私は初老男である。
少し、思い出した。
現在のようにSNSが発展していく中で、それ以前には自分の意識が人と変わっていることに、気が付くことがあまりなかった。
だが、こうした情報が錯綜する中で、実は自分の意識が「人と変わっている」ことを思い知ることが往々にしてある。
小ネタ3つで検証してみる。
①マクドナルドのクーポンを使っている30代の男性を見ると「吐き気」を催す。by女性
これこそ、自分の意識が「おかしくない」と思っていた典型。
ツイート主の女性は、多くの共感を得られると思っていたようで、「えっそのレベルなの世間的に」と驚き、「アレってお小遣いでなんとかやりくりしてる学生が使うものじゃなかったの!?!? 」と疑問を投げかけた。
SNSがない当時なら、ほとんど回りの人とちょっと話して終わりだったろう。
おかしかったのが、このニュースへのコメントに
「悪いけど、マック行ってる人がクーポン使ってる人にどうのこうの言えるレベルじゃない。」
てのが言いえて妙!
つまり、これは「個人の境界線」の典型だろう。
② 生活保護支給額引き下げに反対する会見で、受給者が「1日使えるお金は1000円」と不満をこぼした。
SNSとは関係ないかもしれないが「生活保護」という制度への感覚も、現在においては議論の的だ。
いまや、もらえる年金額が生活保護費より「低い」という状態がある中で、この発言があると「自分はもっと少ない!」(事実だったりして)って言いたくなる。
私らが仕事を始めた頃は「生活保護=恥ずかしい」であった。
しかし、単純にそんなことでないことも理解できた頃に、逆に悪用する人間たちが増え始めた。
そうした意味でも、この問題も個人の「境界線」が不明になった事例だろう。
③電通社長発言「当社における労務管理は、極めて大きな変化を遂げる」
細かいことは調べていただきたいが、私の個人的な感覚だが「こうした発言」を社長がする会社が「本当に変化」することは無い。
なぜなら単純に考えてもこれから以後10年くらいは「業績が落ちてよい!」と宣言したようなものだからだ。
「社員の待遇を改善」と「業績を落とさない」なんて神業をこうした宣言で、できるくらいなら元々今回の「社員の自殺」なんて事件は起きていない。
・・・・という風に考えるのも、私自身の「境界線」なのだが・・・・おかしいですか?
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分自身の「境界線」がどこにあるのか考えますように。
May
電通の社員自殺も問題は、みんなが気が付いているように「過労」の括りではなく「パワハラ」だと、私も思う。(「境界線」間違ってます?)