12月11日
急に寒くなってきた。今、ワタシの一番のお友達は、ストーヴである。朝、飼い主が起きてきてストーヴの火をつけ、夜、今度はストーヴの火を消して、コタツのスイッチを入れて、隣の部屋に行って寝るまで、つまり一日のほとんどをストーヴの前で寝て過ごしているのだ。
飼い主と散歩がてらのトイレに行くのも、やめた。そんな長い間、寒い外にいるのがいやだからだ。トイレは、玄関のドアを朝昼晩の三回、開けてもらって外に出て、素早く庭の落ち葉をかき寄せてすませ、すぐに脱兎の勢いで部屋に戻ってくる。
そんなワタシを見て、「まったくいつものぐうたら年寄りネコとは思えないな。」と皮肉まじりに飼い主が言っている。
しかしよく考えてもらいたい。自分だって、この寒さでは、とても暖房器具なしではいられないはずだ。それと同じことで、ワタシがいくら冬用の毛皮を着ているからといっても、もうずっとこのストーヴの暖かさに慣れているから、長時間寒い外にいるなんてことはできないのだ。
そして、冬のネコはよく寝る、というふうに思っているのは、人間の間違いである。実は寝たふりをして、いろいろと考えごとをしているのだ。それも、生魚やミルク、かつお節に味付けのり、さらに滅多にはくれないマグロの刺身、といった卑近な食べ物のことではないのだ。
ああ、そういえば、生つばゴクリと飲んで思い出したが、あのマグロの刺身は、私が病気やケガをした時に、飼い主が小細工して、その刺身の中に薬を埋め込んでいて、それで食べさせてもらったのだが、そんなケチなことはせずに、国民の休日である正月やお盆、さらにクリスマスやネコの日(2月22日)などには、せめて二三切れでも食べさせてほしい、もうワタシは年寄りなんだから。
『いつまでもあると思うな親とネコ』ということわざもあるぐらいだから、それは『親と金』だろうと飼い主の声、ニャーオ、そうとも言う。
ともかく話を戻せば、ワタシたち冬のネコはよく寝ているように見えて、実は、ずっと考えているのだ。それは、バカな人間たちの、どうでもいいような日常の話題、タレントがどうしたとか物価がどうだとか政治がだめだとかの、下賤(げせん)な者の話ではない。
それはもっと倫理学的な、ネコと人間との正しい関係の在り方などについての考察であり、むしろネコ哲学体系とでも呼べるものなのだ。ワタシたちは、肉球つきの手足だから、人間のようにペンを持って記録することができない。だから記憶という手段で頭にため込み、それを親兄弟や子供たち、あるいは他のネコたちとの関係の中で、教えあい学びあってきたのだ。
こういう時はどうすればよいか、どういうふうに鳴いて人間の気を引くかなど、ネコとして生きていくための何百項目にわたる倫理規定が、ワタシたちの頭の中には書き込まれているのだ。人間たちみたいに、役所の規定をいちいち調べて読み上げる必要もなく、あのパソコン検索よりも早く、瞬時に答えが頭の中に映し出されるのだ。ワタシたちネコは、これをネコンピューターと呼んでいる。
ワタシの頭にあるものは、ネコビスタ方式で、人間の科学者たちが調べたところでは、性能は2ニャオGBの一時的メモリーに、500ニャオGBにあたる記憶貯蔵能力があるそうだが、最近の新ネコ類の若いネコたちは、さらに進歩して、ネコ7方式の高い能力を備えているということだが、問題は使い方だ。
ことわざに、『ネコとハサミは使いよう』というのがあるが、傍で飼い主が『バカとハサミだろう』と言っているが、そうともいう。
それはともかく、まさしくこれからも正しくネコが進化していくためには、今の若いネコたちの、このネコンピューターの使い方いかんにあるのだが、その使い方も知らずに、ゼイタクな衣装を着せられ、高価なネコ缶を食べさせられ、冷暖房完備の部屋で一生を送るネコたちに、果たして次なるネコへの未来があるのだろうか・・・。
と、年寄りネコのワタシが嘆いたところで、何にもならないのだが、そんなことより、さて外も少し暗くなってきた。サカナの時間だ。ミャーオン。
「ニュースによると、北海道では、もうマイナス20度以下に下がったとのことだ。思えば数年前、私は北海道の家で冬を迎えていた。上の写真は、12月中旬の雪が降った朝の日の出のころの風景である。私には、あの凛(りん)とした空気の冷たさが感じられる。
そんな北海道の寒波の余波を受けて、この九州の家でも、この三日ほど続いて朝の気温はマイナスまで下がり、日中でもプラスの3度くらいまでしか上がらず、そのうえ、今年の初雪になる小雪も舞っていた。
私は、家の中での仕事にかかりっきりだった。それは、CDの整理である。整理や片付け、掃除などのハウツゥ本がベストセラーになる昨今、私もいつ終わるかもしれない人生を考えて、このあたりで少しは自分の身の回りを整理しておかなければと考えたのだ。
思うに、余りにも蓄えこんだものが多すぎるのだ。母親譲りのもったいないというケチな性分で、たとえば家で使うタオルは黒ずんでくるまで使い続けているのに、二つの引き出しには、もらいもののタオルがぎっしり詰まっているというありさまだ。
輪ゴムや包装紙にはじまって、いただき物の食器や何十年も前の調理器具、若いころイキがって着こんでいたトレンチコートや細身の白い背広に至るまで、さらには亡くなってもう7年にもなるのに、そのままで処分しきれずにいる母の衣類に布団など、ひとりで暮らしているには、余りにも使わない余分なものが多すぎるのだ。
それらのものは、そのうちに整理処分するとして、しかし、このそのうちにという気持ちをいつしか忘れて、おっくうになってしまい、結局はまた先延ばしすることになるのだが・・・、今回は蛮勇(ばんゆう)をふるって、まずは自分のコレクションから手をつけることにした。CDにレコード、そして本に雑誌、いずれも1000点を超えるものばかりだ。
人はどうして、あらゆる物を自分のものとして集め、収集、保有したがるのだろうか。昔、テレンス・スタンプが演じた『コレクター』(1965年)というウィリアム・ワイラー監督のサスペンス映画があったけれども、そうした犯罪につながる異常性格の事例は、残念ながら、現代社会においてもなお後を絶たず、様々な猟奇的な事件となってむしろ増加しているという。
もちろんそうしたことは、まれな場合であって、ほとんどの人は集めるということを、自分の趣味として楽しんでいるだけである。子供のころのビー玉、メンコ、パッチに始まり、蝶や昆虫、切手などへと発展していき、あとはCDなどの収集ぐらいでとどまっていればいいけれど、中には高価なブランド品を買い集め、ついにはあの有名なフェラーリなどの外車を何台もそろえたり、有名絵画のコレクターになったりするのだ。
もっとも、それはチョ―お金持ちの世界であり、たとえば百数十億もの金を賭博(とばく)に使った息子と、それは息子の責任で自分とは関係ないという、さらに膨大な資産を持った父親のいるような世界のことだから、下々の私たちの感覚では測りかねるけれども。
ともかく、人は誰でも、大なり小なり物を集めたがるのだ。それはなぜか。心理学でもよく取り上げられる問題であり、病理的なものとして、認知症や統合失調症から来る場合もあり、強迫神経症と断定される場合もあるとのことだ。
それでは、そうした症状としての収集癖になってしまうのはなぜか。それは、だれもが推察できるように、自分の心の中の満たされぬ思いや、空虚さを埋めるための代償行為なのだろう。
だけれどもそれは、人それぞれの成長過程や今の立場、環境、そして思い込みの強さなどの、複雑な関係が絡み合って生みだされたものであり、なおかつ誰にでもあるものであり、ほとんどの場合は、犯罪に結びつくような外的な発散の形をとることはない。ただ自分の心の中だけでのマイナスからプラスへの埋め合わせとなって、無意識のうちに日常生活の精神のバランスをとっているのだろう。
結論としていえば、適度な収集趣味は、意識しているか無意識であるかにかかわらず、その人が抱え込んでいるストレスを解消させるための、一つの処方箋(しょほうせん)になるのかもしれないということだ。
さて、CDの整理の話から、ここまで引っ張ってきたのは、前回の加藤文太郎や植村直己の単独行の登山について、それは今の自分の登山スタイルに似通っているということもあって、良くも悪くも自分なりに理解しておきたいと思ったからだ。
つまり、単独行の登山を続けることもまた、こうした収集癖のひとつの現れではないのかと・・・。それはもちろん、目の前にある何かを集めるという形はとらないけれども、つまりはどの山に登ったかというリストを、自分の心の中に羅列していくことができるからだ。
加藤文太郎の『単独行』の中に書いてある、山の征服という言葉は、恐らくは敵対する自然を征服するという意味ではなく、自分に課したその山を登り遂げることを意味したのだろう。そうして彼は、まずは夏の北アルプスの山々を、次にまた全く違った姿になる冬の北アルプスの山々を登り続けて行き、それらの制覇リストを心の中で誇りに思い眺めていたに違いない。
それは、今までだれも成し遂げ得なかった冬季マッキンリー単独登頂や北極点、南極点単独到達へと挑んだ植村直己についても言えることだ。
そして、そんな彼らとは比較にならないほどの、低レベルでの単独登山を続けている私だが、今まで自分が登った北アルプス、南アルプス、そして北海道の山々などのリストを眺めるのは、その時の思い出とともに自らに誇らしい気持にもなる。(何度も繰り返すが、私は今後とも百名山などを意識して登るつもりはなく、それよりは好きな山に何度でも登ったほうがいいと思っている。)
次に、どうして単独という形をとるにいたったのか、ということだが。そのきっかけは、たまたま誰も一緒に山に行く人がいなかったから、とかいう単純なものだったのだろうが、しかし根本にあるものは、これは、あくまでも推察の域を出ないのだが、一つには、支配されることからの脱却、つまり自分が支配する側になりたかったからであり、上にも書いたように、心の満たされぬ思いの代償行為ではないのかということである。
この余りにも偉大な、二人の単独行者に共通するのは、会社や組織の中でも、実直でまじめで黙って仕事をするタイプの人間であったということ、さらには奇しくも、二人ともに4人兄弟の末っ子、7人兄弟の末っ子であったということ。
私の場合など、大した共通例にもならないのだが、ひたすらに仕事に打ち込みやり遂げるということでは、東京の会社にいた時もそうであったし、その後、北海道の家を一人で建てた時もそうであったと自負している。そして、前回書いたように、子供のころに、知らない土地に一人で放り出されたという体験もある。
もちろんそんなことは、多かれ少なかれだ誰にでもあることだろうし、私たちはいつも、周りの人々に支配され抑圧されて生きているのだ。そして、その場で反抗できずに、外見上素直に従い仕事はしていても、燃え盛る炎がその心の内にあるはずだ、若いころならなおさらのこと。
そして、二人にとってのその出口は、冬季単独登山という過酷な運動に自分を投げ入れることであり、その果てにたどり着いた頂上での喜びは、一人で登ったからこそのものであり、山頂をその足元にして、さらに俗世間の街並みを下に見下ろして、まるで頂点に立つ支配者のような喜びそのものだったのに違いない。
もちろん、そのような思いは、単独行をやり始めたころに特に強くあふれる思いとなって湧き上がり、その後も単独行の登山を続けていく大きな要因の一つにもなったはずだ。
しかし時がたてば、そのあふれる思いはいつの間にか薄れて、年齢に応じた別の楽しみへと移り変わっていく。おおらかに自分を包んでくれる喜びへと、自然の持つやさしい静けさの中で・・・。
ここまで書いてきた私の思いのもとになったものの一つは、実は学生のころ学んだ心理学の中で、アルフレッド・アドラー(1870~1937)による精神分析理論を思い出したからでもある。フロイト派の精神分析からは少し距離をおいたところにあった、このアドラーの理論が、その当時から私には心理学の中では、もっとも納得できるものだったのだ。
今回の単独行の話も、このアドラーの理論の一つに従って進めるつもりだったが、余りにも話が長くなってしまったし、その文献も今は手元にはないので、もっと先になるだろうが、この話はまた別な機会に持ち越したい。
さて、CD整理の話だが、思い切りの悪い未練がましい私には、十分な処分はできなかった。全部のうちの5分の1ほどにあたる150点(200枚)だけを選んで、買取店に送っただけだった。こんな調子だと、残りのレコードや本の処分は、いつになるのだろうか。
さらに付け加えて、もう一つ、これはうれしかったことだけれども、前回に書いていた手のひらの傷が、劇的に治ってきたのだ。膿を持ったまま腫れて盛り上がっていたところから、なんと自然に、途中で折れて手の中に残っていた、3ミリほどのトゲの先端部分が出てきたのだ。
しかしまだ痛く、腫れたままだった。ところがその二日後に、なんと今度は大きな黒いものが出てきたのだ。爪切りではさんで抜き出すと、それは長さ1センチ余り幅2ミリものトゲ枝だったのだ。つまり、知らないことに、二つが刺さっていたのだ。
それ以上に私にとっての驚きは、これらのトゲが2週間の時間をかけて、体の中である手のひらの中から、ひとりでに出てきたということだ。異物を排除しようとする、なんと見事な体の自然治癒(ちゆ)能力だろうか。
それも、若い体ならいざ知らず、大分くたびれてきてジジイになりかけた男の体なのに。私は、もしかしたら、まだ若い体を持っていて、ひょっとしたら若いねえちゃんとも仲良くなって、これから先にもチョー明るい未来があるのではないのか。ワオーン、ワンワン。
その私の声を聞いて、隣の部屋でミャオが鳴くのだ。ニャオーン、ニャンニャン。あーあ、あほくさ。」