ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(207)

2011-12-25 21:36:15 | Weblog


12月25日

 最近、ずっと食べていなかったキャット・フードを一口食べてから、すっかり、はまってしまった。そのぶんあれほど夢中になって食べていた生ザカナを、半分ほど残すようになった。年のせいだろうか。
 年をとれば、ワタシの体もくたびれているから、昔みたいなドカメシ食いはできなくなるのだ。まして、キャット・フードも昔のような大きな粒のものではなく、粒が小さくて、飼い主が言うには、ワタシのような年寄りネコ向けのものだそうだ。
 それを一日数回は食べる。飼い主は、そのたびごとに私が食べる分だけ、つまりカップさじの半分くらいをエサ皿に入れてくれる。それは、エサを山盛りに置いておくと臭って嫌だから、と飼い主が言っていたからだ。というのは、エサ皿を今までの寒い居間のほうではなく、私の寝起きするストーヴとコタツのある部屋のほうに移して置いてくれたからだ。

 人間は、ワタシたちよりはるかに嗅覚が劣るくせに、ワタシのエサやシッコなどの臭いに敏感過ぎるのだ。その上、潔癖症で、ワタシの足の汚れなどにもうるさい。常日ごろからワタシたちのように、多くの混在した臭いに慣れていれば、ちょっとした臭いにもすぐ反応できるし、さらにいつも多少バイ菌がついているものを食べていれば、いつしか抵抗力がつくというのに。
 それなのに、人間たちは、より快適により安全に暮らすために、悪臭を追放し、人工的な香料で部屋を満たし、すべての身の回りのものを殺菌して、無菌状態にしようとしている。それほどまでに、本来持っている動物本能的な抵抗力を捨ててまで、清潔さにこだわる人間たちに、明日を生き抜く野性的な未来があるだろうか。
 私たち人間以外の生き物は、たとえいかに人間たちが作り出した様々な害悪にむしばまれ、多くを失うことになったとしても、必ずやその野生本能や自らの抵抗力で、これからも生き延びていくに違いない。地球上で一番わがままで、実はか弱い生き物は、人間たちなのだ。
 
 さて、そのキャット・フードを食べてストーヴの前で寝ていると、体からの呼び声が聞こえてくる。まさに、”Nature calls me.”である。飼い主に、何度か鳴きかけて、外に出たいという。
 玄関のドアを開けてもらい外に出ると、夕闇せまるころなのに、それでも真っ白だ。辺り一面に雪が積もっている。雪をかきわけ、その下の落ち葉をかきわけてトイレをすませる。再び部屋に戻り、ストーヴの前に座り冷えた体を温める。
 しかし、飼い主はまだ部屋の明かりをつけずにいて、ストーヴの明かりだけで、何か妙な雰囲気だ(写真)。飼い主が、おばあさんの写真が飾られてあるところに、小さなケーキを置いて、いつものように鐘を鳴らして手を合わせている。その後で、もう一つの小皿をワタシの目の前に置いた。
 ワタシは、甘いものは食べない。横を向くと、飼い主は何かを言いながら,それをむしゃむしゃ食べ始めた。テレビはつけたままで、画面からは鈴の音と賑やかな音楽が流れてきていた。
 ワタシは、それらに背を向けて横になって、目をつむった。何か特別な日らしいが、ワタシには関係のないこと。ワタシたち動物には、一年365日、安全で何とか生き延びることができた今日のように、また明日も続けばいいだけだ。


 「これから雪の日が続きそうなので、数日前、少し離れた町まで行ってタイヤを交換してきた。私のクルマにつけられたスタッドレス・タイヤは、7年前のものであり、いくら九州で積雪日数が少ないとはいえ、さすがに8年目までもは使えない。ただキロ数を走っているわけではないから、十分なミゾの山はあったのだが、スタッドレスの命であるゴムの柔軟さがなくなっていて、夏タイヤ並みに固くなっていたのだ。
 大枚をはたいて、一番新しいスタッドレス・タイヤを買った。私には高額な買い物であり、北海道ならいざ知らず、こんな九州ではとは思うが、早朝の凍った道を走って山に行くためにはどうしても必要なものなのだ。ちなみに、九州の街に住むほとんどの人は、恐らくスタッドレスを買うこともなく、せいぜいチェーンですませることだろうが、雪の積もる内陸の山間部に住む人たちにとっては、日々の必需品なのだ。
 その新しいスタッドレスをつけて、家に戻ってきた。もちろんまだ雪のない路面だったのだが、驚いたことに、前のスタッドレスがいかに2世代前の古いものであったとはいえ、このタイヤは何と走りやすいことか。クルマの性能が一段階上がったようで、乗り心地がよく、その上さらに静かになったのだ。
 このまま夏タイヤとしても走れるだろう。支払ったお金に見合うものだと、ひとり納得した。

 しかし、考えてみれば、この喜びは、日ごろの私の言動とは何と大きく離れていることだろうか。つまり、自然破壊を嘆き、人間文明のこれ以上の進展に疑問を抱いて、なるべく自然に近い形で生きて行きたいと思っている私なのに、一方では新しい科学性能溢れる製品を、喜んで受け入れているのだ。
 これが、矛盾大きい存在である人間そのものの姿なのかもしれない。こうして、人間は、文明をさらに発展させ、それが経済の活力となって、自分たちの繁栄を支えてきたのだ。放射能拡散や地球温暖化くらいのことでは、今更、決して後戻りなどできはしないのだろうが。
 このままパンドラの箱(開けると災難が飛び出し希望だけが残る)をいくつも開けていき、その中にはさらに箱が入っていて、限りなく繰り返していくのだろうか、次第に小さくなる箱を求めて。

 と考えて行けば、暗い未来になってしまう。そして、自分の存在そのものが、価値のない害悪を及ぼすものに見えて、絶望的になるのだが、しかし待て、目の前で安らかに寝ている、ミャオを見よ。
 命あるものは、まずひたすらに、あるいは本能的に生を目指すことによって、それが人の言う、神の摂理(せつり)にかなうものになるのではないか。またさらに人として、すべての宗教の倫理観としてあるように、矩(のり)を超えず、物に執着せずに、弱きを助けて生きることこそが、人間の生の本分になるのではないのだろうか。
 つまりは、流行りのものに飛びつかず、貧しいままで、それを誇りとして、後は脳天気に生きることこそが大切なことなのだ。

 こうして、私はタイヤくらいで喜んだことを反省したのだ。しかし実際は、そのタイヤで走るのだが、ところが雪は今朝までに3cmほど積もっただけだった。その上、天気が良くなり、半分は溶けてしまったのだ。私の北海道の家のある一帯では、まだ12月なのに50cmもの大雪だったそうだ。
 以下、さらに最近の私の反省したこと、そのサルでもできる反省点について書いていくことにする。

 前回に書いた、ネット通販による書籍取り寄せの便利さに感心して、またも年内にと4冊を注文した。
 危ないことだ。パソコンのキーボードを叩くだけで、手軽に手に入れられる仕組みにはまってしまうと、いつしか私も、あのどこかのおぼっちゃまのように、外国にまで出かけて行って、スロットマシンの前に座り、あるいはカケ札を握り締めたりするかもしれないのだ。
 しかし、ミャオから、そんな一か八かの根性はないくせに、との声。

 次に、2週間ほど前のNHKスペシャル『震災遺児1500人』。津波で、若い両親と二つ上の姉を亡くした、まだ小学二年生の女の子。そして、母と弟を亡くし、父と暮らす小学生の男の子。その二人の毎日を見ているだけでも、胸が詰まってしまった。私の子供のころのつらい思い出なんか、まったくたいしたことではなかったのだと。

 三つ目は、昨日の、今年最後のNHK・BS海外ニュースで、今年の主なニュースを時々はさみながら、流れていた歌。あの宮崎駿の『千と千尋の神隠し』のテーマ曲である『いつも何度でも』を、ウクライナ出身の歌手ナターシャ・グジーが、リラの楽器をつま弾きながら歌っていた。
 彼女のその美貌からは想像だにできないが、自らがチェルノブイリの被害者であるということ。さらに、その彼女の冷たく透き通った声が、まるで誰かに強く訴えかけるように響いてきたこと。
 もともと、覚和歌子の作詞と木村弓の作曲が素晴らしい名曲であり、木村弓自身が竪琴をつま弾きながら歌うやさしい歌声は、確かにこのアニメ映画にふさわしいものだったのだが、一方でチェルノブイリを体験したナターシャの歌声は、今度の大震災の惨状と重なって、さらに私の胸を打ったのだ。知らないことが余りにも多すぎる。

 さらに一昨日のNHK・BS、『星の王子さま こころの旅 サンテグジュペリ 愛の軌跡』。これは5年前の再放送であり、そのころまだ衛星放送をよく見ていなかった私には、初めて見る番組だった。
 大体こうしたタレントを使ってのドキュメンタリーは、興味をそがれることが多いのだが、ここでの女優の南果歩がサンテクジュペリの足跡をたどって各地を旅するという構成は、そのままで興味深く見ることができた。
 『星の王子さま』の作者として有名なサンテグジュペリ(1900~1944)は、そのパイロットととしての体験から、他にも『南方郵便機』『夜間飛行』『人間の土地』などの名作を書いている。若いころ私は、前回に書いた、あのヘミングウェイやマルローに並ぶ行動主義の作家として、これらの作品も読んでいたのだが、『星の王子さま』だけは、いわばそんな彼の子供向けの作品だと思っていた。
 しかし最近読みなおした後、さらに今回、この『星の王子さま』のドキュメンタリー番組を見て、私は考え方を大きく改めた。これは、第二次大戦の混迷する世界に送られた、世界平和への強いメッセージであるとともに、ひとりの相手を真剣に愛するための自分へのメッセージだったのだと。あのころ私は、何と本の字ずらだけしか読んでいなかったことだろう。

 最後に、これは残念なことだけれども、あの『アサヒカメラ』に、今年は猫カレンダーが付いていなかった。ただ、猫の写真が数ページ本文中に割り当てられているだけだった。そして巻頭の特集は、『ヌード』だった。
 そんなエライ先生たちが撮った、若いねえちゃんたちの芸術的なヌード写真を見るよりは、私は、いつもすっぽんぽんでそこいらを歩いている、ネコやイヌたちの日常のヌード写真、つまりはあの岩合さんが撮る、今までどおりの”にっぽんの猫”の写真を見たかったのだ、それも毎月飾って見るのが楽しみなカレンダーとして。
 もちろん、版元がカレンダーにしなかった理由は分かっている。別刷り、別製本で費用がかかること、ネコ派以外のイヌ派や動物ぎらいの読者たちから、毎年の猫カレンダーに反対の声が上がっていたことなどだろう。
 そして、これに対するささやかな私の反対の意思は、もう来年からこの雑誌を買わないことだ。本屋の立ち読みですむことだから・・・。とはいっても、私が買っていたのは、カレンダー欲しさのこの正月号だけだったから、大したことではないのだろうが。
 
 さらに、今年一年の反省点をあげていけばきりがない。その上、もう年寄りになるのだから、今さら反省してどうなるという開き直りの気持ちもある。
 今日たまたまつけたテレビで、『邦画を彩った女優達 大原麗子』を見てしまった。そこには、不幸な家庭に育ち、二度の結婚に失敗し、わずか62歳で亡くなった彼女の孤独の女優人生が描かれていた。その中でのナレーターの言葉、『自分に忠実であろうとすれば、結局、孤独を引き受けざるを得ないのだ・・・』。
 自分の思うように生きていけば、残るのは孤独の余生だけだ・・・ということなのだろう。若い時にはそんなことなど考えもしなかったのに、時はすべてを押し流し、すべてを思いよみがえらせる、氷河の動きのように、目には見えずに少しづつ動いていく時の流れ。
 ただ、私は、今まだその流れの中に立っているのだ。ミャオもそばにいる。どうなるか分からない明日よりは、今ここに見えている今日だよな、ミャオ。
 ニャーオ。おーよしよし。」