ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

プチ氷河とよく生きるために

2014-02-24 20:28:23 | Weblog
 

 2月24日

 今、庭や屋根の上には15cmもの雪が残っている。10日も前に降った雪が、まだ溶けないのだ。
 ここは九州とはいえ、山間部だからよく雪は降るのだが、それでもいつもならすぐ溶けてしまうのに、今年はいつまでも残っているのだ。
 家の前の道の雪はさすがに溶けてしまって、1車線ながら通行に支障はないのだが、朝夕は溶け出した水が凍りついている。

 つまり日中でも5度にも満たない気温で、最低ではマイナス5度近くにまで冷え込むから、最初に降った雪が溶けずに残ると、次に降った雪もさらに寒さで凍りつき、全体がザラメ状になって溶けにくくなってしまうのだ。
 北海道・東北などの寒冷地や高い山の上で、雪が溶けずに長い間残るのは、雪が降った後の寒さで凍りつき、溶けにくくなるのと同じことだ。

 そしてもう一つ、こうした状況では、屋根の上でのプチ氷河の実態も見ることができるのだ。
 上の写真でも分かるように、屋根に積もった雪が低い気温ですぐに溶けずにそのまま残り、朝夕の冷え込みで雪の粒が凍り付いてザラメ状になってしまい、そこに屋根のゆるやかな勾配があるから、その全体に凍ったものが少しずつ下のほうへと動いて行く。
 目には見えないが半日もたつと、その粘り気を持ったザラメの雪は少しずつ動いていて、屋根の庇(ひさし)からせり出している。
 全くそれは、ヨーロッパ・アルプスやヒマラヤ、アンデスはどにある氷河末端付近の原理と同じだ。
 家の屋根での先端部分は、溶けて水滴になり冷たい風に吹きつけられて、つららになっているが(写真のつららは1m50㎝程もある)、これが本物の氷河末端の場合は、ブロック氷塊が崩れ落ち、溶けた水を集めた氷河湖になったりするのだろう。
 
 ただしこの屋根の雪が、実はやっかいなのだ。
 北海道の私の家の屋根は、最初から考えて50度以上もの勾配をつけて作ったから、積もった雪はカラー・トタンの屋根をすぐに滑り落ちてしまう。
 それほどの豪雪にはならない北海道の家の屋根は、こうした具合に、ほとんどが金属トタン屋根だからひとりでに滑り落ちるようになっていて、雪おろしが必要な屋根などあまり見たことがない。
 もちろん街中では家が並んで建っているから、屋根からの落雪が危険な所では、雪が一気に滑り落ちないように雪止めがつけられてはいるが。

 しかし、東北などの雪国では、何メートルもの雪が積もり、そのままにしていると雪の重みで屋根がつぶれることになるから、屋根に上がって雪おろしをしなければならない。
 毎年何人もの死者が出るほどの、そんな危険な仕事は、まして年寄り世帯にはできない話で、田舎には手伝ってくれる若い世代も少ないから、お金を払って町から誰かに来てもらって雪おろしをやってもらうか、そのまま危険承知で居続けるか、どこか他に避難するかしかなく、いずれにせよ雪の季節になる度につらい判断をしなければならない。

 それほどまでして、そんな不便な所にしがみつく必要があるのかと思うかもしれないが、この冬が過ぎれば、あの暖かい日差しあふれる色とりどりの春が訪れ、やがて緑一色の夏になり、夕方の涼しい風が吹く、そして錦繍(きんしゅう)秋の中で小春日和の陽だまりを楽しむ・・・そんなふうにしてそこで長く暮らしてきた者にとっては、古い家でも不便なことが多くてもやはり”住めば都”であり、離れたくはないのだ。
 都会に住めば物はあふれていて、お金さえあれば何でも手に入れられるのだろうが、その分、日々あくせくしてせちがらい街中の生活を送らなければならない。
 しかし、こうしていざという時には不自由する田舎だけれども、慣れてしまえば悪くはない生活だし、なにより自分たちだけの静かで穏やかな人生を送ることができる。
 
 どちらを選ぶのか、そのことは、最近ここでも何度も取り上げてきた”よく生きること”にもつながる問題である。
 あの古代ギリシアの哲学者ソクラテス(BC469~399)やプラトン(BC427~347)が、あるべき人生の指針として”よく生きること”を提示し、近代の大哲学者ハイデッガー(1889~1976)が、限りある人生を自分の現存在として確かに生きるためには、死を意識しつつ”よく生きる”べきだとしたのだが・・・。

 しかし、そうした人類の英知の上に君臨する名だたる哲学者たちならともかく、私たち多くの一般人たちは、そうして考え突き詰めるだけの知識や教養もなく、ただ目の前にある日々をその日暮らしとして見つめて生きているだけなのだ。
 そうした多少の勤勉さと、多少の怠惰(たいだ)な気分と、多少の将来への見通しだけを持って、みんなとは離れずに、しかしそれぞれに思った方向に進んでいる私たちは、はたして”よくは生きていない”のだろうか。
 もちろん中には、”よりよく生きる”べく、自分のことよりもまず周りの人々のために地域のために、世界のために地球のためにと、粉骨砕身(ふんこつさいしん)の努力をしている人たちもいるのだ。
 何もできない私から見れば、その行動力には頭が下がる思いがするし、ごく少数ではあるが、彼ら彼女らこそが希望ある人類の未来を切り開いていってくれる人たちなのだと思う。
 そしてまた一方では、少数ではあるが、世界中のどこにでも富者たちはいて、その彼らこそが今の世界を動かしているのだ。


 あのソクラテスの言葉が、今の時代でもなお聞こえてくるのだ。
 「・・・もっとも評判の良い国アテナイの市民でありながら、金銭のことでは、どうすればできるだけたくさん手に入るかということを、また評判や栄誉のことも心がけているのに、英知や真理、また魂のことでは、それがどうすれば一番すぐれたものになるかということを心にもかけず、工夫もしないのが恥ずかしくはないのか。」

(「ソクラテスの弁明」プラトン 山本光雄訳 角川文庫)

 つまり、ソクラテス、プラトンの時代から、理想と現実の乖離(かいり)は存在したことだし、今さら東京のタワー・マンション最上階などに住む人たちと、先日あげた”若年女性の貧困”(2月10日の項参照)をここでの問題の俎上(そじょう)にあげて、あれこれ言うつもりはない。
 それらのことはいつか心ある日本の政治家の先生方が、きっと収まるべき方向を見つけては、ささやかな解決策を示してくれるはずだと思うから。

 今考えたいのは、全く取るに足りないことではあるが、あるひとりの年寄りの情けない魂の落ち着きどころを見つけることなのだ。
 つまり、”よりよく生きる”べき道も見つけられずに、己の小さな世界に閉じこもって安住しているだけの年寄りに、何か他に、確信できる生き方を示してやることはできないのか。

 それはたとえば、一般衆生(しゅじょう)にただ”南無阿弥陀仏”と唱えるだけで救われるとした浄土宗などの仏教諸宗はもとより、悔い改めて主を信じることで救われるとしたキリスト教などの、宗教による教えに帰依(きえ)するのではなく、かといって哲学者たちの言葉をそのまま受け入れて実行できるわけでもなく、ただ天邪鬼(あまのじゃく)な私が自分なりに考えた生き方として、それをもっと自然界の理(ことわり)にかなうものとして、しっかりと自分の心の内に定着させたいのだ。
 それは昔から私の心の中にあり、時が経つごとに少しずつおぼろげな形となって見えてきたものでもあり、まだ確かな姿ではないが、それをさらに補足して、自分なりに納得できるものにしたいと思ってはいるのだが・・・。

 たとえばそれは、幾つもの山の頂きで感じたことでもあるし、北海道の林の中での生活から感じたものでもあるし、もう10年前にもなるが母の死から学んだものでもあるし、そして2年前にもなるあのミャオの死の衝撃から教えられたものでもあるし、前回の末尾に書いたカマキリの見事な擬態(ぎたい)を見て感じたことでもあるのだが・・・。

 昨日の新聞の読書欄に”動物の倫理思想”について、その権利論と福祉論の考え方の要点を、幾つかの書籍を通して紹介していた。
 そこでは、イルカやクジラの保護で有名な動物保護についてすら、その立場が一貫していないと論破されるほどであり、改めて人間と動物の立場について、いろいろと考えさせられたのだが。
 私たち人間は、その知力によって組み上げられた科学文明のやぐらの上に乗って、自然界の食物連鎖の頂点に立っている。しかし本来は、他の動物たちと同じように、同列の捕食被捕食の立場にいたのではないか。
 そのことが、あの鮮やかな擬態の体に変身してまで、エサを待ち構えるカマキリの姿を見たときに思い浮かんだのだ。

 私たち人類は、いったいどこまで、この地球上に住む動植物を含む一切の生き物たちのことを考えているのか。
 ただ単なる捕食被捕食者の関係でしかありえないのか、それとも地球上の自然を形作る欠くべからざる共存者なのか。

 そこで、あの”梅原日本学”で有名な梅原猛氏の言葉を借りれば、日本人にはもともと、日本文化の原理としての思想があって、それは天台密教による天台本覚思想であり、「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」つまり動物だけでなく、草木さえ成仏し、さらには国土までもが成仏できると説いてあるというのだが。

(「人類哲学序説」梅原猛 岩波新書)

 一方で、しかしその全地球的な思いは、あの古代ギリシアの時代にもあったことなのだ。

「神々から人間に課せられた最も善き生を全うするために、”万有の調和と廻(めぐ)り動きを学び取ること”によって、”われわれの内なる神的なもの”への配慮あるいは世話に努めなければならないこと。」

「この上なく偉大で、この上なく善く、この上なく美しく、この上なく完全なるものとして、この宇宙は誕生した。」

(プラトンの哲学」藤沢令夫 岩波新書)

 何と言う、心からの自然賛歌であろうか・・・。
 畏怖(いふ)と崇敬(すうけい)の思いを併せ持っていた、かの古代国家に生きていた人たちの心を思う。



 昨日の午後からようやく天気も良くなって暖かくなり、気温も10度近くにまで上がり、雪解けのしずくがあちこちで聞こえてきて、早鳴きの鳥たちの声も聞こえてきた。やはり春は近づいてきているのだ。

 去年の暮あたりから、傷んだ柿や、食べ終わったリンゴのシンや皮、たまにはミカンの輪切りのひとかけらを、ベランダのエサ台に出していて、今ではすっかりそれをあてにして一羽のヒヨドリがやってきている。(写真下)
 まして2月に入ってからは雪の日が続いて、余り他にエサもなかったらしくて、ほとんど家の周りに居続けているのだ。
 リンゴの食べくずや皮などは、どのみち燃えるごみとして捨てるだけだから(外の枯草置き場などに置いているとシカが来てしまうから)、別に鳥にやるエサ代がかかるわけでもないからいいのだが、しかし考えてしまうのだ。

 本来は、外で何とかエサを探して生きている野生の鳥が、人間からもらうエサに頼りっきりになっていいものかと。
 他にもシロハラやメジロ、他のヒヨドリたちも来るのだが、うちのヒヨがすべて追いはらってしまい、ひとり丸々と太っているのだ。
 2mそばまで近寄っても逃げないほどに、なついていてかわいいのだが、もちろんミャオの代わりにはならないし、やがて春になりあちこちに花が咲き始めれば、その蜜を吸ってくちばしが黄色くなるから(あのいつものソフトバンクのCMで、きな粉もちを食べてお父さん犬から叱られる黒人の息子の口先のように)、そのころには少しずつエサ出しを減らしていかなければと思っているのだが。

 私がヒヨドリにエサをあげているのは、動物愛護でも保護のためでもない。私の自分勝手なエゴで、心さびしいから触れ合うべき相手を作るために、エサをやっているだけなのだ。
 前にも書いたことがあるが、その昔バート・ランカスターが演じた映画『終身犯』の主人公は、孤独な独房でただ一人日々を送り、窓辺に来た小鳥にエサをやっているうちに、次第に鳥についての興味がわき研究し続けて、ついには偉大な鳥類学者になるという話だった。
 それに引きかえ、このひとり住まいの私が成し遂げたことは、何もない・・・。

 どうも今回は、重たい話ばかりを書いてきてしまった。
 ここで気分を変えて、前の日のバラエティー番組でのお笑いタレントたちの、下ネタ(ごめんなさい)ふう、”のりつっこみ”の見事な一場面を。
 
 今回の冬季オリンピックの金メダル候補たちについての話題になって、皆が結局はプレッシャーに負けたのではと言ったりしていたが、そこにいたある元サッカー選手が確かに国際試合でのプレッシャーは相当なものだからと説明していた。
 それにつられてか、次にあの可愛い(?)ニューハーフ・タレントが、彼女(?)は数年前タイで行われたニューハーフ世界一を決める大会で何と優勝していたのだが、その時の模様を思い浮かべて、実はプレッシャーでドキドキだったと言っていた。
 すると、そばにいたお笑いタレントの一人が、その彼女(?)を見てはニヤつきながら質問したのだ。

「その時に取った金(メダル)は一つだけ?」
 彼女(?)は一瞬おいて切り返した。
「もちろん二つよ。」

 神聖な五輪競技が終わったばかりなのに、申し訳ありません、失礼しました。