畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

富士山

2009-05-21 21:39:47 | 暮らし
5月21日(木)  のち 

サツマイモ植え付け。250本。ズッキーニ、カボチャの定植。
防虫トンネル。



18日。お墓参りを済ませ、今が旬の、由比の名物、サクラエビをお土産にし、帰途につく。箱根によるけれども、東名を走った方がよいと、富士インターへ向かう。国道のバイパスを、かなりのスピードで走る。正面近くに見えていた富士山。だんだん大きくなってくる。車の左側に移動して、さえぎる低山もなくなり、裾野まで、全身を現してきた。運転している身では、ゆっくり見とれるわけにはいかないが、左の窓は、富士山のスクリーン。
バイパスを左折し、富士インターへ向かう道路に。今度は、真正面に富士山。フロントガラス一面、富士の雄大な姿。信号で止まったら、写そうかなどと思いながら、走らすが、停車時は、信号機、電柱、道脇の建物などが、障害物。結局、カメラに収まることなく、インターへ。
東名高速も、御殿場までの、ところどころ、富士山は、その姿を主張する。だが、富士を隠す周囲の山が、付きまとう。富士の隠れることが多くなる。
インターを降り、いよいよ、箱根への登り道。急勾配の道を、ハンドルを回しながら、上る。富士山はめまぐるしく、位置を変え、時には、姿を消しながらも、ついてくる。大きくカーブし、最高の富士山の姿を見た時、そこは、富士見茶屋。通り過ぎて、あの富士山を、今一度と思った時は、乙女峠のトンネルの中だった。
これで、箱根の山中に入ってしまった。もう、富士山とは、しばらく会えなくなる。
さあ、これからは、富士の美形より温泉だ。と、小涌谷に向かった。

由比

2009-05-20 20:25:21 | 暮らし
5月20日(水) 

ハッチクの収穫と、出荷。ソラマメは、ほぼ終わる。自然食品店への出荷は、今日が最後。後は、畑の整理程度に、残った豆を、取る位。ハッチクも、今がピーク。旬のものは、本当に短い。だから、美味しく食べられるのだろうが。

18日。さった峠で、しばらく、富士山に癒されたのち、再び、由比の街へと、細い道を下る。下りは、助手席は、山側。悲鳴は上がらない。
「下りは、どんどん下りて行くから、安心感がある」と、のたまう。
街並みに帰り、お寺に向かう。由比の町は、海岸線から、すぐに山が続いていく。そこを利用して、ミカン栽培が盛んだった。今もミカン畑は多いが、ミカン農家も、非常に苦しい環境に置かれ、専業でやれてる農家は少ないだろう。街並みから、少し、上った所にお寺はある。
由比町の白井沢という集落は、連れ合いの母親の生まれ育ったところだ。旧家の農家で、大きくミカン畑を経営していた。戦時中は、両親は、子供達と共に疎開していたという。その後、家族は、清水市に住んでいたが、子供たちは、よく、祖父母の所に行ったという。とくに、連れ合いは、休みのたびに訪れ、従姉妹たちと遊び、祖父母に可愛がられたという。連れ合いの、「農」の原点は、この、子供の時の、ミカン農家での暮らしに、あるらしい。
そんなことから、私も、会社を辞め、農的な暮らしを始めるにあたり、実際の農業の現場を経験するために、白井沢を選んだ。叔父が、営んでいるミカン農家での、作業を経験させてもらった。会社を辞めてすぐ、10月から、三ヶ月。その次の年も、何回か。約、6か月位、白井沢に暮らした。草刈、肥料の散布、消毒作業、そして、ミカンの収穫。その貯蔵、出荷作業。ともに汗を流し、仕事を学んだ。夜は、ともに、一杯飲みながら、いろいろと教わった。
その叔父も、今はいない。
私にとっては、初めての、叔父の墓参りでもある。

由比のお寺


祖父母や叔父たちの眠るお墓も、奥の方にある


さった峠

2009-05-19 19:59:01 | 暮らし
5月19日(火)  いちじ 

ジャガイモの初収穫。畔の草刈り。ソラマメの収穫。

法事に便乗した、小旅行。昨日は、富士の姿を堪能した。前日はかなりの雨だった。(残念ながら、我が家の田んぼには、溜まるほどの雨量ではなかったようだが)雨の翌日。朝から、晴天。窓からは、富士の姿が、くっきりと浮かんでいた。青い空に、真っ白な山肌。
8時少し前に旅館を出る。
「薩埵峠に行ってみようか。行ったことある?」
清水育ちで、由比でも暮らしたことのある、連れ合いだが、薩埵峠には、行ったことはなかった。
道案内を頼りに、車を走らせる。狭い道に入っていく。昔の東海道。徒歩や、せいぜい、駕籠や馬。こんなものかと思うが、軽の車でも、普通にはすれ違いできないほどだ。
その上、薩埵峠の登り口は、さらに狭く急な坂道になって、あらわれた。さすがの私も、そのまま侵入させず、一時停止。
「どうする?」「どちらでも」。で、車を侵入させる。細く、急な坂道が続く。ところどころに待機所。ミカンや、ビワ畑が続く。が、上るにつれて、左側は、眼下に、垂直なように、海が見えてくる。
助手席からは、悲鳴が続く。Uターンする方が、よほど怖いだろうに。時間にしては、5分もかからず、峠の展望台に。

峠からの富士山


富士山と東名高速


富士山と!!

小涌園

2009-05-18 12:53:03 | 農作業
日帰り温泉。
昼食をはさんで、湯船につかる。
帰りは恒例の日帰り温泉。こんな時でもないと、なかなか機会は作れない。
お返しに貰う、カタログから、温泉入浴券を引きかえておく。のんびり、二時間ほど遊ぶ。

単純作業。

2009-05-16 20:21:13 | 農作業
5月16日(土) 

一日出荷作業。
まずは、ハッチク筍を掘りに行く。この間、乾燥気味の天気だからどうだろうと、思いながら、林に分け入る。あちこちに、ニョキニョキというわけにはいかないが、手頃なものがそれなりに頭を出している。一時間ほど探し回り、15kgほど、掘ることができた。
その後は、ハッチクの整理、荷造り。そして、また、延々とソラマメの袋詰め。ラジオを聞きながらの、単純作業。椅子に座って、コンテナ一杯のソラマメの選別。明らかな不良品、一粒莢、を撥ね、三粒莢以上を中心に、二粒莢を含め、秤の上に載せる。400gになったら、ポリ袋に入れる。袋の口を絞り、テープを装着してある、「パックシーラー」という機械に通す。ガチャンと、袋の口をテープ止めしてくれる。その袋を、段ボール箱へ入れる。これで、一工程。この繰り返しである。
いわゆる商品として、出荷する場合は、このような余計な作業が必要とされる。この負担が、価格に転嫁される。新聞紙にくるんで、箱に入れるのとは訳が違う。しかし、店頭に並ぶ場合、量り売りでもない限り、どこかで、この作業が必要となる。農産物としての価値以外の価値が、加わることになる。

収穫

2009-05-15 20:07:16 | 農作業
5月15日(金)  ときどき 

日差しは強いが、空気はひんやり。家の中や、日陰では、上着をはおりたくなる。
午前中で、夏野菜のマルチは、とりあえず、張り終わる。昼食後、管理機、トラクター等の機械を引き上げ、一段落。
その後は、ソラマメの収穫。明日は、出荷量も少し増えるので、今日のうちに収穫しておこうと、二人で、豆採りだ。コンテナに10個ほど収穫する。不良品もあるし、かなり余分に取らないとならない。ソラマメは、一つの莢に一粒から、四粒入っている。出荷するものは、二粒莢以上のものにしている。一粒のものも、撥ねることになるから、なおさらだ。
夕方になると、肌寒さを感じるようになる。6時のチャイムを聞き、そろそろ引き上げ時だ。

この日曜日は、連れ合いの生家で、法事。兄の三回忌と、母の一三回忌。静岡に出かけることになる。日曜日は、早朝の出発の予定。明日は、そのための準備もある。前倒し、前倒しで、やっておかないと。