memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

奴隷労働22年間の後に家に戻った漁民   ミヤンマー

2015-07-24 00:02:28 | 海事

TUAL, Indonesia 発:彼が何度も言った言葉は家に帰りたいだった。先のビルマ人奴隷労働被害者の場合もおなじであった。かれは死ぬほどの暴虐を受けていた(6月30日UnionTribune)

かれははるか彼方のインドネシアに8年後に送られた。Myint Naingは母にまた会いたいと様々なリスクを犯した。夜は母の夢ばかりを見た。時はその母の顔さえもしだいに消し去ろうとした。かれは自らの体を大地に投げ出し、自由を訴えた。タイ人の船長は皆に聞こえるように大声で、船から逃げるようであれば殺すぞと脅した。そして船長は彼を甲板に投げ飛ばし手足を鎖でつないだ。

Myintは3日間 焼け付く陽光に晒され夜の雨では震えたが、食べ物も水も無かった。彼はどのように殺されるのかと思案した。彼がこれまでに見てきたように遺体は海に投げ込まれ岸辺で波に現れるのだろうかと。

そしてかれは母の夢を見なくなった。そして母の面影は消えてしまった。毎年Myintのような数千人の労働者らが騙され、冥界のような水産物業界に売られた。東南アジアの海域では公然の秘密として何十年も野間このような残忍な取引が行われ、無節操な企業は世界中のスーパーマーケットやレストランのための供給に彼らを頼りにした。

この数十億ドルのビジネスについてAP通信社が一年がかりの調査を行い340人以上の奴隷労働者やかつてそうであった人々のインタビューを行った。面談であったり書面によって。その聞き取り無い世は際立ってどれも同じであった。 

Myint は痩せた静かに話をする男であるかれは人生のために針金のように強く働いた。病気によって彼の右腕は部分的に動かなくなった。口を食いしばり笑顔が半分になった。しかし彼が笑うとかれは少年に戻った。彼は狭苦しい埃だらけのミヤンマーのモン州の出身で4人の男児と2人の女児最年長者であった。

1990年彼の父が漁業で溺死かれは15歳で男として働くことを余儀なくされた。かれは必死に賄、洗濯などで兄弟のために働いた。しかし彼らは貧困の中に落ちていった。タイに仕事があると斡旋業者がきた。Myint は簡単に口説き落とされた。業者は2,3ヶ月の仕事で300ドルになるといった。これだけあれば家族は一年は暮らせる。彼と他の若者たちが手を挙げた。


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