ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(96)

2010-05-02 18:52:34 | Weblog



5月2日

 拝啓 ミャオ様

 今日は、予報どおりに朝から暖かく、南風が吹き込んで、気温がぐんぐんと上がり、18度位にまでなった。ようやくここでも、北国の春を感じることができるようになったのだ。
 庭では、私が帰ってきた頃の、あの雪解けの頃に唯一咲いていた、クロッカスの花が終わり、代わりに、そこかしこにあるフキノトウが大きく開き、フクジュソウの黄色い花が咲き、オオバナノエンレイソウやアイヌネギ(ギョウジャニンニク)の、鮮やかな緑の葉が、枯れた地面から顔をのぞかせていた。道の向こうの、雪の溶けた大地には、濃い緑の小麦畑と若草色の牧草地が広がっている。
 それまでの、白い雪と枯れた色だけの冬景色を、鮮やかな緑色が見る間に塗り替えていく、その景色こそ、まさしく北国の春なのだ。

 今日の天気は、薄雲が広がった後に晴れてきたが、風もあり、日高山脈の山も、霞んでやっと見えているだけだ。これは、私が山に行く天気ではない。
 まして、今は連休だから、あえて混雑する外に出かけて行くことはない。食べるものさえしっかりあれば、この山の中の静かな家に、こもっていた方がいい。

 「黄金の行楽週間何にせむ まされる宝 家にしかめやも」
 (元歌 「しろがねもくがねも玉も何にせむ まされる宝 子にしかめやも」 『万葉集』より)

 とひとり、うそぶいたところで、差し迫ってやるべきこともなく、このところ録画したテレビ番組のいくつかを見た。その中でも、先月NHK・BS hi で放送された『歌舞伎座クライマックス』の4回シリーズは、きわめて興味深いものだったのだが、長くなるので、また先の話にして、今回は、ルネッサンス時代の画家レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452~1519)の絵について少し書いてみたい。
 というのは、昨日の夕方、NHK・BS hi でシリーズ、『巨匠たちの肖像 レオナルド・ダ・ヴィンチ』の再放送があったからだ。去年の11月の放送の時には、半分ほどしか見ていなくて、今回は通してしっかり見ることができた。
 そして、前に見た時以上に、興奮して画面に引き込まれてしまった。それは、科学の進歩によってもたらされた、古く色あせた絵画の素晴らしい修復画像を、目の当たりにすることができたからだ。
 日ごろは、自然に囲まれた中で生活していて、科学の発達をある意味では、望まない鬼子扱いすることの多い私だけれども、とは言っても、このパソコンにしろ、大画面の液晶テレビにしろ、随所で新しい科学の進歩の恩恵に浴しているのだが、今回はそれをさらに思い知らされることになった。

 それは、フランスのルミエール・テクノロジー(この名前も、映画における革新的開発者である、あのルミエール兄弟の名前にもとづくものだろうが)という会社が開発した、マルチスペクトル・カメラ(紫外線や赤外線を含む、13種の光の波長で、2億4千万画素の画像を撮影できる)を使って、レオナルドの絵を撮影し、500年前のその絵が書かれた時代の画像に復元しようという試みだった。
 
 まして、その絵が、まだ私の見ていない、それも長い間見てみたいと思い続けていた一点、『白貂(はくてん)を抱く貴婦人』(写真・原画)だったからである。
 十数点しかないレオナルドの絵の、有名なものは、その昔のヨーロッパ旅行の時に、パリのルーヴル、ロンドンのナショナル・ギャラリー、フィレンツェのウフツィ、レニングラード(当時)のエルミタージュなどで見ているのだが、このポーランドの古都クラクフにある絵だけは、まだ見ていなかった。
 しかしこの絵は、実は8年ほど前に日本にも来ていたのだが、その時は見に行くことができなかった。つまりずっと、ただ手元にある画集で見るだけだったのだ。

 しかし今回テレビで、その修復撮影された画像を見て、私の長年の思いが、瞬時に満たされたようにさえ感じた。そのマルチスペクトル・カメラとハイヴィジョンの大画面テレビによって、私はようやく、そこに描かれていた、1483年頃のイタリアはミラノの、チェチーリア・ガッレラーニに会うことができたのだ。
 画集で見ていた、やや神秘的な思いを秘めているような彼女とは違って、修復された絵は、黄ばんだニスや加筆修正されたものなど、余分なものが拭い去られていて、書かれた当時そのままの、若い娘の明るい肖像画だった。
 やや上気した若々しい白い肌が美しく、理知的な眼差しと控えめに閉じられた口元が、彼女の品性を表し、優しい手でテンを抱きかかえている。
 彼女は、当時のミラノの統治者、ルドヴィコ・イル・モーロ(通称)の愛人だったとされているが、お抱え絵師であったレオナルドは、その彼女の境遇にかかわらず、高い品性を持つ一人の女性として、見事に描ききっているのだ。
 彼女が抱くテンは、あの佐渡のトキを襲ったことでも知られるように、小さいながら獰猛(どうもう)な肉食の獣であり、とても愛玩動物として抱けるわけはないのだ。とすると、あのテンはルドヴィゴの寓意(ぐうい)なのだろうか。

 実は、この絵に私が惹(ひ)かれるようになったのは、もうずいぶん前のことで、それまで住んでいた東京を離れて、北海道に家を建てた頃のことである。
 私には、その頃つき合っていた女の子がいた。彼女は東京に住んでいた。私はある時、彼女の女友達を紹介され、その子を好きになってしまった。しかし、私は、今の彼女を傷つけてまで、新しい恋に踏み切ることはできなかった。
 とはいっても、思いはつのる。ある日、私は決意して、その女友達と二人だけで会い、食事をして普通の話をした。そして、駅まで二人で歩いて行った。そこで、それぞれ別の路線に乗って、別れるところだった。
 彼女は、待ってと言って、券売機の所へ行った。私は、もう会うまいと思っていた彼女に、別れを言うのが辛かった。彼女の姿を見ないまま、私の向かうべきホームへ歩いて行った。電車が来て乗り、私はつり革につかまって、ホームの人並みが流れていくのを見ていた。

 私は、その時初めて気がついた。彼女は、自分の定期券を持っていたはず。すると、乗車券を買ったのは・・・。私は、走り出した電車の中で、戻れるはずもないのに、思わず後を振り返ってみた。
 次の駅に着いた時、しかし、私は降りなかった。これでいいのだ。今つき合っている彼女を、苦しめるようなことにはならなかったのだから。

 一年後、私は結局、そのつき合っていた彼女と別れた。そして、彼女の女友達も、しばらくして結婚したと聞いた。そのころ、私が、たった一人で建てていた北海道の家が、ようやく出来上がった。

 私は東京を忘れ、大きな満足に浸りながらその家に住み始めた。ある日のこと、たまたまレオナルド・ダ・ヴィンチの画集を見ていて、思い出が膨れ上がるようによみがえってきた。
 その絵に描かれたチェチ-リアの眼差しが、あの何も告げることができずに、別れた彼女に、なんと似ていることか・・・それは、今思い返してもつらい、青春の一つの思い出である。みんな、私が悪いのだ・・・。

 ミャオ、元気でいるだろうか。ひとりでいると、色々なことを思い出してしまうのだ。ニャオーン・・・。


                      飼い主より 敬具