昭和ひとケタ樺太生まれ

70代の「じゃこしか(麝香鹿)爺さん」が日々の雑感や思い出話をマイペースで綴ります。

北海道勢初の決勝進出!

2004-08-21 20:36:05 | 日々の雑記
 初めに一勝した時冗談で言った事が、今「瓢箪から駒」の例え宜しく駒大苫小牧が強豪を次々に破り、まさに破竹の勢いで東海大甲府を退けて遂に決勝に進んだ。「破竹の勢い」とは言葉の綾で、7点と大量リードで迎えた後半、あれよあれよと言う間に2点差までに追い上げられいた。何しろ相手の東海大甲府は、3回戦で聖光学園(福島)との対戦で、前半6点差を見事ひっくり返して勝ち進んで来た打力の強豪、全くヒヤヒヤものの勝利であった。

 これで北海道勢夏の大会初の決勝進出となった。これまで北国の地域的ハンディキャップをとやかく言われて来たし、確かに技術的も劣り決勝進出なんてものは、まさに夢のまた夢に過ぎなかったのだが、弛まぬ努力の積み重ねの結果が今日の快挙である。

 「勝負は時の運」とも云う、此処まで来たらドサンコの粘り強さを出して悔いの無い試合をして欲しいだけである。そしてその結果の「優勝」・・、初の優勝旗を津軽海峡を越えて持ち帰って欲しいものである。
 
 女子柔道キンメダリスト(塚田真希さん)のモットー、「弱気は最大の敵」・・「絶対に勝てるって!」

             ガンバレ!駒大苫小牧!
 

この強さは本物苫小牧

2004-08-19 21:00:24 | 日々の雑記
先日の事駒大苫小牧が東京代表で元優勝校の「日大三」に競り勝った日に、この調子で行くと優勝旗が初めて津軽海峡を渡るのもあながち夢で無いと、冗談めかしてブログに書いたのだが、今日の対戦相手の横浜高校も、やはり過去に春の選抜10回夏の選手権も10回の優勝経験を持つ、強豪ひしめく神奈川の名門校である。
 
 まさに「神奈川を制するものは、全国を制する」の例えが有るように、相手は強豪中の強豪校なのである。

 試合の始まる前は、苫小牧も今日で甲子園も終わりかと思ったのだが、いきなり飛び出した7番林のセンターオーバーのホームランがそんな悲観を一挙に吹き飛ばしてくれた。

 その後も強豪相手に堂々と渡り合い、回を追う毎に理想的に加点して行き終わってみれば、18安打と打ち勝ち、更に林選手のサイクルヒットのオマケ付きの全く文句なしの圧勝だった。

 次はいよいよ準決勝、76年ぶり(昭和3年北海中学)の快挙である。こうなると北海道の初優勝は、冗談どころか俄然現実なものになって来た。

 フレーフレード・サ・ン・コ!フレーフレーッ苫小牧!

誕生日

2004-08-18 20:44:20 | 日々の雑記
今日72回目の誕生日を迎えました。70才過ぎたら誕生日なんてものは「芽出度い」事でなく、日一日とあの世に近付く里程標の様なもので、時おり物思いに耽る、心虚ろな己に気付きむしろ淋しい限りです。

 しかし家族とは有り難いもので、何かと用意してくれ挙句の果てにケーキまで買って来てくれた。
 此処だけの話ですが・・私としてはケーキよりも大福かまんじゅうの方が有り難く、これもただ単に家族が食べたかっただけの事のようで、私の誕生日は単なるダシに過ぎなかったのでは・・? 

 夜になって札幌市に住む1歳年下の弟より、ビデオチャトのお祝いが来てしばらく交信を楽しんだ。

コスモスの花

2004-08-17 20:33:14 | 日々の雑記
今日は歩き終えてから、ジャスコの火曜市に行く予定があったので、何時もの自転車道路の住宅街コース歩く事にした。その道路沿いの住宅の裏庭の一画に、コスモスの花が満開状態で咲いていた。
 コスモスと言えば秋の花の筈、例年にない暑さに続く中、朝夕の風が多少ヒンヤリとして来たのは確かだが、この花がこうも早く咲くとは意外だった。
 
 たかが25・6度で本州各地に比較して申し訳ない程の気温に「暑い!暑い!果てには、寝苦しい・・」などと、音を上げ日を送っている内に、季節の移ろいはゆるやかだが秋の近付いているの、風の感触流れ行く雲のさまにそれを確実に実感する。

 秋はもう直ぐ其処まで来ている。せめて今の内に精を出して歩こう。そして太陽のエネルギーを出来るだけ身に貯めて、来るべき冬に備えようと思う。

花火大会

2004-08-16 22:49:00 | 日々の雑記
 今夜新釧路川河畔での花火大会が行われた。46回目を数える由緒有る花火大会である。地方都市としては8千発と数多く有るその中でも、川幅いっぱいに広がるナイヤガラと水中スターマインが圧巻である。

 これを境にして海霧の日も減り、秋の気配が一挙に深まって行く。
 

甲子園八強一番乗り

2004-08-16 22:46:38 | 日々の雑記
 昨年は不運の敗戦を味わい、その悔しさをバネに先日見事に甲子園一勝を勝ち取った南北海道代表の駒大苫小牧のナインは、今日は優勝経験高校の強豪日大三高を破る大金星をあげた。

 北海道勢が東京代表に勝ったのは54年振りだと言う。もとより本州との力の差は歴然としてるのだが、今日の駒大苫小牧のプレーは何ら遜色ない立派なものだった。

 この分で行くと、優勝旗が津軽海峡を初めて渡るという快挙もあながち夢ではないと思う。

 今こそドサンコ球児の底力を見せてくれ・・!

終戦の日

2004-08-15 19:31:09 | じゃこしか爺さんの想い出話
今日は59回目の終戦記念日なのだが、父の死亡の日として忘れられない日でもある。その頃私達は樺太に住んでいた。この日を含め数日間は戦争の終った事も知らずに、ソ連軍に追われて山中を逃げ回っていた。それは港の防衛の為、民間の防衛隊員として召集された父も同じであった。しかし父の場合はその日、終戦の日を境にして行方不明で、それは59年経った今でも変わらず音信普通のままである。それ以来終戦記念日の今日15日は、父の命日と定め今に至っている。そんな訳で菩提寺の納骨堂に納めている骨箱には、遺骨の一欠けらさえも無く空っぽのままである。

 13日の朝普段の年ならば迎え盆、お寺参りなどで何かと忙しい筈なのだが、ソ連の突然の参戦と本島への上陸がいよいよ現実のものとなり、老若男女への避難命令が緊急発令されていた。我が家ではもう既に港の防衛に父は民間防衛隊員としての召集を受けていた。母は半身不随の病身で杖を使って歩くのがやっとで、避難など到底無理な状態だった。それに私も少年防衛隊の命令で町内の警戒に当たる事になっており、取あえず今直ぐ避難するのは姉と弟に妹である。父は出発に先立ち只一人家に残る母に、「マキリ」(アイヌの短刀)を手渡し、私達にも色々と注意を与えて出かけて行った。それが父の最期の姿に成ろうとは、その時点では思いもよらなかった。

 当時その「マキリ」の意味は判らなかったが、後になって恐らく病身とは云え、決して生きて辱めを受けるなと言う父の決意だったのだろうと思った。

 戦争が終ったら当然に母のもとへ帰る筈の父は、私達は早くにそうしているものと思って居たのだが・・家に戻ってみて未だに帰らぬ父の事を知り呆然とした。

 樺太有数の炭砿の石炭積み出し港の防衛は殊の外大事で、それ故に民間の防衛隊も組織され軍との連携で

の港湾防衛であったのだろうが、圧倒的に軍事力に優るソ連軍にはひとたまりも無かった様である。
 やがて撤退命令が出て、防衛隊員たちは一斉に炭砿に逃げ戻りそぞれの家族と一緒になったのだが、何故か父だけは戻って来なかった。炭砿と港の間には石炭運搬専用の鉄道や道路、その他に近道となる間道も在った。せいぜい10キロほどの距離で、父はそのどの道にも精通していた筈で、殆どの隊員が無事に戻っているのだから、父がその道で迷うなんて事はとても信じられない事だった。

 しかし現実には父は帰らなかった。恐らく運悪く流れ弾にでも当たったのかも知れない。その後間も無く赴任地から戻った兄を先頭に、せめて遺体をと捜し歩いた。時には道路沿いの十字架の下まで掘り起こして捜したが全て徒労に終った。思えば六男四女の子に恵まれながら、「死に目」にも会えず又「死に水」も貰えず・・思えば哀れな最後である。

 今日59回目の終戦記念日を迎えた訳だが、その戦争体験者の世代は2割を切り「8・15」が何を意味するのか、又どんな日なのか判らない者が多く全く平和?で有り難い世の中である。私にとって今後世の中がどう変わろうと、8月15日という日は生涯忘れられない日である。


もう秋?

2004-08-14 19:30:59 | 日々の雑記
今年の夏はもうこれで終わりなのか。窓から入って来る風が涼しく、時には寒くさえ感じる程だ。
今年は例年に無く順調で最高気温も26度、その後も23度前後で寝苦しい夜もあったが(本州に比べたれ贅沢かな・・?)、久しぶりに快適な夏だった。

 海霧と陽射しの強さを避けて、ここ暫らくウォーキングニ出かけていなかったのだが、涼しい風に誘われて歩きに出た。同じ自転車道路だが、何時もの住宅街を通るコースとは違い湿原の中のコースである。

 暫らく振りに来て見て驚いた。道路沿いの葦やススキの成長の度合いが昨年に比べて抜群なのである。
せいぜい私の背丈ほどの高さで湿原が遠くまで見渡せたのだが、今年は場所によっては先が全然見えない。
 また「ナナカマド」にも早々と青い実が鈴なりである。昨年までの冷夏との違いをまざまざと見た。