ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

飼い主よりミャオへ(78)

2009-09-22 20:33:19 | Weblog



9月22日
 拝啓 ミャオ様

 昨日の朝の気温は、一桁の5度にまで冷え込んだ。同じ道内の上川では、-1度になり、旭川では、平年よりずっと早く、初霜が降りたそうだ。
 天気は高曇りのまま、時々薄日が差した位で、日中の気温も、15度までしか上がらなかったし、今日も曇り空のままで、13度という肌寒さだ。家は丸太作りで保温性が良いから、すぐにストーヴに火を入れるほどではないが、もうそんな季節になってきたのだ。
 昨日は、午後から外に出て、夕方までの間、恐らく今年は、これで最後になるだろう草刈の仕事をした。しかし、この気温の中、まだヤブ蚊がいて、このメタボおじさんめがけて、集まってくる。フリースを着込んで、長靴をはき、頭には帽子だから、残されているのは顔の部分だけなのに。
 蚊の連中も必死なのだ。寒さが迫り、自分の寿命も後わずかばかりの日数しかないから、何とかその間に、この脂ぎったメタボオヤジから、栄養たっぷりの血を吸い取り、卵を産んで、自分の子孫を残さなければならない。
 かくて、目に頬に、首筋にと、飛びつき、針を刺してくる蚊との、一大攻防戦が繰り広げられる。もしもこの、鬼瓦顔の私の顔面を、蚊の刺すがままにしていたら、あの沖縄の民家の屋根の守り神、シーサー同然の恐ろしい顔になってしまう、ただでさえ恐いのに。
 そうはさせじと、手袋のまま、自分の顔をはたく。いてぇーとか言いながら、いつの間にか、顔には、土や草の色がつき、パプアニューギニア原住民状態になる。
  そこで草刈仕事と並行して、風呂を沸かすことにしたが、しばらく目を離していたから、何度も火が消えかかり、湧き上がるまで2時間もかかってしまった。
  それでも、夕暮れ時に、湯気の上がるゴエモン風呂に体を沈めると、もう今までのことはすべて忘れて、すっかりいい気分になる。つい先日まで、寂しいだの、哀しいだの言っていたのだが、一体それが何になるというのだ。めまいがひどくなり、いつか倒れて、死ぬ時が来るかも知れない、などと心配して、一体それが何になるというのだ。
 この穏やかな温かいお湯に包まれて、今生きている、それだけで十分なのではないのか。この思いは、人が誰でも母の胎内にあった時の、あの温かい母の羊水に包まれていた時の、記憶から来るものだろう。きっと、あの時、胎児であった私は思っていたのに違いない、ボクは今ここにいるのだと、生きていることの心地よさを感じながら。

 私が、その思いに似た安らぎを感じることができるのは、他にもある。それは、自然の中にいる時だ。例えば、誰もいない森の中で、誰もいない山の中で・・・。だから、私は山に登るのだろう。


 前回からの続きだが、5日前のこと、私は、大雪山の銀泉台登山口(1517m)から、まず赤岳(2078m)に登り、次に白雲岳(2230m)へと向かった。
 しかし、小泉岳(2158m)を越える頃から、上空の青空は少なくなり、行く手に見える白雲岳の上には、いっぱいに暗い雲が広がっていて、その一部が山にかかり始めていた。
 そこで、私は予定を変更することにした。ガスに包まれた白雲岳に登っても意味がない。それなら青空がのぞいている、北海岳方面に向かい、黒岳まで行こう、そして層雲峡に下りれば良いのだ。

 その白雲分岐の十字路を右に曲がり、赤石川左股源頭へと降りて行く。夏でも分厚い残雪が残っている所だが、今は灰色の古い雪の上に、新しい白い雪がまだら模様に残っていた。
 そして、ゆるやかに広がる北海平に出る。行きかう人は少なく、一人、二人と会っただけだった。そして、彼方には、雲に包まれながらも、新雪の旭岳(2290m)が見えてきた。しかし、左手の白雲岳の頂き辺りには、やはり雲がまとわりついている。
 コースを変えて良かったのだ。この辺りだけには、時々日が差しているし、まわりのチングルマの紅葉などもきれいだった。
 しかし、北海岳(2149m)の頂上に着いても、ゆっくりとはしていられない。層雲峡から、クルマを停めている、レイクサイトのターミナルまで行く、連絡バスの時間があるからだ。
 ところが、そこから黒岳石室までの道のりの紅葉が、また何度も立ち止まりたいほどに、きれいだった。お鉢(はち)平の源頭へと続く赤石川の谷を隔てて、頂きに5日前の新雪が残る、北鎮(ほくちん)岳(2244m)と凌雲(りょううん)岳(2125m)が並んで見えている。(写真)
 そして、登り返した黒岳(1984m)の頂上は、ガスの中だった。層雲峡側から登ってきた人たちは、何の景色も見えずに、寒そうに肩を寄せ合って座っていた。
 ここでもゆっくりしている暇はない。すぐに、七合目にあるリフト乗り場へと急いだ。昔と比べれば、大分道も整備されて、歩きやすくなったし、人も少なかったから、大またで飛ばし下ることができた。
 30分足らずで着いて、そこからリフト、ロープウェイと乗り継いで、層雲峡駅に降り立つ。しかし、そのレイクサイトに向かう最終バスは、10分前に出たばかりだった。
 バスに乗れば400円ですんだのに、タクシーで行けば、数千円はかかるだろう。よしと心に決めて、ロープウェイの駐車場から出て行く車を、待つことにした。
 しかし殆どが、反対方向の札幌、旭川ナンバーのクルマばかりだ。同じ方向でも、北見ナンバーでは途中で分かれるのでダメだ。私と同じ帯広ナンバーでなければ。そして、見つけた。
 帯広ナンバーで、立派なトヨタ・クラウンだ。黒岳に登ってきただけという、私と同じ世代のご夫婦は、快く、この鬼瓦熊三を乗せてくれた。ああ、ありがたや、にしきごい、ゲットン!
 
 思えば、海外旅行の時を含めて、私は、何度となくヒッチハイクをしてきた。そして、思い返せば、その時々の、様子をはっきりと覚えているのだ。さすがに、そのすべてのドライバーの顔までは思い出せないが。
 人間の記憶は、より強い喜びや悲しみの思い出については、いつでも容易(たやす)く、心のうちに呼び起こせるものなのかもしれない。それは、たいしたことでもない、小さな出来事にすぎないものが、何かの拍子にふと思い出されるのとは違って。
 
 私は、いい気分のまま、自分の車に乗って層雲峡に戻り、温泉に入り、山での汗を流して、それから、なじみの宿に向かった。明日天気が良ければ、もう一つ、どこかの山に行こうと思っていた。
 そして、次の日の朝も、快晴だった。続きは、さらに次回へ・・・。

                           飼い主より 敬具