ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

内向的な生き方

2014-06-23 20:55:46 | Weblog

  

 6月23日

 一週間もの暑い日が続いた後、一日だけ晴れて、さらに一週間雨の日が続き、ようやく晴れてさわやかな青空が広がったと思ったら、昨日の夕方から今朝まで、またもしっかりと雨が降った。
 晴れ間を見計らって、いつもの植林地に行き、もう終わりに近づいたスズランの花を採ってきて、花瓶に活けてみた。(写真)
 もちろん、生け花の心得とてなく、武骨な手で100円ショップで買った花瓶に入れただけのことだが。
 それでも、あの北国のさわやかな香りが辺りに広がり、こうして雨の日に部屋の中で眺められるのも、何か心楽しい気がする。

 今までここで度々書いてきた、”やはり野に置けれんげ草”の思いはあるとしても・・・。
 人間と動物を分かつ、感覚の違いの一つは、美しいものを手元において、眺めていたいという思いがあるかどうかではないのだろうか、と言い訳がましく考えてみたりもするのだが。

 さらに、私の思いには、その美しいものを大きなスケールの中で見てみたいという気持ちがある。
 そうなのだ、もう一か月も山に行っていないのだ。
 前回の残雪の雪景色の山(5月26日の項参照)から、初夏の花が咲き始めた山へ・・・毎年、同じように繰り返し出かけているのだが、その習慣化された思いがふくれ上がってくる。

 こうして、長い期間が空いてしまう前に、もっと早く山に行くべきだったのかもしれないが、行けなかったのだ。
 一つには、このところの天気の悪さもあるが、もう一つは、何とヒザにけがをしてしまったからなのだ。

 私のクルマは、いつも今の時期まで冬タイヤをつけている。
 それは残雪の山を目指しての、山奥の林道走りが多いために、そうしておく必要があったからでもあるが、最近ではそう山に熱心ではなくなってきたから、前回の登山の後で、もうタイヤを交換しておいてもよかったのだが。
 ともかく、ちょうど車検の時期も近づいていたので、クルマ屋さんでついでにと思って、後ろの荷物スペースに交換してもらう夏タイヤを積み込んでいたところ、その一つを手が滑って、誤って自分の膝の上に落してしまったのだ。
 
 車は3ナンバーのRV車だから、タイヤも普通車よりは大きくて重い。
 それがちょうど、かがんだヒザの所に落ちてきたのだ。キャイーン。
 痛いのなんのって、ケンケン歩きの後触ってみると、どうやら骨は折れていないようだし何とか歩くこともできる。ともかく車検入庫の時間もあるからと、クルマ屋さんまで行って、代車に乗って帰ってきた。
 (クルマは7年乗っていた中古車を買って、もう11年目になるが、さすがにこれで最後の車検になるとは思うが、ありがたいものだ、日本のクルマは、いつまでも貧乏人のフトコロにやさしく、その上、大きな故障もなく走ってくれて。)

 しかし、車の乗り降りでは、さすがにヒザを曲げると痛いが、歩けないことはない。
 医者に診てもらうべきか、そうすれば診療所のかわいい看護婦さんの顔も見ることができるし、しかし、このぐらいのことで大騒ぎしていると思われるのもイヤだし、もともと自分は医者嫌いで、長年軽いけが以外で病院に行ったことがないし、と意地を張って、ともかく一日様子を見てみることにした。
 そして、手持ちの湿布薬をヒザに貼って、おとなしく横になって、AKBの録画ビデオなどを見て過ごした。

 翌日、いくらか痛みは取れてきた気もするし、ともかく階段の上り下りなどで大きく曲げない限りは、歩くことに不自由はない。
 どのみち、こうして天気も悪くて山にも行けないし、まあ、ぐうたらに過ごすことも悪くはないと、太平楽(たいへいらく)を決め込んだわけである。

 そして二週間、確かにヒザはすっかり良くなって、曲げ伸ばしに不自由はないのだが、わずかに痛みは残っていて、完全とは言えない。
 もし、ヒザに重大な損傷があって、ちゃんとした治療を受けなかったために、今後山には登れなくなったとしたら・・・なあに、出かけられなくなっても、まだまだ他に、死ぬまでにもとてもやり終えないほどの、やるべきことがいろいろとあるから、そのことに精を出せばいい、そうなった時はそうなった時と、いつもの脳天気な考えで、思いに区切りをつけたのだが。

 しかし、この二週間は余り歩き回らずに、ぐうたらを決め込んで食っちゃ寝をしていたために、何と体重が3㎏も増えてしまった。
 いかん、これではだめだと、ヒザに負担をかけないようにしながらも、少しずつ数日をかけて、いつもの道から庭への刈り払い作業に励んだのだが、草刈鎌での手作業だから汗だくで疲れて家に戻ると、すぐに飲み食いしてゴロ寝してしまい、すべては”元の木阿弥(もとのもくあみ)”・・・なんのこっちゃ。
 ひとり暮らしというのは、気楽な反面、こうして自由にできるから歯止めが利かなくなることもあり、自制する強い心も必要なのだ。 

 先日の新聞の土曜版にこういう記事が載っていた。
 「あなたは内向的?それとも外向的?」
 そのアンケートの結果は、78%の人が内向的だと答え、自分の気質として、”ひとりの時間を楽しめる”とか”他人と衝突するのはいや”ということをあげていた。
 一方で、外向的と答えた22%の人は、”活動的だといわれる”とか”ひとりより、人とかかわる方が楽しい”と答えていた。
 
 もっともこのアンケートが送られた人は、この土曜版にモニター会員登録している人だけであり、ということは、私のような(会員なんかではないが)中高年の人たちの年代層が一番多いのだろうし、なおかつ新聞を読む習慣があり、時間もある人たちの答えなのではないのかと思うのだが。
 つまり今、仕事や勉強に遊びに追われている若い人たちや、会社や家事・育児に忙しく働く世代の大多数は、新聞を読む暇もなく、あるいは全く読まないだろうし、そういう人たちを省いてのアンケート結果をして、現在の日本人の姿だとは思えないのだが・・・。

 この記事の中に、例として取り上げられていた話の人たちは、ほとんど5、60代ばかりであり、つまりそうした私と同世代の人たちの、自己分析の答えだと思って、受け取ればいいのだろう。
 ということだとしても、このアンケートの結果から結論づけられていたのは、この社会は外向的な人と内向的な人が互いに補完し合って成り立っているのだし、また多くの人はそうした両面を併せ持っているのだという、極めて妥当な答えだった。
 ただこの記事の中で、私が一番ひかれたのは、ある81歳になるという御婦人の言葉である。

 「一人暮らしは寂しくないかと心配されるが、ちっとも気にならない。静かに本や新聞を読んだり、パソコンに向かったりで24時間では足りない。このまま100歳を超えても一人暮らしをしたい。」

 私の母は、90歳まで元気だった。私はその母を九州に残して、毎年、北海道とを往復していた。

 ある時、母が私に言ったことがある。
 「あなたがいない時でも、私には、新聞とテレビがあればいいし、こうしてミャオがいて、散歩ができれば、それだけでありがたいんだよ。」 

 今にして思えば、確かにそれは母の毎日のことだったのだが、ただしその裏には、親不孝な息子への恨みつらみへの言葉が呑み込まれていたのだろうと思う。
 もちろんその時にも、母の強がりの思いに気づいてはいたのだが、その時はどうすることもできない現状だったし、ただ年を取ってくると、いつもその時の小さな痛みが思い返されて、大きな後悔となって身をさいなむようになるということだ。
 
 私は、この新聞の記事を読みながら 、81歳になるというその御夫人の胸の内を思った。
 いずれ私も、同じ道を歩むのかもしれないが、最もそんな先まで、ぐうたらで、悪たれづきの私が生きているとは思えないのだが。
 ともかく、年寄りになれば、年よりなりに考え生きていくべきだということなのだろう。当たり前のことだが。

 「老いの身は、余命久しからず事を思ひ、心を用(もちい)る事わかき時にかわるべし。
  心しづかに、事すくなくて、人に交わる事もまれならんこそ、あひ似あひてよろしかるべけれ。
  是も亦(また)、老人の気を養ふ道なり。」

 (貝原益軒 『養生訓』 巻第八の三 講談社学術文庫)

 (これを私なりに訳すれば、”年寄りになれば、もう先がないことを考えて、若い時のようにあれこれ悩まずに、できることだけをやって、あまり他人とも付き合わずに、静かに過ごすのがいい”といったような意味になるのだろうか。)

 つまり、このことは改めて教えられることでもなく、私の日常そのものの生き方でもあるのだが、呼び方こそ違え昔も今も、心を用いる事、ストレスのかかることの多い人間社会だからということなのだろう。
 だからそれだけに、常日頃から脳天気な考え方でいて、頭の中に、「おつむてんてん、あ、ちょうちょうがとんでいる。」とか言ってたほうがいいのかもしれない。
 最近深刻な問題となっている、高齢者はもとより、若年層までをも含む痴呆症の問題は、あくまでも私の個人的な考え方なのだが、若いころからの、あまりにも度重なる繊細な気のつかい方によって、知らぬ間にため込んできたストレスで、それが限界まで来て、ある種の自己防衛的な、精神への一大転換反応が起こり、それまでのストレスをゼロにするために、幼児帰りをするのではないのか・・・。

 ということは、何も深く考えないし、深く考えるところへは近づかないという、今の生き方でいいのではないのか。
 思えば、最近AKBが好きになったのも、何の悩みも見せずに明るく歌う、彼女たちの若々しい姿が、目に耳に心地よいからであり、幼児帰りへの予防線を、自らあらかじめ用意していることになるのかもしれない。

 おつむてんてん、あ、ちょうちょうが・・・と言う間もなく、実際に目の前に蝶々が飛んできたのだ。
 それは、家の周囲のあちこちにある、外来種のフランスギク(誤通称マーガレット)が今を盛りに咲いていて、それを写真に撮ろうとしていたところ、カメラをのぞき込んでいたそのファインダーの中に、何と一匹の色鮮やかなチョウが飛んできて、花にとまったのだ。

 ほんの一瞬の出来事だった。
 カメラのシャッターが聞こえて、チョウは、すぐそばに私の気配を感じたのか、その一瞬の後、飛んで行ってしまった。
 それは、先日にもここで取り上げていた(5月19日の項参照)、あのミヤマカラスアゲハだった。それも黒色味が強いやつではなく、最も美しく輝く、全身ルリ色の、その鱗粉(りんぷん)さえ感じ取れるような、実に見事な一匹だったのだ。(写真下)

 まさしく、偶然としか言いようのない、出会いだった。数日前のことだ。
 同じように、花を撮ろうとしていて、たまたまその花のそばに飛んできたチョウが、ファインダーの中に見えて写したことがある。
 もうずいぶん前の話で、大雪山は緑岳周辺で、咲き始めていたチョウノスケソウの花を撮ろうとしていて、そこに何と一匹のウスバキチョウが飛んできたのだ。

 あの時、手にしていたのは、フィルムの中判カメラだった。
 その中判カメラは、デジタルに移行して以来使わなくなり、人に譲ったのだが、もう一台あった古い方の中判カメラは、今では使うこともないのだが、かといって安い価格で処分するには忍び難くて、手元に残している。
 
 こうして、若いころの、体と心がせわしく動き回る欲望に惑わされていた時に比べれば、今は、心も体も静かに落ち着いてきて、受動的に構えては、そこあるものを見るだけでも、喜びを感じるようになってきたのだ。
 若いころには見えなかったもの、見ようとしなかったものが、実は素晴らしいと気づくことができるし、年を取るということは、こうしていろいろなものが見えてくることであり、これは決して強がりではないのだけれども、年寄りになるのも一方ではありがたいものだと思うのだ。
 前回書いた、あの南アフリカのジャズ・ピアニスト、アブドゥーラ・イブラヒム(ダラー・ブランド)の言葉ではないけれども。

 「75という歳は、物事がやっと理解でき始める年齢なんだよ。」

 その歳までにはまだまだ、かなりの歳月がある。
 さらには上にあげた、81歳の御婦人の言葉と合わせて、こうした良き人生の先輩方の話を、しっかりと心にとめておきたいと思う。

 始めの所で書いたように、ヒザをけがしてしまい、テレビの前にいることが多かったので、そこで録画しておいた、AKBの総選挙で選ばれたそれぞれのメンバーたちのコメントや、大島優子卒業コンサートなどのビデオを繰り返し見ていたのだが、そこでも、あの宝塚ほどの厳しさはないのだろうが、先輩たちを見習い努力するという、メンバーの少女たちの思いが伝わってきて、実によかった。
 さらには、選抜メンバー以外の下位の彼女たちの顔も少しは憶えられたし、将来が楽しみだ。

 華やかに見えるアイドル・グループAKBだが、あの2位になった指原(さっしー)が涙目で言っていたように、「AKBって、そんな簡単なところじゃありません。」という言葉が、彼女たちの意気込みと選ばれた自負の思いを伝えていた。
 
 そうなのだ、若い時には目の前の道を精一杯走っていくことだよ、とつぶやきながら、今はグータラになってしまったおじいさんは、孫娘たちのみんなをやさしく見守るのでした。