memories on the sea 海の記録

海、船、港、魚、人々、食・・・などなんでもありを前提に、想い出すこと思いつくこと自由に載せます。

台湾とイカ…そしてイカ漁業(4)

2010-07-02 12:45:56 | 水産・海洋
***砲撃を受けても***

今日の状況と比べて、台湾船が南西大西洋に漁業に出かけることには非常な危険があった。1993年以前、アルゼンチンはどこの国とも漁業協力協定を結んでいなかった。だから漁船がアルゼンチンの経済水域に入ると砲撃を受け船体没収となった。1983年、「宪3号」が沈没した。乗り組みの一人が死亡し、死傷者が出た。1991年3月「龍衛886号」はアルゼンチンの巡洋艦に砲撃され、一人が死亡。また1992年4月には「容曼81号」にアルゼンチンが砲撃し一命が頭部に負傷。同じ年、「何文1号」がアルゼンチン経済水域に侵入したとして拿捕された。

1993年になって状況好転をみた。それはアルゼンチンが自国の漁業振興と資源開発を決定したためで、結論として海域の開放と外国漁業との協力の2つの方策がとられることになった。
ひとつは「賃貸」である。外国漁船は金を払うことでアルゼンチン水域のなかで操業できる。同時に一定の人数の船員はアルゼンチンからの雇用を求められる。2番目の方法は合弁(JV)方式である。台湾の選手はアルゼンチンの市民または会社とJV会社を設立することが出来る。彼の持ち船をそのJV会社に売却することにより、アルゼンチン国籍を得て操業が可能となる。

「この2法のなかで、賃貸は漁業がアルゼンチンに根を下ろすために実際には許可されなかった。したがって政策が広く批判された」とチャン・シュ・ピン氏は言う。この方法は台湾漁業側にとって非常に不利益なものであった。
チャン氏によれば、各漁船は1隻当たり資源料として10万米ドルの支払が必要であった。これが後に27万米ドルとなった。さらには地元の会社にライセンス料を払うこと、出入港料の支払、アルゼンチン乗組員の給与などを加えると年間60万米ドルのコスト負担となった。