ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(76)

2009-09-16 17:41:35 | Weblog



9月16日
 拝啓 ミャオ様

 昨日の雨も上がり、朝の霧が取れて、青空が広がってきた。朝の気温は13度、九州にいた時と、さほど気温の差はないけれども、空気のすがすがしさは、やはり北海道だと思う。

 ミャオは元気でいるだろうか。二日前のこと、私が朝から、小ザカナを二匹やったら、オマエは私を見上げてニャーと鳴いた。
 今まで、朝からサカナをやったことはないから、頭の良いオマエは、何かを察したのに違いない。食べた後には、朝のトイレや散歩のために外に出て行くのに、オマエはその日に限って、いつも寝ている、押入れの陰においてある座布団の上に、すぐに戻っていった。
 私は、部屋の戸締りなどをした後、オマエを呼んだ。三度目くらいに、ようやくオマエは押入れの陰から出てきて、朝の散歩についてきた。
 しばらく歩いた所で、オマエは座り込んでしまった。それを期に、私は先に家に戻り、部屋の電気を切って、玄関の鍵をかけ、急いで外に出た。オマエのいた所とは、反対の方へ、歩いて20分ほどの所にあるバス停へと向かった。
 空は晴れて、朝の空気もすがすがしかった。しかし、私の心は重く、下を向いて、ただ歩き続けるばかりだった。
 
 そして、北海道の家に戻ってきた。庭には、いつもの、オニユリの花が今を盛りと咲いていた(写真)。去年と比べると、夏場の天候不順のためか、ずっと遅くなっての満開だった(’08.8.19の写真参照)。
 そして、3週間も留守にしたために、周りの草ぐさも、すっかり伸びきっていた。しかし、私は、何もする気が起きなかった。昨日は、昼間、雨が降ったこともあって、ただ、だらだらと一日を過ごしてしまった。
 今まで生活を伴にして、鳴き交し合った仲間がいなくなるということは、どれほど空しい思いになることか。私は、ひとりだと思った。寂しいと思った。ミャオ・・・。


   することもなく、テレビを見ていたら、パワー・リフティング(重量挙げ)の記録を塗り替えているという、おじいさんが映っていた。
 81歳にもなるというのに、顔も若々しく、体の筋肉もすごい。ジムで100キロものバーベルを挙げていて、練習仲間の若い人も、舌を巻いていた。
 定年後になってから、練習を始め、今では高齢者の世界大会でもメダルを取るほどになったとか。これからも、毎年、自分の年齢での記録を作っていきたいと、明るい顔で話していた。


 そういえば、こんなこともあったのだ。二日前の、空港に向かうバスの中、私の前の座席には、一人の小柄なお年寄りが座っていた。私が、座席に腰を下ろして、すぐのこと、私は何気なく、軽い空セキをしたのだが、その人は、何かもぞもぞとしていたが、マスクを取り出して、顔にかけた。
 バスの中は、数人ほどだけだったが、誰もセキなどしていなかった。私は、もちろん、風邪などひてはいなかったが、そこまで用心するお年寄りを見て、少しおかしくなったし、そして、申し訳ない気もした。
 しばらくして、彼は再び体を動かし、カバンから何かの書類を取り出していた。二つ並んだ席の間から、彼の広げた書類が見えた。
 何とそれは、あのヨハン・セバスチャン・バッハ(1685~1750)のカノンに関する、ドイツ語の文献だった。(カノンとは、簡単に言えば、同じメロディーをずらして演奏する輪唱のようなもので、例えばあのパッヘルベルのカノンなどが有名である。)
 私も昔、少しドイツ語をかじったことがあるとはいえ、とても、一行たりとて、読むなどできないのに、そのお年寄りは、何事もなく、そのコピーらしいドイツ語の原文を読んでいて、次のページには、三声部らしい楽譜が見えてきた。
 そのカノンが、「音楽の捧げもの」や「フーガの技法]の中のものか、あるいは新しく見つかった資料によるものなのかは分からなかった。

 その時、私は、気がついた。彼は、あの有名な鍵盤(けんばん)楽器奏者であり、バッハ研究の権威でもある、A氏だったのだ。(鍵盤楽器とはピアノやチェンバロのこと。)
 とすれば、演奏家でもある彼が、新型インフルエンザにかからないように、日ごろから健康に留意しているのも当然のことなのだ。
 まして、確か70代半ばだと思われるそのA氏が、バッハの音楽の研究に、時間を惜しんで没頭されている姿と比べれば、一方の我が身を省みて、私は、ただ恥じ入るばかりだった。1時間半ものバスの時間の間、私は、ただぼんやりと外の景色を見て、時々居眠りをしていただけだったからだ。
 もちろん、演奏会で二三度、彼の生の演奏を聴いたこともあるし、彼と親しい私の知人を通じても、度々お話をうかがっている人でもある。
 その後で、彼が車内トイレに行くときに、初めてお顔を拝見したのだが、A氏に間違いなかった。
 彼は楽譜を見終わった後、今度はウォークマンを取り出して何かを(恐らくはバッハの音楽を)聞いていた。
 空港が近づいてきて、身支度をされている時に、話しかけようかとも思ったが、彼にとっては、私の話など無益のこと、むしろ、偶然にもバスの中で、彼のバッハの楽譜を読む姿を拝見できただけでも、私にとっては、ありがたい巡り合わせだったのだ。
 
 私はテレビで、あの老齢のパワー・リフターの姿を見て、そういえばと、前の日に出会った、高名な演奏家のたゆまぬ研究の姿を思い出したのだ。
 昨日はさらに、大リーグのイチロー選手が、たゆまざる努力の果てに、9年連続200本安打の、記録を達成した日でもあった。

 それなのに、私は、自分で選んだ、これほど恵まれた環境にいながら、たかが飼い猫と別れたくらいで、すっかり滅入ってしまって、何もする気が起きないなんて・・・ただただ、情けないばかりだ。
 よし、今日は天気も良く、22度まで気温も上がり、家でじっとしているわけにもいかない。部屋の掃除をして、あちこち片付けて、布団なども干して、そろそろ紅葉の山に行く用意もしなければ、やるべきことは、色々と他にもあるのだ。


 ミャオ、いつものことで申し訳ないけれど、どうかまた、あのおじさんの所へ行って、エサをもらうようにして、元気でいてくれ。秋の終わりには、必ず戻るから。


                     飼い主より 敬具