ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(84)

2009-02-17 17:33:42 | Weblog
2月17日 
 二日前の、20度という、二月半ばとしては信じられないほどの暖かさから一転、今日は、朝から雪が降っていて、見る間に積もってしまった。朝の気温は-4度で、日中やっと1度まで上がる。
 これでは、散歩にも出られない。この数日、コタツだけだった飼い主も、さすがに今日は、ずっとストーヴをつけている。ワタシも、今日は仕方なく、一日寝ていることにしよう。
 このところの、春本番かと思う暖かさで、久しぶりに、高い所に駆け上がったりするほど、活発に動き回っていたワタシだが、全くこのネコ騒がせな、急な天候の変わり方には、ワタシたちネコの目でさえ、追いついていかないほどだ。
 まあ、とかく、暑ければ暑いと文句を言い、寒ければ寒いと文句を言う、人間たちと違って、ワタシたち動物は、植物たちもそうだけれど、ただ何事も言わずに、日々の天気に従うだけだ。
 そういうことなのだ、人間と他の生き物たちとの違いは、文句を言うか言わないかなのだ。

 「ミャオが言う通りだと思うけれども、それでも、心ある人間たちは、昔から言っているのだ。それぞれに、意味するところは少し違うけれども、『沈黙は金なり』(トーマス・カーライル)、『剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し』(孔子)、『物言えば、唇寒し秋の風』(芭蕉)などと。
 その中でも、私の好きな詩人、フランシス・ジャム(7月8日、10日、13日の項参照)の詩集『明けの鐘から暮れの鐘まで』の中の一編、『人は言う・・・』という詩の中にある一節から。
  ・・・
  ロバと子牛は このようなことは なにも言わない。
  理由は 彼らが心貧しいからだ。
  また彼らが おおよその真実は 必ずしも語るに適しないこと 
  言わぬ方がよいことを 心得ているからだ。
  ・・・                  (堀口大学訳)
 この詩の中で言う、”心貧しい”は、聖書の中でよく言われる『心貧しい人たちは幸である』(マタイによる福音書・第5章)のように、まだ魂が純朴であり、信仰に十分に帰依していない、ことを意味するのだろうが。

 少し前の話になるが、1月25日、NHK教育の『新日曜美術館』で、グルジアの画家、ニコ・ピロスマニ(1862~1918)を取り上げていた。実はこのピロスマニは、長い間私の気になっている画家の一人であり、興味深く、その番組を見せてもらったのだが、十分に納得のできる内容とはいえなかった。それは私の期待の方が大きすぎたせいでもある。
 私が、ピロスマニの名前を知ったのは、映画『ピロスマニ』(ゲオルギー・シェンゲラーヤ監督、1969年制作、1978年日本公開)を見てからであるが、その時には、初めて見たピロスマニの絵以上に、映画そのものに感動してしまった。
 誰にでも、映画が終わり、座席から立ち上がることができないほどの、感動に打ちのめされた経験があると思うけれど、私にとって『ピロスマニ』は、そんな映画の一つであった。
 今から30年ほども前のことで、私も若かったのだが、この映画『ピロスマニ』は、その全編を通じて、ただただ感心して、ため息まじりに見続けるばかりだった。
 家族を亡くして、首都トビリシに出てきたピロスマニは、幾つかの仕事を転々とした後、ひとりで絵を描くようになり、その彼の絵を買ってくれる人がいて、時には、一杯のワインと引き換えに絵を描いて、やがて50代半ばにして、その孤独な流浪の生涯を終えるのである。
 そのストーリーを、映画は、少ないセリフの静謐(せいひつ)な流れの中で、淡々と描いていく。一場面一場面が、それぞれに、絵だと言ってよいほどに、見事な構図の中で描かれ、モノクロ的な色彩がさらにその情緒を深めていた。
 当時まだ若かった私は、これは映画の持つ、芸術的な一つの極地ではないかとさえ思ったくらいだった。劇中、あの有名な『百万本のバラ』の歌のもとになった、女優マルガリータ(写真)への恋物語もあるけれども、やはりそれ以上に胸打たれたのは、時々、映し出される彼の絵であった。
 決して、上手い絵ではない。絵画学校に通い、デッサンから勉強したというわけではないから、むしろ稚拙な感じすらあるけれども(あのフランスのルソーなどとともに、プリミティヴ派とかナイーフ派とか言われている)、その寒色系の色彩と、大胆な構図で描かれた人々や動物たちからは、それぞれにひとりであるがゆえの、寂しくしかし強い、心の哀歓を感じることができるのだ。
 この映画と相前後して、池袋の西武百貨店にあった西武美術館で、なんと『ピロスマニ展』が開かれていたのだが、あいにく私は、その時に日本を離れていて、帰国後、そのことを知った。
 せめてカタログでもと、美術館に連絡を取ると、すべて売り切れていて、代わりによろしければ、大きなピロスマニの絵のカレンダーを送ってくれた。そのうちの一枚は、今も、額に入れて家の部屋の壁に飾ってある。(去年、ようやく日本でも『ピロスマニ画集』が発売された。)
 そんな、ピロスマニの絵だから、番組でも、もっとしっかり、いろいろと見せてほしかった。しかし、現在、ロシアとの紛争のただなかにある、グルジアの画家ということで、どうしても国民画家としての視点の方に、重きが置かれたようだった。
 確かに、芸術作品の背景となる、作家の人生、当時の時代模様、ならびに現在の視点なども重要なことだろうが、私が知りたいのは、ただその作品の、生身の姿である。
 映画については、その後もう一度見たいと思いつつ、その思いを果たせずにいたが、調べると、十数年前にNHK・BSで、さらに去年、BS11で放映されたとのことだった。知らなかった私には、何という残念な、それ以上に悲しいことだろう。
 それは、この映画のDVDが現在、廃盤になっていて、簡単には見ることができないからでもある。オークションに出ている、2万5千円もするものを買って、見たいとは思わない。
 力ずくという言葉があるが、私は、金ずくで手に入れたくはない。もっとも、ただ、私が貧乏なだけではあるが。生きている間に、何とか見ることができれば良い。恋い焦がれているものは、そのくらいの価値があるものだから。
 
 今日は、実は二日前に放送された『新日曜美術館』の、岩佐又兵衛についていろいろと書きたかったのだが、ミャオの話から、つい今まで気になっていた、ピロスマニについて書いてしまった。もっとも、まだ書き足りないところがあるのだが、駄文が長々と続く私の悪い癖は、この辺りで終わりにすることにしよう。」
 
(追記 3月22日まで埼玉県立美術館で、ピロスマニの絵を含む「青春のロシア・アヴァンギャルド」展が開かれている。見には行けないけれど・・・。)