ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(79)

2009-09-24 18:43:54 | Weblog

9月24日
 拝啓 ミャオ様

 昨日は、この連休中、一番の天気だった。インターネットのライブ・カメラでも、澄み切った青空の下、大雪の山々がはっきりと見えていた。その広い大雪山をめぐる紅葉の名所では、恐らく人々でにぎわったことだろう。
 私は、この天気を少し残念に思いながらも、家で庭仕事をしていた。時折、あたりの静けさを破って、ミヤマカケスとモズの鳴く声が聞こえた。木々の間から見上げる空は、もう深い秋の色だった。
 
 山に行く時には、誰しもそうであるように、私も、幾つかの小さな決断をする。前々回(9月20日の項)に書いたように、まずどの山に行くのか、初めての山か、それとも前に登ったことのある山にするかなどである。
 昨日のように、最高の天気で、紅葉が盛りの時に、それを見るために、あえて登山者で混雑する山に行くのか。今まで、私は、その山のベストの時期には少しずれたとしても、天気の良い日に(もちろん曇りや雨の日には最初から出かけないのだが)、なるべく混雑しない時を選んで、山に登るようにしてきた。
 そのために、高い確率で、人の少ない、お天気の日の、見たいと思った時期の山々に登ることができた。もちろん、それは私が、大体は、自分の好きな時に山に登れるという、世間から言えば、結構な身分ゆえでもあるのだが。

 かといって、私が、左団扇(ひだりうちわ)のノーテンキな暮らしをしているわけでもない。時には、今かかわっている自分の仕事がイヤになって、もうやめてしまいたくなることもあるのだ。ただ、こうして自由な時間を持てるのは、自分が生きていくうえでの、様々な事柄の優先順位を、人とは違うように決めてしまっているから、というだけのことだ。
 人間、誰にでも、幸不幸があり、それはすべての人に等しく、いつも相半(あいなか)ばして訪れるものなのだと、私は思うようにしている。どんな境遇にあっても、自分だけが幸せなのではなく、自分だけが不幸せなわけでもない。
 特別に自分だけがと、誇り高ぶり、あるいは、なぜに自分だけがと、落ち込み悲しんだところで、世間には、さらに上の人がいて、またもっと悲惨な人がいるものなのだ。そう思えば、いくらか心が落ち着いてくる。
 つまり、そうした考え方というものは、私自身の、今までの、幾つかの極端な喜びや悲しみの経験の中で、いつしか自己防御(ぼうぎょ)本能のように、心のバリヤーとして形作られたものなのかもしれない。
 それは確かに、静かな暮らし、遠い声、を求める年寄り的な考え方かもしれない。もちろん、まだ老け込む歳ではないが、かといって、はしゃぎまわるほど若くない。それでいいじゃないか。今ここに、在(あ)ることが、良いと思っているのなら・・・。
 
 と、いつものくだらない自問自答をしながら、”わたしは今日まで生きてきました。そして明日からも・・・”、とかいう歌のセリフように、日々を繰り返しているだけのことだが。


 さて、前回からの山の話の続きだが、大雪山・銀泉台から黒岳への登山の後、次の日の朝も、快晴の空が広がっていた。ただ、いつもの居心地のよい宿に泊まったために、出発するのが、少し遅くなってしまった。
 国道から、砂利道の林道に入り、登山口に着く。他に車が一台、止まっている。今日は、このユニイシカリ沢から上がって、できれば音更山(1933m)まで往復するつもりだが、天気予報では午後から曇るとのことだった。
  同じコースで、前回、音更山に登ったのは、もう4年前のことになる。同じ秋のことで、一日中、晴れた気持ちの良い日で、誰にも会わなかった。

 沢沿いの道から、川を渡って、山腹に沿ってゆるやかに登って行く。すっかり色づいた林の中の道をたどり、大崩れの岩塊斜面を抜けると、対岸の山腹の斜面の紅葉がきれいだった。後は、ハイマツの中の道を上がって、十石峠(じゅっこくとうげ、1576m)に着く。
 ところが残念なことに、南側から吹き上がってきた雲が、たちまちにあたりの景色を隠してしまった。これでは音更山はおろか、目の前のユニ石狩岳(1756m)にすら登る気にもならない。
 仕方なく、あちこち歩きまわって、周りの紅葉の写真を取っていたが、そのうちにガスが取れてきて、音更山方面が見えてきた。昨日の大雪では、もう盛りを過ぎていたウラシマツツジの紅葉が、ここでは、今が見ごろになっていた。(写真)
 ともかく行けるところまで行ってみることにした。小さなコブの登り下りが続く、ミヤマハンノキやハイマツの尾根道は、次第に見晴らしが開けてきて、道の両側を、ウラシマツツジやクロマメノキが彩(いろど)る快適な尾根歩きになった。
 しかし、相変わらずに南側からの雲が吹き付けては、石狩岳の姿を隠し、ただ音更山の姿が、雲をまとわりつかせながら見えているばかりだった。

 頂上までは、あと1時間半ほどなのだが、とてもこんな天気では、十分な展望は望めないだろう。私は、山頂をあきらめて、途中の高みの所で腰をおろし、雲の間に間に見える山肌の紅葉を見ながら、ゆっくりと時を過ごした。
 誰も来なかった。風の音がして、小さく鳥の声が聞こえていた。白い雲の間には、鮮やかな青空も見えていた。
 音更山には、もう何度か登っている。何も、今日、登る必要はないのだ。それよりも、2週間ほど前に、めまいがして寝ていた時の不安さを思えば、今、私が山に登って、ここにいることだけでも、十分幸せなことなのだ。
 そして、帰りの尾根道を戻って行くと、途中で、遠くから風に乗って、ユニ石狩岳から下りてくるらしい、登山者たちの声と鈴の音が聞こえてきた。そこでまた、見晴らしの良い所で腰を下ろして、しばらくの間、時を過ごした。
 再び、山の静寂が戻ると、私は立ち上がり、ゆっくりと歩き出した。朝と午後では日の差し方も違い、林の木々の色合いもまた違って見える。青空の広がる高い空から、風の音が聞こえていた。

 登山口には、私のクルマがあるだけだった。着替えをして、車に乗り、途中、友達の所に立ち寄ってしばらく話した後、夕暮れの中を走り続けて、夜になって家に帰り着いた。天気は今ひとつだったけれども、連休前の二日間、しっかりと秋の山を楽しむことができたのだ。ありがとう。

 ミャオは、どうしているだろうか。この連休の間は、あんな九州の山の中の道でさえも、いつもとは違って、多くの車が通っただろうが、臆病(おくびょう)なオマエは、昼間は物陰に隠れて、じっとしていたに違いない。それでも、朝夕は、おじさんの所で、エサをもらうために、必死になって走って行ったに違いない。
 ぬくぬくとして、私の傍にいたときと比べれば、何と辛い身の上に変わったことか。許しておくれ。まあ考えてみれば、私とミャオ、二人して、何という因果(いんが)な星の下に生まれたことだろう。それでも、いつかは良いことがあるはず。ミャオ、待ってておくれ。

                         飼い主より 敬具