ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

九重の山、15歳でも80歳になっても

2014-02-17 22:05:46 | Weblog
 

 2月17日

 東京で二週続けて27㎝の積雪というのも驚きだが、それ以上にあの甲府で117cmもの雪とは。
 甲府には、東京に住んでいた若いころから今に至るまで、南アルプスに登る拠点として何度も泊まったことがあるし、また北アルプス、中央アルプス、八ヶ岳、奥秩父などへと向う時に必ず通過する町でもあったから、四季を通じてよく知っている所なのに、そして盆地の地形だから、夏は猛暑になり、冬は冷え込むのも知ってはいたが、雪がそれほど降るとは思ってもいなかったし、甲府の人にとってもまさにこの冬の雪は大雪だったに違いない。

 そこで詳しく調べてみると、富士山のふもと河口湖でも143cm、さらに隣の長野県では雪の多い北信地方は別として、雪の少ない中南部では松本で60㎝、あの諏訪でさえ50㎝近い雪が降り、伊那盆地の飯田では70㎝も積もっていたのだ。
 まして山では・・・あの北アルプスなどと比べて雪も少ない、南アルプスや八ヶ岳での雪はどうだったのだろうか。今の時期山に入っていた人は大丈夫だったのだろうか。
 あちこちの高速道・国道でさえ、何百台もの車が立ち往生して、山奥のは孤立しているというのに。

 日頃から、雪に彩られた山の姿を礼賛(らいさん)している私も、こうした雪による被害の状況を見ていると、さすがにそう雪景色をめでてばかりもいられなくなるし、わが家の周辺でもあちこちで雪による被害が出ているとのことだ。

 前の週の雪の時と同じように、関東甲信越での大雪になる二日前に、もちろん九州の山間部でもあちこちで大雪になったのだ。
 家の前で35㎝。まあこのくらいの雪では、ずいぶん前には50㎝位積もったことも何度かあったから、大雪とは言えないだろうが、玄関から道までと、さらに表通りの道まではさらに50mほどもあって、雪かきが一仕事になる。

 午前中に一時間ほどかかって、玄関周りから車庫周りの雪かきをして、もうそれだけで汗だくになる。
 午後には、表通りまでの道をホウキ・スコップで雪かきしていく。1時間たった半ばほどのところで、地区の除雪車が来てくれて、残りを一気に片づけてくれた。ありがたいものだ。
 しかし、その後もはみ出した雪などを片づけて、さらに1時間近くかかってようやく車は通れるようになり、今日の仕事は終わったのだ。

 さて家に戻ってからは、腰が痛くなったからと何もせず、テレビの前でお菓子でも食べてごろ寝して、いつしかうたた寝。
 二週間前までは、雪が少ないだの、雪かきの仕事ができずに運動不足だのとほざいていたのに、その舌の根も乾かないうちからこの有様、まったくわがままな扱いにくい年寄りではある。

 ところで今回の雪の後は、山へは行かなかった。
 降った次の日もまだ曇り空で時折小雪が舞う天気だったし、翌日は休日で、ライブカメラで見ると九重・牧ノ戸峠には、待ちかねた人たちの車が多く停まっていたうえに、天気も薄雲が広がり薄日が差すくらいの天気で、とても行く気にはならなかった。
 実はこの二度の雪の間に、数日前のことだが一日だけ快晴の空が広がった日があって、その日に九重に行ってきたのだ。

 「鬼瓦屋(おにがわらや、私の屋号)、おぬしも悪よのう。みんなが一所懸命働いている平日の、天気の良い日だけを選んで山遊びに行って。好き勝手し放題ではないか。」 と言われそうだが、まあ他に楽しみとてないし、明日をも知れない老いの身に免じて、どうかお許し下され、あーゴホゴホ。血だ・・・いや、食べていたチョコレートの食べかすか。

 雪が降ったのは前々日で、次の日はまだ曇り空で時折雪が舞う天気だったが、翌日は朝から青空が広がっていた。
 家からの道の所々には雪が残っていて、さらに長者原から牧ノ戸まではすべて圧雪状態だったが、駐車場にはもうすでに十数台のクルマが停まっていた。
 
 8時半ころで、気温は-5度。積雪は登山口で10cmほどだが、あたりの木々のすべてが枝先まで白くなっていて、前回以上に見事な樹氷の眺めだった。
 沓掛山(くつかけやま、1503m)の前峰まで上がると、阿蘇山(1592m)が見え、さらに縦走路をたどると、三俣山(1745m)を背景にしてカラマツの木が樹氷に覆われているのが見える。いつもの定番の眺めの場所なのだ。(写真上)
 しかし、もうずいぶん前のことになるが、台風にやられる前はもっとカラマツの数もあって見栄えもよかったのにと思ってしまう。
 さらに、歩きやすい踏み固められた雪の縦走路をたどって行くと、右手に前回と同じように、鍋谷から続く樹氷林が青空の下にきれい並んでいる。(1月27日の項参照)
 
 そういえば、霧氷と樹氷の区別だけれども、私は、周りに雪が降っていないのに、水蒸気や細かい霧、雨滴が単純に木々の枝に吹きつけられてできた、透明の氷状に張り付いたものを霧氷だと思い、その他の雪が吹きつけた後などに見られる、雪片が吹き付けられてあの”エビのしっぽ”状に積み重なったものを樹氷だと区別していた。
 しかしそれだと、その巨大化して搭状になったもの(”樹氷塔”とでも書きたいところだが)、つまり”アイス・モンスター”とも呼ばれている、あの蔵王や八甲田のいわゆる”樹氷”と同系列に並べることになり、いささか気にはなってはいたのだが。
 そこで調べてみると、学名として名づけられた時点では、この巨大化した樹氷については、別に名前が付けられていなかったということであり、そこで今日の混乱が生じたのだと思う。

 それは、「ギヨエテとは俺のことかとゲーテ言い」という川柳(せんりゅう)に代表されるような、明治時代初めのころの外国語表記の混乱ぶりに例えるわけではないけれども、「樹氷とは俺のことかとアイス・モンスター言い」ということになるのだが。
 そこで、いつものウィキペディアで調べてみると以下のように書いてあった。

「霧氷(むひょう)は、過冷却の霧や水蒸気が昇華(しょうか)して、白色半透明になって着氷したものであり、一方霧粒や雨粒が透明な形で着氷したものを、雨氷(うひょう)と呼んでいる。」(うひょー、知らなかった。)
「霧氷は、さらに樹氷、粗氷(そひょう)、樹霜(じゅそう)の三つに分けられる。
 樹氷は、いわゆる”エビのしっぽ”と呼ばれるものと同じで、白色や半透明のものであり、粗氷は半透明のもの、樹霜は水蒸気が霜のようについたものである。」
 
 しかし思うに、一般的には、木々が白くなったものをすべて霧氷と呼んでいて、樹氷は蔵王・八甲田などのアイス・モンスターだけを指す言葉として使われているようだ。
 さらに、霧氷が三つに分けられていて、その一つが樹氷だなんて誰も考えてはいないだろうし、私にしても、雨氷と霧氷とを区別していなかったし、普通の木々についているものは樹氷だとしても、ましてさらに粗氷、樹霜になんてとても区別などできない。

 そこで、日本雪氷学会のほうで、何とかこの古い区分をやめて、新しい基準による簡単な区分を作ってはくれないだろうかと思う。
 たとえば水滴などがついてできる透明な霧氷、そして雪片がかかわった樹氷に、巨大化した樹氷塔とかいったぐあいに分けて、一般の人にもわかりやすく理解できるようにしてほしいものだが。

 さてそれはともかく、さらに縦走路を行くと雪も2,30㎝の深さになってきて、それでも昨日からの大勢の人によるトレースがついているから歩きやすいのだが、あたりには雪の風紋が描く光景があちこちに見られた。
 冬山の景観の楽しみの一つは、この風紋や、エビのしっぽ、シュカブラなどが作る雪と氷の”偶然の芸術”にあるのだ。
 星生崎(ほっしょうざき)下から久住別れへと下る途中には、シュカブラを前景にして久住山(1787m)が背景にあり、雲海のかなたに祖母山(1756m)が見えるという光景もなかなかに良かった。(写真)

 

 九重山の本峰でもある久住山は、今回は割愛して、天狗ヶ城(1780m)に向かう。
 その登りではさすがに息が切れるけれど、振り返り見るあの”モビィ・ディック(白鯨)”のような久住本峰の眺めが素晴らしい。
 そうなのだ、九重山群の中で最もスケール感あふれた久住山は、登るよりは周りの山々から眺めるのが一番なのだ。 
 そのための展望台の一つがこの天狗ヶ城であり、ここはまた星生山や中岳を眺めるにも適した頂きなのだ。
 その岩場を下って、今度は中岳へと向かう。雪は吹き溜まりでは50㎝程あるが、ずっとトレースがついているし、しっかりしたトレッド・パターンの冬靴をはいているし、私はとうとう最後までアイゼンはつけなかった。

 鞍部から九重山群最高峰の中岳(1791m)への登りでは、風紋やシュカブラの作り出す光景が青空の下に細やかな陰影を作っていた。(写真)

 

 一登りで中岳頂上に着く。快晴の空の下、風もあまりなく、他に同じような単独の人が二人いるだけで静かだった。
 ここまで写真を撮りながら来たので、3時間余りもかかっていたが、初めて腰を下ろしてゆっくりと休む気になった。
 周りを取り囲む、九重山群の山々を眺めながら、私は幸せな気分だった。
 今日の天気は、北に高気圧という配置から見ても、これほど晴れるとは思えなかったのだが、しかし周りをよく見ると、祖母・傾や阿蘇などの1500m以上の山々は見えているのに、他は平野部を含めて、まだらな雲海に覆われていたし、その雲が今やあちこちで乱れ始めて、この九重の山々にも及びつつあった。
 
 しかしもうあとは下るだけだ。凍結した御池を渡り、そこで今日初めて十数名もの中高年集団登山に出会ったが、それ以外は一人や二人といった人たちばかりで静かだった。
 久住別れの辺りまで来ると、星生崎の山腹には雲がまとわりつきはじめていて(写真下)、さらにその先の西千里浜にまで下りてくると、もうあたりはすっかり雲に包まれてしまった。

 

 これでは夕景を見るのも無理だろう。私はひたすらに縦走路を下り、牧ノ戸の駐車場に戻った。
 中岳頂上からは2時間足らず、合わせて6時間足らずの気持ちの良い穏やかな雪山歩きだった。

 帰りの道では、もうわずかに雪が残っているだけで(これが九州の雪道だ)、普通にクルマを走らせて家に戻った。
 そして、さっそくテレビにデジカメ写真を映し出して、ひとりニヒニヒと悦に入り眺める楽しさ。

 簡単な夕食を作って食べ、牛になってもいいからと、そのままごろりと横になって、お笑いバラエティー番組でも見て、風呂に入って今日の山での汗と疲れを流し、いい気分になっていつものベッドでの本を読みながら、すぐに眠くなり本を閉じ明かりを消して、おやすみなさい。
 これでいいのだろうか。
 いいのだよ。誰に迷惑かけてるわけでなく、残り少ない自分の人生だもの・・・ささやかな喜びでも十分。
 
 しかし、考えないでもない。
 今行われている、ロシア・ソチでの冬季オリンピック。
 (そして、滑降競技などの背後に映し出される雪の山々・・・。ある時はその競技よりも、あのコーカサス(カフカズ)山脈の3000m級の山々のアルペン的な景観に目が行くのは、山好きな私だけなのだろうか。)

 ともかく、オリンピック・ゲームとして繰り広げられる、競技の結果に一喜一憂するのは誰しも同じことだろう。
 スノーボード・ハーフパイプでの15歳の銀メダル。男子フィギュアでの19歳の金メダル。
 スキー・ジャンプ・ラージヒルでの41歳の銀メダル。
 
 さらに最近のニュースへと思いは続く。STAP細胞という世紀の発見で世界を驚かせた30歳の女性細胞生物学者。
 80歳という高齢で、周りの協力もあってエベレストに登頂した、冒険スキーヤー。

 いずれにも共通するのは意志の強さ、持続する強い心だ。
 しかし物事をやり続ける人には、誰にも同じように強い意志の心があるはずだ。
 それなのに、結果として報われずに成功せずに終わった人たちが、実はほとんどを占めているのだ。

 しかしよく考えなければならないのは、それらの結果は、その時の競技の成功者であり失敗者であるというだけのことであり、競技ゲームの結果にすぎないものであるということだ。
 私たちは混同しがちだが、結果がすべてではなく、何も人生の価値までをも色づけするものではないということだ・・・もっともそれらの結果が、自分に問いかけた人生の中での、輝かしい一瞬と悔恨のひと時になったことは確かだろうが。
 ただ言えることは、15歳と19歳と30歳と41歳と80歳の成功者たちは、それぞれの人生の通過点の中で時を得て、自らの努力に最大限報われた人たちであったということだ。
 

 しかし、世の中には、そうした競い合うこと自体を最初から嫌ったり、途中から離れたりするひとたちもいるのだ。
 前にも取り上げたことのあるあのベニシアさん(’12.3.4の項参照)。京都は大原の里で、故郷イギリスと日本の田舎の暮らしを融合させて、日々あれこれ工夫努力を重ねながらものびやかに暮らしている・・・。
 そして中高年に人気の、テレビ朝日系の番組『人生の楽園』に出てくる主人公たちは、日々の仕事に励みながら、穏やかな人生を楽しんでいる・・・。
 
 さらには、これまで私が何度も取り上げてきた、中世の時代から続く隠者たち、たとえばあの『方丈記』を書いた鴨長明から、『徒然草』の吉田兼好、歌人の西行や江戸時代の良寛和尚(’10.11.14の項参照)など、競い争うことを避けてひとり生きることを選んだ人たちがいる。
 私がそうした生き方にあこがれながらも、一方ではスポーツとして人間たちが競い合う姿も見て楽しんでいるということは、一体どこでつながるのだろうか。

 人間たちはその昔、周りに獰猛(どうもう)な動物たちに取り囲まれいて、さらには敵としての他の人間集団たちと相争い殺し合う関係の中にいたはずだ。
 そして幾たびもの有益無益な争いの後、互いに学び合うことで少しずつ殺し合いは少なくなり、そうした平和な時代になればなるほど、その代わりとでもいうべきスポーツ・ゲームは栄えていったのだ。
 つまり思慮あるべく学び取ってきた人間たちは、ようやく無益な殺し合いに代えて、その仮想スポーツ・ゲームの世界に自分たちの思いを置き換えることができるようになったのだ。
 
 思えば、そうした昔の時代の闘争本能を受け継いできたDNAを、体のどこかに持っているからこそ、私たちはスポーツ・ゲームに夢中になり、一方でそんな争い合う時代に辟易(へきえき)したDNAを、これまた体のどこかに持っているからこそ、私たちは静かで穏やかな生活を望むのではないのだろうか。
 そんな相反するような二面性こそが、すべての生き物たちに与えられた、生き抜くことへの暗示なのかもしれない。

 今日たまたま見たNHK・BSの『ワイルドライフ』で、全く見分けのつかない花の形や枯葉、木の幹の形に擬態(ぎたい)して、獲物を待つカマキリの姿を見た。
 だましだまされる生き物たちの厳しい世界・・・生きていくということの本来の意味を考えさせられたのだが。