私は中老男である。
暑さにかまけて屋外に出ない休日。
スマホの情報ばかりを検索していた。
そこで面白い記事を見つけた。
サッカー日本代表の森保監督に対するコメント。
「森保批判する人は『森保じゃなければもっと強い』と思い、
森保を支持人は『森保じゃなければもっと弱い』と思っている」
とても腑に落ちた。
さまざまな情報が我々に届く中で・・・。
本当も嘘もデマもフェイクもある。
それのすべてを精査することが、個人的にできるわけはない。
そうした中で個人個人が自分の感覚で処理していくしかない。
その場合、結局「感情的な部分(つまり、好き・嫌い)」が優先する。
ゆえに前出のようなコメントになる。
言い続けているように、私は「森保監督更迭」に疑問を持っている。
それは「彼を有能と思っている」というより、今の段階で「誰をかわりにするの?」と思っているからだ。
逆説的な「森保支持」というべきか・・・。
そして、気が付いた。
この構図は「安倍元総理」の支持とソックリだと。
「森保批判する人は『森保じゃなければもっと強い』と思い、
森保を支持する人は『森保じゃなければもっと弱い』と思っている」
この文を
「安倍氏を批判する人は『安倍じゃなければもっと良い政治だった』と思い、
安倍氏の支持者は『安倍じゃなければもっと悪い政治だった』と思っている。
と置き換えてみると今の世論にかなり近い感覚になるのではないだろうか。。。。
そして、どちらも互いの意識が理解できない。
私の場合、森保氏の話は述べた通り「逆説的支持」である。
安倍氏の場合、支持している人の見ている「良かったところ」や「疑惑」が私には、やっぱり逆に見える。
「外交が活発だった」という評価も、それに付随した財政の発動が「もう少し国内のこと」に使われたら・・・と思ってしまう。
「疑惑」に対して、支持者が「疑惑でしかないでしょ?証拠は?」というのに対して「総理というのは、証拠がなければ『疑惑』を招いてもいいんだ???」って思ってしまう。
さらにいれば、今の政治家の「責任を取らない姿勢(この責任は私にあります!といっただけで後はスルー)」を定着させたのは私には安倍氏に見えるのだ。
総理がそうした姿勢なら、それ以外の政治家(特に自民党議員)は当然「右へ倣え」になる。
そして、以前Upしたが「予算委員会で質問者」に対して「ヤジを飛ばした」という総理を初めて見た。
彼は総理大臣という地位の「品位」をかなり落としてしまったように感じるのだ。
まさか、あんな衝撃的な亡くなり方をするとは夢にも思わなかった。
無念であったろう・・・。明恵夫人もとてもかわいそうだ。
だが、その「亡くなり方」が「今の政治家のあるべき姿」を国民にかんがえさせられるキッカケになっているともいえる。
そうした意味で安倍晋三氏は日本憲政史上に名を残すことになるだろう。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、今の政治家のあるべき姿を考えますように。
May
安倍氏の死によって「宗教と政治」「宗教とお金」「宗教心と自立心」みたいなものが論じられ、大きな変化をしていく予感がする。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます