ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(159)

2010-11-20 20:11:55 | Weblog



11月20日

 飼い主が帰ってきた。数日前のことだ。夕日が沈んで、すっかり暗くなったころ、家の前にクルマが停まり、誰かが下りてきて、玄関のドアを開けている。それも、ニャーオニャーオと言いながらだ。
 ベランダにいて、誰だろうかと様子をうかがっていたワタシは、思わずニャーオと鳴き返した。二度三度と言い続けるその声は、まさしく飼い主の声だったからだ。
 若いころなら、そのままベランダから飛び降りて、玄関にいる飼い主のもとに飛んで行ったところだが、もう年寄りネコだから、そんな元気はない。

 飼い主が家の中に入り、ベランダ側のドアを開けてくれた。しばらくは、用心深さと久し振りのテレもあり、少し離れてニャーニャー鳴いていたが、やがて飼い主の傍に寄って行き、体をなでられて、その触り方は飼い主だと確認して一安心する。
 飼い主は、すぐに冷凍の古いサカナを出してくれたが、そんなものよりは、なんといったてミルクだ。ワタシは、できることなら、両手で皿を抱えてグイといきたいほどで、夢中になって飲んだ。

 後日のことだが、いつものようにワタシがミルクを飲んでいると、飼い主が近くに寄って来て、しげしげと見ては、感心したように話しかけてきた。

 「先日、ニュースで見たが、なんでもアメリカの大学で、犬と猫がミルクを飲む様子を高速度カメラで撮影して、初めて、両者の飲み方の違いが分かったそうだ。
 つまり、犬は、舌先をシャベル型に丸めてすくい上げるようにして、力強く飲むのに対して、ネコは、舌先を逆方向に曲げて、それでできた水柱を、パクッと飲んでいて、犬よりははるかに上品な飲み方だということだ。」

 ワタシは、ミルクを飲みながら、黙ってその話を聞いていた。心の中では、しょーもない話をして、アホちゃうかとも思っていたが、何も言わなかった。

 本当のところ、人間とは、全くどうでもいいことにまで興味を持って、あれこれと調べたがるものだ。そのことが、地球上の生きもの全体の、より効率の良い生き方に結びつく場合もあれば、逆にそれらすべてのものの滅亡へとつながる場合さえあるというのに。
 科学という錦の御旗(みはた)のもとで、探求し続けることが、良いばかりとは限らないのだ。飼い主が昔話してくれたが、尾崎一雄とかいう作家が書いていたように、『どうか、もうそっとしてほっておいてくれ。』と言いたくなる時もあり、そこまでも調べなくともいいのではないかとも思うのだが。

 今まで、犬も猫も、「ミルクをなめる」と言っていたものが、これからは「ミルクをすくいとる」あるいは、「ミルクを飲む」と変えなければならないのか。
 全く、そのぐらいのことを、頭の良い人たちだけが集まる大学とかで、調べるべきものだろうか。今、世界中で困っている人や生き物たちが、たくさんいるというのに。

 ワタシは、思うのだ。何も知らないということが、はたしていつも心貧しく、哀れなことだろうかと。
 今の時代と比べれば、十分には科学の進歩の恩恵を受けなかった、百年前二百年前、あるいはもっと前の万葉の時代などの人達が、すべて不幸せだったのだろうか。
 いや、ワタシが思うには、人間の不幸は、あのパンドラの箱(ギリシア神話)を開いた後、残った希望だけを信じて、誰もが本気で、その箱から出て行ったものを、再び閉じ込めようとしなかったことにあるのではないのか。
 相変わらず、ワタシたち他の生きものをも巻き込んでの、いがみ合い、殺し合いを続けている、この地球上の人間社会とは・・・。

 ワタシは、そんな人間たちのように、頭が良くなりたいとは思わない。いつも言うことだが、安全な場所と食べるもの、そしてやさしい飼い主がいれば、あとは何も望まない。
 立派なふかふかのペット用寝室もいらないし、高級カンヅメ・フードもいらない、ましてペット用のシャネルやエルメスの服、首輪、リードなど一体何の足しになるというのだ。
 飼い主がずっとそばにいてくれて、ちゃんと毎日のエサさえくれれば、他に何も必要なものはない。
 
 飼い主はこちらに帰って来てから、時々どこかへ出かけて行くが、夕方には戻って来て、ちゃんとワタシにサカナを出してくれる。 昨日は一日中家にいて、せっせと庭掃除をしていた。ワタシは、飼い主が傍にいるのが嬉しいから、ニャーニャー鳴きながら、庭に下りてついて回った。
 そのうちに飼い主は、うずたかく積まれた枯葉に火をつけて燃やし始めた。ワタシは、慣れているから、その焚火(たきび)の傍に寄って行って、座り込んだ。うーん、いい暖かさだ。(写真)

 ここは九州の山の中だから、日中は12度くらいまで気温が上がるが、朝は0度くらいまで下がって、霜が降りる寒さに冷え込む。飼い主が戻る、1週間ほど前には、マイナスまで下がる日が三日も続いて、ワタシは寒さで良く眠ることもできなかった。
 それだから、暖かい所に飢えていたワタシは、一日の大半をストーヴの前やコタツの中で寝て過ごしている。それだけで、年寄りネコのワタソは、十分に幸せなのだ。


 「ミャオが元気だった。それも丸々と太っていた。
 今までは、帰って来ても、家にミャオはいなく、それから探しに行くのが大変だった。他のノラネコが来ないような所や、暖かいポンプ小屋にいて、連れて帰ってくるのにも一苦労だった。二日もたって、ようやく一緒に家に戻ったということもあった。(’08.11.21の項参照)

 それが、ミャオも年寄りネコになり、活動範囲が狭まり、いつも家か家の周りにいることが多くなった。それで、いちいち探しに出歩かなくても良くなったのだ。
 それはまた、いかつい顔と体の私が、ニャオニャオと鳴き声をあげながら歩くさまは、あの内田百?(ひゃっけん)の名作『ノラや』ほどに、哀れではないにしても、異様な姿であるに違いないから、そんなことをしなくて良くなったことがありがたいのだ。

 私が戻ってきたその日の夜から、ミャオはすぐに今までどおりに、家のミャオになり、何事もなかったかのように暮らしている。
 ただ、良く鳴くし、私の傍に居たがるのは仕方ないにしても、長い間ひとりにされていた恨みつらみをくどくどと言うわけでもなく、全くえらいものだと思う。わが家のネコながら、できたネコだ。

 エサをやってくれていた、近くのおじさんの家に行って、ミャオが太って元気だったからと礼を言った時に、話を聞けば、何とミャオが、朝のエサだけでは足りずに、夕方におじさんの家にまで来ていたので、大体は、朝だけでなく、夕方にもエサをやりに行っていたとのことで、全くそのおかげだと感謝するばかりだった。
 お礼に持って行った鮭のトバ(切り身の干物)と、花畑牧場の生クリーム・キャラメルぐらいでは、とても足りなかったかもしれない。ともかく、ありがたいことだ。

 さらに北海道の、あの開拓小屋と比べれば、こちらの生活は至って快適である。といっても、普通のことなのだろうが、まず、水を気兼ねなく使えて、毎日洗濯できるし、毎日風呂にも入れるし、さらにトイレも水洗だし、その度ごとに外に出なくてすむのだ。おまけに、話し相手のミャオも傍にいる。ああ、なんとありがたいことだろう。
 さて、とは言っても、これからも良いことばかり続くわけではないし、悪い時もあるのだろうが、そんなミャオとの、長い冬の暮らしが始まるのだ。」