサクラ、赤から白へと変化してゆくシャクナゲに三色のツツジ、さらにはアメリカハナミズキの明るい薄紅色、そしてこの白と紫のライラックから、真夏のネムノキノの虹色、さらには緋色のサルスベリに至るまで、その他にもいろいろと季節ごとに見ることのできる、木の花たちの数々・・・。
 そうしたおなじみの花々たちに、毎年変わることなく出会えることの喜びは、我が身を仮託した生きることの証しなのかもしれない。
 みんなそれぞれに、自分の生を全うすることに懸命なのだ。

 長く続いた暑い日々が終わり、この三日ほどは 一転して小雨模様の寒い日が続いている。
 林の中で、あれほどまでにうるさく鳴いていたセミの声が、ぴたりとやんだ。
 時々、一匹が羽をふるわせようとするが続かない。もどかしげな、セミの声が一つ二つ、林は押し黙ったままだ。
 すると、突然、明るく響き渡る鳥の声が聞こえてきた。
 カッコー、カッコー。 

 春先には、林のあちこちから聞こえていた小鳥たちのさえずりの声が、今ではもうほとんど聞こえない。
 もうそれぞれに、縄張り宣言のさえずりの時を終え、つがいになった鳥たちは、枯れ草で編んだ巣をつくり、そこに卵を産んで温めているからだ。
 そんな静かになった林に、渡りの時期をうまくずらして、カッコーたちがやってくるのだ。

 彼らは、他の鳥たちが卵を産み落とすところをうかがっている。忙しく行き来する小鳥たちの巣をねらって、親鳥がいない時に素早く自分の卵を産み落としていくのだ。
 そのカッコーの卵は、もともとその巣にあった鳥たちの卵よりは早くかえるようになっていて、その孵化(ふか)したばかりのカッコーのヒナは、まだヨチヨチ歩きの毛も生えていない体で、他の卵たちを動かしては巣の外に落とし、自分だけがその巣の親鳥たちが運ぶエサを独占して、ひとりだけ早く成長しようとするのだ。

 それはカッコーにとって、様々なリスクもあるのだろうが、ヒナの育成を他の鳥に託した、托卵(たくらん)という彼らが考えついた一つの種の保存の形態であり、人間社会の価値判断だけでは決めつけられない、自然に生きる者たちの厳粛(げんしゅく)な姿でもあるのだ。
 つまり、そこではカッコーだけがずる賢く悪いわけでもなく、自分のヒナだと思って育てた鳥だけが、哀れなわけでもない。

 それは、そういう鳥社会の中で、長い時間をかけて変容し、常態化させてきた自然の営みの一つだと見るべきなのだろう。
 ずいぶん前にもこのブログに書いたことがあるが、ある時、ハマナスのやぶの中に作られていた鳥(アオジ)の巣が、蛇に襲われて、その鳥の卵が丸呑みにされるところを見たことがあるが、その時、私は何もしなかった。
 ただ目の前で繰り広げられる、神聖な自然の営みを、多少の感情に揺さぶられながらも、黙って見ていただけである。

 今、小雨降りしきる中、小鳥たちはおろか、セミの声すらしない。
 ただカッコーの声だけが、遠くに聞こえている。
 それは、”春の終わりの、カッコーの声”だった。
 
 イギリスの作曲家、フレデリック・ディーリアス(1862~1934)には、「春の初めのカッコーを聞いて」という管弦楽曲がある。 
 その中で聞こえてくるのは、少し間延びしたようなカッコーの声だが、あのイギリスのゆるやかにうねる田園地帯の風景には、ふさわしい響きでもある。
 こうしたイギリスの自然風景を見事に活写(かっしゃ)したものといえば、他にすぐ思いつくのは、ここでも何度か取り上げたことのあるヴォーン=ウィリアムス(1872~1958)の曲だろう。(’13.4.7の項参照)
 彼の管弦楽曲は、たとえばあの有名な「グリーンス・リーブス」のように、美しいメロディーをもとに起承転結をはっきりと描いた、ややロマンティックな響きの曲調のものが多く、それと比べると、このディーリアスの曲は、目の前に単調に流れゆく風景を、そのまま音楽にしたような、まるで自分がひとり丘をさまよい逍遥(しょうよう)しているような感じさえしてくる。
 その音の風景の後ろで、のんびりとしたカッコーの声が聞こえるのだ。
 
 この曲の演奏でいえば、今まで幾つかの指揮者・オーケストラのものを聴いてはきたが、やはりレコードの時代からずっと聴いていたあの一枚、それを今ではCDに買い替えているけれども、あのビーチャム指揮ロイヤル・フィル演奏によるEMI盤を超えるものはないと思っている。
 古い時代の演奏でも、良いものは良いのだ。

 ところでついでながら、クラッシック音楽ではこのカッコーの音型がよく使われているのだが、なかでも有名なのは、あのベートーヴェンの交響曲第6番『田園』の第2楽章の「小川のほとり」で、そののどやかな散策の情景が描かれている終わりの方で聞こえてくる、カッコーの声であり、もう一つはマーラーの交響曲第1番『巨人』の冒頭部分で、この交響曲のテーマの一つにもなっている、カッコーの音型である。

 クラッシック音楽では、他にもナイチンゲールの音型なども、よく使われているのだが、いずれにしてもわかりやす鳥の鳴き声こそが、何よりも自然風景を表す良いモチーフになっているからなのだろう。

 ところが、ここではそうしたクラッシック音楽の話を取り上げているのに、最近の私は、めっきりクラッシック音楽を聴くことが少なくなっているのに気づいた。
 それは長年、私の心に寄り添い慰め励ましてくれた大切な音楽なのに、なぜか今はそこから少し遠のいているのだ。
 考えてみて、すぐに思い当たる節があったのだが、そのわけは後述するとして・・・。 

 さて先日、近くの街まで買い物に行ってきた。
 まず、2週間分溜め込んだ洗濯物をコインランドリーで洗濯し、その待ち時間に、近くのリサイクル・ショップ古本屋に行って、そこで一冊の本を買った。
 それは、昔から読みたいと思っていた水上勉の一休や良寛などを含む時代伝記ものを集めた全集本の一冊であり、ほとんどページがめくられた跡もない新品同然なのに、30数年前に出版されたものだからなのか何と105円!これだから古本あさりはやめられないのだ。
 
 さらに一週間分の食料品を買い込み、一週間ぶりに町の銭湯に入り、さっぱりした気分になった後、さて帰ることにするかと、108円のアイス・キャンディーを口にくわえ、暮れなずむ日高山脈の山々をちらりちらりと眺めながら、両側に広大な畑が続く中、ゆっくりとクルマを走らせて行く・・・全く、これ以上の幸せがどこにあるのだろうか。
 
 そして家に戻り、その買ってきたばかりの本の中の、「金銀」という短編の一節を読んだのだが。
 そこには、中国、唐代の話であり、禍(わざわい)のもとになるからと、財宝家財のすべてを船に積んで湖の真ん中に沈め、妻と息子に娘の三人を引き連れて、山奥の岩窟(がんくつ)の中に隠棲(いんせい)していたという、在家の禅修行者、龐(ほう)居士(~808)についての逸話が幾つか書かれてあった。
 その彼が残した詩編などは『龐居士語録』して残されていて、のちの宋時代になって禅宗が認められるようになると、その話は伝説として伝えられるようになったとも言われている。
 その中の一つが、この短編の最後に記してあった。

「人は金銀が大好きだ

 だけどわしは刹那(せつな)の静が好き

 金は多けりゃ心が乱れる

 静なら真如(しんにょ)の性が出る」 

(以上 『水上勉全集 第18巻 一休、良寛他』 中央公論社)
(注:真如とは迷いの境地に対しての万物の本質である絶対真理のこと。学習研究社 『新古語辞典』 市古貞次編より)

 しかし今の私は、水回りなどの不便な生活には耐えながらも、自分の大切な用具である、クルマもテレビも、そしてカメラもパソコンも捨て去ることはできない。
 あまつさえ、家の周りにある木々や草花たちを自分の好みで取捨選択しては、ひとり悦に入り眺めているだけだ。
 というのは、家の裏にある若い木々の植林地には、まだ原野のように日が当たっているから、スズランの群生地にもなっていて(写真下)、その花を採ってきているからだ。
 しかし植林された木々は、確実に毎年大きくなってきているから、そのスズランの群生地も年ごとに狭まってきていて、あと何年かすれば、その野生のスズランは消え去る運命にあるのだが。
 
 私は毎年、そのスズランの花の何本かを引き抜いて、部屋のテーブルの上にある花瓶に活(い)けている。
 辺り一面に、強く甘い北国の香りが漂っている。
 しかし、その小さなスズランの花は長くもつことはない。
 花は数日で香りがしなくなり、黄色く枯れて、その幾つかがテーブルの上に落ちている。

 私は、前々回に書いたオオサクラソウのことで、その花を株ごと採って行った人を非難したばかりなのに(5月26日の項)、そんな時に思った”やはり野に置けれんげ草”のたとえに従うこともできず、さらには上に書いた龐居士のように、自分の身の回りにあるゼイタク品たちを捨て去ることもできない。
 つまり、未練たらたらの人生の中で、しぶとく、自分の我欲にしがみついて生きているだけなのかもしれない。

 一昨日、私の好きなAKBの選抜総選挙が、テレビで生中継されて、私はその4時間半にも及ぶ放送時間の、終わり近くまでを見てしまった。
 私の娘や、もしかしたら孫にもなるかという二十歳前後の若い女の子たちなのだが、彼女たちがそのファン投票で選ばれて、マイクの前で語る悲喜こもごもの言葉は、そこいらの作り上げられたドラマよりは、よほど有無を言わせぬ真実味があった。
 私は、AKBファンになってからまだ1年余りしかたっていないから、あまり大きなことは言えないけれど、一人で1票の普通選挙投票ではなくて、CD一枚に1票という仕組みに問題はあるだろうけれど、その結果としての順位は大方の予想通りに妥当なものに思えた。

 私は、上位の子たちしか名前と顔は分からないから、下位のほうにまで気はまわらないけれども、しかし、そんな彼女たち一人一人のスピーチを聞いて、まだ若いながらもそれぞれに、今の人生をかけているという思いが伝わってきたのだ。

 そこにはあの宝塚ほどではないにしろ、仲間と競いながら歌に踊りに話にと一生懸命な彼女たちの姿が見えてきて、このおじさんも思わずもらい泣き・・・鬼の目にも涙というよりは、年を取ってきて、心寂しく涙もろくなっただけのことだが。

 そんな彼女たちが、明るさいっぱいに歌い踊っているテレビ番組を録画しておいて、ことあるごとに繰り返し見ているのだ。
 そして、すっかり老いぼれてヨタヨタになったこのジジイも、その若い娘たちに励まされるのだ。
 ”人生捨てたもんじゃないよね。運勢、今日よりも良くしよう”と。

 こうして、私の心いやされる音楽は、いつのまにかAKBの歌になってしまい、そのあおりを食ってじじくさいクラッシック音楽からは少し遠ざかってしまったということなのだ。
 じいさんが、若者ぶって、テレビに映るAKBの娘たちと一緒に歌い踊っているさまなんざ、ああ見たくもない・・・。
 まあ、老人暴走族よりは、こうした老人妄想族(もうそうぞく)の方がまだましかもしれないが。
 
 あの雨の降りしきる中、声援を送り続けていた7万人もの若いファンたちの熱意はともかく、テレビの前でも、多くの子供たちやおじいちゃんおばあちゃんたちが見ていただろうし・・・まあつまり早い話が、年を取ってくると、単純に明るいものが好きになり、面倒くさいものは敬遠して、いわゆる幼児帰りしているということなのだろう。

 おー、ばぶばぶ・・・。ぼくも、 あまえたいでちゅ。