2月14日
全く、何という暖かさだろう、まだ2月の半ばだというのに。朝の気温が、すでに9度もあり、終日快晴の日中には、20度近くまで上がったのだ。
いつもなら今頃、あの九重山の長者原では、「氷の祭典」が開かれ、いくつもの雪像が作られているというのに・・・。その近くにあるスキー場でさえ、かろうじて営業できるほどの雪しかないのだ。
ワタシたち、寒がりのネコにとっては、暖かくなるのは嬉しいことなのだが、何事にも順序というものがある。
午前中に、飼い主と一緒に、散歩に出たワタシは、この暑さで体もだらけてしまい、まあしばらくあちこちで、横になったりして過ごし、この天気なら、夕方になって帰っても十分だろう。
今年はまあ、天気の良い日が多く、寒い日が少なく、年寄りネコ向きの冬だったが、ともかく2月に20度になるなんて、私が生まれてこのかた経験したことのない暖かさで、何事も、急な変化は良くない。
飼い主と毎日一緒にいると、大体お互いのやることは分かっているから、同じパターンで日が過ぎていけば、年寄りネコにとっては、それが一番楽なのだ。
ところが昨日の夕方、ワタシがサカナを食べた後、コタツの傍で寝ていたところ、横にいた飼い主が突然、体を上下左右にゆすり始めて、その眼はトローンとしている。
アチャー、えらいことだ。ワタシより先に、ヨイヨイになってしまうなんて。とてもワタシひとりで、人間としても、デカイ体格をした飼い主を、介護するなんてできない。
私の脳裏に、横になった飼い主のオシメを、ワタシが口にくわえてはずし、取り替えてやっている姿が目に浮かんだ。イカン、そんなことに、なってもらっては。
カッと目を見開いているワタシを見て、飼い主が笑って言った。「馬鹿だな、ミャオ、テレビの音楽にノリノリなだけよ。」
全く、人騒がせ、いやネコ騒がせな、紛らわしいことなんかしないでほしい。いい年をして。
「昨日の真夜中は、春の嵐だったようだが、それ以外は、このところずっと天気が良くて、暖かすぎる日が続いている。
冬に、気温が高いのは、私にとっても楽なのだが、好きな山のことが気になる。冬の雪が少ないと、春から夏のかけての、高い山々の姿が、迫力に欠けたものになるからだ。
何といっても、春先に、山に出かけて嬉しいのは、『目に青葉、残雪白く、青い空』だもの。
しかし、北海道では、寒い日が続き、雪もしっかり積もっているようだ。野生のラッコが、北海道では南の方になる釧路に現れるくらいだから。
こちらでも寒い時は、北海道とそう変わらない時もあるが、今日なんかは、20度以上もの差があるのだろう。
昨日の夕方、ふとテレビをつけたら、NHK・BSでサンタナのコンサートをやっていた。
ちょうど、あの名曲『ブラック・マジック・ウーマン』が始まるところだった。ラテン・リズムに乗って、サンタナのエレキ・ギターが、官能に満ちた哀切な歌をかき鳴らす。
コンサート会場の、総立ちの観衆の波が揺れる。テレビを見ていた私の体の中から、昔の思い出が呼びかけてきた。懐かしい、サンタナのあのリズムだ。
ミャオが、急に体をゆすり始めた私を見て、目を見開いた。無理もない、いい歳の鬼瓦顔のオヤジが、ロックのリズムの合わせて、踊りだすのだもの。
カルロス・サンタナは1947年、メキシコ生まれのロック・ギタリストで、ラテンのリズムとロック、さらにジャズの要素も取り入れて、一時代を画し、人気を博した。
『ブラック・マジック・ウーマン』を含むアルバム『天の守護神・サンタナ』(1970年・写真)から、翌年の『キャラヴァン・サライ』、そしてジョン・マクラフリンとの『魂の兄弟たち』(1973年)、私も行った東京ライヴの『ロータスの伝説』(1974年)あたりまでが、その絶頂だと思っていた。
しかし、私の好みはそのころから、ジャズやロック音楽から、並行して聞いていたクラッシック音楽へと、全面的に移行していくことになる。
しかし、サンタナはその後も、『哀愁のヨーロッパ』(1976年)のヒットを飛ばし、さらに1987年と、1999年にはあのグラミー賞を受賞しているのだ。
昨日、テレビで放映されていたのは、2000年の東京でのコンサートの模様だった。サンタナ自身はまだまだ元気そうだったが、ギター・テクニックは、若いころと比べれば、明らかにその切れ味が衰えている。
しかし、サンタナはやはり、サンタナだ。バンドの皆と盛り上げる、いわゆるサンタナ・サウンドは変わることなく、私でさえ、ノセられるほどだったのだ。
若き日には、良く聞いていた、ロック・ミュージック。その中でも、エレキ・ギターは何といっても、あのジョン・マクラフリンの超絶テクニックが一番だ。『内に秘めた炎』(’71)、『火の鳥』(’72)、サンタナのところであげた『魂の兄弟たち』、そして『エメラルドの伝説』(’74)などがあり、ジャズ・フュージョンに近い響きは魅力的だった。
さらにもう一人、あの伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの流れをくむ、ロビン・トロワーがいる。その彼の『ロビン・トロワー』(’73)、『魂のギター』(’74)、『遥かなる大地』(’75)などで聴くテクニックは素晴らしかった。
他にも、プログレッシヴ系のジェスロ・タルやイエス、カントリー・ブルース系のオールマン・ブラザースやレナード・スキナード等もよく聞いていた。
その時に持っていた数多くのポピュラーやロックのレコードも、今では、数十枚があるだけで、上記のギタリストのアルバムは、それぞれ一枚ずつが残るだけだが、それで十分だ。これからも、めったに聞くことはないだろうから。
そして、今にして思えば、恥ずかしながら、この鬼瓦権三、当時、一時的ながら、肩まで伸びる長髪だったのであります。(ニャ、ニャ、ニャ、ニャ、ニャーオ。)ミャオ、隣で、笑うんじゃない。誰にでも、若気の至りという時代があったのだから。
ともかく、若い時に夢中になった体験というものは、年をとってから、良くも悪くも、心地よく思い出せるものなのだ。歳月は、無駄に過ぎてはいない。」
全く、何という暖かさだろう、まだ2月の半ばだというのに。朝の気温が、すでに9度もあり、終日快晴の日中には、20度近くまで上がったのだ。
いつもなら今頃、あの九重山の長者原では、「氷の祭典」が開かれ、いくつもの雪像が作られているというのに・・・。その近くにあるスキー場でさえ、かろうじて営業できるほどの雪しかないのだ。
ワタシたち、寒がりのネコにとっては、暖かくなるのは嬉しいことなのだが、何事にも順序というものがある。
午前中に、飼い主と一緒に、散歩に出たワタシは、この暑さで体もだらけてしまい、まあしばらくあちこちで、横になったりして過ごし、この天気なら、夕方になって帰っても十分だろう。
今年はまあ、天気の良い日が多く、寒い日が少なく、年寄りネコ向きの冬だったが、ともかく2月に20度になるなんて、私が生まれてこのかた経験したことのない暖かさで、何事も、急な変化は良くない。
飼い主と毎日一緒にいると、大体お互いのやることは分かっているから、同じパターンで日が過ぎていけば、年寄りネコにとっては、それが一番楽なのだ。
ところが昨日の夕方、ワタシがサカナを食べた後、コタツの傍で寝ていたところ、横にいた飼い主が突然、体を上下左右にゆすり始めて、その眼はトローンとしている。
アチャー、えらいことだ。ワタシより先に、ヨイヨイになってしまうなんて。とてもワタシひとりで、人間としても、デカイ体格をした飼い主を、介護するなんてできない。
私の脳裏に、横になった飼い主のオシメを、ワタシが口にくわえてはずし、取り替えてやっている姿が目に浮かんだ。イカン、そんなことに、なってもらっては。
カッと目を見開いているワタシを見て、飼い主が笑って言った。「馬鹿だな、ミャオ、テレビの音楽にノリノリなだけよ。」
全く、人騒がせ、いやネコ騒がせな、紛らわしいことなんかしないでほしい。いい年をして。
「昨日の真夜中は、春の嵐だったようだが、それ以外は、このところずっと天気が良くて、暖かすぎる日が続いている。
冬に、気温が高いのは、私にとっても楽なのだが、好きな山のことが気になる。冬の雪が少ないと、春から夏のかけての、高い山々の姿が、迫力に欠けたものになるからだ。
何といっても、春先に、山に出かけて嬉しいのは、『目に青葉、残雪白く、青い空』だもの。
しかし、北海道では、寒い日が続き、雪もしっかり積もっているようだ。野生のラッコが、北海道では南の方になる釧路に現れるくらいだから。
こちらでも寒い時は、北海道とそう変わらない時もあるが、今日なんかは、20度以上もの差があるのだろう。
昨日の夕方、ふとテレビをつけたら、NHK・BSでサンタナのコンサートをやっていた。
ちょうど、あの名曲『ブラック・マジック・ウーマン』が始まるところだった。ラテン・リズムに乗って、サンタナのエレキ・ギターが、官能に満ちた哀切な歌をかき鳴らす。
コンサート会場の、総立ちの観衆の波が揺れる。テレビを見ていた私の体の中から、昔の思い出が呼びかけてきた。懐かしい、サンタナのあのリズムだ。
ミャオが、急に体をゆすり始めた私を見て、目を見開いた。無理もない、いい歳の鬼瓦顔のオヤジが、ロックのリズムの合わせて、踊りだすのだもの。
カルロス・サンタナは1947年、メキシコ生まれのロック・ギタリストで、ラテンのリズムとロック、さらにジャズの要素も取り入れて、一時代を画し、人気を博した。
『ブラック・マジック・ウーマン』を含むアルバム『天の守護神・サンタナ』(1970年・写真)から、翌年の『キャラヴァン・サライ』、そしてジョン・マクラフリンとの『魂の兄弟たち』(1973年)、私も行った東京ライヴの『ロータスの伝説』(1974年)あたりまでが、その絶頂だと思っていた。
しかし、私の好みはそのころから、ジャズやロック音楽から、並行して聞いていたクラッシック音楽へと、全面的に移行していくことになる。
しかし、サンタナはその後も、『哀愁のヨーロッパ』(1976年)のヒットを飛ばし、さらに1987年と、1999年にはあのグラミー賞を受賞しているのだ。
昨日、テレビで放映されていたのは、2000年の東京でのコンサートの模様だった。サンタナ自身はまだまだ元気そうだったが、ギター・テクニックは、若いころと比べれば、明らかにその切れ味が衰えている。
しかし、サンタナはやはり、サンタナだ。バンドの皆と盛り上げる、いわゆるサンタナ・サウンドは変わることなく、私でさえ、ノセられるほどだったのだ。
若き日には、良く聞いていた、ロック・ミュージック。その中でも、エレキ・ギターは何といっても、あのジョン・マクラフリンの超絶テクニックが一番だ。『内に秘めた炎』(’71)、『火の鳥』(’72)、サンタナのところであげた『魂の兄弟たち』、そして『エメラルドの伝説』(’74)などがあり、ジャズ・フュージョンに近い響きは魅力的だった。
さらにもう一人、あの伝説のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスの流れをくむ、ロビン・トロワーがいる。その彼の『ロビン・トロワー』(’73)、『魂のギター』(’74)、『遥かなる大地』(’75)などで聴くテクニックは素晴らしかった。
他にも、プログレッシヴ系のジェスロ・タルやイエス、カントリー・ブルース系のオールマン・ブラザースやレナード・スキナード等もよく聞いていた。
その時に持っていた数多くのポピュラーやロックのレコードも、今では、数十枚があるだけで、上記のギタリストのアルバムは、それぞれ一枚ずつが残るだけだが、それで十分だ。これからも、めったに聞くことはないだろうから。
そして、今にして思えば、恥ずかしながら、この鬼瓦権三、当時、一時的ながら、肩まで伸びる長髪だったのであります。(ニャ、ニャ、ニャ、ニャ、ニャーオ。)ミャオ、隣で、笑うんじゃない。誰にでも、若気の至りという時代があったのだから。
ともかく、若い時に夢中になった体験というものは、年をとってから、良くも悪くも、心地よく思い出せるものなのだ。歳月は、無駄に過ぎてはいない。」