ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

サザンカと菊

2014-02-10 21:29:53 | Weblog
 

 2月10日

 1週間前に、今年は雪が少ないと書いたばかりなのに、昨日は関東地方周辺で、20㎝を超える雪が積もったとのニュース画像。
 もっともこのくらいの雪では、北海道、東北、北陸地方などの雪国の人たちにとっては、大雪などではなく、雪が少し降ったぐらいにしかならないのだが、雪が降るのさえ珍しい大都市などの人にとっては、まさに大雪だったのかもしれない。
 
 雪国の人には、あのくらいの雪で都会の人が大騒ぎしているのが大げさに思えるだろうし、都会の人にとっても、この雪が溶けて元に戻れば、毎日のように大雪が降ってその除雪作業に追われる雪国の人の苦労など、もう他人事として忘れてしまうことだろう。
 つまり人は、その当事者にならなければ、その本当の痛みなど分からないということだ。

 考えてみれば、物事やそれを表す言葉は、いつも誰もが共通に同じこととして理解できるものではなく、いつもどこかで少しずつ異なって理解されるから、誤解が生まれひいては相互不信のもとになるのかもしれない。
 それは、旧約聖書にあるあの”バベルの塔”の例をあげるまでもなく、異なる言葉の意味が障害となって、すべてをその通りには理解しあえない人間どうしの、あるいは言語の違う民族間での宿命的な誤解になるのかもしれない。

 初めから、少し重い話になってしまったが、そんな倫理学的な話を書こうとしたのではない。ただ、20数センチの雪で、大都市の生活や交通が混乱しているのを見て、それぞれの地方によって雪の影響や受け取り方が違うものだと常日頃から思っていたので、ついでに書いてみただけのことだ。

 さてこの東京での大雪の2日前、九州の山間部でも少しまとまった雪が降った。
 わが家の周辺でも、15㎝程積もったが、まるで春先に降る湿った重たい雪のようで、最初の日の道の雪かきに30分ほどかかっただけで、後は気温が上がり雨になったりして自然に溶けてしまった。
 山に雪が降れば行きたいと思っていたのだが、その後も天気は回復せず、ライブカメラで見る九重の山にも大した雪は積もっていなかった。

 しかし、このところはそうして天気が悪く、家の中ばかりいて体がなまっていたし、あのわずかばかりの雪かきでは運動にもならないので、青空がちらちらとのぞいていたのに誘われて、雪がまだ残っている家の近くを散歩して回った。
 しばらく歩いていなかったので、ゆるやかな坂道でも息が切れてしまう。
 こんなことでは、山に登れなくなるのではと思うけれども、それもがまんしてゆっくりと登り続けていれば、いつしか体も慣れて少しは楽になってくる。

 それは、苦痛の後のほのかな陶然(とうぜん)とした心地よさに似て、足を前に出すことだけを繰り返していると、いつしか他の感覚がほんの少しだけ遠のき、歩いているその時間だけが流れていく・・・私が山に登り続けるのは、そうした苦が続く単純作業の中にある快のひとときを、私の心と体が求めているからなのだろうか。

 ふと見上げた空に、青空からの光が差し込んできて、道のそばに咲くサザンカの花が目に入ってきた。
 冬の一番寒い時期にだけ咲く、サザンカの花。すべての枝先にいっぱいに花やつぼみをつけて、湿った雪の重みにも耐えながら咲き続ける花たち・・・。(写真上)

 こうしたサザンカやツバキの花は、よく考えたものだと思う。寒い冬場には、受粉させてくれる蝶や虫たちがいるはずもないのに、だからこそエサの少ない時期に目立つように咲いて、鳥(メジロやヒヨドリなど)たちに花蜜を提供しては、受粉させてもらおうと咲くのだから。
 みんなそれぞれに、必死になって生きているのだ。
 ただただ、ぐうたらに生きている私はと、深く反省するばかりなのだ・・・。

 それにつけても、思い返すのは、2週間ほど前のあのテレビの番組、NHK・クローズアップ現代だ。
 いつも見ている7時のニュースの後にあって、その上いつもタイムリーな話題を取り上げるドキュメンタリー番組だから、さらに今回はそのタイトル名が気になって、見る気にもなったのだが。

 「あしたが見えない」―深刻化する”若年女性”の貧困。

 彼女たちの貧困の原因は、親の生活苦をそのまま引き継ぐ形で、それゆえに学歴がなく、正社員になれず、いい仕事に就けず、”負の連鎖”を続けて行くというものだった。
 民放のある番組では、多少お笑いめかして”ボンビー・ガール”などと名付けて、彼女たちを紹介しているが、事態はそう簡単なものではなさそうだ。

 そうした彼女たちが、結婚もせずに子供を産めば、もう頼る先は、寮・保育所付の”風俗店”で働くしかないのだ。
 また一方では、資格を取るためにと学びながら働いても、それに見合うだけの給料ではなく、いつしかあきらめては、その日暮らしの生活に甘んじるしかなくなる。
 そんな一人の、ぼさぼさ髪の彼女から返ってきたってきた言葉は・・・「ただ、今の生活からは脱出したい。将来の夢ですか? 理想はないです。」

 一方、その多くは若者たちのグループによるだろうと言われている、”振り込め(オレオレ)詐欺”による去年1年間の被害は、過去最悪の486億円にもなったとか。

 将来の次の世代のことを考えてやるのが、今の大人たちの責任であり、最も大きな国の仕事だろうに・・・。
 そう言う私めは、このぐうたらな年寄りは、何もできずにただ涙目になって見てやるだけなのだが・・・。
 
 思えばこの私には、過去の思い出の貯金はたっぷりとあるのだが、これから先の将来を見据えた理想や夢などは、もう考えられないのかもしれない。
 それは、私には時間がそう多くは残されていないからだ。
 だからこそ、だからこそ今生きていると思う時間が大切なのだ。
 あの古代ギリシアの、エピクロス学派が説いた、”快楽の哲学”(’10.6.22の項参照)は、今にして思えば、働きざかりの大人や青年たちのためにではなく、まさしく終りに近づきつつある年寄りたちのためのものではなかったのだろうか。

 「もしわれわれが、味覚の与える快楽を避け、歌が耳に与える快楽を削るとしたら、また美しい形を見て受ける快い印象など、これらあらゆる感覚を避けるとしたら、幸福は一体どこにあるのだろう。」

 (『ギリシャ哲学』ジャン・ポール・デュモン 有田潤訳 白水社文庫)

 もちろん私も、この言葉にすべて賛同できるわけではないし、幸福とは他にもさまざまな形で存在しまた作り出せるものだとは思うけれども、とりあえず直接的、感覚的なものとして訴えかけてくる、食事の喜び、音楽の愉悦(ゆえつ)、そして様々な形の美学の楽しみなどは、人間がまず手近かにあるものとして、すぐに手に入れることができる幸福の一つの例だとは思うのだ。

 私は、決して美食家ではないし、高いお金をかけてまでおいしいものを食べようとは思わない。何よりも私が幸せに思えるのは、北海道の家の周りで採れる、季節の山菜を食べる時だ。
 私は、音楽を聴くのが好きだ。クラッシック音楽は私の心の慰めであり、AKBの歌声は年寄りの私への励ましになる。
 私は、好みの画家の絵を見るのが好きだし、美しい山々の姿を見るのも好きだ。

 それら私の好きなものと一緒にいる時に、私は幸せだと思う。

 私は、高潔(こうけつ)・高邁(こうまい)な精神の持ち主でもないし、確かな指針を示すことのできる明晰(めいせき)な哲学者でもないから、自分の魂を善きものへと磨き上げることもできないし、ましてや他人のために自らの身や財産を投げ打ってまでの慈善行為に及ぶこともできない。
 ただ小さな自分だけのテリトリーの中で、わがままに簡素に静かに暮らしているだけのことだ。
 そして、その暗い洞穴の中で、燃え盛る火の上にかけられた大なべを時折かき回し、黄色い歯をむき出しにしては笑うのだ。

 その煮えたぎる大なべの中には、子供のころから今に至るまでの思い出の数々が、あの水色のゾウのおもちゃや、中学校時代の白いカバーがかけられた制帽や、青年時代に背負っていた横長のキスリング・ザックや、パチンコの球や、難しい専門書や、可愛い娘たちの涙や、自分の涙や、かわいがっていた愛犬チーコや、2年前までは一緒にいたあのミャオや、その他多くの思い出の写真などが入れられていて、それはもういかなる言葉を用いても表現することのできぬ、懐かしさと悔恨(かいこん)の古くさい臭いに満ち溢れていて、おそらくその恐るべき光景に耐えられるのは、鍋をかき回す当の本人だけだろうが・・・。

 しかし、その千々(ちぢ)に乱れた白髪の中からのぞく死んだ魚のような生気のない目が、きらりと輝く一瞬がある・・・好きな音楽CDや録画DVDなどがひらひらと舞い上がり、そこに新たな1枚を加えては、ニヒニヒと笑うひとときだ・・・。

 よく見ると、それは最近、NHK・Eテレで放映されたばかりの、あの国立劇場で新春歌舞伎公演の出し物、”通し狂言「三千両新春駒曳(さんぜんりょうはるのこまひき)」全六幕”の名前が。

 というわけで、最近見たばかりの歌舞伎についてのひとくさり。
 3時間近い録画番組だったが、途中で二三度休みを入れたものの一気に全部見てしまった。
 一つにはこの演目が私には初めだったことと、尾上菊五郎、中村時蔵などのべテランの間での、期待の次世代、尾上菊之助、尾上松緑の演技ぶりから目が離せなかったからでもある。
 
 演目は、江戸時代寛政年間に大阪で作られ公演された『けいせい青陽𪆐(はるのとり)』がそのおおもとになっていて、一幕物としては、あの先代仁左衛門などが京都南座などで公演したことはあったが、全六幕の通しで公演されるのは150年ぶりとのことである。

 話は、歌舞伎によくある時空を超えた多少荒唐無稽(こうとうむけい)な設定ではあるが、昔の朝鮮、高麗(こうらい)の皇女照菊(菊之助)が、日本に渡り、廓(くるわ)の女房(中村時蔵)などの手を借りて花魁(おいらん)姿に身を変えて、高麗の浜辺でひとめぼれした日本の侍(尾上松也)に会いに行くが、彼は当時の小田(おだ)信長亡き後をめぐる家督相続争いにある一方の家臣団の家来でもあった。
 様々な事件のもとは、その江戸時代の二代将軍家忠の時の”吊り天井”事件や、三代将軍家光の時の甥、長七郎や大久保彦左衛門のエピソードなどを織り交ぜて、舞台を安土桃山時代に移し替えている。
 さて、その渦中にあった信長の三男信孝(菊五郎)は、跡目を継ぐのを辞退して(あのテレビ・シリーズにもなった長七郎に例えていて)、ひとり気ままな廓通いの日々を送っているが、一方では跡目争いの柴田勝重(勝家、尾上松緑)と真柴久吉(羽柴秀吉、中村時蔵二役)との間の謀議策略は続いていた。
 
 そこに吊り天井を作った大工与四郎(菊之助の二役)が出てきて、その口封じをしようとする勝重一派。さらにその軍資金を横取りしようと出てきた石川五右衛門配下の盗賊たち。しかしそこにちょうど信孝が出てきて、有名な”馬切り”の場で盗賊たちを切り捨てるのだが、最後に刀を左手に持ち替えての見せ場での立ち回り。
 しかし最後には、義理にからまれて自ら腹を切るしかなかった二人、与四郎とその後見人でもあった材木商の田郎助(実は勝重との双子の弟、松緑の二役)の悲劇を迎えながらも、すべては真柴の目出たき勝利へとつながり終わっていく。

 この菊五郎自身が監修したという脚本には、時代に合わせての”倍返しだ”などのギャグもはさまれていて、つまり大ロマン、お家騒動、当時の町方から見たヒーローたちとその悲劇もあり、からくりやお笑いを含めてのすべての要素を含んだ、ごった煮のいかにも新春歌舞伎にふさわしいものだった。

 ところで、花魁に成りすました皇女照菊が、郭に来ていた信孝に対面する場面で、あの一休和尚(一休宗純禅師)の有名な歌が歌われていた。

 「桜木を砕きてみれば色はなく 香りは春の空にこそあれ」

 どこか違う気がするので調べてみると、あの『一休骸骨(がいこつ)』で読まれていた歌は。

 「桜木をくたきてみれば花もなし 華は春の空そもちくる」

 (『一休』栗田勇 祥伝社刊、一休については、’09.2.25~3.10までの5回の項を参照)

 さらにネットで調べてみると、上の句は同じでも、下の句ではいろいろと歌の違いがある。

 「桜木を砕きてみれば花もなし 花こそ春の空に咲きけれ」
 「桜木を砕きてみれば花もなし 花をば春の空ぞもちくる」

 まあ元歌から、様々に変えて読まれた歌があるのは、昔からよくあることだから、この歌舞伎の場面で歌われたものが、元歌どおりではないとしても、この場面にはふさわしいと考えられなくもないのだ。

 それはともかく、この舞台は歌舞伎の演目として、それほど時代に残るものとは思えないが、当時の歌舞伎を見に来る庶民たちの要求、つまり興味あるものをすべて含んだ、本来の作り物である芝居という感じで見れば、十分に楽しめるものだった。
 歌舞伎には、”時代物”と”世話物”にそれぞれあまりにもシリアスな、思わずかたずをのんで見守り、あるいは涙するような名作がいくつもあるけれども、肩ひじ張らずに役者の演技と踊り、舞台の楽しさを味わう演目があってもいいのだ。
 そうした意味で、今回の「三千両新春駒曳」はまずまずに楽しめたし、何より次世代の二人の役者ぶりが見ものだった。
 父菊五郎との共演にもなった菊之助の、音羽屋伝統の、女形と立ち役の二役をいずれも見事にこなしていた芸の幅に、今更ながら感心させられた。(写真、左菊五郎、右菊之助)

 

 一方の松緑(しょうろく)は、父辰之助と祖父である先代松緑とをまだ十代半ばの時に立て続けに失い、その後松緑の跡目をついでからも、切れ味爽やかによくやっているとは思うが、まだまだ先代の重みを出すまでにはいたっていない、まだ若いし無理からぬことだが。
 しかし、舞台映えのする顔や立ち姿は見事であり、ますます将来が楽しみになる。

 ところで話は飛ぶが、その後BS日テレで放映された、あの北野武監督の映画『ソナチネ』(1993年)を見た。
 私は、子供のころ一緒に連れて行ってもらって見ていた時と、あの高倉健のヤクザ映画シリーズを見ていた時を除けば、長い間日本映画を映画館では見ていない。
 北野武監督の作品がヨーロッパなどで評判になっていることは知っていたが、暴力や殺人シーンが多いためでもあったのか、なかなかテレビで放映されることはなかったのだが、それが最近になって、ようやくテレビでぽつぽつと放映されることになり、まずは『HANA-BI』(1998年)を見て、さらに今回この『ソナチネ』を見たというわけである。

 たった2作品見たくらいで、彼の映画についてあれこれ語れるわけではないのだが、ヤクザの殺し合いという人間の残忍さと、同時に併せ持つ人間のおかしみを間奏曲にしたストーリーはともかくとしても、その映画の作り方に感心してしまったのだ。

 映画を見始めてからしばらくして、動きの激しい動的な場面と、一枚の絵画のような静止画になった場面との対比が、同じように早口のセリフ(少し聞き取りにくいが)のシーンと、緊迫感に満ちた沈黙の間との見事な対比に気がついて、これはよほどの画面構成や編集テクニックにたけたスタッフがいるなと思ったのだが、最後に流れるキャスト・スタッフを見れば、何と脚本・編集は監督自身が行っていたのだ。
 つまり映画を、このように仕上げるという監督の強い意志が反映されるわけであり、そこに芸術作品としての構成感が統一されていたことになる。
 動と静の対比を鮮やかにすること、それは西洋音楽の楽章構成でもあり、”ソナタ形式”と呼ばれる形でもある。彼はそれほど大げさなソナタ形式でなく、あくまでも小規模な”ソナチネ”だとこの映画に名づけたのかもしれないが。

 ともかく、今までの日本映画にはなかった、画面の切れ味の鋭さを私は感じたのだ。
 彼は間違いなく、日本のあのヤクザ映画の多くを見ているし、さらにはヨーロッパ、アメリカ映画の名作を数多く見ているのだろう。
 そして、その経験が自分の映画作りの意欲を高めたのだろうし、それぞれのシーンの見事なワンカットになったのだと思う。

 沖縄の海岸近くのアップ・ダウンが連続する荒れた道の光景、仲間が砂浜を一直線並んで歩く横撮りのシーン、ラスト近くのシーン、戻って来るだろう男を待って、あの荒涼と続く道の彼方を見つめ続ける女・・・。
 それは、この前に見た(制作年代的には5年後になるが)『HANA-BI』で、さらに洗練された映像になっていた。

 ただあえて言えば、これは技術的な問題かもしれないが、セリフが明瞭ではなく聞き取りにくいこと、久石譲の音楽はいいけれども、さらにセリフが少ないのはいいけれど、この二つがもっと少なければ、より緊迫感に満ちた画面になったような気がするのだが。

 沈黙があってこそ、動きの場面が鮮やかになり、激しい動作の後だから、沈黙の場の緊迫感が増すのだ。
 歌舞伎での、ここ一番という時のセリフが語られる前の、あのせっぱつまった緊迫の場での沈黙の間・・・見得(みえ)を切り型が決まった時の静止画のような一瞬・・・。
 (彼が歌舞伎をよく見ているかどうかは知らないけれども。)

 そして最後に付け加えたいのは、やはり殺戮(さつりく)シーンが余りにも多すぎるということであり、そのことに抵抗を感じる人たちもいるのだろうが・・・。
 ともかくにも私が思ったのは、この映画の切れ味のよさであり、映画も他の芸術作品と同じように、多分に映画作りをする人の才能に負っているということ。
 この『ソナチネ』から20年たつが、今後彼の映画はどこに向かうのか、その行きつく先の形になったものを見てみたいと思う。

 
 今日はまた、湿った雪が一日中降り続いて、夕方には10㎝を超えてしまった。
 しかし晴れてくれなければ、山には行けないのだ。