ミャオの家より

今はいないネコの飼い主だった男の日常

ワタシはネコである(81)

2009-02-07 19:00:33 | Weblog
2月7日
 何という、暖かい日だろう。これは、もう春が来たのだろうか。朝の気温は-3度だったが、日中は12度まで上がる。青空が広がり、春霞の中に山が見えている。
 このところ、晴れて暖かい日が続き、毎日、飼い主と一緒に、昼間の散歩に出かける。ワタシは、もう年寄りネコだから、ゆっくりと歩く。1年前くらいまでは、目の前に手ごろな木があると、ダダッと駆け上って見せたものだが、いまでは、そんな無駄なことはしない。
 飼い主も、ワタシと同じように年をとって、物分かりが良くなったのだろう。そんなワタシが、ゆっくりと歩き、あちこちで爪とぎをして、周りの臭いを確かめ、物音に耳を澄まし、草を食べ、トイレを済ませるのを、気長に見守ってくれる。
 その時、羽音がして、近くの木に鳥がとまった。ワタシはじっと見つめる(写真)。若いころなら、物陰に隠れて、辛抱強く待ち続け、飛びかかり、獲物をしとめたものだ。
 そして、ワタシがあまりも長い間、座り込んでいると、さすがに飼い主もあきらめて、一人で先に帰ってしまう。それでいい、そしてワタシは数時間を過ごして、日が陰る頃には、サカナをもらうために家に帰るのだ。
 それから、ストーヴの前で、あるいはコタツの中で、寝る・・・そんな毎日が続いてくれれば、それで十分だ。他に何も、要らない。
 
 「ミャオを見ていると、学ぶことが色々とある。犬や猫は、飼い主に似るというけれど、私は、むしろ飼い猫に、ミャオに似てきたような気がする。
 ・・・そういえば、ヒゲも生えているし、猫なで声も出すし、夜は出歩かないし、普通に食べて生きていければ、それで十分だと思うし。
 それは、もちろんミャオから教わっただけではない。それまでに、私が出会った人や、本や、テレビ、映画などからも様々なことを学んだはずだ。
 その一つに、この何年もの間、九州と北海道を往復する度に、その待ち時間を利用して、読んできた何冊かの文庫本がある。
 文春文庫として出ている、中野孝次氏の一連のエッセイ・シリーズだ。
 中野孝次氏については、それまでに、あの16世紀のオランダの画家の作品について書きつづった『ブリューゲルへの旅』や、愛犬物語として有名な『ハラスのいた日々』を読んでいたものの、もっとも有名なベストセラーになった『清貧の思想』を読むまでには、少し時間がかかった。
 それは、その題名からくる私の穿(うが)った先入観からだったのだが。つまり、清貧という言葉は、たとえば、ある高潔(こうけつ)の士を、他人が見て、・・・あの人は、己の志を貫くために、清貧の生活に甘んじていた・・・、などと使う言葉であって、清貧の思想と名づけて、大上段に振りかぶって使う言葉ではないと思っていたからだ。
 しかし、何年後かに、その本を読んで、私は自分の狭量な考えに、浅学さゆえに恥じ入り、改めて、著者の深い思いに感慨を覚えたのだった。彼は、私にとっては一世代前の人なのだが、共通する倫理観に、まるで志を同じくする同志、いや先輩に出会ったような気がしたのだ。
 『・・・富んで慳貪(けんどん)である者を軽蔑し、貧しくとも清く美しく生きる者を愛する気風は、つい先ごろまでわれわれの国において一般的でした。』(本文より)
 昔、『名もなく貧しく美しく』(1961年、松山善三監督、小林佳樹、高峰秀子主演)という映画があって、大ヒットし、キネ旬のベスト5位と評価されたが、今の若者たちは、見たいとさえ思わないだろう。
 一体いつから、この国では、高級マンションに住み、ベンツに乗って、ブランド物で身を飾る人たちが、賛嘆されるようになったのだろう。もっともそう思うのは、持たざる者、努力しない者のやっかみであり、負け犬の遠吠えにすぎないかもしれないのだが。
 それはともかく、この本で中野孝次氏の考え方に共感した私は、先にあげた文庫本シリーズから、一冊、又一冊と読むことになった。そして、それらの本の中に書かれていた、あの良寛と、さらに一休についても、より詳しく知りたくなったのだ。同じ価値観を持つつながりとして。
 調べていくと、江戸時代の良寛と室町時代の一休、この二人の禅師の前に、鎌倉時代の『徒然草』の兼好法師、『方丈記』の鴨長明がいて、さらに平安時代のあの漂泊の歌人、西行に至る流れが見えてくる。
 それは、日本的な無常観を学ぶべき一つの系譜であり、ひとりで生きていくことを潔(いさぎよ)しとし、彼らなりの安住の地を見つけるべく、苦闘した人々の思いを知ることでもある。
 さらには、彼らの背後にある仏教思想を、つまり親鸞(しんらん)や道元、一遍(いっぺん)にまでさかのぼって、学ぶ必要があるのだろうが、とても今の私の手には負えない。何時かは取りかかろうと思っても、その本を手にしないのは、まさしく私のアレキサンドル(1月28日の項)的な、ぐうたらさゆえだ。
 ところが、一方で、先月に少し書いたあの万葉集については(1月2日の項)、その後も読み返していて、彼ら万葉人たちの、率直にして感情豊かな歌の数々に、すっかり夢中になってしまった。
 そして、その中にあった一首、『世のなかを 何にたとえむ 朝開き 漕ぎいにし船の 跡なきごとし(朝すぐに出ていった船の跡が、もうどこにも見えない。世の中とはそんなものなのかもしれない。)』(沙弥満誓)。
 さらに、この歌を受けて、あの鴨長明がその『方丈記の(十)境涯』の中で、『・・・行きかう船を眺めて満沙弥が風情をぬすみ・・・』と書いているのだ。(以上、角川文庫・万葉集上下巻、日本の古典・万葉集、小学館・日本古典文学全集・方丈記参照)
 つまり、日本的な無常観を伝える系譜は、なにも仏教思想によるものだけではなく、万葉の時代から、さらに言えば、時代に、国に限らず、人間の普遍的な性情の一つとして、誰にでもありえるものではないのかと・・・。
 あの画家ゴーギャンの言葉のように、『我々はどこから来たのか、我々は何者なのか、我々はどこへ行くのか』と考えれば、まず私が日本人であることを知らなければならない。
 そのためにも、世界に誇る日本の古典の数々を読むことは、必要なことであり、また私にとっては、今や楽しみの一つとさえなってしまったのだ。
 時代遅れとか、古臭い、ダサイと言われようとも、人に迷惑さえかけなければ、気にしなければいいのだ、そのまま己の道を生きていけば。ミャオ、そうだよな。生まれた時からの、一張羅(いっちょうら)の毛皮だけを着て、安全な所で食べてさえいければ、どんな所にいてもいいんだものな。」